表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/26

9 新伍と警部補1


 家に帰ってきた桜子は、新伍と話がしたかった。

 せめて、今日聞いたことを伝えられたら……

 駄目で元々、三善邸への伺いを立てると、1時間後に新伍がやって来た。


「新伍さん! 出歩いてよろしいのですか?」


 勝川からは容疑者だと言われていたから、こんなふうに、ふらっと来るとは思わなかったのだ。

 しかも、いつも通りの飄々とした新伍だ。辛い目に遭っている様子も、困っている様子もなく安心した。


「そうですね。勝川警部補によると、一先ず解放して下さるそうです」


 勝川からは「未だ容疑者の一人だからな」と釘を刺されてはいるらしい。


「事件のあったと思われる時分、僕は一人でいましたからね。加えて、勝手にあれこれ触ったことも分が悪い。勝川警部補のおっしゃることも、もっともなんです」


 いつもの胡条邸の応接間。自分事と思えない程に、新伍は淡々と語った。


「でも……今は自由になったということは、疑いが晴れたんですよね?」

「晴れてはいませんね。僕をしょっ引くだけの証左がないだけで。『お前はまだ容疑者だってことを忘れるなよ』と、顰めっ面で言われましたからね」


「まさか勝川警部補は、本気で新伍さんのことを疑っているのですか?」


 信じられないと、声が震える桜子に、新伍はよくやるように肩を竦めてみせた。


「本気で僕を疑っていたら、勝川警部補は僕を解放したりしないでしょう。難癖だろうとなんだろうと、適当な理由をでっち上げて、僕を拘束し続けると思いますよ」


 そう言われれば、確かにその通りかもしれない。

 前の事件の時、当初はかなり反目しあっていたが、最後は勝川も新伍のことを認めているようだった。新伍が犯人だなどと心底考えているわけではないだろう。


「じゃあ、もう事件のことは、心配しなくていいのですね?」

「んー……実際には、もう少し関わることになりそうなんですが……」


 新伍はフワフワと揺れる黒い髪をグシャリと掻きあげて曖昧に答えると、話を変えた。


「それより、桜子さんも勝川警部補から話を聞かれたんですよね? 大丈夫でしたか? 本当は僕も聴取に同席したいと申し出たのですが、警部補から駄目だと却下されたんですよ」


