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伝説の傭兵、勇者の父【大賢者】に転生する  作者: 高木幸一
第1章 レ・グンレチア編(1)
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第5話 第三の要と、親心、女心

 儀式を終えて、ハーミルに手を引かれて大広間を出た瞬間――【それ】は訪れた。


「……――ぐっ!」


 朝起きて、クルスヤツのことを考えたときのように、雷に打たれたかのごとくの衝撃をもって、再び俺の全身を無数のと音が駆け巡り、クルスヤツの肉体が、またもや俺の魂への同化を求めてくる。血の海、涙の雨、ほほえみの太陽、優しい風……。浮かんでくるすべての景色は、喜びも、悲しみも、怒りも、楽しさも、残酷さも慈悲も――浅いものはひとつもなく、濁ったものもかけらもなく、恐ろしいまでに澄み切って、いかにクルスヤツが実直に世界というものを捉え、受け止めていたことが、さいしょよりも強く伝わってきた。


 いったいクルスこいつは生きる上で、人を、世を恨み目を曇らせたことがないのか、あるいは、【その曇りに呑まれぬほどにまなざしが屈強なのか】。それほど常にまっすぐに、ありのままの真実を見据えていた眼。魔術士として卓越した腕前だとか、博識聡明だとか、そんなことではなく、座してただ真実へ向き合う者。【大賢者】とはこういう意味だったのかと思い知らされ、たまらず大量の汗をかき、ヒザが震えた。


 ……なるほどな。己の死にビビらずに、自分はモテただのとふざけたことさえ言いながら、平然と身体を他人おれへ明け渡すはずだぜ。……クソが。テメーはいままで見てきたどんな悪党カスどもよりも【まともじゃねえ】。とんでもねえ肉体たちばを押しつけやがって。それで晴れて自由の身、自分テメーはあの世行きときたもんだ。…………いや。この分だと、【違う】ってことか――……。


「おとうさん。どうしたの? ……いたみがひどくなった?」


 左右の背の高いガラス窓からまばゆい光を浴びたハーミルが、俺のそでを引き、おおきな青い目で心配そうに見つめてくる。俺はかぶりを振り、額に流れてきた汗をぬぐうと、「……ちょっとした考えごとさ。未来さきの出会いについてのな。……おそらくは」とだけ答えた。果たしてハーミルは首をかしげて、それからちいさな頬をぷくーっとふくらませて、「ひどくなってないなら、はやく! ヴォーミヤット(※卵雑炊のようなもの)が食べられなくなるかもしれない! おやしきの人がおこって! おとうさんがおそいから!」と言いがかりをつけて、いよいよそでを引く。俺はため息をついて、「ひどくはなってないが、元から充分、ひどいのには変わりねえんだよ……」と言って、赤い絨毯じゅうたんの上をのろのろと、うるさいハーミルに引きずられるように進んだ。


     ◇


 さっきまで、俺たちが儀式に使っていた大広間――【天光メリアの間】は、【レ・グンレチア】と呼ばれる屋敷全体の中央に位置しているが、まるで湖にぽつんと浮かぶ孤島のように、本館その他とはただ一本、いま歩いている、この長いガラス張りの渡り廊下によってのみつながっている。


 こうした造りは、ほんらい【大賢者】の屋敷としては、儀式をり行う大広間のほうが本館で、居住空間である本館その他が別館である、ということを暗に意味していた。要するに、【大賢者】とはどういう存在であるか、……【なんのために生きているのか】――ということを、内外に、なにより【大賢者】自身に示している設計ということだ。


 住むところすら、【使命】によってがんじがらめときたもんだ。イカれた【大賢者】様には、こんなもの、初夏のさわやかな風くらいにしか感じなかったのだろうが、【比較的】まともな俺にとっちゃあ、常に手足に重しをつけられているに等しい。じっさいに、こうして屋敷の中を歩いているだけで息が詰まる。……こりゃあ、さっさと六人の【天徒メリク】とやらを見つける旅へ出かけられるよう、努力しなきゃならんな。そうかんたんにはいかせてくれないのは、ヤツクルスの【記憶】で知ってるが。……【あそこに立ってるヤツ】をはじめとして。


