7 容疑者の一人
再開です!!
終礼の鐘が鳴り、皆が帰り支度を始める。桜子は立ち上がって、戸田加代の席を振り返った。
加代はさっさと帰り支度を終えたようで、もう教室から出ていくところだ。
桜子は自分の荷物を急いで纏めると、急いで加代の後を追いかけた。
「加代さん!」
早足で歩くと、すぐに加代に追いついた。
「あら、桜子さん。どうしたの?」
「加代さんに聞きたいことがあるんだけど、お時間少しいいかしら?」
加代が立ち止まって、桜子の方を向き直った。
韮崎洋品店の不幸な出来事から、今日で3日経つ。
桜子は事件について、父から聞いた。
早晩、警察が事情を聞きに来るだろうから予め心の準備をしておくようにと言われた通り、事件翌日の夕刻、東京警視庁の警部補、勝川が胡条邸にやって来た。
聴取に父が付き添ってくれたからだろうか。勝川から以前のような嫌な態度を取られることはなかった。
聞かれたのは、桜子が韮崎家を訪れた経緯、韮崎家の面々とのやり取り、そして、当日ずっと一緒にいた八重子や、それ以外の人たちの行動について、思い当たる限り。
時折、父に補足してもらいながら粛々と答えていると、聴取は終わった。
勝川が無愛想に礼を告げて、立ち上がる。本当は勝川のことは苦手だ。それでも、どうしても気になって、桜子は意を決して呼び止めた。
「あの……五島さんは、どうなっていますか?」
新伍は桜子と違い、発見時に韮崎家にいたという。まさか前のように容疑者のような扱いはされていないだろうけど……
すると勝川は、桜子の期待を裏切るような陰鬱な溜息をついた。
「お嬢様。状況だけみれば、今回は奴も立派な容疑者の一人だ」
『容疑者』という強い言葉に衝撃を受けた桜子は、思わず縋るように父の腕を掴んだ。
父が大丈夫だというように、桜子の手に、優しく手を添えた。
「勝川警部補。もう少しちゃんと説明いただかないと、娘が動転してしまう」
勝川は口髭を軽くしごいて、「あぁ、失礼」とぶっきらぼうに言うと、何故、新伍がそんな扱いとなっているのか、支障のない範囲で教えてくれた。
曰く、警察は最後に藤助が目撃されてから、遺体となって発見されるまでの間の関係者の行動を確認している。
その中で新伍は、桜子と別れて人力車を降りてから、17時過ぎに桜子や八重子と合流するまで、基本的に一人でいた。
韮崎家に来るまでの足取りを保証してくれる人もおらず、到着して応接間に案内されてからも一人で過ごしていた時間が長い。
つまり、状況的には犯行が可能な人間というわけだ。
特に、あの日は韮崎洋品店の新店舗の開店日で、従業員のほとんどが銀座通りの店にいた事が分かっている。
その中で新伍は、行動が明確化されていない数少ない人間の一人ということになるのだそうだ。
「しかし、五島くんには動機がないだろう? 韮崎さんとは、ほんの3日程前に出会ったばかりだ。それも、私が展示会の招待状を渡したからという偶然の成り行きで。決して、意図的な出会いではない」
すると、勝川は慇懃な態度を崩さぬまま、父に言い返した。
「動機があるかないかなど、人の内面まで探らぬと分からんでしょう。そういう曖昧なものよりも、犯行可能かどうかのほうが私は重要だと思いますがね」
勝川の言い分に、父が「なるほど。それもまた、間違いではありますまい」とあっさりと引き下がったものだから、桜子は少しだけ腹が立った。
「お父様。新伍さんが、そんなことをするわけがありません」
「分かっているさ。私もそう思う。だが、勝川警部補のおっしゃることも一理ある。それに、実のところ、私はそこまで心配していない。彼なら、自分で何とかするだろうから」
冷静な父を見て、気がついた。
父は初めから、新伍の置かれている立場について、知っていたのだ。勝川に詳しく説明させたのは、桜子のために過ぎず、状況から新伍もまた、疑いを晴らせていないのだと理解していた。
そして、その上で、新伍なら大丈夫だろうと信頼している。
それは、桜子も同じだ。
新伍ならきっと、自力でなんとかするだろう。
だけど……ーーー
それを、ただまんじりとしながら待つのは辛い。
せめて自分にできることはないか。
桜子は考えていた。
勿論、危険なことに足を突っ込むつもりはない。
殺人事件のほうは無理でも、あの義賊のことなら、何か力になれることもあるかもしれないーーー例えば、情報を集めることくらいは。
それで、桜子は、以前、件の義賊について熱心に語っていた学友、加代に声をかけたのだった。
