芯が刺さった
見つけていただきありがとうございます。
「いたっ」
僕は指先に感じた痛みに小さく声を上げた。手を見ると、左手の人差し指に折れた黒い芯が斜めに刺さっている。どこに刺さったかが分かったらじんじんと痛みが増してきた。鉛筆の芯が刺さってしまった。
いくら苦手な算数の時間だからって鉛筆をいじって遊ぶんじゃなかった。しかも、今日の鉛筆は朝削ったばかりだからすごくとがっていた。周りをきょろきょろと見ると、みんなは真剣に分数の計算をしてる。
チョークで汚れ、白っぽくなった黒板には練習問題が書いてある。いつも担任のみなちゃん先生は日付から答える人を指す。
今日は、、、あー僕だ。
ちょうどそのとき、みなちゃん先生の明るい声が教室に響いた。
「はーい、みんな解けましたか?では今日は、、、森山くん、前に出て解いてください」
全然解いてない。どうしよう。うつむいて自分の指先をいじる。いたい。抜けない。芯はどんどん奥に刺さって、血もぷっくりとふき出してきた。
「どうしたの?」
みなちゃん先生は眉をひそめ、前に出てこない僕に声をかけた。そして僕の机の上に広がったまっさらなノートを見つける。
「森山くん、分からなくてもノートはちゃんととってね。、、あら、指どうしたの?血が出てるじゃない」
その言葉に隣のたかしが大声を出す。
「えっ、うわっ!お前ちー出てんじゃん!」
その声でクラス中がざわざわし始めて、僕の方に集まってきた。
まりかちゃんも見に来てた。痛そうって顔を曇らせてる。こんなに注目を集めることがない僕はどうしたらいいかとさらにうつむき人差し指をいじってしまう。
「みんなは席に戻りなさい。痛そうね、保健室行く?」
先生は僕の芯の刺さった指先を持ち上げて問いかける。
ラッキーかも。問題解かなくて済む。
僕は小さくうなずいた。
僕の反応を確認したみなちゃん先生は
「じゃあ、保健委員さんついていってあげて」
と呼びかけた。
ただ鉛筆の芯が刺さっただけだし、ひとりで行けるのに。そう思っていたら、まりかちゃんが人の輪から一歩前に出てきた。
そっか、まりかちゃん保健委員だった。
まりかちゃんに付き添われて保健室に向かう。僕はゆうと君みたいに足が速いわけでもないし、いちろう君みたいに勉強ができるわけでもないから、まりかちゃんと直接話せる機会なんてほとんどない。
まだ授業中で静かな学校の廊下には、僕らの上履きが鳴る音だけが響く。
クラスのマドンナのまりかちゃんと二人だけ。さらさらの長い髪が僕の隣で揺れてる。身長はまりかちゃんの方が少し大きい。僕は少しだけ、姿勢よく歩こうとした。
「あ、ありがとう。ついてきてくれて」
「ううん、保健委員さんの仕事だからね。それより大丈夫?」
そう言ってまりかちゃんは僕の顔を覗き込む。
ふわっと花のような香りとまりかちゃんの不安そうに揺れた大きな瞳が僕の顔の前に現れた。
「、、っ、だいじょぶ。鉛筆の芯が刺さっただけだから」
「そっか、血まだ出てるね。これ使って」
まりかちゃんは僕の手を取って、ポケットに入っていたティッシュを取り出して僕の指を覆う。
ティッシュからは甘いバニラの香りがした。
「ありがとう」
僕は、その一言しか言えなかった。
保健室につくと、いつもにこにこしている保健室の先生が慌てて駆け寄ってきた。
ピンセットを使ったり、指で押してみたりしたけど、芯は抜けなかった。
それどころか、先生が芯を抜こうと必死になって力を強めるから僕はまりかちゃんの前で泣きそうになってしまった。
「抜けないわねえ」
ハンカチで顔の汗をぬぐいながら先生は言った。
僕は先生の言葉に何だかちょっとほっとした。
抜けないから、ティッシュで血を抑えて過ごすようにと言われて教室へ戻る。まりかちゃんはポケットティッシュをまるごとくれた。教室へ戻るまでは、行きより緊張しないでまりかちゃんと話ができた。
まりかちゃんは、給食の中だと焼きプリンタルトが一番好きなんだって言ってた。そう言って恥ずかしそうに笑う顔がまりかちゃんはすごく可愛かった。
僕の顔が赤かったのがばれてないといいけど。
その後は、みんなに心配されながら放課後まで過ごした。
給食当番をたかしが代わりにやってくれたり、いつも僕しかやらない雑巾がけをはき掃除と交代してくれたり。みんながすごく優しかった。
