領主との面会
侍女たちに連行され、強制的に身なりを整えさせられた照がアレクシスとの面会許可が下りたのは屋敷到着からおおよそ3時間が経過した時のことだった。
到着した時はまだ日が高い所にあったのだが、身なりを整えさせられている間に太陽は地平線の下に完全に隠れてしまっている。
「思ったより時間が掛かってしまいましたね。」
「……」
コツコツと靴の音だけが響く廊下を侍女頭と照が歩く。
“向こうの世界”にある大学のキャンパス並みに広い宮殿だと言うのに、此処に来るまでにすれ違った人は極々僅か。
「ワタシを着せ替え人形にしなければ、もっと早く終わったのでは?」
「いえいえ。このような愛らしい子を着飾らないなんて、侍女頭の名が廃ります。」
前を歩く侍女頭をジト目で見つめても、当の本人は達成感に満ちていた。
広い浴場に放り込まれて、全身の汚れを徹底的に落とすのに約30分。残りの2時間半の時間はアレクシスに面会するにあたっての衣装選びに費やされた。
本来なら侍女たちが選んだ衣装を着るだけで済む筈が、衣装選びに参加した侍女たちの意見が対立。結果、侍女たちによる衣装コンテストが催されるような形になり、今の今まで時間が掛かってしまったのだ。
(それにしても、歩きにくい。もう少し丈が短いモノがよかったのに……)
現在、照が身に纏っているのは赤と白を基調にした古風なドレス。
長い赤スカートはくるぶしぐらいまで届いており、歩き方に気を付けていないとつま先が引っかかって転んでしまいそうだ。
もちろん、本人は元が男性であるのでアレクシスが着ていたような衣装を希望したのだが、侍女たちによって却下された。
「さて、ここがアレクシス様の執務室になります。心の準備は大丈夫ですか?」
「はい。」
「まあ、アレクシス様はあまり言葉遣いなどを気にしない御方なので、そこまで緊張する必要はないですよ。」
執務室の大きな扉をノックした後、侍女頭に先導される形で室内に入る。
中では当然この宮殿のような屋敷の主たるアレクシスが仕事に勤しんでいるのだが、彼の机の上には漫画でしか見ないような量の書類が絶妙なバランスで積まれていた。
「あら……予想以上に量が多かったみたいですね。」
「ああ。今回の摘発でこの町の闇を一掃できたのは良い事なのだが、予想以上に貴族の数が多かった。」
「まったく嘆かわしいことだ。」とアレクシスはため息を溢した。
「では、改めた方がよろしいですか?」
「いや、先に其方の案件を解決させよう。」
アレクシスは仕事の手を止めると、応接用の席につくように促す。
言われるがままに照が席に着いて、アレクシスも席に着いた所で話し合いが開始された。
「さて、君はこれからどうしたい? やはり、元の世界に戻りたいか?」
「そもそも戻る方法が確立されているんですか?」
「1つだけ。運次第になるが、元の世界に戻る方法は存在する。」
彼が言うには、照の世界とこの世界が繋がる場所が稀に発生する。
多くの異界人はその領域に足を踏み入れることでこの世界に迷い込む。逆に、その場所を使えば元の世界に戻ることも可能だと言う。
「私も異界人が元の世界に帰るのを見たことがある。故に、帰る方法がまったくない訳ではないが……どうする?」
「今は帰りたくても帰れません。この姿は向こうで暮らすにはあまりにも異質過ぎます。それに……もう1つ、帰れない理由があります。」
「ふむ……差し支えなければ、その理由を聞いても良いかい?」
「この世界に妹が迷い込んでいる可能性があります。あの子を見つけるまで帰れません。」
ゲスクードの屋敷に監禁されている時、不意に思いついたことがあった。
神隠しに遭い、家族・知り合いの前から姿を消した妹の天草 時羽。
多くの人が手を尽くしても終ぞ手がかり1つ見つかることがなかった彼女だが、「もしかするとこの世界に迷い込んでいるのでは……」と照は考えたのだ。
妹がこの世界に迷い込んでいるとすれば、元の世界で何一つ手がかりが見つからなかったことも、友人の妹だけが戻ってこれたことも辻褄が合う。
「確かに、この世界には多くの異界人が迷い込んでいる。その中に君の妹が居る可能性も高いが、茨の道だぞ?」
そう言って、アレクシスは侍女頭に銘じて、“ある物”を持ってこさせる。
「これは此処、冒険都市フォドラが存在するパノティア大陸の地図だ。」
アレクシスは地図を交えて、パノティア大陸を取り巻く状況を教えてくれた。
パノティア大陸には3つの大国が存在しており、拮抗状態を保っている。
ヒト族のみで構成され、人間至上主義を掲げるアルフェッカ聖国。
魔人族のみで構成され、魔神信仰を掲げて大陸統一を目指すグロアス魔国。
そして、調和を重んじる多民族国家であり、フォドラがあるプロキシマ神国。
「他にも、未開領域もある。異界人が現れる場所に法則性がない以上、1人の少女を手掛かり無しに探すのは困難だ。」
「それでも、です。」
アレクシスに忠告されても照は一歩も怯まなかった。
「……決意は固いようだな。それなら私からは何も言わない。」
そこまでで話を区切り、いつの間にか侍女頭が淹れてくれた飲み物に口を付ける。
「さて、ここからは君の立場について話そうか。」
「はい。」
「まず、君は現在私の奴隷という形になっている。そして、現状で奴隷の立場から抜け出すのは難しいとしか言えない。」
「それは……市民権を持っていないからですか?」
「その通りだ。他の子供たちは市民権を持っていたから、国法によって契約を解除することができたが、君にはそれが無い。」
「じゃあ、主を変えることができたのは……」