 俺は長い廊下の先――およそ十数ルクラ(※メートルと同義)先に、ひとり立つ黒服の男を認めて足を止める。そして、それに倣って立ち止まったハーミルに小声で話しかけた。


「いいかハーミル。このあと、あそこに立っている……、お前を屋敷に入れた『くろいふくの人』だな。アイツと話すとき、それから屋敷のほかのヤツ、その他お前以外の人間と話すときは、俺は話し方や態度を変えるからな。ほら、さいしょにお前に話しかけたときのような、『僕』とか言ったりする、穏やかな感じのヤツだ。ときには『私』とも言う。要はお前も好きな【上品】になるってヤツさ。お前からしたら、丸っきり違う人間に映るかもしれんが、放置しろ。……分かったな?」


「なんで? あのときみたいに、うそのかおになるってこと? そんなのやだ。あれはじょうひんに、ていねいにはなしてたのとはちがう。ただのうそで、ちがうひと。きもちわるいだけだったから」


 と、眉をひそめる。……コイツは。うそ嫌いってのもおおきいんだろうが。大広間あそこゼロおれのほんとうの言葉と態度を見てからは、おそらく本能的に、俺が【大賢者クルス】ではなく他人ゼロだと察したのだろうな。だが、もしを見せてなければ、分からなかったはずだ。


 俺の【クルス的ふるまい】は、単にクルスヤツの記憶を用いた演技ではない。クルスヤツを構成するあらゆる真実の中から、ゼロおれと合致する言葉や態度(クルス的に言えば、【人間の根っこが同じ】部分)を引き出して提示しているので、いわば【角度を変えた本人の再現】とでも言うべきものだ。


 なのでいままで、メイドのマリアに素を見せてしまったときを除いて、そのに記憶が蘇り、クルスヤツの再現に努めてからは、マリアを含めて使用人のだれにも不審がられていない。さらにはさっきの、二度目の肉体と魂の融合で、九分九厘、記憶も能力も戻ったから、今後は、ゼロおれの素の言動(またはゼロおれの中にまったくない、クルス的要素を無理に真似ること)を見せない限りは、それを知っているハーミル以外は違和感を感じないはずだ。


 そして幼いハーミルコイツには、【生まれ変わり】はおろか、だれかが魔術等、なんらかのすべを用い、なんらかの理由で【クルスに入れ替わっている】などという発想はなく、ただただ違和感と嫌悪感を感じているに過ぎないので、クルス的に振る舞う合理的な理由さえ示しておけば、「ちがうひと!」と人前でわめいたり、だれかに告げ口などすることもないだろう。


 俺は息をはくと、口をとがらせ横を向くハーミルの前にしゃがみ込むと、しずかに言った。


「……あのな。儀式のときに言ったろ? アレはいわゆる【建前】というヤツで、ただ単に、生きていくために必要な手段であり、道具だ。皆が俺に、【大賢者】らしい言葉や振る舞いを求めてるから、ふだんの俺は引っ込めて、そうしようというだけさ。【大賢者】として生きるという目的のために。要はお前がくわすきを使って畑を耕したり、肥やしをまくのと同じことだよ。農業ってのは、畑で作物を実らせるのが【目的】で、道具で耕したり、肥やしをまくのが【手段】だろう? その手段に対して、たとえば、『そんなのはズルい! おかしい! どうぐなんてだめ! 手でかいてたがやすのがほんとう! こやしもまかない! しぜんのまま! それが農業なの!』とか言うか? それで収穫を減らしても。……そうじゃなくて、いちばんは、皆が腹をすかせないように、たくさん作物を実らせるということだろ? その目的が達成できるのなら、手段はなんでもいいと思うが。俺の考えではな。……お前が、たとえ無理筋でも、とにかく手段にこだわるという考えなら、やめてもいいがな」


「……。それは……言わない。どうぐもこやしもひつよう。じゃないとむり。ちゃんと、さくもつができるのがいちばんだいじ。……わかった。でも……」


「……? なんだよ」


「【ほんとうのおとうさん】をひっこめて、おとうさんはしんどくないの? ……あたしならしんどい」


 と、またもや心配そうな表情かおで見つめてくる。俺はそんなハーミルの目を見返したあと、まぶたを閉じて頭をかき……、開けると、軽くその頭に手を置いた。


「【ほんとうの表情かお】、なんてものはな。ひとりでも見せられる相手ヤツがいれば、それでいいんだよ。いまの場合はお前だな。だから気にする必要はない」


「いまのばあいは、あたし……」


 ハーミルは、俺をじっと見る。それから続けた。


「じゃあ、まえは? まえもいたの?」


「……。いた。幸いなことに何人かな。……中でも、ガキのころから、とびきり見せてたのがひとりだ」


 ハーミルは少しの間、俺を見つめていたが、やがてしばたたくと、「ふーん……」と言ってちいさくうなずく。相変わらずの無表情なので、なにを思ったのかは分からないが……。


