ヴェーレス防衛戦(後編2)
―――ふむ……妙じゃな―――
漆黒の闇の中――アテラスの精神世界から外の様子を覗き見ていた女性、バハムートはそう呟いた。
外の世界を映し出す円盤の中に映し出されるのは、歪んだ笑みを浮かべる幼い外見の少女。
今となっては見る者に保護欲を掻き立てるような愛らしさはなくなり、ヒトによっては恐怖を抱くような表情で今もなお、闘い続けている。
―――邪魔な封印を取り払い、エテルナも居ない。さらに極めつけは……あの槍。―――
バハムートの視線の先にあるのは漆黒の禍々しい槍。
破壊しても元の状態に戻る不思議な剣を元に鍛え投げられたソレには何故か竜の力を高める能力があった。それによって、アテラスの中に宿る竜の力は最盛期のバハムートも凌ぐ可能性を孕む。
しかし、だからこそバハムートは不思議に思った。
―――あれほど、強大な竜の力を宿すならあっという間に本能に呑み込まておる筈―――
竜の力は強力な反面、竜の本能も内包している。
強靭な精神を持たない者は理性を本能に押しつぶされてしまう。
そして、本能に呑み込まれた竜人族が行き着く先は知性なき魔物。
竜の暴走を鎮める不思議な力を持つことために女神シンモラから遣わされたエテルナは倒れ、アレクシスによる封印も取り払われた。さらに、その手には竜の力を高める不思議な槍。
こんな条件が揃っていながら、アテラスは本能に呑まれることはなく、理性の枷が少しばかり緩くなる程度で済んでいる。
―――そういえば、こやつは此処とは別の世界の住人じゃったな。―――
ふと思い出したのはアテラスの記憶を勝手に漁っていた時に見つけた情報。
彼女が猛威を振るった時代には異界人という呼称もなく、そもそも別の世界からの迷い人自体がなかった。だから、記憶を覗いた時には「世の中、変わったものじゃなぁ」と感心したモノだ。
―――ふむ……ティアマトというこやつの妹と言い、異界の迷い人は不思議な力でももっているのか?―――
自分しか居ない真っ暗な空間でバハムートは1人呟く。
強靭な精神力で竜の本能を抑えつけている可能性もあるが、今まで戦いとは無縁、平和で安全な世界で生きてきた人間が抑えつけられる程、竜の本能は弱くない。何せ、生まれながらに竜の力を宿す竜人族ですら、気をしっかりと持たないと本能に押し潰されてしまう程だ。
それよりかは不思議な力を持っているおかげで精神を保っている方が納得できる。
バハムートはそう考えたのだ。
もっとも、その真偽を確かめる手段は何処にもないが……
―――しっかし、妾と同じ力を持っててもまったく使いこなせておらんな。―――
何も無い漆黒の空間に空気椅子のように腰掛けたバハムートは顎に手を当てて、そんな酷評を述べる。
アテラスに宿る力は在りし日のバハムート本人の力。
最盛期―――かつて、徒党を組んだ神とその身1つで戦った時代の彼女であれば、アポリュオン・ボアなど雑魚に等しい。その牙は硬い甲殻すらもかみ砕き、爪は肉を深く抉ることができた。
今、アテラスが完全にバハムートの力を振るえるのなら猪如きに苦戦を強いられるはずがないのだ。
―――妾が助言をくれてやっても良いが……それではつまらぬな。―――
そして、バハムートが採った行動は傍観。
ミュルグレスとの闘いの時のように助言するつもりは毛頭ないらしい。
それどこか、彼女は何か悪だくみでも思いついたのか邪悪な笑みを浮かべた。
―――ふむ、そうじゃな。こやつに見込みがなければ、この肉体を支配するのも面白い―――
それが意味するのは、《漆黒の暴竜》バハムートの復活。
何の因果か、アテラスと精神が同居するような形になっているバハムートに掛かればアテラスの身体を乗っ取ることもできるらしい。
―――さぁ、見せてみろ。お主の輝きを。妾の復活というシナリオを回避してみせよ―――
