残業のお供は、コンビニスイーツとホットスナック
「あ、田中さん。お疲れ様です」
「あっあぁ、お疲れ様です、山田さん。この後の打ち合わせ、よろしくお願いします」
21時45分。オフィスビル1階のコンビニでレジに並んだら、22時からの打ち合わせ相手にばったり会ってしまった。「ここから1時間打ち合わせか、疲れたわ」という顔でいたので、急に笑顔全開で声をかけられてどぎまぎしてしまう。気づかなかったふり、してほしかった。ましてそんな輝いた表情を向けないでほしい、眩しすぎる。
「田中さんも買い出しですか。この時間に仕事だと、なにか食べたくなりますよね」
「そうですね、それぐらいしないとやってられないっていうか…」
「はは、わかります、それ」
レジが進まないので、どうでもいい会話でやり過ごす。どうやら、こんな時間に宅配の荷物を預けようとしている奴がいて、なにやらバタついている。オフィスビルのコンビニは22時閉店だから、駆け込んできたのだろう。正直、これからまだまだ仕事をする身としては、コンビニも一緒に頑張ってほしいと勝手なことを思ってしまう。
「あれ、でも田中さん、手に持っているのは缶コーヒーだけじゃないですか。なにも食べないんですか」
「いえ、私はホットスナック党なので。レジで油の塊を買ってやろうと思います」
「チキンですか?確かに、夜食べたくなるジャンクフードですよね」
「そういう山田さんは、甘党なんですか?カゴの中、甘いものだけですよね…」
カフェラテ(加糖)、シュークリーム(大)、チョコレートクッキー(お得パック・個包装)、フルーツゼリー(ビッグサイズ)に、生クリームたっぷりのプレミアムロールケーキ。コンビニで800円以上の会計になると贅沢し過ぎた気持ちになる私には、とてもできない大人買いだ。ちなみに、一度の会計で甘いものが2つ以上入るのも、贅沢と認識している。
「そうなんですよ。僕お酒飲めないけど甘いもの好きっていう、典型的な甘党で。あ、レジ先に行きますね」
はーい、と適当に見送る。そうか、たしかに飲み会でも、山田さんはほとんどお酒を飲まない。次に誰かが辞める時の送別会は、デザートメニューの充実した店にしようか。店を予約して開催する飲み会なんて、送別会くらいだ。
といっても、もう中途入社3年目の私が幹事をすることはあまりない。離職率が高い弊社のような広告代理店で、3年目は立派なベテランだ。後輩の誰かが、飲み会の幹事みたいな雑務をやるんだろう。そんなどうでもいいことを考えながら、「お待ちの方どうぞ―」という声の方へ向かった。
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会計を終えてコンビニを出ると、山田さんが待っていた。別に、先に行ってくれて良かったのに。そうすれば、オフィスのフロアへ上がるエレベーターの中で、こっそりチキン食べられたのになぁ。むしろ、そうしないと22時からの打ち合わせ、間に合わないじゃないか。
「田中さん、打ち合わせ15分からにしませんか。もう22時まで5分とないし、この時間なら後のスケジュールもないですよね。どうせなら、お互いゆっくり食べてからにしましょうよ」
「まぁ確かに今日は山田さんとの打ち合わせが最後ですね…。ではお言葉に甘えて、そうさせてください」
「ありがとうございます!ふたりだけの打ち合わせだと、こういう時柔軟にできていいですよね」
チン、と効果音とともに到着したエレベーターに乗り込む。2年先輩の山田さんを立てるべく、私はフロアボタン早押しの術を披露した。先輩を煩わせないのが、可愛がられる後輩だ。
「今他に誰もいないから仕事の話しちゃいますけど、この後の打ち合わせって食品系ですよね。田中さん、取材どうでしたか」
「訪問したのは本社だったので、普通ですよ。工場とか、倉庫とか見られたら面白かったんですけどね。そういうのはこんな都心にないですし、取材相手はホワイトカラーの人たちでしたから」