「ちなみに。こっちの態度かおのことは、だれにも言うなよ。これも【目的】のためだ」


「……うん。言わない。あたしとおとうさんだけの秘密。……わかった」


 ハーミルはおおきくうなずき、俺の手を握ってくる。そして引っ張るようにして、再び歩き出した。どうやら納得したようだ。ほんとう、コイツは自分なりに合点がいけば、即、受け入れるんだよな。いちいち了解させるのは骨が折れるが。……しかし、ほんとうの表情かお、か。


 俺はハーミルに手を引かれ、痛む体でなんとか歩きながら、ふとその、とびきり俺の表情かおを見せていた、ただひとりの相手――シロルのことを思い出す。クルスヤツの話では、妖精として転生しているのではないか、ということだが……。それは赤ん坊からやり直すということなのか、あるいは俺や盗賊かしらのように、だれか別の妖精のせいを途中から引き継ぐことになることなのか、まったく見当もつかない。差し当たっては、近くの森に、妖精の里があるか調べないとな。……クルスヤツの記憶にない、ということは、アイツは入った経験ことがないってことだが、無理もない。人間が妖精の里に入れるかは、資質、才能、身分などはなんの関係もなく、ぐうぜん頼みだからな。だからこそやっかいなんだが。


 そんなことを考えていると、ハーミルが立ち止まり、俺も足を止めた。……さて。相棒シロル探しを円滑に進めるためにも、面倒だが――。いまは【大賢者クルス】としてうまく生きてゆくための、【道具であり手段】を……また使うことにするか。


「……やあ。待たせたね。先ほど、無事に儀式は終わったよ。……――【勇者】は誕生した」


 俺はにこやかに、実にクルスヤツらしく――。『くろいふくの人』、もとい、ヴィロー・シュクラの目前へとたどり着くと、そう話しかける。ヤツはそんな俺と、隣で俺の手をつかんで無表情に立つハーミルをまばたきもせず見やると、言った。


「……確かに。おふたりとも、【】がつながっておられます。これぞまさしく、先代執事であられたハス・デラス様よりお聞きしたとおりの、【大賢者】と【勇者】の、血縁に劣らぬ、互いの魂によるえんの形成――【魂血ファイス】の成就。……クルス様。そしてハーミル様。私、並びに屋敷の皆、なにより国王陛下、ガーヴェンに生きるすべての者……いえ、世界中の人間が――この時をずっとお待ちしておりました。……おめでとうございます」


 深々と頭を下げ、上げるとほんのわずか微笑む。ハーミルや俺と同じように、窓からの光が、ヴィローを包み、油によりきちんとうしろへなでつけられた黒髪と、細く鋭い両眼を照らす。衣服は、ほこりひとつ落ちていない漆黒のジャケットに、ズボンに靴。それに比して、中には真っ白な硬い襟シャツと灰色のベストを着込んでおり、それらも光で上品に映えていた。

 そんな絵に描いたような立派な執事といったヴィローの放った、いまの言葉は……、クルスヤツの記憶にもない。【魂血ファイス】ね。意味はなんとなく分かるが、やはり、もろもろ聞いておいたほうがよさそうだな。


「なあヴィロー。あなたは、どうも【勇者】や【大賢者】について。僕が書物やハス、そして先代の【大賢者】、ロディ・バーレム様の遺物から学び得た知識にはないことを、知っているようだ。そのひとつをいま初めて、あなたは口にした。……で、それらはきょう、すべてをきちんと教えてもらえるのかな? それとも、あなたが必要と判断した時に、必要なことを僕やハーミルに伝えるのみ、ということなのか。……それが執事あなたの、ほんとうの役割なのかな」