そう呟いて、バハムートはクスクスと妖艶な笑みを浮かべるのだった。
■ ■ ■ ■ ■
そして、現実世界では相変わらずアテラスとアポリュオン・ボアと相対していた。
しかしながら、状況は初めの頃から大きく一変していた。
「あはははは♪ さあ、良い声で鳴きなさい♪」
くるりと身体を一回転させて、飛び上がると両手を広げる。
その手のひらには小さな紅蓮の球体が生み出され、その矛先をアポリュオン・ボアに向ける。
両手の球体から発射された2条のビームは鈍間な猪を撃ち抜く。
「ブモモォォォォォォ!!」
頭部を撃ち抜かれているにも関わらず、アポリュオン・ボアは元気一杯。
お返しと言わんばかりに無数の土槍をアテラスに向かって撃ち出してくる。
「“覇竜ノ吐息”」
そして、宙に生み出された2つの爆弾の衝撃波がそれらを薙ぎ払う。
爆発が収まると同時に空気を切り裂いて、突撃したアテラスが敵に強力な回し蹴りをお見舞いする。
頭部を守護する甲殻は破壊できなくても衝撃は透過する。アポリュオン・ボアの身体が少しよろめくが、すぐに立ち直す。
「ブルルルルル……」
「あらあら、そんなに睨んでどうしたの? こんな小さい子に甚振られて悔しいの?」
クスクスと笑いながら相手を挑発するアテラス。
すると、直情的な彼はそれにあっさりと乗っかって、魔法の準備に入る。
恐らくは大技を放つためのチャージタイムなのだろうが、その隙を彼女が見逃す訳がなかった。
「その頑丈な甲殻、そろそろ壊してあげる♪」
翼を羽ばたかせて、大空に飛び上がった彼女の手には魔槍アスカロン。
漆黒の槍は全体に禍々しい赤色の文様が浮かび上がり、バチバチと紫の雷光を迸らせる。
ソレを大きく振りかぶり、勢いよく投擲した。
雷の魔法の力で加速した魔槍アスカロンは観客に徹することしかできないクリスタの眼には紫色の閃光に映っただろう。そして、音速を超える速度まで加速された魔槍は堅牢な甲殻を突き破り、アポリュオン・ボアの頭部に突き刺さる。
あまりの衝撃に巨体が地面に叩きつけられ、小さな地震が起こる。態勢を立て直すその間にアテラスは肉薄していた。
「こんなの付けてたら、重いでしょ? だから、ワタシが剥がしてあ・げ・る♪」
自然な動作を振り上げられた右腕。
刹那、その華奢な腕は肘から指先が漆黒の竜鱗に覆われ、手の部分は一回りも二回りも大きくなる。
切り揃えられた平爪はまるで鷲や鷹のようなカギ爪へと変化し、強力な刃物へと早変わり。
水晶のように透明な爪を魔槍の一突きで出来たヒビに引っ掛けると、そのまま捲り上げる。
はぎ取った甲殻を投げ捨て、まるでカサブタを剥がすかのように甲殻を引っぺがしていく。
もちろん、ペリペリと自慢の甲殻が剥がされていくのを黙って見ている訳ではない。
頭部をブンブンと振り回して、何とか振り落とそうと暴れ回る。
「ほいっ、と。」
魔槍アスカロンを引き抜き、離れていくアテラス。
そして、離れる直前に甲殻を剥いだ箇所に一太刀入れていくのも忘れない。
「ふふふ♪ まだまだ元気一杯みたいね。」
「あ、アテラスちゃん、一体どうしちゃったの……?」
少女の豹変ぶりに戸惑うクリスタ。
同様に、グリフォンのグレイヴも獣の本能からか彼女に警戒心を露にしている。
「別にどうもしてないわよ? これがワタシの本性。強敵との闘いと強者の情けない悲鳴を求める、それこそが本当のワタシ。」
そう言って、クスクスと笑うアテラス。
あどけない外見なのに、その仕草からは妖艶さを感じさせる。
「自慢の甲殻を全部はぎ取ったら、一体どんな声で泣いてくるのでしょうか?」
「いや、一思いに倒してあげた方が……」
「ダメよ。だって、|エテルナがあんなに無理した元凶だもの。もっと甚振ってあげないと気がすまないわ。」
(……あれ?)