「あぁ、完全にオフィスだけなんですね、本社は。でもまぁ、HPのイカフライの写真見ただけでお腹鳴ったから、僕が取材同席して工場行ったらしんどかったかもなぁ」
「いやー冷凍食品専門ですよ、ここ。仮に見られたとして、工場もどこまで入れてくれるか。今回は業務用専門だったのが、個人向けオンラインストアを始めるっていうので出す広告記事ですし、そこまで製造工程は見る必要ないから…」
「まぁ、そうなんですけどね。僕はなかなか現場に行かないで、社内でコピー書いてばっかりだから、やっぱり取材に行くディレクターさんには色々聞きたくなっちゃうんですよ」
普通、ディレクターというとベテランが就く「役職」ともいえる立場だが、弊社のディレクターはあくまで「職種」。役割に与えられた名前に過ぎない。なぜそんな文化が生まれたのか不思議だが、それでうまく回っているからもっと不思議だ。弊社7不思議のひとつかもしれない。
そして7不思議の2つ目が、山田さんのような存在だ。取材からライティングまで対応するコピーライターも多いが、山田さんは基本的に取材をしない。本人曰く、コミュニケーション力がないからだそうだが、絶対に嘘だ。他のコピーライターの方がよっぽどヤバイ。多分、あちこち外出すると、じっくり考えたり、部下の記事へフィードバックしたりする時間が取れないからじゃないか、と個人的には思っている。
山田さんが行ってくれない分、ディレクターの私ががっつり取材もすることになる。通常なら制作上のスケジュール調整や、顧客折衝メインで行うはずのディレクターが取材もすれば、当然通常より仕事量も増えてしまう。でも、私は自分で取材する方が、相手を深く知り、気持ちを込めて仕事ができる気がして好きだから、いいのだ。
そして取材好きなディレクターと取材しないコピーライターの組み合わせは多くないので、結局山田さんとは常に何かしらの案件で組むことになる。こうして、今に至るというわけだった。
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その後も当たり障りのない話をしながら高層階でエレベーターを降りて、オフィスに入る。ノートPCを取りにお互い自席へ戻った私たちは、打ち合わせスペースに再集合した。コンビニでの戦利品も一緒に。
「じゃ、いただきまーす」
「いただきます」
22時5分、コンビニ飯で夕食。なかなか侘しい。しかも、どう考えても健康に悪いコンビニチキン。
アラサーの女なんて、もっと大人の美しさを誇るような華やかさがあってもいいじゃないか。鏡に映った「普通の会社員」を見るたびにそう思うが、毎晩コンビニでチキンを買っているからこうなっても仕方ないだろう。内側からにじみ出るような輝く美しさは、きっと油や脂質に吸い込まれて消えてしまったんだ。
「こんな時間に、コンビニスイーツ食べまくる大人になるとは思わなかったなぁ」
紙パックにストローをさしてカフェラテ(加糖)を飲みつつ、シュークリーム(大)を頬張る山田さんがしみじみつぶやく。ちょっと待ってほしい。よくそんな組み合わせで食べれるな。口の中が甘くて死にそうにならないのか。そもそもカフェラテの加糖を買うなんて信じられない。
思わず、頭の中で甘党を全否定しにかかってしまった。でも、山田さんの食の好みは全く共感できないが、ボヤキ自体には共感しかない。
「あー、わかります。私もなんかもっと、理想の暮らしをしていると思っていましたよ。素敵なインテリアの家で料理したりして」
「あぁ『丁寧な暮らし』みたいな感じ?でも田中さん、なんとなくちゃんとしてそうだけど。デスクがいつも綺麗だから、家も整理整頓されてそう」
「22時から打ち合わせ組むような奴が『丁寧な暮らし』なんてしていると思います?まぁ掃除とか片づけは、それがストレス発散になるからやっている方ですけど」
「たしかにこんな時間まで仕事してたら、丁寧ななんちゃらとかやっている暇ないか。でも家のソファは洗濯物置き場になっている僕からしたら、片づいているだけで十分ちゃんとしてると思いますよ」
