一年ぶりに君と歩く。
「センパ~イ、何やってるんですか?」
部屋の中。
勉強していると、後輩が俺の背中に抱き着き手元を覗き込もうとしてくる。
髪の毛が頬を撫でて嗅いだことのない甘い匂いが漂ってきて背中には柔らかい感触が――
「って、ちょ、ま、近い近い近い離れろ!」
できるだけ背中の感触を意識しないようにしながら振り返り、速攻で彼女の肩に手を置いて引き離す。一瞬体の正面に柔らかい感触が振れた気がするが気にしないようにしたいけどそうもいかず……。
思いっきりその御尊顔を睨みつけようとするが、先程されたことを思い出し、その感触が鮮明に思い出されてやめろやめろやめろ。
必死に脳内で悪霊退散しながら――しかしやはり顔を直視することは出来ず――説教する。
「距離が近いだろが!」
「先輩照れてるんですか~?」
「当っり前だろうが! お前は自分がどれだけ可愛いか自覚がないのか!?」
そう、この後輩、とんでもなく可愛い。綺麗な栗色の髪は信じられないほどサラサラしており、触れたの感触は最高だった。大きな黒色の瞳に、形の整った鼻、艶やかに光る桜色の唇。
素材がいいのに、彼女は自分を磨く努力を惜しまない。だからこそ、相当の美貌を誇っている。
――それだというのに。
「お前は男心というものを知らなすぎる! お前みたいな可愛い子に抱き着かれたりなんかしたら男はみんな……って、どうした? そんなに顔を赤らめて」
「先輩こそ、女心を知らなさすぎです!」
「え、えぇ?」
言い募りながらようやく脳内に跳梁跋扈していた煩悩という名の悪霊をある程度退散し、彼女の顔を直視してみると、その顔は真っ赤に染まっていた。よく見れば耳まで真っ赤に染まっている。今すぐ頭から蒸気でも吹き出しそうだ。アニメだったらこの現象は照れてる場合だが……まあ彼女においてそれはないだろう。
となると、他の可能性は……まさか!
「由奈、お前、風邪ひいてるのか? すまん、気づけなかった」
彼女の頭に手を置く。「ひゃっ」と彼女が小さく悲鳴を上げるが、恐らく俺の手がかなり冷たく感じたのだろう。それくらい彼女の頭は熱くなっていた。
「こりゃ高熱だな……。今氷と風邪薬持ってくるからそこのベッドで寝ててくれ」
「先輩こそ自分がイケメンなの自覚しなさすぎです……」
「うん? なんか言ったか?」
「何でもないです! 早く行ってください!」
「お、おう、すまん……」
彼女に急かされるままに部屋の扉に手をかける。ドアノブを捻り扉を開けて――
「夢か……」
目を覚ます。目の前に広がるのは見慣れた天井。少しぼやけて見えるのはなぜだろうか?
