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3 韮崎洋品店について1


 昨今、話題の盗人から予告状が届いたという八重子の告白ーーその驚きから、いち早く立ち直ったのは新伍だった。


 何を聞いていいのか頭が追いつかない桜子の隣で、すぐに八重子を質問攻めにする。


「予告状というのは、どういうものですか? 手紙でしたか?」 

「えぇ、そうです。葉書くらいの大きさに二つ折りになった紙でした」


 八重子が指先で大きさを示すように宙をなぞった。


「中には? 何と書いてあったのです?」


 きっと繰り返し読んだのだろう。八重子は、さほど迷うこともなく諳んじた。


「『これより10日のうちに、貴店の最も貴重なるもの頂きたく(そうろう)』と」

「貴店の最も高価なるもの? 随分と曖昧な指定ですね。届いたのは、いつ頃ですか?」


「一昨日の……私が気がついたのは、明け方です」

「とすると期限までは、あと6日程か。警察には?」


「相談したのですが、取り合って貰えなくて……」


 新伍が怪訝な表情を浮かべる。


「取り合ってもらえない? ……妙ですね」

「もうすぐ、この店の正式な開店を控えておりますし、何かあってはと心配で…」


 八重子の顔が曇る。新伍は、いつも考え事をするときのように腕を組むと少しの間、黙り込んだ。

 そして、再び口を開こうとしたのを、八重子が制した。展示会を見ている他の客のほうにチラリと視線を向ける。


「…あの、立ち話も何ですから。改めて、宅の方にお越しいただけないでしょうか?」


 八重子の言う通り、こんなところで世間話のようにすることではないだろう。


「そうですね。出来たら、本物の予告状とやらも見てみたい。明日にでも伺います」

「こちらの都合は問題ありません。是非、胡条のお嬢様と一緒にお越しください」


 八重子が、桜子にも声をかけた。


「私も、ですか?」

「桜子さんは、関係ないのでは? あまり危ないことに巻き込みたくないのですが……」


 新伍が難色を示すと、八重子の口元がクスリと笑った。


「危ないことに巻き込んだりなんて致しませんよ。うちは洋品店ですから、舶来の珍しい装飾品もたくさんあります。物騒な話は社長にお任せしますから、桜子さんは私と一緒にそちらでも眺めて待っていればいいわ。そうそう。よろしければ、先ほど見ていたレースの編み方を教えて差し上げますよ」


 洋服の飾り襟などで展示されていたレース編みは、糸とかぎ針があればできるらしい。八重子も練習したから編み方を知っているそうだ。


「まぁ! あれは私のような素人でも、自分で編むことができるのですか?」

「そんなに難しくはないのよ。それに、五島さんお一人でいらっしゃるのは……」


 八重子は顎の下に手を添え、軽く首を傾げた。言いづらいことに口を濁しているように眉尻が下がる。


 新伍は、桜子の婚約者と紹介されたものの、所詮は身元不確かな書生に過ぎない。胡条の娘である桜子の同席が欲しいのだ。

 あちらから頼んでいる手前、はっきりと口にするのは憚られるのだろう。

 桜子は新伍が軽んじられているようで、あまりいい気がしないが、当の新伍はすんなりと答えた。


「分かりました。旦那様に相談してみましょう」


 新伍も八重子の意図を察しただろうが、彼はさして不快そうではなかった。


 すると、それまで黙って聞いていた樹が、いつもの柔らかい口調で言った。

 

「五島さん。依頼を受けるなら、対価をいただいては?」


 桜子には思いつきもしなかった提案を、樹が2人の代わりに前に出て、告げた。


「五島さんは先日、軍の方からの依頼に、対価をいただいて解決しています。韮崎さんとしても善意の協力を信用するより、対価を支払って依頼をしたほうが、すっきりするでしょう?」