アテラスの物言いにクリスタは違和感を覚えた。
「ブモモォォォォォォ!!」
刹那、「俺を無視するな」と言わんばかりに猪が吠える。
頭部の突起が再生中にも関わらず、地面にアンカーを突き刺して発射態勢に入る。
先ほどまでと違い、かなり至近距離からの攻撃なので迎撃は難しいだろう。
「やばっ!! グレイヴ!!」
「キュアアアアアアアアッ!!」
主の命令に従い、グリフォンのグレイヴが魔法を発動させようと嘶く。
しかし、それよりも前にアポリュオン・ボアの頭部が真上に跳ね上がった。
その結果、放たれようとしていた棘は明後日の方角に飛んで行ってしまった。
「やらせる訳ないでしょ。」
仕立て人は当然、アテラス。
一瞬の間に猪の頭部真下まで移動した彼女は強力なアッパーを叩きこんだのだ。
「その牙も邪魔ね。切り落としてあげるわ。」
頭部が元の位置に戻った瞬間、アテラスのテイルブレードが勢いよく振り抜かれる。
そして、テイルブレードと大猪の牙が衝突した瞬間、乳白色の牙はスパッと切り落とされ、地面に落ちる。これにはアポリュオン・ボアも驚愕のあまり目を見開いた。
よく見ると、牙の断面は少し溶解しており、赤く輝いている。
その元凶はもちろん彼女の剣。通常、美しいエメラルドグリーンの刀身が目立つテイルブレードは赤熱しており、あまりの熱気に刀身の周囲の景色が歪むほどだ。
「その足も切り落としてあげる。」
地面を蹴り、肉薄すると先ほどと同じように赤熱したテイルブレードを振るう。
しかし、太さ段違いなので牙の時のように容易く切断することはできなかった。それでも、骨の近くまで肉が裂かれて、巨体のバランスが崩れる。
「あら、切り落とすことはできなかったわね。でも、これで自由に動けないでしょ?」
「ブルルルルル……」
クスクスと笑うアテラスに殺意の籠った視線をぶつけるアポリュオン・ボア。
当の本人はそんな視線を軽く受け流し、頭の上に登っていく。
「さて、と。もう少し甚振ってあげたい所だけど、もう終わりにしましょうか。」
何とか残された3本の脚を起き上がろうとするが、それを邪魔する者が居た。
「グレイヴ!!」
「キュアアアアアアアアッ!!」
クリスタとグレイブのペアだ。
以前と同じように、猪の真下の地面だけに穴を開けて、踏ん張れないようにする。
しかし、この方法はすでに一度破られている。
同じようなことの繰り返しになるかと思いきや、それでも十分だった。
アテラスの魔法の準備が完了するまでの時間を少しだけ稼ぐことができれば十分だからだ。
「さぁ、この魔法の犠牲者第1号に選ばれることを誇りに思いなさい。」
1対2枚の翼を広げ、突き出した両手の先にはバレーボールサイズの球体。
それだけなら【覇竜ノ気吹】に過ぎないが、今回はそれだけでなかった。
広げられた竜翼の内側に複雑怪奇な文様がビッシリと浮かび上がり、同じようなサイズの球体が形成されている。
これで球体の数は3個。
つまり、3発の【覇竜ノ気吹】が一斉に放てるのだ。
「“3連・覇竜ノ気吹”!!!」
放たれた3条の白いビームはむき出しになった頭部を食い破り、内側を破壊する。
微妙に発射角度を変えたことで3条のソレは途中で1つに交わって、アポリュオン・ボアの体内を容赦なく焼いていく。内臓や周囲の肉が溶かされていき、やがて力なく崩れ落ちる。
「ブ、ブモモォォォォォ……」
苦し紛れの雄たけびも徐々に小さくなり、その巨体が起き上がることはなかった。
「死んでる……のよね?」
「キュウゥゥ……」
クリスタとグレイヴが突いても、アポリュオン・ボアが動き出す気配はない。
「勝った……勝ったんだよ!! 街は守られたんだ!!
「キュアアアアアアアアッ!!」
1人と1匹は勝利を噛み締めるように抱き合う。
そして、一番の功労者の下に駆け付けようとグレイヴに乗り、アテラスの下に駆け付ける。
そこにはアポリュオン・ボアの頭部に腰掛けて、ヴェーレスの防壁を見つめている彼女が居た。
「アテラスちゃん!! 大丈夫だった!?」
「ええ、特に目立った外傷はないわ。本当に……手強い相手だった。」
「だけど、こうやって街も無事だったから、完全勝利だよ!!」
「そうね。敵に勝てても街に被害が出て居たら、エテルナに顔向けできないもの。」
そう言って、笑みを浮かべるアテラスを見て、クリスタは違和感の理由を悟った。
(そっか。一見、敵を甚振ることだけを考えているように見えたけど、後ろの街のことを気にしてくれてたから違和感があったんだ。)
あの時のアテラスはアポリュオン・ボアを如何にして甚振るかしか考えていないように見えた。
しかし、実際には守護対象を見失うことなく立ち回っていた。理性のタガが外れていても、きちんと状況を見ていたので、違和感があったのだ。
「でも、さすがに疲れたわ……。もう、限界」
「ふぇ?」
アテラスの身体が左右に揺れたかと思うと、そのまま仰向けに倒れ込む。
心配して顔を近づけてみると聞こえてくるのは心地よさそうな寝息。
どうやら、魔力の使い過ぎによって強制スリープ状態に入ったらしい。
「……お疲れ様。」
そう言って、クリスタはアテラスの頭を優しく撫でるのだった。
あと少しで第1部終了予定。
第1部が終了したら、第1話から見直して違和感がある部分を修正していく予定です。
と言っても、大幅に加筆修正する訳ではなく、後付けの設定に合わせていくだけです。