「後者にございます、クルス様。……なにとぞお許しを」


 また、深々と頭を下げた。……【レ・グンレチア】における執事というのは、ただ屋敷を切り盛りする【大賢者】の片腕、というだけにとどまらず、【魔王】討伐のための、【勇者】【大賢者】に続く第三のかなめということか。【勇者】の誕生まで、【大賢者】にも、そのほんらいの【使命】を隠していたということも含めて、俺たちが【魔王】に臨む主観とすれば、いわば客観という感じだな。……よくできてるこった。


「分かったよ。……では未来さきのことはひとまずおいて。きょうこれからのことを教えてもらえるかな」


 俺がため息混じりに言うと、ヴィローは、細いながらもごつごつした指、おおきな手で首元のループタイを締め直したあと、淡々と話し始めた。


「……は。まず、おふたりには【天浴メリルの間】にて湯浴みをしていただき、新たなお召し物へと着替えていただきます。そのあとに遅い昼食を。そしてその、【天言メリトの間】に屋敷の使用人たちをすべて集め、新たな【勇者】が誕生したことと、これから我々がなにをすべきか、クルス様とハーミル様がなにをなさるべきか、私からお話しさせていただきます。それを受けて、クルス様とハーミル様より、改めて我々に、なにかお言葉を頂戴したく思います」


 まったくよどみなく、すらすらとまくし立てたが……。俺はそれらの言葉を流しつつ、自分の手を引っ張るハーミルと、その無表情ながらひとつのことを訴える目をチラ見して息をはき、人形かというくらいぴくりともせずまっすぐに立つヴィローに返した。


「あー……。よく分かった。分かったんだけれど……。実はね。ハーミルはとてもお腹が減っているんだよ。だから湯浴みの前に、かんたんな食事を取らせて欲しいんだ。できればヴォーミヤットを。とても好きなんだそうだ。なければ僕が作りたく思うんだが。……どうかな?」


「……ヴォーミヤット、というのは。私の知識が確かならば、パス(※麦のようなもの)と卵の雑炊……だったように思うのですが。それを食したいと? 【勇者】様が? さらには『なければ僕が作りたく思う』? クルス様が? ……ははは。ご冗談を」


 と、ほとんど口角を上げずに器用に笑う。……お前、ほんとうに面白いと思ってるのか? というような。まさしくクルスヤツの記憶のとおり、マジで四角四面、乱れることを知らんというか……。記憶だけでなく、実感として、俺とは真逆の生き方をしてきたことだけは、はっきりと分かる。コイツと比べたらクルスヤツとのほうがまだ話が合うな。……まあいい。


「いや。冗談ではないよ。このハーミルは、確かに【勇者】となり、特別な存在とはなったけれど、【ハーミルでなくなったわけではない】。彼女には彼女の、いままで見てきた景色があり、触れてきたさまざまがあり、生きてきた蓄積がある。それは【勇者】となっても、尊重すべきだと僕は思うな。……僕の料理に関しては、こちらは新たな【挑戦】さ。儀式でのちぎりとはいえ、彼女の養父ちちとなったわけだからね。娘の食べたいものを作って、その喜ぶ顔を見てみたいと思うのもおや心じゃないか」


 ヴィローに負けず劣らずすらすらとまくし立て、にこりと笑った。すると手を握る感触が強まって、横を見る。ハーミルが俺の手を握ったまま、おおきくうなずいていた。うむ、よくぞ言った、みたいな表情かおしてんじゃねえよ。そしてヴィローのほうは……わずかに眉をひそめていた。


「穏やかでいて隙のない話し方は、さすがのクルス様ですが……。【大賢者】になられて十年、その歴史的な日を迎えられたせいでしょうか。今朝から、少し変わられましたね。貴方特有の奔放さがさらに増した、とでも言いますか。……そういえば、その今朝。マリアが貴方の部屋を訪れた際に【幻を見た】と。その幻のクルス様は、街酒場の男たちのような口調で話し、さらには全裸で立ち尽くしていたと。仕事の合間のメイドたちの話題は、それで持ち切りでしたよ。大事な儀式の日に、なにを馬鹿なと叱ってはおきましたが。……くだんの幻、もしかするとまた、クルス様の【いらずらの術式】ではありませんでしょうな?」


