新たな決意
「今日が初対面なのに、よく私だって分かったね。」
「ワタシもアリサ商会で亜理紗ちゃんのことを聞かなかったら、結びつかなかったわ。」
アテラスがティアマトの正体に疑いを持ったのはアリサ商会での一幕。
親友の妹である葛木 亜理紗の帰還直前の様子と帰還後の様子の違いがティアマトの正体が時羽でないか、という疑念を抱かせた。
「最初、ワタシはこの世界のことを思い出したくないから、口を堅く噤んでいるのだと思っていたわ。」
「でも、違った。アイツは元の世界に帰ることを迷うぐらいにこの世界を楽しんでいた。」
「そう。だとすれば、原因は帰還の起こった貴女の襲撃。ティアマトは亜理紗ちゃんと顔見知りで、心の底から憎んでいるって聞いたから、何となく貴女じゃないかと思ったのよ。」
そこまで言った後、アテラスはボソッと「当たって欲しくなかったけど」と呟いた。
「ねぇ、時羽。貴女とアリサちゃんとの間に何があったの? 地球じゃあ、あんなに仲良しだったに……」
「ええ、そうね。あんな奴が友達だったなんて最悪だわ。」
吐き捨てるように言うティアマトこと、時羽には嫌悪の表情が浮かんでいた。
だが、地球で姉妹のように仲が良かった亜理紗と時羽を見ていたアテラスには、その反応が信じられない。だからこそ、ティアマトが時羽であって欲しくなかったのだが。
「2人に、何があったの?」
「……私とアイツは気が付けば、プロキシマ神国とアルフェッカ聖国の領境に放り出されていた。見知らぬ土地をさ迷っていた私たちは奴隷商人に捕まったの。しかも、悪徳なタイプの。」
通常、「奴隷」という言葉を聞くと人権を無視した酷い扱いを受けるような想像をするが、プロキシマ神国では奴隷にも専用の法律が適応される。そのため、人並みの生活を送れるようになっている。だからこそ、市民権を持たないアテラスはアレクシスの奴隷という立場を受け入れ、自分の身を守っている。
しかし、各都市の領主が奮闘しても、その法律を守らない悪徳な奴隷商人は今もなお裏で暗躍を続けている。時羽が捕まってしまったのはそういうタイプの人間だったのだ。
「私たちは市民権を持ってない。そういう人間は貴重だから、加虐趣味の金持ちに高く売れるらしくてね。そういう輩に売られそうになった。」
「でも、此処に居るっていうことは助かったのよね?」
「結果的には、ね。でもさ、アイツはとんでもないことを言い出したんだ!!」
時羽の言葉尻に強い激情が籠められる。
「私には此処よりも遥かに進んだ文明の知識があります。だから助けてください。アイツはそう言って、自分だけ助かろうとした!!」
「そんな……亜理紗ちゃんはそんなことするような子じゃあ……」
アテラスの知る亜理紗は大人しいが、優しい子だ。
自分だけ助かるために親しい友人と見捨てるような行動を採るとは思えない。
だが、時羽の方が嘘を言っているような感じもない。妹の言葉にはそれだけの感情が込められている。
「あんなのは所詮、見せかけだったんだよ!! 性根が腐った貴族に売られて、私はひどい目にあった!!」
「っ……!!」
アテラスは言葉を失った。
手の甲まで覆い隠す袖を捲り上げた下から現れたのは、売られた先で付けられたであろう痛々しい傷の痕。焼きごてのようなモノを押し付けられたのか彼女の両腕には手の甲から二の腕に掛けて禍々しい紋様が施されている。しかも、その紋様は重い火傷の痕の上から刻まれているようだ。
「アイツら、酷いんだよ? 顔の方は無傷だけど、魔法で治療されてる分からないだけ。両腕の紋様は私の立場を分からせるようにした結果なんだ。」
「時羽……」
アテラスは実の妹に掛ける言葉を見つけることができなかった。
この世界では魔法という力があるおかげで、外傷は傷跡1つ残らずに治療することもできる。
そのため、どれだけ惨たらしい仕打ちを与えても簡単に証拠を隠滅できる。各都市の領主が悪徳な輩を摘発するのに苦労する要因でもある。
そういう裏事情を知っているが故に、アテラスは何も言えなかった。
そして、自身の過去をさらけ出している内に感情が高ぶってきた時羽の口から重要な情報が飛び出してきた。
