第3話 【父】と【子】、出会う
……。
目が……。……見える。
ここは……。どこだ……――。
≪やあ、いらっしゃい。……そして初めまして。僕はクルス・ディワン。……君がゼロ・レクティスだね≫
真っ暗な空間で、下に浮いている、裸の男がなにか言っている……。……下? 俺も……浮いているのか? しかも……俺も裸じゃねえか。……傷は、ない……。
≪口を動かす必要はないよ。声は、きちんと聞こえているさ。ほら、僕も動かしていないだろう? 僕らはいま、魂同士で会話をしている。この裸も……ほんとうの意味では裸じゃない。ありのままの心を、具現化したものだ≫
……なんだろうと、野郎の裸なんざ見たくもねえし、裸同士で向き合うなんざしたかねえ。俺は、女のほうが好きなんでな。
≪それは僕も同じだね。これでも生前は、若い子から年上の方まで、人気があったものさ。……と、いうことも、すぐに分かるようになる。女性が好きなら、それは君にとっても好いことなんじゃないか?≫
なにを言ってる……。意味が分からない。お前の耳障りな自慢が、俺となんの関係がある。……というよりも。俺は死んだはずだが。……生前。そうか、お前も死人か。そしてここは、あの世――。
≪残念。あの世じゃないね。あの世があるかどうかは知らないけれど、それは確かさ。ここは僕の体の中だからね≫
体の……中? なぜそんなところに俺が……。俺の魂が……。というか、お前はだれだ。クルス……なんとかなど、聞いたこともないし、そのスカした面も記憶にない。白い、なまっちょろい身体に、女のようなサラサラの長い髪……とても傭兵には見えないヤサ男だな。……役者か? 貴族か?
≪誉め言葉として受け取っておくよ。でも僕は役者でも貴族でもない。傭兵でもね。魔術士を生業としていた者さ。そして巷では……【大賢者】と呼ばれていた≫
それはそれは……クソ笑かす肩書だな。賢者だけでもケツがむずがゆいのに、大までついてやがる。ま、自分でしゃあしゃあと名乗ってないだけ、お前はマシな部類だとは思うが。
≪さすがに自分で名乗るほど厚かましくはないよ。……けれど、期待には応えないとね。そうして僕は、課せられた【使命】には、精いっぱい、生命尽きるまで――。そしてそれを、今度は君が背負うことになる≫
馬鹿か……。さっきから意味不明なことばかり言いやがって。俺は俺でお前じゃない。流れ者の傭兵で、【大賢者】様たるお前の家族でも親戚でもダチでも仲間でもない。縁もゆかりもない、赤の他人だ。すなわち、お前がモテていようが、御大層な【使命】を背負っていようが、いっさい合切与り知らん。……これは神の【やらかし】か? 死んでまで、訳の分からんことを押しつけるな。クソが。
≪神のなさったことではないと、僕は思うな。とりあえず、君が生まれ変わるのは、君の相棒の手によってだしね。彼女が君に、【妖精界の秘宝】を飲ませたので、このような事態になっている。まさか噂でしか聞いたことのない秘宝が、ほんとうにあって、それに僕も関わることになるとは夢にも思わなかったけれど……。【光眼】の持ち主なら、さもありなん、か≫
どういう意味だ。相棒? シロルが俺に……? まさか、ぶっ倒れたときに、口の中に流れて来たのは……。……それに、なんだと? なぜお前が【光眼】のことを……。お前にどういう関係が……。
≪僕にも似たような能力があるってことさ。その万にひとつのつながりと、歳が同じなこと、死期がほぼ重なったこと、あとは……たぶん【根っこが同じ人間】だと。そんな感じだろうね。……ああ、ちなみに僕の【闇眼】は、君のように、命の危険が及ぶものじゃないから安心していいよ。そして目覚めたあとは、君の【光眼】も――。使用のたびに生命をかけるような不完全なものではなくなり、気軽に使えるようになる……と思う、少なくとも前よりは。あと、剣士としての経験値、腕前も残っていると思うから、どうぞ存分に、この【なまっちょろい身体】を鍛えてくれ。もう、身体から病は消え去ったからね。こちらは神の思し召しかな。もう僕の身体ではないけれど……。病からの解放を……心の底から感謝している≫
……病の末の若死にか。それでほほ同時期に、己の能力でおっ死んだ、歳が同じで、似たような能力持ちの俺が、お前の魂と附合して――……。【妖精界の秘宝】によって転生することになった俺の【行き先】に選ばれたと。お前の訳の分からん話を、無理やり総括するとそういうことになるが。
≪聡明だね。その通りだよ。……僕についての詳しいあれこれは、君の魂と僕の肉体が融合していくにつれ、だんだんと【僕として思い出してゆく】から、この辺で。ああ、君は君のままだから、心配しなくていいよ。……さて。もう行かなきゃならないみたいだ≫
……ちょっと待て。シロルはどうなった。アイツは生きているのか?