 ヴィローの目が鋭くなる。俺は頬を引きつらせた。……確かに、クルスヤツが過去に、使用人たちへ【いたずらの術式そういうこと】をしていた記憶は、ある。だからこの場合は、「そうなんだよね……~あはは、ばれたか!」と舌を出しておいたほうがいいのか、それともしらばっくれたほうが……、ってかあの女……! 速攻でべらべら周りに話してんじゃねえよ! 「これはここだけの話なんだけれど!」「とても信じられないことなんだけれど!」「クルス様に限ってありえないことなんだけれど!」「いい!? だれにも言わないでね!?」とか言いながら吹聴してたのがありありと浮かんでくる。確かにおしゃべり大好き女だったと【記憶】にあるが、まさか気絶するほどショックを受けてそれを言いふらすとは思わんだろうが。……まあ、あれはゼロおれの素を受けての反応だから、クルスの引き出しにはない、マリアの反応それということになるし、想像できなかったのも無理ないか。


 しかし、素さえ見せなければ、【同化】がバレることはないだろうと思っていた矢先に……。いまヴィローが「奔放さが【さらに】増した」と漏らしていたように、引き出し示した面は同じでも【程度が違う】以上、どこまでいっても、所詮は同一人物ではないのだから、魂の違いによる、【わずかなズレ】はどうしても生じるってことか。

 ならば、今後なんらかの場面で、その違和が目立った際には、おそらく、今回のマリアのごとく、引き出し外の対処を迫られることもあるだろう。その時に備えて、けっきょくは一から、関わりのあったヤツら全員のことを知る必要がある、か。……はああ面倒くせえ~……。


「……あー……。いや。夢だよ、夢。マリアは夢を見たのさ。あの子はとても真面目だけど、時に、僕にまつわることに限っては、突飛になることも、よく知っているだろう? おそらく僕以上に、儀式の朝を迎えて気持ちが高ぶっていたのではないかな。そもそも僕が大事な儀式の前に、そんなことをするはずもないじゃないか。……たまにはおふざけもするけれどね。時と場所をわきまえる人間であることは、……こちらも、あなたも知ってのとおりだよ」


「……。そうでしたね。失礼いたしました。マリアには、私のほうから改めて注意をば」


「……あ、それはしなくていい! 僕のほうから言っておくよ。なにせ、【僕の幻】のせいだからね……」


 は、ははは……。と引きつった笑いで言った。ヴィローは再び眉をひそめたが、「……承知いたしました。しかし、あまり甘やかさないで下さいよ。あのはどうにも、仕事は真面目にこなしますが、仰るとおり、貴方のことに関しては、まるで成人前の、十二や三の娘のようになりますからな」とため息をついたところで、ハーミルの腹の音が鳴り響き……、ヤツはほんのわずか、鋭い目をおおきくし、ごほん、と咳払いをして、続けた。


「ヴォーミヤット、でしたか。すぐに用意させますので、どうぞ【天恵メリナの間】でお待ち下さいませ。空腹であられるハーミル様が、一刻も早くお召し上がりになられるように、ここはクルス様の【挑戦】は別の機会にお預けいただき、手練れの料理人に任せるべきかと存じます」


「……だね。じゃあ頼んだよ。……ああ、それともうひとつ。聞きたいことがあるんだ。……聞けるならば、だが」


「はい。なんでございましょう」


 ヴィローはかすかにうなずいて、俺を見る。俺は自分の前髪をかき分けて額を見せ、そこに触れて示しながら、言った。


「実はこの通り、儀式を終えたあと、僕たちの額に赤い丸アザみたいなものができてしまってね。これについて、もしその理由や意味などを知っているなら、……構わなければいま、教えてくれると助かるんだが」


 俺は自分の前髪を押さえたまま腰をかがめ、いた手でハーミルの前髪をもかき上げて、同じようにできた赤い丸アザを見せる。……が、ヴィローは眉をひそめてから、俺たちの額を交互に見て、つぶやいた。


「……申し訳ございません。私にはそのようなアザは、ないように思うのですが。お二方ともに」


「……はっ?」


 思わず素の声が出た。なので慌ててごほんごほん! と咳払いしてごまかし、それから目を細めて俺たちをじっと見つめるヴィローに、続けた。


「えっと。それは……。冗談、ではないのだよね? あなたがそんなことを言うわけも……」


「はい。クルス様こそ、やはりお得意のお戯れでは? ……まあ、先のマリアの一件を伺った分では、そうではないと思いますが。……だとすると」


 ヴィローの細い唇が閉じられて、その端が下がってゆく。目も、だんだんと真剣さを増すように、いよいよ細くなり、「……ちょっと、近くで見せていただいてよろしいでしょうか?」と、俺の返事を待たずに、よく磨かれた黒の革靴が、一歩、前に出た。そこで俺は一歩下がり、ハーミルを引っ張って、自分の後ろに隠すようにすると、片手を前に突き出した。