ははは、と適当に笑いながら、完食したチキンが入っていた紙袋を丸める。そして2つ目の紙袋に手を伸ばす。最初はプレーン味、次はスパイシー味、最後にチーズ味で〆るのが、私のコンビニチキンの味ジャーニーだ。ちょっとずつ違う味だけど、どれも油っぽいことには変わらない無常さを嚙み締める。
学生時代はチキンを1つ買うだけでとんでもなくお金を使った気がしていたが、今は3つも買えちゃう自分がいる。すごいだろ社会人。まぁこんな時間まで働くほど仕事しているんだから、そのくらい買えるお金がもらえなきゃ困るんだけど。
「しかし田中さん、チキンばかり3つってすごいですね。飽きないの?」
「え、甘いものばっかりの山田さんがそれ言います?」
「たしかに」
今度は山田さんがはははと笑いながら、フルーツゼリー(ビッグサイズ)の蓋を開ける。気づいたら、シュークリーム(大)とプレミアムロールケーキは既にテーブルから消えていた。
「山田さんって、そんなに甘いもの好きなのによく太らないですね」
「確かに食が細そうって、よく言われますね。休みの日に軽く運動しているからかな。あと、移動するときはできるだけエスカレーターじゃなくて階段使うとかして、少しでも脂肪を落とそうとはしていますかね」
「え、真面目。どこから来るんですか、そのモチベーション。休みの日なんて疲れて寝てますよ、私」
「うちの会社は田中さんみたいな美人が多いから、僕も少しは外見に気を遣った方がいいかなと思いまして。それに僕は新卒採用の面接官とかもやるし。カッコいいコピーライター感出した方が、良い子が採用できるかなって」
「ミーハーな子が採用できる、の間違いじゃないですか、それ…」
山田さんはいつも着ている白シャツが似合う、いかにもコピーライターというようなインテリ風メガネ男子だ。いや、30過ぎの立派な大人に「男子」はないか。そして頻繁に仕事で組むうちに、時々軽口を言うようになった。そのせいで私の所属部署では勝手に山田さんとの仲を噂されているから、ちょっと困る。確かに他の人より距離感近いのは事実だが、あくまで一緒に仕事をする機会が多いからであって、他意はないのだ。うん、今日もチーズ味のチキンが美味しい。
「ミーハーでもいいんですよ、仕事頑張ってくれれば。その分、僕はやりたい仕事だけに集中できるようになると嬉しいなぁ」
「打ち合わせの案件、イカに強みがある食品加工会社さんです。甘いもの一切ないですけど、やる気だしていただけます?」
「もちろん、いただいた仕事はきっちりやらせていただきます。イカフライ、カラマリ、塩辛、イカそうめん。イカって美味しいですよね。それにしっかり取材してきてくれる田中さんの案件は、僕も書いていて楽しいですし」
「ありがとうございます。私の案件がいつもうまくいくのは山田先生のコピーのおかげです」
「またまた~」
お互い変な芝居を打ちつつ、褒め合う。からかうようなことをいう山田さんの真意はわからないが、山田さんのコピーが素晴らしいのは事実だ。社内で評判の高いコピーライターのなかでも、私は山田さんのセンスが一番好きだった。
そんな山田さんは、打ち合わせのたびに私の取材ぶりを褒めてくれる。営業や取引先などに挟まれてしんどいディレクターの身としては、優しい声をかけてくれる先輩の存在はありがたいとしか言いようがない。
「そうだ、田中さんよかったら、これどうぞ。頭を使う時には、甘いものも必要ですからね」
フルーツゼリー(ビッグサイズ)をも完食した山田さんから、個包装のチョコレートクッキーを1つ手渡される。夜のコンビニチキンと残業の日々は理想の暮らしとは程遠いが、優しい先輩がいる会社員生活は悪くない。
「ありがとうございます。じゃあ、少し時間過ぎちゃいますけど、クッキー食べたら打ち合わせ始めさせてください」
22時20分。少しでもいい広告で顧客のニーズに応えるため、今夜も知恵を絞る。
お読みいただきありがとうございました。私はホットスナック党です。なお、この話はフィクションです。