≪彼女も転生したみたいだね。【行き先】までは分からないけれど……。【妖精界の秘宝】は、そもそも妖精が妖精に転生するための秘薬だから、また、妖精になったと考えるのが妥当かな。……あるいは、……いや、やめておこう≫
馬鹿が……! 俺を助けるためだけじゃなく、生きている自分まで飲みやがったのか! ふざけやがって……見つけ出して説教してやる!! あんなヤツ、生まれ変わったって、どんな姿になったって、俺に分からないわけがないんだっ!! …………クソ馬鹿野郎が……。
≪……ほんとうに、大事な存在だったんだね。君の言葉よりも……こうして交錯している魂が直接教えてくれている。どうか出会えますように。……じゃあ≫
……。お前は死ぬのか。これで。……完全に。
≪だろうね。僕は【妖精界の秘宝】を飲んだわけじゃない。君が飲んだ影響で、こうして意識を残せただけだ。……まあ、秘薬と関係なく、転生というものが、神によって、あらゆる存在において、常に行われているのなら、もしくは――。運よくそうして出会えたら、ぜひ仲良くして欲しいな。……なかなか好い関係になるとは思うよ≫
お断りだ。お前とはなにひとつ会話が弾む気がしない。【根っこが同じ】……? 笑かすぜ。……じゃあな。
≪……はは。ま、いいさ。どうか君に幸運を。そして【頼んだよ】。くれぐれも。――……また≫
◇
◇
◇
光がまぶしい。これは朝日……だろうな。このケツを叩かんばかりの、押しつけがましい光は……。と、いうことは、俺は、さっきまでのは……――。
「クルス様。失礼いたします」
こんこん、という音とともに声がする。俺はゆっくり、音がしたほうへ頭を向ける。すると御大層な装飾が施された、どでかいドアが開き、若いメイド服の女が入ってきた。
白い、いかにも毎日きちんと洗濯して、清潔さに問題はございません! と言わんばかりのエプロンと、足首をも隠す青いロングスカートを揺らしながら、そいつは音も立てずに床を歩き、こちらへ近づいてくる。そして白いカチューシャをつけた、茶色のふたつのお下げ髪を、さっさと手で整えたあと、頭を下げた。
「おはようございます。今朝は、ワタクシ、マリア・ベルールが、お世話をさせていただきます。……お加減は如何でしょうか? さくじつはお顔の色が優れずに、お夕食も、いつもより早くお召し上がりになり、すぐにお部屋へお戻りになられましたが……」
地味だが、そこそこ整った顔をこちらへ向けて、マリアと名乗る女は、心配そうに、うるんだ目で見つめてくる。……目が合っているのに合っていない。なるほどな。女に大層【おモテになる】のは、事実だったというわけか。……だが、ゼロに向けられたものじゃないのに、喜ぶ道理がどこにある。俺は昔から、【他人】のおこぼれに預かるのが大嫌いなんだよ。
「あ、あの……。どうかされましたか? や、やはりお身体の具合が……!」
「……いや。どこも悪くない。それと今後、俺は元気いっぱい夢いっぱいだから、医者の類を寄越す必要もないし、世話も必要ない。すべて自分でやる。朝も、昼も、夜も、家……屋敷……の中も、外でのあれこれもだ。だから屋敷にいるすべての使用人に伝えてくれ。『今朝このときをもって、お前たちの自由な人生の始まりだ』とな。……下がっていいぞ」
ふいっ、ふいっ、と手を振った。……まずは鏡だ。さっきまでのクソ夢は、もう現実なんだろうと覚悟は決めたが、あのヤサ男の面を拝まずに、そのけじめをつけるわけにはいかない。ひとこと文句を言ってやらんと気が済まん。……はたから見たら、鏡に向かって悪態をつくという、危ないヤツ以外の何物でもないからな。人払いするに越したことはない。
「……あっ、あっ! あのあのあのっ!! わっ……、わわわワタクシ!! なにか、大変失礼なことをしでかしたのでしょうかっ……!!!」
ぶあっ! と涙をためて、それは瞬く間に頬を伝い――。マリアと名乗ったメイド女は泣き出して、しかし立場があるからか、その場に崩れ落ちることは必死にこらえ、こちらをちいさなガキのように見つめてくる。そしてまくし立てた。
「なにやらいつもと雰囲気が……! お言葉も、まるで、街酒場の品のない男たちのようなっ! ……や、やはりワタクシが粗相をしたために、そんな【荒くれ言葉】を……!! あああお許し下さいませっ!! どうか、どうかいま一度、この愚かなワタクシに、やり直しの機会をば……!!」
そのように、「どうかワタクシを嫌わないで下さいまし!」という気持ちをありありと浮かべて。……ま、まさか【こんなのばかり】じゃ、ないだろうな……! 冗談じゃないぞ寒気がする! 自分のことじゃないとかいう以前に、男だろうが女だろうが、俺はこう言った【好かれ方】は好みじゃないんだよ! どうする……、というかこの女に限らず、クルスの言動にそぐわないふるまいをしたら、……ヤバい、んじゃ、ないのか? 生まれ変わりを信じなくても、なんらかの……たとえば術式による『なり変わり』『なりすまし』というふうに、俺の立場が――……。……く・そったれがぁ~っ!!
