初めてのエンカウント
【ギヌンガ草原】を西の方角に向かって歩くこと、約1時間。
少し高い丘になっている場所に色とりどりの花が咲く地帯にたどり着く。
その花が咲き誇る場所こそ、【ヘレニムの花畑】という植物の楽園である。
今回の依頼品であるキミア草を始め、さまざまな用途で使われる植物が群生しているのが特徴だ。
そんな場所にアテラスがたどり着いたのは、太陽が傾き始める直前だった。
「わぉ、これは予想以上に広いわね。」
アテラスは丘に広がる花畑に思わず驚嘆した。
誰かが手入れしている訳でもないのに、見映えの良いように生えそろった草花は彼女の世界なら観光スポットとして注目を集めただろう。
「この中から特段の特徴がない薬草を探すのは骨が折れそうね。」
ため息を溢しながら、ムニンが貸してくれた本を広げる。
本にはよく採取依頼の対象になる植物が絵と解説付きで載っているので、非常に有難い。但し、この世界の文字で書かれているのでアテラスの場合は解読しながらになるが。
(絵を見る限り、花を付けない植物みたいだけど……)
しゃがみ込み、片っ端から花を付けていない植物を調べる。
しかし、すぐに挫折してしまう。まだ成長途中で花を付けていないモノも生えているので、一つ一つ調べていくと、日が暮れてしまうことに気付いたからだ。
諦めて、アテラスは近くの樹の根本に腰を下ろして、文字の解読に取り組むことにした。
身体が縮んだ影響で脳も若返った影響か、文字の解読は時間と共に早くなっていく。
キミア草の特徴を解読するまでにそれほど時間は掛からなかった。
「よし!! 今度こそ、キミア草を探し出すわよ!!」
気合を入れて立ち上がり、アテラスが向かったのは鮮やかな花が咲き誇る場所……ではなく、森林地帯の入り口付近。つまり、太陽の光があまり当たらない場所だ。
どうやら、キミア草はよく日光が当たる場所ではなく、日照時間が短い場所に生える植物らしい。そして、【ヘレニムの花畑】の隣には鬱蒼と広がる森林地帯が存在しているため、その近くにキミア草がよく育つ。
「あっ、これかな?」
そして、探せば良い場所が分かった途端、目的のモノはすぐに見つかった。
生い茂る樹木の影に隠れて群生しているシダ植物のような草こそ、傷薬の原料として重宝されているキミア草である。
「これを5本持ち帰れば依頼終了、と。多めに持って帰ろうかな?」
丁寧に根っこからキミア草を引き抜くアテラス。
納品数は5本なのだが、薬屋に持っていけば傷薬にしてくれるということなので余分に採取する。
「ん?」
すんすんと匂いを嗅いでみると、何処からか漂ってくる甘い匂いが鼻孔を刺激する。
砂糖とかの香りではなく、どちらかと言うと熟れた果物のような香りだ。
「森の奥から、かな? 何の匂いだろ?」
ふらふら、と蜜の匂いに誘われる蝶のように森の奥へ入り込む。
その瞳は夢遊病者のように虚ろで、足取りも酔っ払っているかのように千鳥足だ。
彼女を魅了する甘い香りの発生源はそれほど離れておらず、まだ森林地帯の入り口から射し込む日光のおかげで薄暗い程度で済んでいる。
そして、匂いの発生源は樹の根本に咲く巨大な花。
大きさは小さい子供なら包み込めるほどで、中心にあるおしべ・めしべの辺りから甘い匂いを放出しているらしい。
「……はっ!? い、今意識が完全に飛んでいたわ!!」
巨大な花の間近に来た瞬間、虚ろだった瞳に色が戻る。
そして、状況を把握するよりも前に大きな羽音がアテラスの耳に届いた。
イヤな予感を覚えつつ、視線を上に向けると紺色の瞳とぶつかった。
羽音の正体は球体に近い体格の蜂。
サイズはバスケットボールよりも一回り程大きく、アテラスのよく知る蜂が黄色なのに対し、目の前の巨大蜂は闇に溶け込むような黒い体色であった。
「えっと……さようなら!!」
すぐさま踵を返して、猛ダッシュ。
持てる力を出し切って、森を駆ける。しかし、巨大蜂の方が速く、森の入り口に差し掛かる頃には蜂の毒針の射程範囲まで近づかれてしまった。
「生身だと思ったら、大間違いだよ!!」
全速力で駆けていた身体に急ブレーキを掛けて、同時に一回転。
その反動によって、尾てい骨から生える尻尾が巨大蜂に向かって放たれる。
「ちっ……」
巨大蜂を切り裂くつもりの攻撃は空振りに終わる。
そのお返しと言わんばかりに巨大蜂は毒針を向けて、突撃してきた。
「このっ!!」
避けるのが間に合わないと判断したアテラスは両翼に意識を集中させる。
一対の翼をカーテンのように身体の前で閉じると、出来上がったのは即席の盾。
その表面は尾っぽと同じ頑丈な鱗に覆われているため、生半可な刃物では通らない。巨大蜂の毒針も防いでしまう。
「お返し、よ!!」
盾に驚いている間に左拳が巨大蜂に突き刺さる。