目を擦って初めて気づく。
「そっか、俺、泣いてるのか……」
手がびしょびしょに濡れていた。どうやら、相当涙を流していたようだ。
自分が泣いていたことを自覚すると、心が弱ってさらに泣きそうになる。
……寂しい。由奈がいないことが、とんでもなく寂しい。
そのまま蹲ってしまいそうになるが、そんなことをしては由奈に揶揄われてしまう。それは少々癪に触るので、無理矢理心を奮い立たせ、学校へと向かう準備を始めた。
由奈が行方不明になって、もうじき一年が経過しようとしていた。未だに彼女の足取りは欠片も見つかっておらず、関係者の誰もが諦めムードになっている。警察による捜索もそろそろ打ち切られるらしい。
学校に行く通学路の電柱に、彼女がいなくなってから必死になって貼って回った張り紙が見えてくる。風化するたびに何度も貼り直しているため状態はいい方だろう。
……今朝彼女の夢を見たからだろうか、その張り紙に写った顔を見ると懐かしさが込み上げてくる。一緒に溢れそうになる涙を堪えながら学校への道を急いだ。
いつも通りに学校へと辿り着き、なんら非日常なことは起きずに授業を受ける。
俺は今年から受験生だ。あまり由奈にかまけて勉強を疎かにするわけにはいかない。授業中は集中して勉強に取り組む。
授業中はまだいい。彼女がまだいた時から、授業中だけは彼女との関りがほとんどなかった。だから、あまり意識せずに勉強できる。
問題はいつも一緒にいた下校、そして家の中だった。
放課後。SHRが終わり、教室中が騒がしくなる。その喧騒を尻目に荷物をテキパキと纏め教室を出る。
別段、クラスに馴染めていないわけでも仲が悪いわけでもなく、ただ放課後は俺が早く帰るだけだ。
家への道を歩いていく。今から帰る場所は家だというのに、心の中では虚無感だけが大きくなっていく。
失って初めて気づくとはよく聞くけど、本当だった。由奈がいなくなるまでは、彼女の絡み鬱陶しいと思うこともあった。
でも、彼女がいなくなってみればこの様だ。今すぐにでもほしいなんて思ってしまう。それほどまでに彼女の事が恋しかった。
「由奈、何処に行ってるんだよ……」
独り言を呟いていた。誰に聞こえてるわけでもないであろう、唯の独り言だ。
――だから、まさか返事が返ってくるとは欠片も思っていなかった。
「あれ~、センパ~イ? 私の名前を呟くなんて、そんなに私が恋しかったんですか?」
背後から由奈の声が聞こえてくる。
懐かしい声。あの、揶揄いが混じった、でも優しい声だ。
……あぁ、遂に幻聴が聞こえるようになったらしい。もう完全に末期だ。
頭を振り、幻聴を追い払う。こんなものに惑わされてはいけない。由奈に会った時に笑われる。
「先輩? もしも~し、センパーイ? あれ、聞こえてない……?」
やめてくれ、その声で俺を呼ばないでくれ。余計に彼女のことが恋しくなってしまう。
「せんぱーい! もしもーし! 起きてますかー!」
お願いだからやめてくれよ! 本当は分かってるんだよ! 彼女がもう……生きていないことくらい!
「先輩、返事くださいよ! 流石の私もここまで無視されると泣きますよ!」
「煩い! 黙れ! ……頼むから……もうやめてくれ」
「……え?」
俺の言葉に幻聴はピタッと話しかけてくるのをやめる。幻聴とわかっていても、彼女の声に怒鳴るのは嫌だった。
声が止まったため、再び歩き出そうとした。一歩踏み出したところで、再び声が聞こえてくる。
「先輩は……私の事が嫌いになってしまいましたか……? もう、会わない方がいいですか……?」
その声は震えていて、今にも泣きそうなように感じた。
……泣きそうなのはこっちだよ。
彼女の泣きそうな声に、振り返りたくなる。でも、振り返るのがとんでもなく怖い。
もしも彼女がいなかったら。もしも、今の声すらも俺の願望が生み出した幻聴だったら。
そう思うと、体が鋼鉄のように固まって、その場で少しも動けなくなってしまう。
「先輩、お願いだから私に顔を見せてください。先輩が嫌だって言うんだったら、これが最後でもいいですから……。せめて、最後に一度だけでも……」
声は完全に泣いていた。
その声を聴いても、なお俺は動けないでいた。情けなくて、不甲斐なくて、それでも後ろを振り返って彼女がいないと、もう立ち直れないような気がして、振り向くことができない。
下を向いて、情けなさと恐怖に涙を流す。