「……だいない、問題ない問題ないっ! す……すなまい……ね! き、気分がよくなったために、少しだけ、気持ちが高ぶっていたようだ。お……、【僕】はなにも思ってないよ? おま……、【キミ】はとてもよくしてくれている。……いつもありがとう、マリア。じゃあ、紅茶を頼めるかな?」
と、にこやかに笑う。……なんとか。すると号泣していたマリアは、ぱぁあああ……! まるで天使にでも出会ったかのような、輝かしい笑みを浮かべて涙を拭きとり――、背筋をぴん、と伸ばしたあと、深々と頭を下げて、言った。
「た、ただいまお持ちいたしますっ! ああ、好うございました……! ワタクシは……ワタクシはっ! クルス様にお仕えできて、とても幸せですっ! ……素敵な朝に、感謝を! ……失礼いたします!」
マリアはそう言って、来たときと同じように音も立てずに床を歩き、やはり無音でドアを開け、閉めると去った。……屋敷を出る。絶対に出る。やってられるかこんなこと!! なにが【大賢者】だくそったれ! 早々に身体を鍛えて傭兵に戻るぞ! アイツは元の腕は残ってると言ったはずだが……。試してみるか。
俺はベッドから降りて、身にまとっていたうっとうしい白ローブを脱ぎ、全裸となる。そのまま頭を動かし、すぐに姿見を認めたので、前に立つ。そして顔をしかめた。
【アレ】で見た通り、白い、貧弱な、どうしようもない身体だな。背は少し高いが……。青い髪はさらさらで長く、切れ長の青い瞳、すらりとした鼻、上品な口元……。そんな面と併せて男とは思えん。美形には違いないだろうし、確かにこれなら女には不自由しないだろうがな。傭兵としてはてんで使い物にならんだろう。あまりのしょぼさに、文句を言う気が失せた。さて、どうしたものか……。
「……よっ……っと」
俺はためしに、鏡に向かって突きを繰り出してみた。二度、三度……六度と。次に蹴り。やはり同じように数度繰り返す。そのまま、戦いを想定して飛んだり、跳ねたり、剣や術式、魔獣の爪などの、あらゆる攻撃をかわすつもりで身を動かしてみたが……遅い。すべてが。力も意識も乗っていない。動きの根本は前と変わっていないから、ただ格段にレベルが下がったような、そんな感じだ。単純に見たまま、刻んだ戦いの記憶を再現するための、筋力や反射神経が足りていない。そして体力も。こんなわずかばかりの動作で、息切れまでしてやがる。これはしばらくかかるな……。
俺は絶望的な気持ちのまま、息を整え辺りを見まわした。ひとりの寝室にしてはだだっ広く、でかい本棚にはぎっしりややこしそうな書物が詰め込まれ、壁紙は緑の花模様。……メイドたちの趣味か、クルスのそれか。ともかくほかにはベッドと、光が差し込む窓に、揺れる白カーテン、それに、こちらもドアと同じく、御大層な装飾が施されたデスクとキャビネット。……開けなくても分かる。ゼロには無縁の書類の類がきちんと整理されて入れられているのだろう。
キャビネットの上には、貴重なガラスでこしらえられた花瓶に、青いヘレスの花一輪。デスクには羽根ペンとインク壺。服が一着もないのは、どうせ衣装部屋、などというものすらあって、着替えも自分で行わんのだろうがな。寝床に酒も武器もないとは……。読書と書類仕事にいそしんで、ただ寝るだけか? そしてだれも襲ってこないのか? いや……。コイツは魔術士で、武器は要らんということか。……魔術……――。
「……――っ!?」
次の瞬間、俺の頭からつま先まで、なにやら雷が落ちたように、あらゆるものが駆け巡った。男、女、子供、老人……さまざまな人の顔、ぬくもり、つめたさ、たくさんの本、街の景色、食い物、宙、大地、風、雨、動物、魔獣、ほほえみ、涙、……瓦礫の山、……死体、死体、死体、死体――。光と闇にまみれた、クルスの身体に刻まれた記憶の群れが、俺の魂を……嵐のようにかきまわし、刻みつけてゆく。……そして――……。
「……なん……、だと……?」
俺は唖然として、漏らす。……アイツ。だんだん思い出すとか言って、こんなふざけたことを……。これがアイツの言ってた【使命】というヤツかよ! ……【頼んだよ】? なにを馬鹿な! それに、この記憶だと……【あう】のは――……。
「失礼いたします。クルスさま。紅茶をお持ちしまし……」
ノックとともに、音もなくドアが開かれ、マリアが戻ってきた。が、俺と目が合った瞬間――がっしゃーんと盆もカップもすべて落としてぶちまける。そしてそれを謝ることもできずに、ただ茶色の目をおおきくして、俺の姿を凝視していた。石像のように、固まって……。