アテラスの攻撃は見事に紺色の複眼に命中し、怯む。
「もう一回!!」
そして、その隙に再度身体を一回転。
エメラルドグリーンの刃が今度は巨大蜂の身体を真一文字に切り裂いた。
「はぁ……はぁ……心臓に悪いわ。」
敵を倒したことで緊張の糸が途切れ、思わずその場にへたり込む。
(この翼が無かったら、毒針に刺されて危なかったな。)
翼でカーテンのように身体を守る術は実を言うと、監禁されていた時に編み出したモノだ。
ゲスクード元侯爵に監禁されていた時、衣服は与えられず一糸纏わぬ姿で囚われていた。そのため、少しばかりの抵抗として翼で裸体を隠そうとしていたのである。
このように身を守る盾として使うことは想像していなかった。世の中、何が役に立つことになるのか分からないモノだな、とアテラスは思った。
「初めて見るけど、これが魔物……なのよね。こんな生物が跋扈してるなんて改めてとんでもない世界だわ。」
この世界では、ありふれた存在である危険生物――魔物。
普通の動植物が【魔素】という目に見えない物質に汚染され、変異を起こしたのが魔物の正体らしい。危険度は様々らしく、中には都市1つを滅ぼすことができる個体も存在するとのこと。
ちなみに、それを聞いたアテラスの感想は「よく人間が生き残れたな。」である。
「取り合えず、この巨大蜂の素材も持って帰らないと……」
落ち着きを取り戻したアテラスは巨大蜂の羽と毒針をむしり取る。
こう言った魔物の素材は防具の材料に使われたり、薬の材料に使われたりするため、専門のお店に持っていけば買い取って貰えるのだ。
「えっと……目的のキミア草はちゃんと5本あるわね。余分に採ったのもちゃんとあるし、今日はもう撤収しましょうか。」
そう呟き、アテラスは【ヘレニムの花畑】から撤収するのだった。
■ ■ ■ ■
「は~い。それでは、報酬の400マルクになりま~す。」
フォドラの街に戻ったアテラスは早速ムニンの下を訪れ、報酬を受け取った。
もちろん、竜人族であることを隠すため、翼は縮めてベールの中に隠されている。
「ありがとうございます。それと、これの買い取りもお願いできますか?」
そう言って、アテラスはカウンターに巨大蜂の羽と毒針を置く。
すると、のほほんとしているムニンは垂れ目を大きく見開いた。
「えっと……これ、アテラスちゃんが倒したの?」
「はい。」
「確かに駆け出しでも倒せない相手じゃないけど、無傷っていうのは……」
チラリとアテラスの全身を見つめるムニン。
帰り道は特に魔物に襲撃されることもなかったので、汚れたのは土を弄った指先ぐらいだ。
「アテラスちゃん、よく対処できたね。」
「どういうことですか?」
「アテラスちゃんが倒した蜂はトラップ・ビーっていうモンスターでそんなに強くないんだけど、結構苦戦する駆け出しが多いの。」
ムニンが言うには、巨大蜂ことトラップ・ビーは甘い香りを放つ花の真上に巣を作り、獲物が香りに釣られてきた所を襲い掛かる魔物らしい。
毒を持っているが、それほど強い毒ではないため、即死することはない。しかし、毒を注入されるとしばらく動けなくなってしまうため、その間に他の魔物に襲われたり、血を吸われたりするそうだ。
「しかも、誘き出す時に使う花の香りには催眠作用があるからもっとも厄介。匂いを嗅いだ瞬間、催眠に掛かってトラップ・ビーの下まで一直線。解けた時は毒にやられて行動不能の鉄壁コンボになってるの。」
(俺の場合は催眠が効きにくかったのか? 何せ、ドラゴンって生半可な状態異常は効かないイメージがあるし。)
「――――っと、まあトラップ・ビーについてはここまでだね~」
(あ、口調が元に戻った。この人、どっちの方が素の性格なんだろ?)
「さて、トラップ・ビーの素材は……合計200マルクだね~」
「あんまり高くないんですね。」
「トラップ・ビーは厄介だけど、危険度は高くないからね~。それに、針と羽はあんまり価格が高くないんだよ~」
「なるほど……勉強になります。」
「どういたしまして~。それで、アテラスちゃんはギルドの仕組みは分かったかな~?」
「はい。」
「分からないことがあったら、遠慮なく訊いてね~。
他の冒険者も親切な人ばかりだから、色々教えてくれるよ~。ねぇ、みんな」
ムニンはギルドに居る冒険者たちに問いかけると、聞き耳を立てていたのか、皆が「おうっ!!」と元気よく応える。
「ん~……まだ陽が高いね~。アテラスちゃんは今日どうするの~?」
「屋敷に戻ります。貰ったこの本に目を通しておきたいので。」
「勉強熱心だね~。それじゃあ、お姉ちゃんによろしく言っといて~」
「分かりました。」
こうして、初めての報酬合計600マルクを持ち、アテラスは間借りしているアレクシスの屋敷へと帰るのだった。