 自分のことを心配して、そう申し出てくれたのだろうと感激しかけたところで、新伍の黒い瞳に浮かぶ好奇心に気がついた。

 そこには、同席したいと申し出た本心が、垣間見えている。


「……さては、新伍さん。あの日のことについて、私の話を聞きたかったんですね?」


 新伍が少し気まずそうに、「えぇーっと……まぁ、はい」と、頷く。

 ほら、当たりだ。


 こちらは心配で気が気でなかったというのに……驚くほどに、いつも通りの新伍だ。不満に溜息の一つもつきたくなる。


 先ほどの曖昧な笑顔の理由が分かった。新伍は、自分の疑いを晴らすために、事件を解決するつもりなのだろう。


 勝川から聞かれたことや、それに対する答えを、時折、新伍の質問を挟みながら、一通り話した。

 新伍は腕を組んで、顎の下に手を当てた。彼が考えに耽るときに、よくやる仕草だ。


 すると新伍が、「そう言えば」と顔を上げた。


「桜子さんは、僕に何か用事があって呼んだのですよね?」

「あっ! そうでした。実は……」


 桜子は、新伍の前に名刺を1枚差し出した。

 それを新伍が「……なんですか、これは?」と不審げな顔で手に取る。


 名刺には、『諧文堂(かいぶんどう) 記者 宮前 悟(みやまえ さとる)』と飾り気のない文字で書かれている。

 新伍は検分するように、ひらひろと表裏に返して眺めた。


「実は新伍さんに、お伝えしたいことがあったのです」


 桜子は、宮前に会いに行くに至った経緯と、そこで聞いた内容を、順を追って話した。

 すると新伍の眉間にみるみる皺が寄った。


「この記者は、確かに件の義賊のことを『怪盗41号』だと言ったんですね?」

「新伍さん、もしかして、その名を知っているのね?」


 新伍の反応が、初めて聞くものではなかった。


「警察の中の通名として、41号が使われているというのは勝川警部補から聞きました」


「勝川警部補が? よく教えてくださいましたね」

「まぁ……そこは何とか。そう呼ばれるに至った理由までは聞き出せませんでしたが」


 新伍の言い方からすると、きっと勝川警部補との腹の探りあいのような応酬をしたのだろう。


「宮前記者のお話、少しは新伍さんの役に立ちましたか」

「そうですね。藤助社長と八重子さんに関する考察は、なかなか興味深いものでした」


 話した甲斐があったと喜んだのも束の間、すぐに新伍から「ですが、桜子さんは、もうその方ところに行かないようにしてください」と注意を受けた。


「どうしてですか? いえ、行くつもりはありませんけれど」


「その人が親切にいろいろ教えてくれたのは、桜子さんから韮崎洋品店の事件のことを聞き出したいからですよ。実際、次にお会いするときには、韮崎洋品店について詳しく教えてほしいと言ったんですよね?」


「……でも、私は事件のことについては、一言も申し上げていませんよ。展示会に行ったとしか」


 確かに宮前の桜子を見る目は、どこか引っかかった。けれど、あの場で桜子は、八重子と特別に親しい訳ではないと、きっぱり言ったはずなのだ。


「桜子さん。宮前記者の前で、僕に話すのと同じように韮崎八重子さんのことを『八重子さん』と言ってませんか?」


 新伍に尋ねられて、会話を思い出そうとしたが、そんなに細かいところまでは、よく思い出せない。


「どうでしょう?……言ったかもしれません」

「おそらく、言ったのです。桜子さんは成り行きで水を向けられた話で、そういう細部まで咄嗟に警戒して会話するようなことを、しないと思いますから」


 そう明言されると、そうかもしれないと思えてくる。


「普通、面識がない人を『八重子さん』なんて、下の名前で呼んだりしません。『前社長の奥さま』でしょう。桜子さんの話し方から、この記者は、ただ展示会に行っただけではなく、多少なりとも接点があったと気づいたのですよ」


 新伍の指摘は、その通りだ。他にも迂闊なことを言っていないか桜子は不安になってきた。


「くれぐれも桜子さん一人で、この方に関わらないでください。先方から何か言われたら、旦那さまか、僕か……あるいは時津さんに相談を。時津さんなら、絶対に桜子さんを危ない目にはあわせないでしょうから」


 分かりましたね、と念を押され、素直に頷いた。


「でも、宮前記者というのは、なんだか探偵みたいですね。新伍さんみたい」

「いいえ、この人は記者ですよ。それも、かなり癖が強い人のようです」


 新伍は名刺にじっと目を凝らす。そこに宮前の人柄でも浮き出てくるのを待っているみたいに。

 間違いなく警戒しているはずなに、こういうときの新伍は、何故か少しだけ愉しげに見えるから不思議だ。



◇  ◇  ◇



 胡条邸を辞した新伍は、帰宅路を歩きながら、事件のことを考えていた。


 桜子にも話した通り、勝川警部補は何かと難癖をつけてはきたが、本心で新伍を疑っているわけではないだろう。


 韮崎家で交わした勝川とのやり取りを思い出す。



 勝川が放った「義賊なんてものはいない、あれは虚構だ」という言葉は、概ね新伍が考えていたことと一致していた。


「そもそも、義賊だと言われるようになった理由は、その泥棒が、盗んだ宝石を貧乏長屋の前に置いていったせいですよね?」


 勝川に確認をする時に、新伍は、置いていった()()、ではなく、置いていった()()だと言った。


 強調した二文字に、勝川は気付いたようだ。僅かに細めた目が、共通の認識を得た人間だと認めていた。


 あの義賊が誕生したのは、間違いななく、置いていった「せい」なのだ。


 美談によると、置いていかれた宝石のおかげで、ところどころ壊れ、雨漏りが酷く、薄汚れていた長屋は、綺麗に修繕できたことになっている。

 それは、さながら苦しい生活にあえぐ貧民を救う芝居の中の鼠小僧のように。だけど……


「実情は少し違うのではないですか? その義賊とやらは、施しのために長屋に置いていったわけではないのでしょう? 僕が思うに、おそらく宝石の処分に困って、捨てていっただけではないかと」