「お……、じゃなく。……ど、どうしたんだい? なにか僕の身体が……」
と、自分で言いかけて気づいた。素っ裸だったことに。マリアは俺の全裸を見て硬直していたのだ。……コイツは、着替えとか風呂の世話とか、ましてや夜のあれとかではなく、ただ、飯や茶の用意、その他日常的な雑務を受け持つメイドだ、……ということは、さっき【思い出した】。
マリア・ベルール。ロウズ大陸南端の田舎町、ティウモスから、大陸中央部に位置する、この最大最強の王国――ガーヴェンの城下町、ギぺアへ、はるばる憧れの【大賢者】に仕えるためだけに、一年ほど前、鞄ひとつでやってきた女。歳は二十歳。性格は生真面目で融通が利かない。よく言えば、筋を曲げない芯がある……。惚れた……というか、決して手の届かない【神】と崇める男の裸を見たのであれば、この様子も仕方ないと言える。死んでないだけマシだ。
「……。完全に、気絶してやがる……」
俺はマリアの見開いた目の前で、手を振って確かめる。起きたら、なかったことにしてやろう。……片付けもやっておくか。
俺はマリアをデスクの椅子に座らせ(ベッドなどに寝かせたら、またややこしいことになる)、そのエプロンのポケットから布巾を失敬して床を拭き、幸いにも割れていなかった茶器を片し……、カップに残った紅茶をなめる。……美味いな。クルスが好きだったという紅茶だが、これだけは趣味が合いそうだ。酒は飲めなかった、ということも【思い出した】が……。今晩試してみるか。【こと】を終わらせたら。
……しかしガーヴェンのギぺアとはな。俺のいた場所とは、大陸すら違う。そんなところの男の体に……。
俺はため息をついて、ローブをまとうと、気持ちを切り替えるように腰ヒモを強く締めて、ドアを開けると外へ出る。そして真っ赤な絨毯の敷き詰められた長い廊下を、そこに沿うようにはめ込まれた、天井まで達する高価なガラス窓群から差し込む朝日を一身に受けながら、裸足のまま歩き出した。
もはや着替えがどこにあるか、その世話をだれがしているのか、このあと、どんな予定が入っているか……。すべて【思い出した】俺は、出会った使用人たちに、口調もなめらかに、着替えに食事、すべての指示をクルスと等しく事務的にこなす。観念してなり切ったわけではなく、……ただ考え事をするために。これから起こることを、どうやって切り抜けるか。そのことだけに知恵を絞るために。無難にこをを進めつつ……。
……絶対に、【それ】からは逃れなければならないのだと。休まず思考を巡らせた。
◇
そうして太陽が宙の真上にのぼったころ――。
歴代の【大賢者】が住まうこの屋敷、【レ・グンレチア】の中央にある、特別な日にしか立ち入りを許されない大広間――【天光の間】の真ん中には、大勢の使用人たちの手により、極めて慎重に、巨大な円状の真っ青な絨毯が敷かれ、さらにその北端には、特殊な術式で描かれた文様入りの、人がひとり立てるほどのおおきさの、四角い赤布が敷かれる。
円絨毯の周りには、幾つもの背の高い燭台にろうそくが灯されて、広間左右の高い窓には青いカーテンが引かれて光を閉ざされる。こうして室内は真昼間に夜のような様相を呈し、異様な雰囲気に包まれる。やがて使用人たちはすべて下がり、厳重に、重いドアは閉ざされて――。大広間には俺ひとりが残された。
これでもう、【終わるまで】はだれもここへは入れない。どんな音がしても、なにが聞こえてきても。そういう、古来からのしきたりなのだ。【大賢者】を襲名した者と、【これからここへ来る者】との契約が終わるまでは。……【なにをしていても】手出しはできない。
俺はメイド三人がかりで着せられた、金の花模様をあしらった白法衣のほこりを払うと、円絨毯の外に腰をおろす。あぐらだが、いつもの酒場やねぐらでのそれではない。きちんと背筋を伸ばした、言わば術者が術式を契約するときと同様の、この儀式における正式な座り方だ。
その姿勢のまま、俺は長い青髪をくくり直し、金色の見事な冠をかぶり直すと、まっすぐドアのほうを見る。……あと数分もすれば、あのドアが開けられ、ご対面となるのだ。……【勇者様】との。
そう。かの【大賢者】クルス・ディワンがやり残した、ヤツの人生における、最大にして唯一絶対の仕事……、もとい【使命】は。将来、【勇者】となる運命を持つ子供を養子として引き取り、見事その肩書にふさわしい光の戦士へと育て上げ……。さらには、その【勇者】を助ける六人の【天徒】を探し出して、ともに、七年後に復活するという、世界を消滅させる【魔王】を滅ぼすことにある。つまり、いまからやろうとしているこれは、その【勇者】を迎えて、ソイツを養子とし、自分が父となり、ともに世界のために戦い抜くことを誓うための儀式ということだ。