彼女なら何か役に立つことを知っているかもしれないから。
呼び止めた桜子に、何の話かと加代が問い返す。
桜子は賑やかにすれ違っていく女学生たちを横目に加代に「ここじゃ、ちょっと……中庭はどうかしら?」と提案すると、加代は申し訳なさそうに謝った。
「ごめんなさい。私、これから行くところがあって……」
加代はいつも学校が終わった後は図書室に行くのだと聞いていた。
経済的な援助を得て女学校に通っている身だから、成績を落とすわけにはいかないと彼女は言っていたのだ。
だから、てっきり今日もこれから図書室に行くのだろうと思い、その前の時間で少し話ができればと声を掛けたのだが、どうやら違うらしい。
桜子の少し弱ったような表情に気づいたのだろう。加代が申し訳なさそうに謝った。
「友人が入院したの。その…どうしても、お見舞いに行かなければならなくて……」
加代の目がチラチラと後方を向く。確かに酷く急いでいらしい。
「病院が少し遠いから、急がないと……ごめんなさい」
「遠いって、どちらなの?」
飛び出していきそうな加代の手を、思わず掴んで止めた。聞けば、彼女の足で歩いて、30分近くかかるような場所だという。往復すれば、小一時間だ。
「尋常小学校の友人なの。だから、私の家のほうなのよ」
「加代さん。良ければ、一緒に人力車に乗っていかない?」
加代の実家は農家で女学生に通うには遠いため、今は援助をしてくれる人の知り合いの家に身を寄せている。女一人で歩くのは危ないのではないか。
驚いた加代が「でも…」と遠慮しようとしたが、それを桜子が押し留めた。
「加代さんが歩くより速いわ。少しでも長く、お見舞いの時間が取れるほうが良いでしょう?」
加代は、迷うような素振りをしたが、結局、「ありがとう」と素直に桜子の提案を受け入れた。
校門を出たところで、車夫の大二が待っていた。
加代の友人が入院している病院に連れていって欲しいと言うと、大二が、桜子にだけ分かる程、小さな表情の変化で「全くお嬢様は……」と呆れた顔を見せた。
「大二、お願い」
大二は、隣の加代の切羽詰まったような様子に、仕方なく「乗ってください」と二人を促した。
人力車が走りだすと、加代が小声でお礼を告げた。
「助かりました。実は、いつもよりたくさんお金持っていたので、歩くのは不安だったのです」
「お金? どうして?」
加代につられて、桜子も声を落とす。
加代は言い淀むようなそぶりを見せたが、少しして重い口を開いた。
「入院したのは、私の幼馴染でサチという子なの」
サチは一昨年、結核を患った。その時は回復したけれど、今でも、時々症状が悪化すると入院をしているという。
「彼女の家はご両親も亡くなっていて、身よりもお兄さんだけだし、あまりお金がなくて……その…」
「もしかして、サチさんの入院費用を?」
加代が肩代わりしているということなのだろう。加代だって、他人の援助を得て女学校に通っている身のはず。そんな余裕があるのだろうか。
「夜に繕い物の手仕事を受けて貯めたの。ほんの少しなので、足りないとは思うけれど」
よくよく見れば、加代の手先は乾燥してささくれだっている。桜子付きの女中、イツの手に似ていた。
桜子は自分のつるんとした指先がなんだか居た堪れなく感じて、指先を隠すようにそっと拳を握った。
何と答えて良いのか迷っていると、加代が思い出したように話題を変えた。
「そういえば、桜子さんの聞きたいことって、何でしたか?」
友人を案じている加代に話すのはと差し控えていたが、彼女から話題にしてくれたおかげで、桜子は聞きたかったことを告げた。
「実は、前に加代さんが話していた義賊について聞きたくて」
「あぁ、『銀の狐』のことね」
「そう。その狐さん。その人について、詳しく教えて欲しいの」
「詳しくといっても、私が知っていることなんて、新聞や雑誌に書いてあることばかりよ?」
「そもそも加代さんは、どうして、そんなにも銀狐に詳しいの?」
皆と話した時の様子では、かなり贔屓にしていた。
桜子たち女学校の学友たちとはやや異なる彼女の生い立ちのせいかしらと思ったけれど、加代は、「銀狐に詳しいのは、私じゃないのよ」と首を横に振った。
「もともと、あの義賊に傾倒していたのは、さっき話した友人……サチなの」
生活が苦しいうえに重病を患うサチは、貧乏長屋に施しをしたという義賊の存在を知るなり、たちまち、のめり込んだという。