こんなこと今までは、いっっちどもなかった。
帰り道、友達と十字路で別れると、今日のみんなを思い出して顔がゆるんで足取りも軽やかになった。
休んだから使わなかった体操服を大きく揺らしながら、スキップで家に帰る。
「ただいまー!」
「おかえりー」
お母さんは韓国ドラマを見ながら夕飯の準備をしていた。テレビでは女の人たちがつかみ合いながら喧嘩している。これのどこがおもしろいんだろ。
お母さんの後ろの方では圧力鍋がしゅーしゅーと音を立てている。今日はカレーかな。
「やけに楽しそうね。彼女でもできた?」
「そんなわけないじゃん!」
なんでそんなこと聞くのさ。僕にとっては話をするだけでもどきどきするのに。
「今日さー、指に鉛筆の芯が刺さったんだよ」
僕は帰り道のふわふわ浮かんだ調子のまま、お母さんにそう言った。
ソファにどさっと音を立ててランドセルを置くと、手を洗いに洗面所に行く。
「へえー、そう、、って、えっ?刺さった?!」
僕が手をきれいにしてリビングに行くと、お母さんは救急箱を膝に置いてソファで僕を待っていた。
「どこに刺さったの、もうあんたって子は」
僕はまだティッシュで覆っていた指をティッシュごと見せた。ティッシュがめくられると、血が止まり黒い芯が刺さっているのが見えた。思ったより長い芯だった。指の側面にうっすらと芯が透けている。ティッシュにはもう甘いバニラの匂いはしなかった。
お母さんはそれをじっと見てから、救急箱からピンセットを取り出した。
「抜くの?保健室の先生でも取れなかったんだよ?」
あの昼間の痛みを思い出して、僕は手を引っ込めようとしたけど、すぐに捕まえられた。
「抜くわよ。でも抜かないといつか刺さった芯が心臓までいって死んじゃうわよ。それでもいいなら、いいけど。どうする?」
お母さんは僕の手をつかんでそう言う。
死んじゃうのは嫌だ。けど、抜いたら、今日のみんなは、、、
僕はうつむいて、Tシャツの裾をぎゅっと握った。
「ほら、どうするの」
さっきより柔らかい声でお母さんがもう一度聞く。
「、、、抜く」
お母さんは僕の頭を何度か撫でてから、芯の取り除きにかかった。
「ほら抜けたわよ。もー男の子なんだから泣かないの。すぐ終わったでしょ?」
そう言ってお母さんは僕を膝の上にのせて慰める。
目の前がぼやけて何も見えない。付けっぱなしのテレビからも、さっきの女の人たちの泣き声が聞こえてきた。
芯は折れずに全部抜けた。左手の指にはかっこいいヒーローのばんそうこうが巻いてある。
「もう鉛筆を変な使い方しないのよ。じゃないとお小遣いから鉛筆代引くからね。分かった?」
「分かった」
僕は頷きながら返事をした。
「じゃあ、お母さん夕飯つくるから。今日はカレーよ。できるまで宿題してて」
「うん」
僕をソファに座らせたお母さんはまたキッチンへと戻っていった。圧力鍋はさっきより大きくしゅうしゅうと音を立てて蓋をかたかたとゆらしていた。
自分の部屋に戻ると、僕はベッドに体を放った。ボスンッと体が跳ねて芯を抜いたばかりの指先が少し痛んだ。
左手を持ち上げて眺める。天井のオレンジの灯りで影ができて何も見えない。体を起こし、勉強机に移動する。
机の白っぽいライトをつけてまた左手を眺めた。
手を見ていると机の上に僕の中指くらいの長さしかない先の丸まった鉛筆があるのを見つけた。
今日は新しい鉛筆を持って行ったから置いていったのか。
僕はなにも考えず、その鉛筆を鉛筆削りで削った。しばらくすると鋭くとがった鉛筆が一本、僕の手の中にあった。
ばんそうこうの貼ってある指先鉛筆の先でなでる。お母さんが消毒したアルコールのにおいが鼻をつんっとさせる。
抜けちゃった。今日あったことは全部刺さった芯のおかげだったな。
明日学校に行ったら皆はなんていうだろう。きっと今日みたいにはならない。
なんだか胸のあたりがきゅっと苦しくなった。鉛筆の先には黒い芯の粉が少しついてライトの光で鈍く輝いていた。
指でつんつんと鉛筆の先をいじる。鋭くて力をちょっと入れただけで、また刺さってしまいそうだ。
また芯があれば、まりかちゃんと話せるのかな。みんなが僕に優しくしてくれるのかな。
だから僕は、、、
読んでいただきありがとうございました。




