Scene5
約束通り義明は逸夏を美術館まで案内してくれた。
世界各地のテディベアを集めた美術館は、美術館の名に恥ず、大小のクマのぬいぐるみで溢れていた。中には100年以上前に作られたものもあり見ごたえがあった。
暖かな館内で、大好きなテディベアをじっくり堪能できた逸夏は、ご機嫌だった。義明は律義にも、はしゃぐ逸夏の行動に笑ったり、困ったりしながら付き合ってくれた。
ひとしきり見学が終わり、お土産に買った手乗りサイズのテディベアを抱きしめながら、敷地内に併設されたカフェで軽食をつまんでいる。
逸夏は上品な洋皿に盛り付けられたサンドイッチと甘い紅茶を口にして、お姫様気分でうっとりしている。
こちらのレストランにも方々にテディベアが飾り付けられているが、飾り付けが上品で押しつけがましくないところがさらに好ましい。
同じように軽食をとった義明は今は、正面にいる逸夏の後ろ、美術館の庭の方へ視線を向けていた。
心も腹も満たされて余裕ができたのだろうか、逸夏はいつも義明は植物のある方へ視線を向けていると言うことに気付いた。
先ほどのオキナソウの写真も先に気付いたのは義明だったし、その前でも神社の後ろの森や、参道の楓の方を良く眺めていたような気がする。
逸夏は不自然にならない程度に後ろを振り返ってみた。
窓は大きく羽目殺しのガラスが設えてあり、その外はちょっとしたデッキになっているようだ。デッキに二人掛け用のテーブルと椅子が設置されているのが見える。どちらも白で統一されている。
暖かい時期ならば、外で軽食を堪能できるようになっているのかも知れない。
テーブルの周辺には綺麗に手入れのされたプランターなどが並んでいる。
そういえば美術館の門から館内に続く道の左右にも植物が植えられていた形跡があった。残念ながらこの時期では無理だが、春なら色とりどりの花々が来客を迎えてくれるのだろう。
「植物が好きなの?」
なんとはなしに逸夏は問い掛けてみた。
その問いに義明の表情が悲しげに歪む。
聞いてはいけなかったのかと後悔したが、言った言葉を取り消すことなどできはしない。
すぐに元の穏やかな表情に戻って義明は首を傾げた。
「どうかな。おじさんは不器用で、花一つうまく育てられないけれど」
答える声は穏やかだ。けれど、一抹の淋しさを感じさせるそんな気がした。
「でも、見るのは好きかな。草花を見ていると穏やかで優しい気分になれる。お嬢さんはそう思わないかい?」
「ええと。綺麗な花を見るとテンションが上がるかも。色とりどりの花壇なんかは見ててうきうきするわ」
「そうかね。やはり女の子はお花が好きかね」
元気にウンと頷くと紳士は穏やかな笑みを浮かべてくれる。
本当に素敵な人だと思う。こんな素敵な人を悲しくさせている人が少し恨めしいとも。けれど、多分。
相手の女の人だって望んでそうしているわけじゃないんだろう。
別離は辛い。けれど、人が二人いたら必ずいつか訪れるのだ。訪れて、しまうのだ。
だから、この紳士は何も言わずにその悲しみに耐えている。おそらく、亡くなってしまった奥さんの面影を追うことで、自分の心を慰めているのだ。
植物に目をやるのはきっと紳士とその妻との関わりが深いから。
どうしたら、この老紳士の悲しみを癒すことができるのだろう。逸夏は小さい胸を痛めながら思いを巡らせる。でなければこの老紳士は永遠に成仏することができない。
逸夏はもう気付いていた。この老紳士が実体のある存在ではないということに。どういうわけか触れることもできる。今も普通に食事をとっている。しかし、違うのだ。その存在そのものが違う。
今いるこの場所ももしかしたら現実の世界ではないのかも知れない。
ごくりと逸夏はつばを飲み込んだ。
どうにかして救ってあげたい。
これほど探されている相手が迎えに来てくれればいいのにとも思う。けれど、事実紳士が今この地にさ迷っているという事はそれも叶わないということなのだろう。
紳士は静かに立ち上がった。
紳士に促されて立ち上がり後を付いて歩く。救う方法を思い付けないまま逸夏は紳士に付いて行くしかなかった。