「そんなに立派な人が、いつか自分のことも救いだしてくれるかもしれないと、強い希望を抱いたのね」
そう話す加代の顔は、以前よりも冷静にみえる。あの時の必死な反論は、彼女自身のためではなかったのだろう。
それでも加代は、何でもいいから教えて欲しいと請う桜子に、雑誌や新聞で集めた件の義賊に関する逸話を教えてくれた。
初めて雑誌に取り上げられたとき、貧乏長屋に宝石を置いていった話、神出鬼没ぶり。
前回、お昼を食べながら聞いたときと同じで、聞けば聞くほど、物語の世界の話だ。そのうち八犬士でもでてきそう。
加代から聞いているうちに、人力車がゆっくりと止まった。
「着きましたよ」
振り返った大二が、二人に声をかけた。車から降りれるように足場を出してくれる。
「加代さん。私たち、ここで待っているから、行ってきてちょうだい」
「え? でも……」
送るだけで、当然引き返すものだと思っていたのだろう。加代は、目を丸くした。
「ご迷惑だわ。お帰りになって」
「近頃は日暮れが早いもの。行灯もないのでしょう? 夜道を歩くことになったら、加代さんが危ないじゃない」
「でも、胡条さんをお待たせするわけには……遅くなると、お宅に何か言われるでしょう?」
「大二と一緒なら大丈夫よ」
押し問答を何回か繰り返したあと、加代が助けを求めるように大二を見た。
大二が「お手上げですよ」とばかりに肩を竦める。
それで加代も諦めたらしい。
「なるべく早く戻ってくるわ」と離れていく加代に、「ゆっくりでいいのよ!」と声を掛ける。
帰り道の安全とお見舞い時間確保のために送ろうとしているのに、わざわざ急がせたら、待つ意味がない。
「桜子さんは、どうされますか?」
加代の姿が見えなくなると、大二に、降りるかどうか問われ、少し考える。
桜子1人で、土地勘のない場所をふらふら出歩くわけにはいかないし、加代が戻ってきた時に困るだろう。
「そうねぇ……」
ちょうどその時、甘い匂いが漂ってきた。匂いの元を探せば、通りを挟んだ向こうにある店に人が寄っていくのが見えた。
「あそこのお店のふかし芋ですね。ちょうど出来上がったところなのでしょう」
「私も買ってこようかしら」
すぐそこの店なら迷うことはないし、大二の目も届く。
人力車を降りて、皆が並んでいる方へ一人で歩いていく。甘い湯気と手ごろな値段につられて、ふかし芋は飛ぶように売れていた。
並び列などないようで、手と金を出した順に渡しているらしい。
巾着の中の財布から小銭をだす。威勢のいい店員さんに、小銭のふかし芋二つを交換してもらい、店から少し離れて立ち止まった。
ふと視線を感じて顔を上げると、病院の出入り口あたりで立ち止まっていた男と、目があった。
中肉中背の男は、着流しに尻はしょり、股引と地下足袋という棒手振りあたりによくいそうな身軽な格好をしている。
年は20代半ばくらいだろうか。目つきが鋭い。
知っている顔だったかしらと考える間もなく、視線は逸らされた。
思い過ごしだろうと、ふかし芋をふうふう冷ましながら戻ると、向こうから大二が迎えにきた。
「どうしたの?」
「お嬢様、財布は無事ですか?」
「エッ?! お財布?」
桜子は慌てて、巾着の中を検める。そこにはさっき小銭を出したときと同じように、赤い端切れで作ったがま口財布が収まっている。
念の為、口を開けて見たが、減っている様子はない。
「さっき、お嬢様が店の前の人だかりに入っていったとき、男が一人近づいていくのが見えたんで」
いかにもスリ臭い男で、気づいた大二が睨みをきかせて近づくと、引き返して離れていったらしい。
「お嬢様には接触はしていないように見えましたが……」
「どんな方ですか?」
大二が、怪しい男の特徴を挙げる。それは、先ほど、桜子と目が合った青年の特徴と一致していた。
それでは、あの人は桜子の財布でも掏るためにこちらを見ていたのか。それで、大二に気づいてやめた。
そんなふうには思わなかったけど…と言いかけて止めた。前に父にも指摘されたが、自分は世間知らずなのだろう。
何事もなくて良かったと、大二と連れたって人力車まで戻る。
ふかし芋を一つ、大二に渡して、二人で食べながら加代を待った。
ちょうど桜子が芋を食べ終わる頃、加代が戻ってきた。
「本当に待っていたのね」
「約束したもの」
加代に、人力車に乗るように促す。
二人が乗り込むと、車輪がゆっくりと回り始めた。徐々に速度を増す人力車の上、桜子は加代に話しかけるのを躊躇った。