クルスは歴代の【大賢者】の中でも、極めて優秀な魔術士だったが、生まれつき心臓の病を抱えており、ガキの時分から、長く生きられないことを知っていた。だが同時に、自分の【使命】を引き継いでくれる者が現れることも。……まさか、それが自分の肉体への【転生者】だったとは知らなかったみたいだが。
死んだのはきのうの日没ごろ。だれにも気づかれずに、ベッドの上で息絶えた。そこで、同じくらいにおっ死んだ俺との【面会】を果たしたということだ。限られた時の中で、俺がやかましく逆らうことを見越して、肝心なことは言葉にせずに……。大した【大賢者】様だよ。ほんとうに。だがな――……。
俺は大広間上部にある、巨大な古時計を見上げる。あれが刻むように、時は待ってはくれない。王侯貴族も民衆も、金持ちも貧乏人も、男も女も――だれもが平等に、例外なく、どんどん人生を刻み、消費していく。その間に、自分が望むことを、いかにやり遂げるかがなにをおいても大事だということだ。それがクルスにとっては【使命】、ゼロにとっては【自由】。正反対に違っているということさ。
正直、生き返らせてくれたことには感謝している。あのままあの世に旅立っていたら、後悔があっただろう。それにシロルを探さなきゃならない。アイツには言いたいことが山ほどあるんだ。……そもそも生き返らせたのはシロルだ。身体を与えてくれたのはクルスだが。ともあれ俺がなすべきことは、早々にこの屋敷を出て、身体を鍛えて傭兵に戻り、シロルを探し……。またふたりで元のような生活を始める。それだけだ。
そしてそのために、いまやるべきことは……この【儀式をぶち壊す】以外にない。
幸い、儀式が終わるまでは、なにが起こっても、どんな音がしようがだれも来てはいけないしきたりだ。それはつまり、この閉鎖空間の中で――。これからやってくる【勇者】のガキを言いくるめて、逃げだしても、すぐにはバレないということだ。
さすがに儀式の前、【勇者】のガキと会う前に逃げ出すのは、リスクがでかすぎるからな。……まず、使用人や、【勇者】が騒ぎ立てて即バレするだろうし、そしたら、その【大賢者】にあるまじき無様さ、背信行為によって、王国の、総力を挙げての追っ手がかかる。なにせ世界の命運がかかってる上に、強国ガーヴェンの面に泥を塗りたくり、周辺諸国に恥をさらす行為だ。極刑は免れんだろう。【すぐバレたら】。……だがある程度の時間さえ稼げれば、逃げ切ることはできる。
有難いことに、いまの俺は一流の魔術士たる【大賢者】様だ。クルスの記憶と、さっき見て、改めて感じだ様子だと、屋敷の使用人二十人の中で、戦闘力を備えた者は十五人。内、手練れは八人。達人クラスがふたり。【第一の追っ手】はとうぜんコイツらだが……それらすべてをいなし、巻くことはできる。
いまの俺では、まだ、かつての剣は振るえないが、クルスの力は、魂が完全に融合していない現在でも、六割ほどなら使える。それでも、ソイツらからは逃げ切るだけなら可能だと断言できるほど、……言いたかないが、クルスは恐ろしい実力者だったということだ。
加えて、【元・頭】が魔獣のアルと【馴染んだ】速度を考えると……クルスの力をすべて獲得するのもそう時間はかからないはずだ。そうなれば、国を挙げての追跡さえも。……――おそらく、振り切れる。
時計の鐘が鳴り響く。そのボォン、ボォン……という鈍い音と音の合間に、かすかに足音が聞こえてきた。……さあ、【勇者】様のお出ましだ。
ソイツがどんなヤツか、クルスの記憶にはない。それもしきたりで、どうも儀式の前には、【大賢者】は【勇者】とは、会うどころか素性もなにも、まったくなにも知るべきではない、ということらしかった。
もちろん、歴代の【勇者】がどんなふうであったとか、その力がどれほどのものだったのかとか、そういう知識は、クルスは、先代の【大賢者】や、書物などから得ていたが。現代の【勇者】のじっさい的な力や身の上なんかは、なにも知っていない。……正真正銘の【初対面】だ。
……ま、どうせ、貴族かなんかの、いいところの出で、クソ真面目なヤツなんだろう。【使命】に燃えた、薄っぺらい正義感をまくし立てるような、成人儀式を迎える手前の、十三、四歳くらいのいけ好かないガキ。そうでなけりゃ、こんなところにのこのこやって来るわけがない。馬鹿正直に。
