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4 韮崎洋品店について2


 新伍たちとのお茶を切り上げて応接間を出た桜子が、八重子に案内されたのは小さな洋間だった。


 普段は八重子が使っている私室なのだろうか。部屋には、壁沿いに腰の高さ程の棚が置いてあって、その上に花が飾ってある。玄関の花瓶ほどではないが、それでも赤や黄色や白で華やかに活けてある。

 部屋の真ん中には机が置いてあって、ここが物を書いたり、読んだり、作業したりするための部屋なのだろうと思われた。


 机の回りには椅子が2脚置いてある。そのうちの一つを八重子が示した。


「桜子さんは、そこに座ってくださいな」


 桜子が椅子に座ると、空いているもう一つに、八重子が腰を下ろした。

 机の上には、白い糸と鈎針の入った道具箱が置いてある。


「お裁縫は得意でして?」


 八重子の細くて長い指が道具箱の中から鈎針を取る。


「女学校の授業でありますが、あまり器用な方ではありません」


 謙遜ではなかったが、八重子が品の良い仕草でクスリと笑った。


「大丈夫。同じ動きの繰り返しですから、慣れればすぐにできるようになります」


 八重子と相談した結果、今回は硝子のコップの下に敷くコースターをいくつか、模様を変えて作ることにした。


 鈎針を使って、八重子に教えてもらった通りに白い糸を編む。

 最初は練習で少し編んでみた。初めのうちは慣れない作業で、上手く編み目が揃わなかったが、やっているうちに少しずつコツが分かってくる。


「うん、上手だわ。筋がいいのね」


 お世辞だろうけれど、褒められれば、やはり嬉しい。

 八重子から合格を貰うと、桜子は本格的に作品に取り掛かった。


 途中、八重子の提案で、少し休憩を挟む。


「細かい作業だから、目が疲れちゃうのよね。年のせいかしら」


 八重子は目の周りを揉むと、タツ江にお茶のお代わりをお願いするからと、桜子を部屋に残して出ていった。


 桜子も「ふう」と一息ついて、肩を伸ばす。

 立ち上がって、何気なく部屋の窓から外を見下ろすと、眼下に着物の女性が歩いていくのが見えた。どことなく姿勢のきれいな人は、ひょっとしたら小間物店の客かもしれない。


 そのまま窓の外を眺めていると、八重子が、お茶を携えたタツ江とともに戻ってきた。先程と同じ紅茶が注がれ、それをいただいてから、また少し編んだ。


 しばらくして疲れたなと思った頃、八重子が再度の休憩を提案した。桜子は八重子に場所を聞いて、お手洗いを借りた。


 韮崎家の廊下は、店舗と一体になっている屋敷とは思えないほど、しんと静まりかえっていた。この家の中で生活しているのは、家族3人と女中1人だけだと思うと、少し寂しい気もする。


 お手洗いから出ると、丸まった書生服の背中が少し先を歩いているのが見えた。

 昨日、社長を探していた従業員だ。確か、書類仕事に強いといわれていた人で、名は「斎藤」。


 斎藤は、ヨタヨタと左右に身体を揺らしながら、のそのそと歩いている。よほど歩みが鈍いのか、桜子が少し早足になると、あっという間に追いついた。


 背を丸めているのは、大きな書類の束を抱えていたせいらしい。


 手伝いましょうか、と声をかけようとした時、斎藤が前につんのめるようにして転んだ。


 手にしていた書類束が盛大に舞う。耳に引っ掛けていた眼鏡も一緒に飛んでいった。


「大丈夫ですか?」


 声をかけたが、斎藤は這いつくばったまま、きょろきょろと頭を左右に振って、伸ばした手で床を探っている。


 かなり目が悪いようだ。桜子が急いで、飛んでいった眼鏡を拾おうとすると、別の手がさっと伸びてきた。

 桜子より少し小さな手が、眼鏡を拾い上げる。

 誰かと見上げれば、おさげ髪の女の子だった。拾った眼鏡を無言で斎藤に渡す。


「あ、ありがとうございます………さん」


 あまりにもモゴモゴした口調のせいで、なんと呼んだのか聞き取れなかったが、背格好からすると、多分「晶子」だろう。八重子の娘で11歳だと言っていた。八重子に似た面長な顔立ちのせいか、やや大人びた雰囲気がある。