「いっ……、やーーーーーーっ! すまないっ! これは冗談! 冗談だよ! はははは! やはり儀式が終わって気が抜けてしまってね! つい、いまなら少しばかりの冗談も構わないかなと! でも真に迫りすぎて、そうは見えなくなってしまった! これでは冗談としては落第だ! ……残念っ!」


 と、ぎこちなく笑う。いまのは【クルス形態】のひとつ、『いたずらがばれて思い切り誤魔化し笑い』なので、うそのないヤツの真実の表情かおだ。だから疑われる心配はないだろうが、その真実味を帯びた振る舞いのせいで、この十年、クルスヤツを世話をし続けているクソ真面目な男を怒らせてしまったようだった。


「……クルス様。先ほどお話ししました事柄がひととおり終わりましたあと、お時間を頂戴したく思いますので、なにとぞ。……よろしゅうございますね?」


「あ、……うん。分かった、よ」


 ヴィローは俺の返事を聞いても、数秒こちらの顔を見据えて、それからようやく目を閉じると、ちいさくため息をつく。そして俺と、続いて後ろから顔だけ出しているハーミルに頭を下げて、「ゲダス料理長に調理の旨を伝えにいきますので、お先に失礼いたします」と、後ろのドアを開けて、また俺たちに一礼すると中へ消えた。


「……。はあ……。ったく。どういうことだ。訳の分からん……」


 ヴィローの足音が聞こえなくなり、しずかになった長廊下で、俺はようやく素の声で漏らして、ガラス窓にもたれる。そして、そこにうっすら映った自分の顔を確認したが……、額にアザはなかった。


「おとうさん、あたしのあざがない。でも、おとうさんにはある。……なんで?」


 ハーミルが、俺と同じようにガラスで自分の額を確認して首をかしげる。だが、その額にはアザがあった。つまり、やはり互いに【あるのにガラスに映っていない】ということだ。それを教えるために、ハーミルの隣にしゃがみこんで、ふたりでお互いの顔を映した。


「あ! おとうさんのもうつってない! ほんとうはあるのに! ……なんで? ねえなんで?」


「……。お前のアザも消えてない。ただ映ってないだけだ。そしてガラスに映らないなら、鏡にも映らんってことだな。水たまりにも。……それにおそらく、ヴィローだけじゃなく、俺たち以外の他人すべてにこれは見えない。俺たちだけが、お互いのアザを見ることができるってことだ。……なんでかは俺が聞きたい」


 舌打ちし、下唇をかむ。隣でハーミルが口をとがらせていた。アザがどうのというよりも、疑問が解けないことが気持ち悪いんだろうな。……くそ。ヴィローの感じじゃ、見えないふりでも、見えなくとも、そういうことが儀式を終えたら発生する、と知ってるふうでもない。ほんとうに見えないし、知らない表情かおだった。【大賢者】や【勇者】が知らないことすべてを執事が知っているわけではないのか。それとも、歴代の中でも想定外のことなのか? 歴史上、いままでにないだろうことといえば、考え得るのはただひとつ。俺が【転生者】だから以外にない――……。


 俺は再びガラスに映る顔を見た。クルスヤツご自慢の、美形も形無しの表情かおになってやがる。そりゃそうだ。ろくでもない想像しか浮かばんからな。こういう自然の摂理に反したアザなんてものが浮かぶのは、たいてい呪術のたぐいというのがお決まりだ。だが、なんらかの呪術をどこかでかけられたという感覚はない。魔術士、あるいは呪術士がこの屋敷や、あの強固な結界で保護された大広間に入れたとも思えない。ならば、存在し得ない異者いしゃたる俺に対する【神】の警告か? ……いつもいつも、くそイラつく介入をしてきやがるぜ。お前など信じていないと言ってるだろうが。


