初めての魔法書
眩い光に飲み込まれた視界が回復すると、そこはオキ村の入り口だった。
木で作り上げられた柵は村を囲うように広がっており、入り口は柵の南北に設けられている。
随分と【ムスペル洞穴】に潜っていたらしく、すでに太陽は地平線のすぐ上まで到達し、空は茜色に染まっている。
「細目に計っていた筈なのに、予想以上に時間が経っているわね。」
いつの間にか腰に付けた砂時計の砂は完全に落ちていた。
ひっくり返すことを少し忘れることもあったので、正確な時間が計れていないことは予想していたが、ここまで誤差が生じるのは完全に予想外だった。
「そりゃ、第5層の敵を全滅させるまで暴れてたしな。」
「ワタシ、そんなに長時間暴れてたの?」
「ああ。しかも、一匹一匹丁寧に殺し回ってたから、余計に暴走が長引いてたな。」
「……暴走しないように気を付けよう。」
「そうしてくれ。万が一の時はアタシが何とかするけど、何度も暴走されたら堪ったもんじゃないからな。」
そんな会話を交わしながらアテラスとエテルナは村の中に入る。
昨夜、宴会が行われた広場では再び火が焚かれ、夜に備えた準備のため村人が奔走している。
フォドラの街のように街灯がないこの村では日暮れ前に大きな焚火が焚かれ、その炎を各家庭に持ち帰って一夜を過ごすのが習慣らしい。
(はぁ……ようやく帰ってこれた。一時はどうなるかと冷や冷やしたぞ)
その時、きゅ~と可愛らしくアテラスのお腹の虫が鳴き声をあげた。
途端に今まで感じなかった物凄い空腹感に苛まれる。
「あ~……安心したから、暴走中にシャットアウトされてた空腹感が一気に戻ってきたんだろうな。」
「うぅぅ、よく考えたらこの時間まで何も食べてない訳だものね。」
「ついでに、この香ばしい香りも原因だな。歩けそうか?」
「な、何とか……でも、すぐに何か食べないとちょっと不味いかも」
「それなら、ちょっと待ってろ。」
そう言い残して、エテルナは羽を動かして飛んで行ってしまった。
そして、少し待っていると大きな箱を抱えた状態で彼女は戻ってきた。
箱の中は香辛料をたっぷり使われてた骨付き肉が2本入っている。周囲に漂う香ばしい匂いが食欲を刺激し、思わず口から涎が零れ落ちそうになる。
「ほら、とりあえずは腹ごしらえだ。」
「ありがとう、エテルナ!! それじゃあ、いただきます!!」
箱から骨付きを取り出すと、その場で肉に齧り付く。
肉汁が喉を潤し、歯ごたえのある肉が空腹を満たしてくれる。
「うーん♪ 美味しい♪」
「――――って、お前!! 翼、出しっぱなしじゃないか!?」
「えっ? ――――あああっ⁉ “この身に纏うは戒めなり”!!」
エテルナに言われて、気が付いたアテラスは慌てて《収縮の円環《シュリンク・リング》》の効果を発動させて翼を小さくする。さらに、白いベールの内側に隠してしまう。
「ふぅ……危なかったぁ。」
「まったく……お前の種族は明るみになると、国の情勢にとんでもない影響があるんだからな?」
「はい。理解しています」
表舞台から姿を消して幻の種族――竜人族と同等のポテンシャルを秘めるアテラス。
それだけで国が動くには十分な理由となるのに、その身に宿るのが《暴竜バハムート》の力となれば、聖国も魔国もその力をより一層求めるのは間違いない。
(……あれ?)
エテルナはふと疑問を抱いた。
彼女はシンモラの手伝いをしていたこともあって、アテラスの事情を少しばかり聞いている。
魔国の手の者によって《暴竜バハムート》の力を無理やり埋め込まれた異界人であり、オークションに出品されそうになった所をアレクシスに助けられた、というのがエテルナの知る情報だ。
しかし、改めて考えなおしてみると違和感が湧いてきた。
(何で魔国の奴はコイツを手放したんだ? 戦力にはうってつけなのに……)
現時点では全力のほとんどを出せていないが、伸びしろはある。
それなのに魔国は彼女を躊躇いもなく切り捨ててしまった。
エテルナはそれが不可解だった。
(目的は戦力増強じゃなくて、別の目的か? 一体何を企んでやがるんだ?)