「誰も助けに来てくれない中、魔神様が私を助けてくれた。力をくれた!!」
「魔神? グロアス魔国で信仰されている、あの魔神のこと?」
「そう!! 魔神ディーヴ様!! 今は動けないけど、もうす―――――」
「ティアマト様!!」
ミュルグレスがすぐさま時羽の背後から抱き着き、小さな手でその口を封じる。
突然、口を塞がれて大慌てする彼女だが、それが逆に高ぶった感情を鎮静化していき、落ち着くを取り戻す。
「ふぅ……助かったわ、ミュルグレス。危うく重大な情報を漏らしてしまう所だったわ。」
「いえ。それよりも、ティアマト様。此処に居るという事は準備はすでに?」
「ええ。だから、これで最後の仕上げよ。」
そう言って、時羽はパチンッと指を弾く。
最後の仕上げという言葉に警戒心をむき出しにするアテラスだが、何も起こらない。
しかし、2人の反応を見る限り、何かしらの事象が起こっているのは間違いない。
「何をしたの、時羽。」
「ん? 神国に邪魔されたくないから、都市1つ滅ぼしておこうと思ってね。今頃、街の近くにアポリュオン・ボアが召喚されてるよ。」
「なっ!?」
ニコニコと笑顔を浮かべながら告げられた事実にアテラスは戦慄する。
チャージ・ボアの最上位種にして、かつて神国の都市1つを壊滅させかけた魔物。
以前、この国に出現した際は大勢の熟練冒険者たちが一丸となって死闘の果てにようやく討伐することができた化け物である。そんな敵が防備が充実していない都市近郊に突然出現したのなら、甚大な被害がもたらされるのは想像に容易い。
彼女の言っていることが真実なら、商業都市ヴェーレスでは今頃死闘が繰り広げられているだろう。
「時羽!! 貴女、自分が何をしているのか分かってるの!?」
「うん♪ 多分、大勢の人が死んじゃうだろうね。それがどうしたの?」
「……覚悟はしていたけど、無関係な命を奪うことに何の戸惑いもないのね。」
「ないよ? 私は魔神様が助けてくれなければ、此処にはいなかった。」
そう言って、時羽はもう一度指を鳴らす。
今度は彼女の背後に大きな紫色の魔法陣が現れ、そこから巨大な鳥が出現する。
その体躯はゾウに匹敵する程大きく、鋭い緑色の眼がアテラスを射抜く。
「だから、魔神様に一生を掛けて恩を返す。それを邪魔するなら、お兄ちゃんでも排除してやる‼」
「―――――ッ!!」
このまま戦闘に突入するかと思いきや、時羽とミュルグレスは怪鳥の背に飛び乗った。
そして、黒い怪鳥は体躯に見合った両翼を広げ、大空へと飛び上がる。
「目的は達成できたから、これでお暇させてもらうよ。精々死なないようにね、お兄ちゃん。」
それだけ言い残して、時羽とミュルグレスの2人はそそくさと立ち去ってしまった。
いつの間にか【ブルゼンの森】から湧き出てくるチャージ・ボアの大群も止まっている。そして、アテラスの目が届く範囲に魔物の姿はない。恐らく、全てヴェーレスの街へ向かったのだろう。
「見逃された……と考えた方が良いわね。」
アテラスは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
精神世界で遭遇したバハムートのおかげで【竜ノ心臓】が起動し、固有魔法を会得したものの、ミュルグレスはさらに奥の手を隠しているようだった。
その奥の手の詳細は分からないが、これ以上引き出しがないアテラスでは太刀打ちできる可能性は低い。時羽が戦いを止めなければ、やられていたのは彼女の方だろう。
「時羽……貴女はもう私の知る時羽じゃないのね。」
俯きながら悲し気に呟いた言葉は一陣の風に流されて、消え失せる。
しかし、顔を上げた時には涙はなく、新たな決意が芽生えていた。
「貴女が道を踏み外すというなら、ワタシは貴女を真っ当な道に連れ戻すわ!!」
握りしめた右手を突き上げて、宣言するアテラス。
幼い見た目に似合わない威風堂々とした宣誓だが、素っ裸なので締まらない。
「待ってなさいよ、時羽!! 貴女のお兄ちゃんは諦めが悪いんだからね!!」