「……クソ長いんだよ。この髪」


 八つ当たりするように、思わずひとりごちる。その言葉で、いつの間にかガラス鑑賞に夢中になっていたハーミルが反応し、俺の髪をひっぱったり、指でとかしたりして、「ながいけど、きれいだよ。でもおとうさんのかおに、ぜんぜんあわない」と言った。かお、ってのは表情かおのことだろうな。ゼロおれの……。いいぞ。なかなか的確な批評だ。ちょうど俺もそう思っていたところだ。そもそも男が長い髪なんて気に食わねえんだよ。鍛えるのにも、戦闘にも邪魔だしな。


「おいハーミル。ことがひととおり終わったら、俺は髪を切るぞ。ついでにお前も切ってやる。剣を振るうなら、できるだけ短くしたほうがいいからな」


「えっ? おとうさん、じぶんでかみきれるの? すごい! ぜんぜんそんなかおしてないのに!」


「……お前は、いったい俺のことをなんだと思ってるんだ? 髪くらい切れるわ。……で、お前は切っていいのか? 嫌ならやめるが。結ぶという手もあるし」


 よく考えたら、ガキといえど、いちおうコイツも女だしな。汚れた、伸ばしっぱなしのぼさぼさ髪だと思っていたが、間近で見ると、これは毎日きちんとくしでとかされた髪だ。乱れ、汚れているのは、きょうの旅路のそれだろうし。ばあさんが手入れをしているなら、女として、意図的に伸ばさせている可能性がある。……将来のために。


「いやじゃない。きる。おばあちゃんは、『かみはおんなのいのちだよ』『ながいほうがおとこのひとにうけがいいのよ』っていうからがまんしてたけど。はたけしごとのじゃまだし、おとこのひとにきょうみない」


「……いや。やはり結ぶだけにしておこう。うまくまとめたら邪魔にもならん。マリア辺りがやってくれるだろう。ばあさんが可哀そうになってきた」


 俺はため息をついて、ハーミルの頭に手をやった。この感じじゃ、色気づくのは、はるか先だと思うが、これもばあさんの愛情だろう。いきなり出てきた義父おれにどうこうする権利はない。


「なんで? なんでおばあちゃんがかわいそうなの? あたしなにもわるいこといってない!」


 眉をひそめて俺の手を払いのけ、ぼかぼか殴ってきた。……だからお前の力はどうなってるんだよ! 痛い痛い痛ぇ!


「やめろ馬鹿っ! これはそういうことじゃなく……っとに面倒くせえな、お前は! いーからそのままにしておけっ! ただし、前髪は分けて、額は出しておけよ。もういまから。ほんとうにアザがだれにも見えないのか確認しておきたい」


 俺はそう言って、なんとかハーミルをおとなしくさせたあと、自身がまとっている儀式用の大仰な白法衣につけられた、ちいさな銀の花の金物かなもの飾りをひとつとって、それを髪留め代わりにハーミルにつける。ちいさな額が丸出しになり、中央のアザが見えるようになった。それから自分の前髪も分けて、同じように、アザが見えるようにする。


「それは代用品だが、あとで着替えるときにちゃんとした髪飾りをつけてもらって、アザは常に見えるようにしておけ。屋敷の人間、今後そのほか出会う人間すべてに見せるようにだ。もし、見えるヤツが出てきたら、原因が分かるかもしれん」


「……。わかった。そうする……」


 と、答えながらも、話の途中からもう俺のほうを見ずに、ハーミルはつけられた花飾りに興味津々で、いじっていた。……ガキでも、こういうところは女だからなのか。それともさっきガラスをじっと見ていたように、単なる物珍しさなのか。おとなしくなったから別にいいが。……が、しかし。


 俺はまた、自身の額に触れる。……第三の要たる、あのヴィローすら知らないことならば、【大賢者】の道を行く上で、放置は悪手だ。原因は突き止めておいたほうがいい。【魔王】討伐がどうのという以前に、俺だけならまだしも、もし俺が【転生者】だということで、ハーミルこいつにまでるいが及ぶとなったら……。|それはクルスヤツが【大賢者】のままだったら、なかったことだからな。完全に予定外、俺のせいだ。……目覚めが悪いなんてもんじゃない。


 俺はひとりでそんなことを思いながら、額から手を離す。そして、ハーミルが飽きもせずに、ガラスに映る自分の姿を何度も見ては、花飾りをいじる様子を、ただぼんやりと眺めた。

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