 晶子は斎藤のお礼を無視して、飛び散った書類を拾い始めた。桜子も、それを手伝った。


 晶子が集めた書類の束を斎藤に突き出すように渡すと、彼は恐縮しきった様子で数度、頭を下げて受け取った。

 だが晶子はまたもや無言で踵を返すと、桜子に小さな会釈をして、静かに離れていった。


 ふと斎藤に目をやると、その後ろ姿を見ている彼の眉尻が僅かに下がったように見えた。すると、突然、斎藤が桜子の方を振り向いた。


「あ、あの……これもどうぞ」


 なんとなく気まずくて、自分の手元の書類を慌てて、斎藤に差し出す。

 眼鏡の奥の小さな瞳が戸惑うように、ぱちくりと何度も瞬きした。


「胡条桜子と申します。昨日、銀座のお店でお会いしました」


 その言葉で桜子のことを思い出したようで、斎藤のつぶらな瞳がパッと開く。


「斎藤さん、でしたよね? 書類仕事をしている」

「はい……主に、帳簿を管理しています」


 斎藤はモゴモゴとした口調で答えた。小さな目に、頬のふっくらとした下膨れ顔。鼻の上にはそばかあって、どこかの看板にでも描かれていそうな、愛嬌のある顔立ちをしている。

 体形はやや小太りで、暑がりなのか、額には汗が浮かんでいた。


「大丈夫ですか?」


 桜子はハンカチーフを貸そうとしたが、斎藤は恐縮した様子で、自分の着物の袖口でぐしゃっと汗を抑えた。


「どちらまでですか? 良ければ、運ぶのをお手伝いしましょうか?」

「いえ…お客様にそのようなことは……」


 斎藤が、桜子の差し出した書類束を受け取る。身体も大きいが、着ている着物がさらに大きいのか、手首が袖口に隠れている。

 先程と同じように書類を抱え込むようにして持つと、すぐに立ち上がる。桜子が重ねて何か口を挟む隙もないほどにペコペコと頭を下げながら、足早に去っていった。


 桜子も部屋に戻ろうかと立ち上がると、背後から新伍の声がした。


「桜子さん、そろそろ帰りましょう」


 振り返ると、いつもの飄々とした新伍が立っている。


「新伍さん。要件は終わったのですか?」

「今日のところは。あまり遅くなると、胡条の旦那さまが心配します」

「え? もう、そんな時間ですか?」


 新伍に言われて窓を見ると、いつの間にか橙色の西日が差し込んでいた。



◇  ◇  ◇


 翌日の午後、桜子と新伍は再び人力車で韮崎家に向かった。桜子は昨日の続きを、新伍は予告状のことで用があるらしい。


 人力車の上で新伍が、昨日、韮崎洋品店の社長、韮崎藤助と話したことについて、掻い摘んで教えてくれた。


 例の予告状とやらは、自宅の一階にある店舗の入り口に外から差し込まれていたらしい。それを、八重子が見つけた。


「八重子さんは、毎朝、起きたら最初に、店舗のほうに変わりがないかを見回る習慣があるようでしてね」


 それで早朝、入り口の予告状に気がつき、何だろうかと引き抜いた。

 そしたら、折りたたんだ紙には、予告状という文字とともに、例の文言が書かれていた。そして、その間から銀色の塗料で染められた太く短い毛が零れ落ちたのだという。


「それは狐の毛……ですか?」


 桜子が恐る恐る尋ねると、新伍はすぐに否定した。


「おそらく違うでしょう。もっと手軽に手に入るモノ……猫か犬あたりだと思いますね」


 答えながら新伍は、「これが予告状に書かれていた言葉です」と、自分の帳面に控えたという文言を見せてくれた。


『コレヨリ10日ノウチニ 貴店ノ最モ貴重ナルモノ 頂キタク候』


 あの時、八重子が諳んじたのと全く同じだ。


「筆跡はどんなふうだったのですか?」