俺だったら逃げる。【勇者】はガキで、確固たる社会的地位のある、大人の【大賢者】よりも逃亡はたやすいはずだ。育成前でもそれなりの力があるなら、なおのこと。……王命だろうがなんだろうが、家のことがあろうが、町、村、周りの連中をも背負っていようが知ったことか。……【知ったことじゃないヤツ】なら、しぶしぶ嫌々、来る可能性はある、が。
そんなことを考えていると、鈍い鐘の音が鳴り終えて、静寂が訪れる。そして、わずかにろうそくの炎の揺れが増したとき、不愉快な音を立てて、ドアが開いた。そこで俺が目にしたのは……――。
「なっ……」
俺は思わず漏らした。なぜなら、ドアを開けて部屋に入ってきたのは……想像していたよりも【ずっとガキ】だったからだ。
十歳……いや、九歳か? それに粗末な、薄茶の、洗いざらしの色褪せた農作業服。ひとつにただ結んだ、手入れのあまりしていない、長く伸びた水色の髪、土で汚れた顔。なによりも、その顔よりも、泥土で汚れきった……裸足。こんなヤツが【勇者】だと? とても信じられん……が――。
「神剣……――ディクニティス」
真顔でつぶやき、唾を飲んだ。ガキが手に持っていたのは、間違いなく、クルスの記憶にある【勇者】の証。勇者のみが所有を許される……神が天よりもたらした世界最高の剣。俺も傭兵と言えど、剣士の端くれだったから分かる。どれほどの業物なのかが。……人の手では創れないだろうことも。……――アイツは本物だ。
「あの。……あなたが【大賢者】さま、ですか?」
ガキが、ぽつりと言った。おおきな目で、無表情にこちらを見つめている。俺ははっとしてうなずくと、【その立場】らしく、にこりと笑い……話し始めた。
「……ああ。そうだよ。初めまして。僕の名はクルス・ディワン。キミが【勇者】となる子だね。……名前を聞いてもいいかな」
「……ハーミル・バルディア」
ぼそりと答えたあと、ハーミルと名乗ったガキは、無言でドアを閉める。大人でも両手で開閉するような、おおきく重いドアを片手で。よくよく考えると、あの剣も子供が片手で持てる重さではない。……クソ。なんというガキだ。
俺は下唇をかんだ。あれは【光眼】のような特殊な力でも、魔力や神力といったオーラの類をまとったわけでもなく、純粋な筋力――。あの細っこい体にそれが宿っているとすれば、生まれつきの、【勇者】としての才能だ。
これもクルスの知識通りだが、じっさいに見ると寒気がする。神の子か、悪魔の子か……。だが知能や心は見たまま子供のはず。だからこそ、世界を脅かす側――【悪魔】にならぬように、【大賢者】の教育が要るのだから。……さっそく、口説きにかかるぞ。
「ハーミル。こちらへ。儀式の前に、まず話をしよう。絨毯の上には上がらないようにね。そこは儀式が始まってから入るところだから」
俺はにこやかに言葉をかけて、自分の前を指し示す。ハーミルはうなずくと、ぺた、ぺたと剣を持ったまま近づいてくる。だが、そばまでは来ずに、ある距離で立ち止まる。直感が伝えた。そこは【剣士の間合い】だ。しかも、一流の剣士ならば、相手が詠唱を終える前に斬り込める【対魔術士用】の。……背に汗が流れる。
「【大賢者】さま。このたびは、あたしのようなものを、おまねきいただきありがとうございます。それで、おはなしということですが、あたしにもあるんです。……いいでしょうか?」
無表情のまま、話した。……あ、あたし……? まさか女だったのか? ガキだからとはいえ、服装や雰囲気からは、まったくそんなふうには……。
俺が呆気に取られていると、ハーミルが無言で圧してきたので、慌ててうなずく。
「あ、ああ。もちろん。……お互いに、なにも知らないからね。これは互いの人生に関わる、重大な儀式であり契約だ。僕もキミのことを知っておきたい。……なにかな?」
「はい。では。【しんでください】。……――いますぐに」
次の瞬間――。ものすごい速さで刃が横から飛んできて、そばの燭台一本だけを叩き斬り、同時にガードした俺を吹っ飛ばす。俺はカーテンを引いた窓に激突したが、窓は割れずに、バチバチっ! と音を立てて、赤い稲妻とともに俺を弾き返す。……窓へ施されていたのは、A級術式――【赤術結界】。ちなみにかけたのは俺じゃないし、クルスの記憶にもないし、使用人たちから聞かされてもいない。……歴代、代々、こんな感じか? ……ほんとうに、ご大層な儀式だよ。これは。……クソが。そのまま外へ投げ出されたほうが、マシだったぜ!