 以前、新伍が陸軍少尉、藤高貢(ふじたか みつぐ)の依頼を解決して受け取ったお金で、桜子にチョコレートを買ってくれたことを、樹に話したのは桜子だ。


 樹の物腰はいつも通り、はんなりとしているのに、八重子を前に交渉を持ち出す様は、大店の子息らしい落ち着いた大人の男性にみえる。

 いつも優柔不断で、意思を明言しない樹兄さんの意外な一面に、内心、驚いていた。


「それは勿論、構いません」


 八重子は大きく首を縦に振った。

 銀座の一等地に新しい店を建てるほどだ。お金に困っているわけではないのだろう。


「いかほど、お支払いいたしましょう?」

「何をもって、依頼達成となすべきか難しいところですが……」


 こういうときの依頼料はいくらが相場なのかしらと桜子が考えていると、新伍が最初に見ていたショーケースの方を指していった。


「では、もし、その予告状の犯行を防いたら、あのショーケースの中の赤いリボンの髪飾りをいただけますか?」


 桜子は驚いて、振り返る。


「新伍さん、それって……」


 桜子が眺めていた髪飾りのことだろう。


 八重子も、どれのことだが、すぐに分かったようで、「あぁ、あれのことですね」と頷いた。


「でも、あの髪飾りは宝石も小さなものしか付いていませんし、そう高価なものではありませんよ?」


「構いません。僕は、あれがいいので」


 新伍が迷うことなく即答したので、八重子が「それでは、もし、当店の物が何も盗まれずに済みましたら、あの髪飾りと一緒に心許(こころばか)りのお礼を包みます」と言って、話が決まった。



 ◇  ◇  ◇


 翌日、一旦女学校から帰宅した桜子は、荷物を置くと、すぐに玄関に戻った。


 外には既に、新伍が待ってる。

 何とか父の許可を得た桜子は、予定通り、韮崎洋品店の社長宅に向かうのだ。


 父は、新伍が依頼を受けるのは大賛成だった。自分自身の力で人脈を広げる良い機会だと大いに後押しした。

 けれど、桜子が付いていくことには、渋い顔をした。

 身元保証なら自分がするから必要ないと言い、新伍もそれで良いのではと同意したが、桜子がレース編みを習う約束をしていたので、結局は許可が出た。学びたいことを学ぶのは悪いことではないからだそうだ。

 ただし、予告状のことには関わらない、という条件つきだ。


 玄関前の人力車の横には、車夫の大二が待機していた。

 向かったのは、桜子たちが昨日行った銀座通りの新しい店舗ではなく、自宅の方だ。


 訪れるにあたって、桜子と新伍は韮崎洋品店について、父からその成り立ちや商売について、教えてもらった。


 韮崎洋品店の前身は、全国を行脚して売り歩く小間物商だそうだ。先代主人が若い時分は、日用品や小物を携えて行商をしていたが、十年ほど前に帝都に腰を据えて、店を構えた。

 それが先代の店主で、八重子の夫だという。


 3年前に先代店主が亡くなり、弟が後を継ぐと、店は急速に業績を伸ばし始めた。

 それまで主として日常品を扱う小間物店から、ドレスの飾りとなる装飾品や鞄、靴等の洋小物を扱うようになり、ついには銀座の一等地に新店舗を建てる程になったのだ。


 最初に開いた小間物店は、今の自宅と一体になっている。

 桜子たちが今回訪れたのは、その旧店舗兼自宅のほうだ。


 人力車が店舗の前に到着すると、老齢の従業員らしき男が店からでてきて、頭を下げた。

 中に引っ込むと、すぐに代わって、八重子が出てくる。


「いらっしゃい」


 今日の八重子は、薄茶色の生地に赤い小花をあしらった更紗の着物だった。和装なのに、襟にレース編みの縁飾りが付いていて、何ともモダンな雰囲気だ。


 予め、気楽な格好でと言われていたから、桜子は女学校に通うときと同じ海老茶袴、新伍は書生服を着ている。


「社長が中でお待ちです。改めてご紹介いたしますわね」


 八重子は新伍に言ってから、「桜子さんは別のお部屋を準備しているから、お茶を飲み終えましたら、私とそちらに移りましょう」と優しく声をかけた。


 八重子の後を、新伍、桜子の順で、塀に沿ってぐるりと歩く。てっきり店の中を通るのかと思ったが、自宅用の別の玄関があるようだ。


「まだ、ご自宅の方のお店も営業しているのですね」


 新伍が歩きながら尋ねると、八重子が「えぇ。でも、今日はもうすぐ閉める時間ですよ」と答えた。


「もうですか? まだ3時前ですよ?」


「銀座通りに新しいお店ができるから、こちらは営業時間を短くしているのです。本当はやめてしまっても良いのだけれど、亡くなった主人が開いたお店ですから、名残惜しくて……社長と相談して、今の従業員の方が働いていただける間は続けることにしたのよ」