「エテルナ? 難しい顔してどうかしたの?」
「いや、何でもねえよ。それよりも食べたら、そのカバンの中身売りに行くんだろ? 時間とか大丈夫なのかよ?」
「広場の焚火が燃えてる間は開いているから大丈夫だよ。」
そう言って、アテラスはもう一本の骨付き肉に手を付け始める。
いつの間にか一本目の肉は白い骨だけになっていた。
「あら、アテラスさん。帰っておられたのですね。」
「あっ、フギンさん。調査お疲れ様です。何か手掛かりは見つかりましたか?」
「いえ。お恥ずかしいことに何一つとして手掛かりは見つからず、時間を浪費しただけでした。」
フギンは少し疲れた様子で応えた。
いつもの給仕服は少し土に汚れているものの、特に目立った傷などはない。
単純に長時間調査に出たのに時間の浪費だけで終わってしまったことによる疲労のようだ。
「あら、そちらに居るのはエテルナさんではありませんか?」
「オッス、久しぶりだな。」
「ええ。この前の領主会議でお会いした時以来ですから、半年ぶりでしょうか?」
「そうなるな。」
「フギンさんとエテルナは知り合いなの?」
「ああ。アタシは領主代理のシンモラの秘書紛いなことしてたからな。領主会議の時に顔を合わせたことがあるんだ。」
「貴女がシンモラ様の下を離れるなんて珍しいですね。何かあったのですか?」
「あ~……話しても良いんだが、此処だとちょい不味い。」
「そうですね。私たちが泊っている部屋があるので、そこでお話ししましょうか。」
「ああ、そうだな。アテラスは魔石とか換金してこいよ。」
「うん、分かった。」
アテラスを残して、フギンとエテルナは一足先に宿に戻っていった。
そして、1人残された彼女は片手に食べかけの骨付き肉を持ったまま、近くにあった岩に腰掛ける。
何をするかと思えば、【ムスペル洞穴】で手に入れた魔導書の一冊を開いた。
(これで魔法が習得できるらしいけど、どうやって使えばいいんだ?)
取り合えず本を開いてみたが、そこ書かれているのはよく分からない文字の羅列。
間違いないのは魔導書に書かれている文字がプロキシマ神国で使われているモノではないこと。
(まさか、この文字を解読しないと魔法が習得できないとかないよな?)
どうすれば良いのか分からず首を傾げていると、記された文字が輝き始めた。
ページから文字が浮かび上がり、螺旋を描くようにアテラスの周囲をクルクルと回る。
文字たちはしばらく虚空を舞った後、彼女の身体に吸い込まれてしまった。
「これで習得できたのかな……? ―――――ッ!!」
刹那、アテラスに軽い頭痛が襲い掛かった。
同時に身体の中を巡る何か得体の知れないモノが、右手に集中するのを感じ取った。
そこに違和感はあるが、不快感は一切ない。まるで、得体の知れない“何か”が血液のように身体を巡るのは当然であるかのように。
「これが魔法の源、魔力……ワタシの身体ってこんなに魔力を持っているんだ」
魔法書によって植え付けられた知識が身体全体を巡る“何か”の正体を教えてくれる。
その正体は魔法を使うために必要不可欠となるエネルギー源――魔力。
しかも、膨大な量の魔力が自分の中に眠っていることを彼女はこのとき初めて感じた。
「えっと、魔法を使うためには……ん、なるほどね。」
己に問いかければ、まるで元々知っていたかのように手順を教えてくれる。
すぐに試してみたい衝動に駆られるが、生憎と村の中で試す勇気は彼女に無かった。
「じゃあ、もう一冊の方は……」
今度は黄色の本を開けてみる。
赤い魔法書と同じでページに書かれているのはよく分からない文字の羅列。
そして、文字が輝き始めると先ほどと同様にページに書かれた文字が虚空に浮かび上がり、吸い込まれる。
「赤い方は炎熱系の魔法で、黄色の方は雷系の魔法が習得できる訳か。そして、使った魔法書は真っ白になる、と。」
役目を終えた魔法書は何も書かれていない白紙の本へと変わってしまった。
「メモ帳の代わりになりそうだし、1冊はそのまま持っておこうかな。」
そう呟き、すっかり冷めてしまった骨付き肉を食べきってしまう。
腹ごしらえと魔法の習得を終えたアテラスは換金のため、オキ村にあるギルド支部を目指すのだった。




