慈悲の裏側には棘がある
「やっぱり、スマホはダメか……」
ネコのような生き物を追いかけた結果、異世界に迷い込んだ照。
ダメ元でスマホによる連絡を試みてみるものの、画面に表示されるのは「圏外」の2文字。
一応、ネットワークにアクセスする必要がないアプリは使用できるが、この状況で役に立ちそうなモノは特にない。
「取り合えず、歩くか。」
ジッとしてても仕方ないので、闇雲に歩くことにした照。
見渡せる範囲にあるのは青々とした草が生い茂る野原だけ。街や集落など人が生活していそうな場所は何処にも見当たらない。
「おっ、道がある!!」
10分程歩いた所で、ようやく土がむき出しになった道が見つかった。
定期的に人が通っている証拠を発見できたので、照も少しテンションが上がる。
今度は道沿いに歩いて、ヒトが住んでいそうな場所を目指す。
「あんまり暑くなくてよかった……これが真夏だったら地獄だな。」
そんな独り言を呟きながら歩いていると、進行方向から馬車が近づいてくる。
2頭の馬に曳かれた馬車はそこそこ大きく、大人数人程度なら難なく運べるようなサイズだ。
馬車はそのまま照の横を通り過ぎるかと思いきや、目と鼻の先でその足を止めた。
「こんな場所で人に会うとは珍しい。」
(日本語? 発音は一致してるのか?)
照に声を掛けてきたのは、馬車の窓から顔を覗かせる中年の男性。
頬には少しばかり余分な肉が付き、指に付けている装飾品の豪華さから裕福な家系の人間であることがなんとなく伺える。
「ふむ。その見慣れない衣服……もしや、異界人か?」
「異界人?」
「此処とは異なる世界から時折迷い込んでくる者のことだ。」
「ああ、合ってます。奇妙な生き物を追いかけていたら、ここに迷い込んだみたいで……」
「ふむ……この場所は武器も持たずに歩くのは危険極まりない。
私たちはちょうど街に戻る所なのだが、一緒に乗っていくか?」
少しふくよかな男性が言うには、今居る場所は【ギヌンガ草原】。
様々な危険度のモンスターが多数生息している区域で、特に日が暮れると高危険度のモンスターが跋扈するようになる危険地帯であるらしい。
そして、照に声を掛けてきた男性はこの草原の近くにある街――冒険都市フォドラに住む侯爵であり、照を見かけたのはフォドラにある自宅に帰る途中だったようだ。
「じゃあ、お願いしても良いですか。」
「ああ。ちょうど儂も話し相手が欲しかった所だ。」
こうして、馬車の中に招き入れられた照はその内装に驚いた。
馬車の中とは思えないくらい豪奢な内装に如何にも高そうな食器や家具が備え付けられている。もはや、移動式の貴族用茶室のようだ。
「まあ、座り給え。」
「は、はい。失礼します。」
少しビクビクしながら、ソファに腰掛ける照。
同時に馬車が動き出して舗装されていないと思えないくらい心地よい振動が伝わってくる。
「さて、自己紹介がまだだったね。儂はゲスグート・アルフリッドだ。」
「天草 照と言います。ええっと……天草の方が家名で、照が名前になります。」
「では、テルと呼ぶことにしよう。異界人である君には、まずこの世界のことについて教えた方が良いかな?」
「お願いします。こちらに迷い込んで間もないので……」
「任された。では、飲みながら話すとしよう。」
この世界は照が居た世界では幻想の産物とされていたドラゴンやエルフ、ドワーフなど多種多様な種族が住んでいる。中でも、数多くの種族の中でも1、2を争う勢力がヒト族と魔人族であり、この2種族は長い間争いを続けている。
照たちが向かっている冒険都市フォドラは中立国であるプロキシマ神国の一都市であり、魔物やダンジョン探索を生業とする者たち――冒険者たちが集う街でもある。
「まあ、大まかに説明するとこんな所だな。」
(完全にファンタジー系の異世界だな。好きなジャンルではあるけど、まさか実際に体験する羽目になるとは……)
ゲスグート侯爵が淹れてくれた紅茶を飲みながら、照はそんなことを思った。
「それにしても、一から説明すると大変だな。実際に自分の目で確かめた方がいいかもしれん。それより、儂が淹れた紅茶の味はどうだい?」
「あっ、美味しいです。今まで飲んでことないくらいに。」
「ハハハッ、それは良かった。さて、そろそろ効果が出てくる頃かな。」
「えっ、何か言いましたか?」
刹那、照の視界が揺れる。
眠気が急に襲い掛かってきて、意識を奈落の底へ沈めようとする。
何とか意識を繋ぎ止めようとするが、その睡魔は強力で抗うことは不可能だった。
「くひひ……思わぬ収穫がありましたねぇ。」