「ゲスクード侯爵が本人の許諾無しに他者へ奴隷を渡そうとしていたからだ。この場合、領主である私が新しい主になることが決められている。」
(首輪を壊すことはできる。でも、市民権が無いとこの世界でまとも生活を送ることはできない。当面の目標は市民権を手に入れることか……)
「ちなみに市民権を手に入れる方法だが、かなり厳しい。」
アレクシスが言うには、市民権を得るには領主からの推薦状と貴族からの推薦状の2種類が必要になる。しかも、貴族からの推薦状は複数人からのモノを要求される。
「それ、獲得できる条件が厳しすぎませんか?」
「ああ、そう思うだろうな。しかし、貴族と接点を作ることはそう難しいことではない。」
「?」
「この国には“ギルド”という国営機関が存在する。」
(わぉ、RPGにはお約束の組織だ。)
プロキシマ神国にある“ギルド”とは、おおよそ照の予想通りの組織だった。
神国全域から日々集められる要望などを集約し、それを依頼として発行。その依頼を達成した場合、金品を報酬として渡すシステムとなっている。
時折、貴族からの依頼が発行されている場合もあり、貴族との接点を作ることは実力さえあれば難しいことではないらしい。
「それ、奴隷である私でも契約できるのですか?」
「ああ。ギルドの方針は来る者拒まずだからな。だが、その前にやることがある。」
「やること、ですか?」
「この世界の文字を覚えることだ。」
「あ~確かに」
幽閉されていた頃は本を読む機会はあったものの、文字を学習方法が無かったのでこの世界の文字は読めないままだったりする。
「教師の手配はこちらで行っておこう。君はもう休むと良い。」
「分かりました。お言葉に甘えさせてもらいます。」
「ユルン。彼女を部屋まで案内してさしあげろ。」
「かしこまりました。」
(あの人、ユルンって名前なんだ……)
「それでは、アレクシス様。あまり無茶はなさらないように。
失礼します。」
「失礼します。」
照は再び侍女頭ユルンに先導され、執務室を後にした。
仕事部屋に1人残されたアレクシスはつい先ほど――照たちが入室する前に届けられた報告書に目を移す。
その報告書はゲスクード侯爵の屋敷に向かわせた部下からの急ぎの報告書だった。
「屋敷は全焼。特に地下室は念入りに焼かれていた、と。
よっぽど私に見られたくないモノがあったのは間違いないが、行動が早いな。」
ゲスクードがオークション会場に居たのは、主催者からのタレコミで判明している。
アレクシスの私兵たちが会場に突入し、何とか逃げおおせたとしても屋敷の地下にある機密情報を跡形もなく消し去るのは不可能だというのが彼の見立てだった。
しかし、現実は残酷だった。
ゲスクード本人を捕らえることはできず、照に投与されたという薬品を見つけることもできなかった。少なくても、このフォドラで何か悪巧みをしていたのは間違いないが……
「可能性としては何者かの手助けがあったと考えるのが妥当か。だとすると、一体誰が手助けをしたというのだ? 」
アレクシスが再度報告書を読み直すが、推測する材料はまったく得られない。
「……分からないことを考えていても仕方ないか。」
そう呟き、アレクシスは書類仕事に戻るのだった。
■ ■ ■ ■
その頃、冒険都市フォドラの南側に広がる森にて。
「くそっ……まさか儂がこのような目に遭わされるとは!!」
怒り任せに樹の幹を殴るのは、オークション会場から何とか逃げ出したゲスクードだった。
上質な衣服は手入れをされていない森を歩いている間に所々破れた箇所があり、あちこちに泥が付着してしまっている。
「だが、それ以上にマズいのは“あの素体”を押収されたことだ!!」
ゲスクードは悔しそうに親指の爪を噛む。
屋敷の地下で秘密裏に作り上げていたホムンクルスは彼にとって、命よりも大事なモノだった。あと少しで完成に至りそうな所を邪魔された悔しさは半端ではない。
「最初からやり直すとなると、計画に致命的な影響が出る。それどころか、国を危険に晒してしまう!!」
――――その点は心配ありませんよ、ゲスクード侯爵。
一陣の風と共に若い女の声が森の中に響く。
刹那、力強い羽音と共に上空から巨大な影が侯爵の目の前に降り立った。
「お、おおっ!! どうして貴女が此処に⁉」
「アロケンの占いで不吉な結果が出たので、戦線を一時的に預けて急行しました。本当によかった」
巨大な影――怪鳥とも言うべき大きすぎる鳥の足に掴まって現れたのは真っ白なコートに身を包んだ謎の人物。
フードを深くかぶっているため、顔は分からないが、声の具合からまだ若い女性であろうことが推測される。
「屋敷に残されていた情報は私が徹底的に抹消してきました。貴方が研究していたことが神国に知られることはないと思います。それと……」
真っ白な装束の人物が指笛を鳴らすと、同じ怪鳥が降りてきた。
その強靭な足には傷つけないよう慎重な力加減で輸送されているモノが掴まれている。
それは、緑色の液体で満たされた大きなカプセルだった。
中にはヒトの胎児と思われるモノが浮かんでいるが、その胎児には翼や尾っぽと言った普通のヒトには存在しえない部位が存在している。
「これを回収しておきました。残念ながら、ラスタバンは破壊するので精一杯でした。」
「いやいや、この素体が無事だっただけで儲けものだ。感謝するぞ、“征服姫”!!」
「喜んでもらえたようで何よりです。それでは、夜が明けないうちに魔国に逃げ込みましょう。」
漆黒の闇に紛れて、2匹の怪鳥がプロキシマ神国から飛び立つ。
残念ながら、そのことを知る者は誰も居なかった。