「……はっ? なんできれてないの? おもいきりやったのに」
顔を上げると、眉をひそめたハーミルが、不機嫌そうにこちらを見据えていた。俺は鼻で笑うと、金色の光をまとった自身を示して、返した。
「いちおう、【大賢者】様……だからじゃないかな? こういうこともできるのは」
自身への攻撃に反応して自動でかかるS級術式――【金術結界】。今回、使用人たちからの逃亡の際に、この生っちょろい身体を守るため、事前にかけていたものだが……助かった。とても反応できる速度ではない。たとえ以前の俺でも、受けて力を逃がすのが精いっぱいというところだろう。それに……。
俺はハーミルを、冷や汗をぬぐいながら見返す。コイツの剣は、ただやみくもに怪力を振るったものじゃない。訓練や実戦で高めたものでもない。間違いなく天分の剣。……これが【勇者】かよ。ガキのいまでもこれで……。こんなヤツと、六年も七年も生活をともにしろだって? ……笑かすのもたいがいにしとけよ……クソ【使命】とやらが!
俺は立ち上がり、ほこりを払うと光を消し、窓のそばにどかっ! と腰をおろしてあぐらをかく。儀式用のじゃない。いつもの、酒場や寝床でくつろぐためのもの。そうしてヒザに手を置くと、おおきく息をはき……。いまだ眉をひそめて俺をにらむハーミルに言った。
「さて。お嬢ちゃん。なぜいま俺を殺そうとした? そんなことをすれば、お前の立場がどうなるか……、ガキの頭では、まだよく分かってないのか?」
ふだんの物言いで言う。もういい子ちゃん、嘘っぱちの時間は終わりだ。そもそも、アイツだって【よそ行き】の表情をしていたわけだからな。
「……あんた、そっちがほんとうの【かお】なんだ。なんだかよく村にくるごろつきみたい」
そのとき、初めてヤツは子供らしい表情を見せた。だが警戒は解かずに、剣を軽々と肩にかつぐと続けた。
「どうなる? そんなの、どうもなにもない。あんたがしねば、あたしは【勇者】をやめられる。あたしをどうこうできる力をもってるのは【大賢者】のあんただけ。王様だって、騎士団だって、魔術士団だってむり。それでぜんぶ終わりなの。あたしは【勇者】になんかならない。あたしはあたしのまま、生まれた村で、おじいちゃんと、おばあちゃんと、まいにち畑ではたらいて、くだものをとって、ポメオ(※馬に似た動物)にのって……これからもあたしの生活をしていくの。……――自由に。ずっと」
ハーミルは剣を構えた。そのとき大広間が、地震に襲われたように、床も、壁も、天井も、空気をも――すべてが打ち震えて、燭台のろうそくが次々と消えてゆく。ほどなく広間は闇に包まれたが、ハーミルだけはそこへ呑まれなかった。
地鳴りとともに、まばゆい虹光に包まれたハーミルの姿が浮かび上がる。魔力でも神力でもない。それらを圧倒する、【勇者】のみのが持つ唯一絶対のオーラ。クルスでさえ知らないこれは……。もし、名づけるならば――【虹炎】。とでも言うべきか。……――はっ。ははっ。
「……。なにがおかしいの? おそろしくてあたまがおかしくなった?」
ハーミルが訝しげに、剣を構えたまま、己の虹炎によって照らされた俺を見る。俺はひとしきり笑ったあと、立ち上がり……。先ほどハーミルが叩き斬った燭台の残骸まで歩くと、それをひとつ、左手で拾ったあとに……【詠唱した】。
「……高遠なる天地よ。どうか我が手にひとときの力を。……炎の刃よ来たれ。――炎迅」
言葉が消えると同時に、俺の右手が燃え上がる。それをもって、俺は左手に持つ燭台の残骸の、邪魔になる台座部分を叩き斬った。そして、いまだ燃え続ける右手にそれを持ち替えて、炎を伝わせて……――その先を超えてまで発すると、いつも使っていた剣と同等の長さで止める。それから、炎を収束して赤光の刃を形成した。……さあ、これで不細工ながらも、自前の術式剣の出来上がりだ。
「……なに? 魔術士なのに、剣でたたかおうっていうの……。あたしと」
「そうさ。だってお前、――俺を殺すんだろう?」
俺は赤光剣をひと振りし、火の粉を闇に飛ばす。ハーミルはいよいよ眉をひそめて、構えたまこちらを見据える。俺は【俺のなまっちょろい身体】にため息をつくと、淡々と言った。
「お前は【勇者】になりたくない。いままで通り、じいさんとばあさんといっしょに、ずっと村で暮らしていきたい。自由に。……とのことだが。俺もな、【大賢者】なんぞになりたかねえんだよ。もうなっちまってるから、正確には辞めたい、ってことだが。ともかく同じだ。【自由に生きたい】っていうのは。……ならどうする? お前が【使命】から逃れるために出した答えが【俺をぶっ殺すこと】なら、それに抗うしかないだろうよ。【俺の自由】のためにはな。……あと剣を使うのは【趣味】だ。近ごろは、こっちに凝っててね」