 以前、桜子への脅迫状を調べたとき、新伍は真っ先に筆跡から洗い出していた。

 しかし新伍は、「今回はその手は使えませんね」と肩を竦めた。


「手書きではなく、全部雑誌や新聞の文字を切り貼りなんです」

「切り貼り、ですか?」


 桜子は、白い紙の上に、新聞や雑誌の独特の印刷文字が切り張りされて並んでいる様を思い浮かべた。そして、そこに挟まる獣の毛。

 とんでもなく気味が悪い。


「しかし、筆跡などは些細な問題なんですよ」


 新伍が腕を組んで、考え込むように黙った。


「些細というのは、どういう意味ですか? 他にもっと大きな問題が?」


 桜子が尋ねると、新伍が重々しく言った。


「これは……予告状の体をなしていますが、実のところ、ほとんど何の予告にもなってはいません」


 帳面の上の『コレヨリ10日ノウチニ 貴店ノ最モ貴重ナルモノ 頂キタク候』の文字を、改めて桜子に向ける。


「見てください。この文面、内容に随分と幅があると思いませんか?」


 最も高価なるものでは、何を指すのか分からないし、盗む日時もはっきりしない。


「確かに……そうですね」

「社長の藤助氏に確認したところ、韮崎洋品店には、『これが明らかに最も値が張る』と言えるほど、飛び抜けて高価なものはないそうです」


 勿論、富裕層向けの宝石や時計は扱っている。だが、最も高価なものでも、例えば胡条家であれば、値など気にせず払える程度のものなのだそうだ。


「ここ3年程で急成長したとはいえ、もとは小間物の行商ですからね。商品として高級品は扱っていても、家宝や曰く付きの一品のようなものは持っていないのでしょう」


 しかし、そうなると困るのは守るこちらだ。一体何が盗られるのか分からなければ、対策を立てるのが格段に難しい。


 新伍が帳面の文字に目を落とす。

 しばらく不気味な文言と睨めっこをしていたかと思うと、やがて申し訳なさそうな顔になって、桜子に頭を下げた。


「……すみません、桜子さん。リボンはいただけないかもしれません」

「え? リボン?」


 一瞬、何のことかしらと思ったが、そういえば今回の依頼の報酬として、銀座店に展示されていたリボンを貰う約束をしていた。


「そのようなこと……私のことは構いません」


 もとより新伍にねだったものではない。心の中で素敵だなと思っていた桜子の気持ちを汲んで、新伍が八重子に提案してくれた。桜子からしたら、その気持ちだけで十分に嬉しい。


 それに今は、リボンなどより新伍の表情のほうが、ずっと気になる。申し訳なさそうな顔の前に、一瞬垣間見せた歯がゆさ。

 依頼を受けた以上、なんとかしたい。新伍は、事件をきちんと解明したいのだ。


「新伍さん。この泥棒は、いつも、このような予告状を出すのですか?」


 新伍が「いいえ」と首を振った。


「新聞や週刊誌には一通り目を通しましたが、そのような記述はありませんでした。まぁ、この手の媒体に、必ずしも真実が書かれているとは限りませんけどね。むしろ相当程度、誇張されているとみたほうがいい」


 お昼休みに話をしたとき、加代は何と言っていただろう。こんなことなら、もう少し詳しく聞いておけば良かった。


「だから僕は藤助社長には、これは模倣犯の可能性もあると伝えました」


「模倣犯ですか?」


 模倣犯というのはどのようなものなのかしら、と首を傾げると、新伍が説明してくれた。


「手っ取り早い話、偽物ですよ。最初に出てきた泥棒が耳目を集めたからと、それ乗っかって真似をした別人、ということです。銀の毛なんて挟むあたり、かえって『銀の狐』と囃し立てる雑誌記事をなぞっているような嘘くささがあると思いませんか?」