 宝石類は現金と違って、すぐには使えない。現金化するには、質屋に持っていくことになるが、銘や曰くのついた一級品は下手に質屋に持ち込むと足がつく。

 盗んだ宝石のうち一つに、そういう匂いを嗅ぎ取ったのだろう。


 遠くに行って売り捌くこともできるだろうが、そこにかける手間や負担、手元に置いておく危険性を鑑みて、たまたま貧乏長屋の前に捨てただけだ。


 それを、長屋の住人が拾って、警察に届け出た。拾ったのが正直者だったから良かったものの、邪な心の持ち主だったら、それこそ質屋にでも持ち込んだはずだ。

 そしたら、持ち込んだ人間が御縄にかけられていた可能性もある。


 真に貧乏な民のことを思う義賊が、そんなことをするわけがない。


 加えて、貧乏長屋が潤ったのは、その宝石のおかげではない。届けてくれた正直者に感動した元の持ち主が、長屋に寄付をしたからだ。


 因果関係がないわけではないが、断じて、義賊の施しなどではない。


 新聞などをきちんと読めば、正しい経緯は載っているのに、娯楽雑誌が面白おかしく記事にしたから、『銀の狐』などという義賊が世に登場したわけだ。


「どうです? 警部補の言った『虚構』という意味、当たっていますか?」


「……世間の連中は、皆、ありもしない創り物の正義に踊らされ、浮かれている。実にくだらん話だ」


 新伍の導き出した答えに、勝川は不機嫌そうに口髭をしごいた。正解なのだろう。


 この男のことだから、盗人が「正義」などと崇められている状況は、さぞ気に食わないに違いない。


「そもそもの泥棒というのは、どういう人物なのですか? 『銀の狐』という義賊は大袈裟な創作だとしても、泥棒は確かにいたのでしょう?」


 勝川は、自分の管轄じゃないと渋るようなそぶりを見せたが、今回の事件と無関係ではないかもしれないと、しつこく食い下がると、結局は教えてくれた。


「奴は、とんでもなく化けるのが上手い」

「化ける、とは?」

「そのままの意味だ。件の泥棒は使用人や商売相手になりすまし、被害者の懐にするりと入り込む。相手の警戒を解いて、信頼を得たところで、いつの間にやら盗み出して去っていく。奴は決して、華々しく現れて、劇的に消えるわけではない」


「なるほど、化ける……『狐』もあながち間違いではないわけですね。しかし、壁際に追い詰めたら目の前で消えた、という噂はどこから?」


「女に変装していたのだ。それも芸姑にな。それで、男を誑かして金品を奪った。その家の主人は、熱をあげていた女の正体が実は男で、しかも盗人だと分かり、狼狽して取り逃がしたのを大袈裟な嘘をついて誤魔化した。それで、まるで奇術でも使うみたいだと広まった」