 今の従業員というのは、先ほど出迎えてくれた老人だろう。八重子の口ぶりからすると、きっと長く勤めている人なのだ。


 それ以上のおしゃべりをする間もなく、邸宅の門の前に着いた。


 家の中に入ると、真っ先に目についたのは、大きな花瓶だ。桜子がぐるりと両手を回した程の大きさで、赤や黄色、白に紫といった色とりどりの花と緑の葉が溢れんばかりに活けてある。


 その花瓶があまりにも目を惹いたので、桜子は、八重子が「タツ江さん」と呼びかけるまで、すぐ隣に女中が立っていることにすら、気が付かなかった。


「応接間の準備はできているかしら?」


 八重子の問いかけに、タツ江と呼ばれた女中は、無表情のまま小さい声で「はい」と答えた。

 そばかすだらけの顔に、黒い髪を後ろで纏めただけの質素な装いは、銀座の店の受付で見た従業員とは雰囲気が随分違う。


 八重子の先導で応接間に入ると、洒落たスーツの背の高い男がスッと立ち上がった。

 年は30半ばくらいだろうか。


 間違いなく、昨日、洋品店で見た2人組の男性のうちの1人だ。


「はじめまして。韮崎藤助(にれさき とうすけ)です」


 藤助が丁寧に腰を折って、頭を下げる。


「はじめまして、五島新伍です」

「胡条桜子と申します」

「義姉から聞いています。帝国大学の学生さんと、胡条財閥のお嬢様ですね。昨日はお越しいただき、ありがとうございました」


 爽やかに礼を述べると、桜子たちに席に着くよう促した。

 新伍が藤助の向かい、桜子がその隣に座った。八重子も藤助の隣に腰を下ろす。


 タツ江が、皆の前に白磁のティーカップを置くと、順にお茶を注いで回る。湯気と一緒に、馴染みのある香りが、ふわりと広がった。


「いい香りですね。アールグレイかしら」


 桜子が思わず呟くと、藤助が「さすが、胡条家のお嬢様ですね」と微笑んだ。


「うちは洋品店ですから、なるべく洋食器などを使うようにしているのです。お客様によっては、日本茶を好まれる方もいるのですが……」


 言いながら、藤助が桜子たちに砂糖とミルクポットをすすめる。桜子が砂糖を一匙、新伍がミルクをくるりと一回し入れると、藤助に戻した。

 受け取った藤助は、砂糖とミルクをたっぷり入れてかき混ぜる。その豪快な入れっぷりに思わず目がいってしまったせいか、藤助が「甘党でしてね」と恥ずかしそうに言い訳した。


「藤助さんはお水にまで、砂糖やら蜂蜜やら入れるものね」


 やや呆れたように言った八重子は、何も入れずにカップに口をつけた。


 お茶を飲みながらの話題はもっぱら、昨日の展示会の事だ。


 展示会はかなり盛況だったようで、その場で売れた商品も多かったらしい。


「売れ行きが良いのは勿論ありがたいのですが、それ以上に大切なのは、そこでお客様に韮崎洋品店のことを知っていただくことなのですよ。私たちは長らく小間物店として細々やってきましたが、洋品店としては、まだまだ新顔ですから」