「そう…なんですか? 藤助社長は、それには何と?」


 新伍は口元に手を当てて考えるような仕草をしてから、答えた。


「なるほど、と頷いていて、感心しているようにみえました」


 流石、探偵さんですねと持ち上げるような言葉を言われたが、藤助自身もその可能性を考慮していたように見えたという。


「ただ、模倣犯だろうが、本物だろうが、韮崎洋品店からしたら、物が盗まれては結果は一緒でしょう。それで、僕は少しでも手がかりが得られないかと勝川警部補のところへ足を運びました」


 勝川警部補とは、以前、園枝財閥の子息が殺害された事件の折に知り合った。

 じとりと睨めつけるような視線で、人を疑ってかかったり、あえて嫌なことを告げて反応を見るようなところのある中年の刑事で、聴取をうけた桜子は、あまりいい思いをしなかった。


 新伍など、初めは目の敵のように扱われていた。新伍の方も勝川を煽っていたからお互い様ではあったけれど。

 反目しあっていたはずの二人は、いつの間に関係を修復したのか、事件の解決を通じて、最終的には新伍の能力を認めたようだった。


 新伍は、その時のツテを辿って、勝川警部補を尋ねたらしい。


「勝川警部補は、何か教えてくれたのですか?」

「残念ながら外出中のようで、会えませんでした」


 会えたからと言って、何か教えてくれるとは限りませんけどね、と新伍が付け足した。 

 いくら前の事件で親しくなったからといって、無関係の事件のことをペラペラ教えてくれるほど、勝川警部補は甘くないのだそうだ。


「では、どうされるのですか?」

「韮崎社長には、一先ず、対象となりそうな商品を一覧にしてもらい、全てご自宅に集めてもらうようにお願いしています」


 今日の新伍の目的は、どのような物があるのか確認することだそうだ。


「そうなんですね! それなら、きっと守れますね」


 桜子は励ますつもりで言ったが、新伍は「いえ。勝算の低い戦いです」と、ため息交じりに言った。


「どうしてですか? その高価な品物を全て、金庫か部屋に押し込めて、残り4日、片時も離れずに守ればよいのではないですか?」


 単純な素人考えは、すぐに新伍に否定された。


「なかなか厄介なのは、この『貴重ナルモノ』という表現ですね。なぜなら『貴重』というのは、単に貨幣的価値とは限らない。ある者に取っては取るに足らぬものでも、他の者にとっては、とても貴重である可能性だって考えられます」


「えっ?! でも、それでは対象物は無限ではないですか?」


 何でもありといわれれば、守り切るのは実質、不可能に近い。何かしらを盗みさえすれば、何を、いつ盗まれたとしても、相手にとっては成功だといえる。


 そこまで考えたところで、これは何だかとても理不尽な勝負のように思えた。


「あの、この予告状……少しずるくないですか? この文面なら、結果は如何様でも好きに言い張れます」


 あまりにも直截的な桜子の言い草に、新伍は思わずといった様子で、くすりと笑った。


「はい。桜子さんの言う通り、ズルいんです」


 だから勝算の低い勝負なのだと言う。


「問題は、こんなに意味のない予告状をなぜ、何のために出したのか、ということです。その意図を見つけ出せない限り、僕の負けですよ」


 そのまで話したところで、新伍が突然、大二に声をかけて人力車を止めた。


「堤さん、ありがとうございます。僕はここで降ります」

「え? でも、韮崎さんのお宅は、もう少し先ですよ」

「別件で調べていることがありまして」


 人力車から降りた新伍に、大二が小さく頭を下げた。


 それで、別件の調べ物というのが、先日、大二から内密に頼まれたことだろうと分かった。


「僕は、後から歩いて行きます。ここからならすぐですし。堤さん、桜子さんをよろしくお願いします」


 大二が再度、頷くように頭を下げると、人力車はゆっくりと動き出した。



あれも、これも、それも……もう怪しく見えて仕方がない、と思いながら読んでいただければ。。。

※他社様サイトとこちらと、おかしなところを見つけたら適宜手直ししているのですが、時々、どっちのどこを直したのか分からなくなるので、修正漏れていたら遡って直します。ゴメンナサイ※

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