友人の具合など聞くものではないし、かと言って、他の話題も持ち出しくい。
黙ったまま流れる景色をみていると、突然、加代が呼びかけた。
「桜子さん。私、決めたわ」
何を決めたのかと横を向くと、加代もこちらを見ていた。
「例の『銀の狐』のことよ」
「銀狐がどうかしたの?」
「私、あの人を探すわ」
「えッ?」という驚きの形に口が開いたまま、ぽかんとしている桜子に、構わず加代が続けた。
「私、あの子の……サチのために、できることをしたいの」
少し息苦しそうに告げた加代の表情は、暗く沈んでいる。
「義賊に頼んで、お金を払ってもらうってこと?」
義賊ならば、貧しい病人を助けてくれるかもしれない。それを頼むために探すのだろうか。
しかし、加代はきっぱりと首を横に振った。
「そんなことは、しないわ。ただ私は……あの子を元気づけたいだけ」
加代の顔に焦りと疲労が色濃く滲む。
「あの子ね、久しぶりに会ったら、とても痩せてしまって、咳も酷くて、目つきも……」
泣き出しそうに、声が震えている。
「それで、サチ、私の腕を掴んでいったの。銀の狐を見つけて欲しい。会いたいって。私の希望だって……」
加代が僅かに右手首を擦るような仕草をした。まるで、そこを強く掴まれていたのだと言わんばかりに。その表情から、辛い面会だったのだろうと察せられる。
「でも探すって、どうやって?」
「最近、話題になっているおかげで、銀狐について書かれた記事は多いわ。まずは新聞社や雑誌社を回ってみるつもり。そこで少しでも情報を得れれば……次に現れる場所でも、分かれば良いのだけれど」
桜子は、韮崎洋品店に予告状がきていたことを知っている。そして、あの事件のことも。
新聞を見た限りでは、韮崎藤助殺害のことは掲載されていたが、予告状について触れたものはない。
これから記事が出るのか、それとも隠されているのかは分からない。もしかして、次の予告状がどこかに届いていれば、現れる場所も特定できるだろうか。
だけど、それは加代に話すわけにはいかない。
「それで、見つけられるのかしら?」
「分からないわ。……でも、じっとしていられない」
加代は何かを言い淀むように口を開いて、すぐに閉じた。それから、考え込むような仕草のあと、控えめに桜子に頼んだ。
「ねぇ、桜子さん。私と一緒に、あの義賊を探してくれませんか?」
一瞬、冗談でも言われたのかと思ったが、加代の目は真剣だ。
「……どうして、私に?」
まさか韮崎洋品店のことを知られているのか。
桜子の声がほんの少しは警戒を孕んでいたせいだろう。
加代は慌てて、「誤解しないで!」と付け足した。
「胡条財閥のコネを借りたいとか、金銭的な助力をいただきたいとか、そういう意味ではないんです。ただ、桜子さんが付き合ってくださったら、心強いと思っただけで……」
聞かなかったことにしてください、と頭を下げようと加代を、桜子が止めた。
「待って、加代さん。頭を下げないで。私でよければ、手伝うわ」
加代のしようとしていることは、桜子にとっても渡りに船かもしれない。付き合うことで、少しでも情報を得られるなら、新伍の役に立てる。
だが、それだけでなく、彼女からの誠実な信頼が嬉しかった。
加代が優秀なのは知っていた。努力家なのも。けれど、今まで加代と深い話などしたことはなかった。桜子はこの短い間に、彼女のことをたくさん知って、好感を抱いた。
それに、新聞社や雑誌社を回るくらいなら、危ないことにはならないだろう。
ちょうど、桜子と加代の話が纏まった頃、人力車が停まった。
「着きましたよ」
気づけば、すでに女学校の校門前だ。
あたりは薄暗い。
「加代さん、家まで送りましょうか?」
桜子が尋ねると、加代は困ったように笑った。
「すぐ近くだから、大丈夫。それに私、居候なのよ。胡条家の人力車で乗り付けたら、家の方がびっくりしちゃうわ」
そう断った加代は、人力車を降りる直前、今まで見たことのないようなホッと気を許した顔で付け足した。
「実は私、ずっと、女学校はあまり気の合わない人が多いと思っていたの。でも、桜子さんは好きよ」
「ありがとう。私も加代さん、好きだわ」
桜子がそう返すと、彼女はニコリと笑った。
加代は小柄な身体を翻して、ぴょんと人力車から飛び降りると、「さよなら、またね」と手を降ってから、小走りで去っていった。
これを書き終わらないと新しいもの書き始められないので、頑張ります。