 奇術は被害者の見栄であったか。


「幽霊の正体みたり、というやつですね。変装が上手い盗人『銀の狐』とは……」

「いや、41号だ」

「41号?」

「銀の狐などという嘘くさい名を使うな。奴は義賊でもなければ、神出鬼没の奇術師でもない。狡猾な盗人であり、生身の人間だ」


「なぜ41号と? 中途半端な数字ですが、その隠語には由来があるのですよね?」


 新伍が尋ねた質問は、勝川の「フンッ」という鼻息とともに無視された。教えてくれるつもりはないらしい。


 勝川が、部屋中見渡すように、太い首をゆっくりと捻る。まるで壁の向こう、韮崎邸の隅々まで透かして見ているみたいに目を細めると、(からかう)ように呟いた。


「意外と、この家の中にも奴が潜んでいるかもしれんぞ?」


 その台詞は、新伍の耳には、韮崎洋品店のすべてが胡散臭いとでも言っているように聞こえた。

 八重子、二人の女中に、従業員―――他に、誰か怪しい人物はいただろうか。


 新伍は、藤助が突っ伏していた机のあたりを振り返って尋ねた。


「興味深いご意見です。それでは、41号がこの家の中にいるとして、警部補は、《《あれ》》について、どう考えですか?」


 視線の先では、ちょうど、若い警官が紙を1枚取り上げていた。

 勝川が青年警官に、「寄こせ」と合図を送る。青年警官は慌てて紙を持ってやってきた。


 受け取った勝川がさっと目を通す。仏頂面が、まるで不浄なものでも見たように歪んだ。


 その紙には、新聞の切り抜き文字で不敵な言葉が躍っている。


『貴店ノ 最モ貴重ナルモノ 頂戴シタ』


「よろしければ、こちらも併せてどうぞ」


 新伍が懐から、別の紙を取り出した。

 警察が到着する前に、予め八重子から預かっていたものだ。新伍自身は、もう何十回も目を通した。


『貴店ノ 最モ貴重ナルモノ 頂キタク候』


 同じような切り抜き文字。違いは、語尾が「頂きたく」から「頂戴した」という完了形になっているところだ。


 二通は同一人物が作成したのか、あるいは一通目の手紙を見た人物がまねて作ったものだろう。


 最初に部屋を確認したときに、八重子もこの紙を目にした。だからこそ「泥棒が藤助の命を盗んだ」などと言い始めたわけだ。

 ただ、八重子に確認してもらったところ、実際に金品の類も幾らか盗まれていたのだから、藤助の命を盗んだという彼女の主張は、やや飛躍しているのだけれど。


「この予告状と犯行声明、そして銀色の毛について、勝川警部補は、どうお考えですか? やはり、この家の中に忍んだ41号がやったことだと?」


 しかし、勝川は素っ気なく答えた。


「さっきのは冗談だ。それに、これは模倣犯の仕業だろう」


 新伍がかつて桜子に語ったのと同じような推理を勝川が口にする。


「お前は知らないかもしれないが、雑誌やら新聞やらに書かれているのは、一人の人間の仕業じゃない。加えて連中が面白おかしく騒ぎ立てたせいで、似たような奴らうじゃうじゃと湧いて出おった」


 勝川によると、そうやって追随した盗人たちの中には、逃げおおせた者もいれば、捕まった者もいるという。大方、今回の予告状も、その類だと勝川は言い切った。


「どこぞの雑誌から着想を得たのか、ご丁寧に獣の毛まで銀色に染めるとは。なかやか念が入ってるじゃないか。だが、さっきも言ったように、奴はこういう創作じみた派手な演出はしない」


 だから絶対に違うのだと断言する勝川に迷いは全くない。


「これを残した人間と藤助さんを手に掛けた人間は、同一だと思いますか?」


 金品を盗み犯行声明を残した人間と、殺人者。

 仮に両者が同じだとしたら、盗みに入ったところに出会(でぐわ)したのから手にかけたのか。それとも計画的なものか。


 一方で別人だとしたら、窃盗と殺人の時系列はどうなるか。

 藤助は、15時頃にここに帰ってきてから、ずっと一人で小間物店に引きこもっていたという。ひょっとしたら、それよりも前に、すでに金品を盗まれていたという可能性もあるのだろうか。


 勝川は「現時点では何ともいえん」と曖昧な返事をした。

 新伍と同じ判断だ。断定する材料が少ない。


 警察は藤助殺人の件を調べるのだから、まずは関係者の足取りを洗うだろう。それも気になるが、やはり新伍としては、もともとの依頼でもある、盗人の捕縛をしたい。


 そんなことを考えていると、不意に勝川から呼ばれた。


「おい書生。饒舌に語っているが、お前は大事なことを見逃している」


 勝川の仄暗い瞳が愉しそうに揺らめいた。


「……なんでしょう?」


 その様子からすると、多分、新伍にとって良くない話だ。

 ここに留まっていた新伍が気づいていないことで、ここに来てすぐの勝川が気がいたこと。何かあっただろうか?


「わかりませんね。教えてください」


 新伍はあっさりと両手を挙げて、降参の意思を示した。勝川に隠す気はなさそうなので、さっさと負けるが勝ちだろう。


 案の定、勝川はすぐに教えてくれた。


「先程、お前さんは、何故韮崎邸(この場)にいることになったのか―――その経緯から行動の細部に至るまで、手の内をさらけ出すように、滔々と語ったことを忘れたのか? だが、お嬢様と別れてから八重子氏に合流するまでのことをよく考えてみろ」


 勝川の眼光が鋭く光り、口の端がにやりと曲がる。勝川の言いたいことが分かった。


「五島新伍。今回は、お前も立派に容疑者だぞ?」


 その指摘に、新伍は思わず声を上げた。


「確かに!」


書籍の方(Ⅰ)をお読みの方にはあまり良い印象はないであろう勝川警部補ですが、私はちょっと愛着が湧いてきております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