すると、背負った鞄越しに何かがもたれるような重さを感じた。同時に、俺の体に手が回される。
「せめて、返事ぐらいくださいよ……。お願いですか……」
声の主が俺に抱き着いてきたことで、ようやく動くことが出来た。
回された手を掴み、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこにいた女性は、俺が知っている女性とは大分印象が変わっていた。
もともと茶髪で背中程まであった髪は、雪の様に真っ白に染まり肩口程の長さに変わっている。
雰囲気も少しキリっとしており、よく見ると筋肉もついているようだった。
それ以外にも変わってるところはありかもしれない。でも……それでも、後ろにいた女性は、俺が求めていた女性に変わりはなかった。
そんな彼女が今、必死に涙を堪えるような表情で俺の顔を見ている。そんな表情にしてしまったのは紛れもない……俺だ。
再び由奈に会えた嬉しさ、俺に会いに来てくれたというのに彼女を泣かしてしまっているという罪悪感や情けなさに感情がぐちゃぐちゃにかき乱される。
その衝動のままに、思いっきり抱き着いた。
彼女は驚いたように一瞬肩を跳ねさせたが、すぐに力を抜いて俺に体を預けて、背中に手を回してくれる。
涙が溢れてくる。彼女の髪は、色が変わってもサラサラだった。
「ごめん……ごめん!」
「どうして先輩が謝るんですか……?」
「俺が君を泣かしたから」
「私は泣いてなんかいませんよ……。……でも、先輩が私を泣かしたと思ってるんだったら、うんと反省してください」
あぁ、彼女の雰囲気は変わっても、いたずらっぽい性格はまったく変わってない。
涙が止まらない。
「寂しかった、寂しかった……!」
「ふふ、先輩、女々しいですね。私こそ、急にいなくなってすみません……。私も寂しかったです……」
そうか。寂しいのは俺だけだと思ってたけど、彼女も同じ気持ちだったんだ。
俺だけじゃなかったことがこの上なく嬉しい。
その嬉しさの勢いで、この一年間ずっと思ってたことを今俺に最も近い女性に告げる。
「由奈、好きだ。だから、もう俺から離れないでくれ。ずっと……一緒にいてくれ」
「ふぁっ……!?」
容姿が少し変わって、格好いい雰囲気を纏った彼女は、それでも可愛い声で反応する。
一年も離れてて、変わった部分あるだろうに、それでも変わってないところがあることに思わず笑みが零れた。
抱きしめる力を強くする。
彼女は暫く黙っていたが、少し呼吸を整えると「先輩、やっぱり変わってないですね」と小さく呟いた。
そして、そのまま小さく、蚊の鳴くような小さな声で言った。
「私も、ずっと好きでした」
そのままたっぷり十分ほど、彼女と抱き合い、笑いながらながら泣いていた。誰かに見られたかもしれないが、まあ騒ぎになっていないから知り合いには見られてないだろう。
呼吸を落ち着かせて由奈から体を離す。彼女は残念そうするが、先程の告白のおかげもあるのだろうか、すぐに笑みを浮かべた。
いや、ちょっと待てその笑みは……。
「いや~にしても先輩、本当女々しくなりましたね~。本当に男ですか?」
「うっせぇ」
……やはり。今となっては懐かしい、悪戯な絡み方だ。ここも変わってなかったか。あの時は鬱陶しいと思っていたが……いや、やっぱ今も少し鬱陶しいな。
と、彼女は唐突にあの笑いを潜めてキリっとした雰囲気に合った、格好いい、真剣な表情を作る。
ギャップと、今の彼女と合うその表情に心臓が跳ね上がる。
……格好良すぎだろ。
「先輩、どうやら女誑しな性格も変わってないようですが、他に女は作ってないですよね?」
出し抜けに変なことを言われて思考がフリーズする。
十秒間程凍った後、ようやく彼女に言われた言葉を理解する。
「……はぁ!? 俺が女誑しって……いや、んなことするわけないだろ!」
「……相変わらず無自覚でしたか」
彼女は呆れたように溜息を吐く。いや、相変わらずって前から俺って女誑しだったの?
「……まあ、いいです。それは後にしましょう」
いや、あまりよくないんだが……。
でもまあ、確かにそれは後でいいか。それよりも今は。
「積もる話もあるだろうから……とりあえず家来るか?」
「……はい!」
そうして約一年ぶりに彼女と下校する。
今までとは俺の学年も、彼女の容姿も、二人の立場も関係もすべてが違う。
そんな中俺たちは、前と同じように二人並んで……しかし前とは違って、手を繋いで帰ったのだった。