 藤助が力を込めて言った。


「今回、従業員も新店舗のために雇い、一から教育を施しました。展示会は彼らにとっての良い予行練習となったでしょう」


 なるほど。新しいことを考えては精力的に実行する人だと聞いていたが、こうして本人に会うと、その噂通りの印象だ。


「新しく雇った従業員というのは、受付をしていた方ですか? 洋品店らしく立ち振舞も洒落ていて、垢抜けた印象でした」

辻本(つじもと)ですね。えぇ、中でも彼は特に優秀でしてね。店舗の販売員たちの取りまとめ役です。古風にいうなら、手代と番頭の間とでもいうのでしょうかね」


 新店舗の販売員は辻本以外に3人いるらしい。他にも販売員ではないが、雑用などをする見習いも2人いるそうだ。


「あとは、新しく雇ったというと斎藤(さいとう)も、ですね」

「斎藤さんというと、あの眼鏡の? 確か事務仕事をしているという」


 昨夜、展示会で社長を探していた書生服の人だ。


「斎藤は人からの紹介で雇ったのです。あまり当店の雰囲気には合わないので悩んだのですが、計算や書類仕事に強くて助かります」


 藤助の言葉に、八重子も「そうですね」と同意した。


「従業員の方で、この家に住んでいる方はいるのですか?」

「今は、いません」

「今は?」

「銀座通りの店の準備が本格的に始まるまで、それこそ、辻本と斎藤はここに住んでいましたよ」


 あちらの店舗が整うと同時に、韮崎家を出たそうだ。


「辻本など、何かあったら真っ先に駆けつけられるようにと、銀座通りの店のすぐ近くに部屋を借りて住んでいますよ」


 藤助によると、かなり責任感の強い人間だという。今も、誰よりも最初に新店舗に顔を出し、最後まで残っているそうだ。


「それでは、今、ここにはどなたが住んでいるのですか?」


 藤助と八重子が顔を見合わせる。どこか譲り合うような雰囲気を見せた後、藤助が口を開いた。


「ここには、私と義姉の八重子さん。それと姪の晶子(あきこ)がいます」

「晶子さん?」

「私の娘です」


 横から、八重子がすぐに補足した。


「おいくつですか?」

「10歳になります」

「今は、どちらに?」

「家庭教師が来ておりますので、私室に。その、少し引っ込み思案な子ですから、挨拶はご遠慮させていただけますと……」


 八重子は顎の下に手を添え、首を小さく傾げた。昨日も同じような仕草をしていたから、これは彼女の癖なのかもしれない。


 藤助が「我々家族の他には、住み込み女中がいますよ」と話を戻した。


「先程の女中さんですか?」

「そうです。タツ江です」


 確かに、桜子たちを案内してきた女中は、八重子からタツ江と呼ばれていた。


「女中さんはお一人だけですか?」

「住み込みは、そうですね。他に通いの女中もいますが」


 藤助の答えに、新伍がポツリと呟いた。


「……かなり出入りしている人間が多いですね」


 また藤助と八重子が顔を見合わせる。それから、少し困ったような顔で、藤助が言った。


「どうでしょう? 住み込みの従業員なども今はいませんし、使用人も特別多いとは…」


 藤助の視線が桜子の方に向けられる。

 韮崎家は家族が3人、住み込み従業員が1人。他に出入りする人間として、通いの従業員と元住人が3人。藤助の言うように、胡条家に比べれば少ないといえる。


「あぁ、すみません。予告状のことがあったので、つい警固の視点から見てしまいました」


 藤助が大き頷く。


「勿論、そういう意図の質問であろうとは分かっています」


 それから、八重子に目配せする。ちょうど、桜子の紅茶もなくなった。頃合いだろう。 


「桜子さん。そろそろレース編みをいたしませんか? あまり遅くなっては、胡条のお宅にご迷惑でしょうから」


 八重子の声がけに、「それがいいでしょう」と藤助も賛同した。


 物騒なことには巻き込まない、と予め八重子からも言われている。桜子の退席後に、改めて例の予告状の話を始めるのだろう。

 昨今、話題の義賊とやらに興味がないわけではないけれど、父との約束を破るつもりはない。


 新伍からも「行ってきてください」と勧められ、桜子は八重子とともに応接間を辞した。



怒涛のように韮崎家関係の人が次々と出てきて、スミマセン。

書いてる私も頭がごちゃごちゃしそうになるので、読みにくいだろうなぁ…と己の力量不足を痛感しております。

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