意識を失う寸前、照は三日月のような笑みを浮かべる侯爵の姿を見たような気がした。
◆ ◆ ◆ ◆
「うっ、うぅ……此処は、何処だ。」
真っ先に映ったのは石造りの天井。
「確か、ゲスグートさんと話してたら急に眠くなって……あれ?」
身体を起き上がらせようとしても手も足も鉛のように動かせない。
唯一自由に動かすことができる首を動かして、今の状況を確認にする。そして、自分が置かれている状況に驚愕した。
まず、今いる部屋は石造りの地下室らしく、窓が1つもない。
壁に取り付けられているかがり火のみが光源となっているため、全体的に薄暗くなっている。出入口は足の方にある木製の扉となっている。
そして、一番問題なのが手足をゴツイ鋼鉄の枷で拘束されていることだ。
しかも、枷は寝かされている台と一体になっているらしく、その場から動くことができない。
「くそっ、この枷、ビクともしないな。」
「もう目が覚めていたか。」
「ゲスグートさん!! 無事だったんですね!!」
「ああ、もちろん。何せ、君を此処に連れてきたのは他でもない儂だからな。」
馬車の中の朗らかな笑みとは違い、明らかに照をせせら笑っている侯爵。
まるで別人のような豹変ぶりだが、今の彼が本来の姿なのだろうと照は何となく理解した。
「こんな所に拘束してどういうつもりなんですか?」
「実験だよ。儂は人体改造が趣味でね。君には被検体になってもらうよ。」
そう言って、ゲスグートは中に毒々しい液体が入った注射器を見せた。
彼が言うには、照以前にも奴隷を使って実験を行った薬品であるが、投与した奴隷は全員死んでしまったらしい。
「僕に声を掛けたのもそのためですか?」
「ああ、もちろん。奴隷を確保するのも大変でな。戦争が苛烈だった時代は孤児があふれかえっているおかげで、奴隷には困らなかったものだ。
しかし、今はそうもいかない。あの手この手で奴隷を確保してきたが、今の領主になってからそれも難しくなった。その点、異界人は法律の適応外。何をしても罪にならないからな。」
「……ちなみに聞くけど、どうやって奴隷を確保したんだ?」
「簡単な話さ。架空の借金を背負わせたり、死んだのを偽装したり、あとは家族を人質にとったこともあったなぁ。」
「この外道が……!!」
照はゲスグートを睨みつけるが、本人はまったく気に留めない。
「さて、無駄話はここまでだ。実験を始めさせてもらうよ。」
ゲスグートは一瞬の躊躇いもなく、注射針を照の体に突き刺し、液体を注入。
シリンダーからあの毒々しい液体が彼の体内に流れ込んでくる。
そして、肉体に異変が起こったのは液体を全て注入された直後だった。
「ガアァァァァッ!!!!」
獣のような叫び声を上げながら、電気ショックを浴びせられたように拘束された身体が跳ね上がる。拘束されていなければ、今頃台から転げ落ちていただろう。
手足の末端から徐々に侵蝕され、細胞の1つ1つが作り替えられていくような感覚。それは痛みとなって照に襲い掛かり、時間が経つ連れて強さが増していく。
「―――――――ッ!!」
やがて、喉から発せられる絶叫は声にすらならない状態に。
あまりの激痛に意識が飛んでいくが、それ以上の激痛で強制的に意識を覚醒させられる。
何度も何度も意識の消失と覚醒を繰り返す間に侵蝕を進む。
骨格にまで影響が及びだしたのか、至る所からメキッ、バキッという異音が地下室の中に響く。その様子をゲスグートはほくそ笑いながら鑑賞していた。
(ほう……此処まで肉体の変化するのは初めてだな。これはひょっとするかもしれん!!)
声には出さないが、ゲスグートのテンションは上がり続けていた。
何せ、多くの奴隷に薬品を投与したが、照のように肉体の変化が続いた者は居ない。
単なる拾いモノが予想外の結果を出したことに胸の高鳴りを抑えられるわけがない。
(しかし、この臭いは耐え難いな。暫し、離れるとするか。)
激しい痛みのせいで、照の身体にあった排泄物が根こそぎ放出され、地下室の中は強い異臭で支配されていた。
ゲスグートは排泄物処理用の仕掛けを発動させると、地下室から出て待機することに。
十数分も経過すると、地下室の中から声が聞こえなくなった。
プレゼントが待つ家に帰る子供のように意気揚々と扉を開けた瞬間、ゲスグートのテンションは最高潮へと到達する。
「ハーハハハッ!! やった、やったぞ!! これこそ、儂が待ち望んだモノだ!!」
排泄物の残り香を気にすることなく、ゲスグートは照に近づき、その身体を抱き上げる。
そして、そのハイテンションのまま彼は地下室を後にするのだった。