「……【大賢者】とはおもえない。ことばはきたないし、剣をもったり、自分自分ばっかりで……ぜんぜん世界のこととか考えてない。子供のあたしもころそうとしてるし。……あんた、【あくにん】のようだから、やっぱりしんでいいわ」
「おいおい。テメーはテメーの【欲】のために人をぶっ殺そうとしてるのに、『子供のあたしはころさないでぇ~』ってか? ……笑かすなよ。【勇者】の強さと【ガキ】の弱さにあぐらをかきすぎだぜ。……覚悟を決めろよハーミル。ガキでももう、なんとなく分かってることだろう? どんなヤツだろうが、しょせんは死ぬまで、テメー中心に世界をまわすために、邪魔なヤツを【どかしにかかる】ことをよ。時には、ぶっ殺してでも。――……お前も間違いなくそのひとりなんだよ」
俺はハーミルを眼光で射抜いた。ヤツは、剣で貫かれたように表情を変え、初めてその青い目に怒りをあらわにして【虹炎】の勢いを増す。そして髪を結んでいたヒモをブチ切ると、長い水色の髪を揺らして――叫んだ。
「……なんなの? ムカつく……。ムカつく、ムカつく、ムカつく、……ムカつく! こんなムカつくヤツとはじめて会った! ごろつきだって【おセッキョウ】しないだけ、もっとマシだった! ……――あんたなんかしんだらいいっ!!」
「だから、【しんだらいい】じゃなくて、【ぶっ殺す】だろ? ……覚悟を決めろと言ってるんだよ、ガキ!」
刹那――まるで宙を流れる流星が、地上に落ちてきたかのように俺の視界が真っ白になり、虹光の剣が振り降ろされた。だがそれが直撃する寸前、俺は叫んだ。
「――……光眼!!」
右目が発光したと同時に俺はものすごい速さで赤光剣を振るい、ハーミルの虹光剣を横から叩き落とした。ヤツの姿勢は崩れ、俺はその、ハーミルの驚きに満ちた表情を見たあと――腹に一発、加減して当て身を入れた。
「……――かっ……!」
ハーミルは唾をはき、虹炎が消える。そのまま俺のほうへ倒れ込んだ。俺は気絶したハーミルの身体を抱きながら、右手に持った赤光剣を放り捨て、術式を解く。それから右目の光も消して、大広間が再び闇に呑まれる。……あー……、疲れた……。
俺はおおきくため息をつくと、その場にどかっと腰をおろした。……どうやら、クルスの言ってたことはほんとうのようだ。【光眼】を使っても意識がある。貧弱なこの身体で発動しても、威力にそん色はない。なにより、いつも感じる、得体の知れない恐怖感もなかった。大変にありがたい話だが……。世の中に、そんなうまい話があるわけないことくらい、もう十分に知ってるんだよ。……クソが。
「ぎっ……!」
すぐに俺の全身が、猛烈な悲鳴をあげ始める。どうやらこれが今回の【副作用】というヤツだ。【光眼】による、人間離れした動きのツケを、人間の身体で払うという。かんたんに言うと、極度の筋肉痛。そしておそらく、カンで分かるが……。これを治す回復術も、回復薬も、ない。特効薬は時間だけ。……完全なる【ツケ】だ。
そりゃあ丸一日気絶するよりも、五分五分で生命を落とすよりもずっといいが。いよいよ身体を鍛え直さないと不味い。ピンチになるたび【光眼】に頼ってたら、身体が壊れちまう。……まあ、そもそもいまの俺は魔術士だから、術式の実戦練習のほうを、やっておかないとだが……。
ヤツの……クルスの記憶は、かなり戻りつつある。力も七割ほど。身体に宿る、以前とはまるで違う力――魔力がみなぎってくるのが分かった。身体は貧弱でも、戦士としてはそうではない、か。……けどな、やっぱり、いざというときに頼れるのは己の肉体だ。こんな身体じゃ落ち着かない。俺流でやらせてもらうぜ。今回の人生も――。……今回……。
「……。……すー……」
ひざの上で、ただしずかに呼吸するハーミルの体温を感じながら、俺はげんなりする。……いったいコイツを、どうやって口説けばいいのか。【勇者】をやりたくない、ってのは好都合だったが、思いっっっ切り嫌われたからな。あの様子で俺の言うことを聞くとは思えない。さすがに大人気なさすぎたか。……まあいいや。疲れた……。いまはもう……なにも。……コイツが起きるまでに考えよう。
俺はハーミルをひざで寝かせたまま、後ろに倒れ……。ハーミルと重なったまま、闇の中で目を閉じた。無防備に。なにも考えず。長い青髪を乱して、ハーミルの長い水色髪が手に触れて。……その姿は、もし光が差して、だれかが見たのなら……――たぶん。
……まるで、ほんとうの【父娘】のように映った……のかもしれないと。……後年に思った。