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Scene4

『あなた、()()()()()よ。今は売っているのねぇ』

 まほろばからの声がこだまする。弾んだような優しい声色。神社であの姿を目にして以来、時折その声が聞こえるようになっていた。

 いつもではない。逸夏が気を緩めたときを狙うかのように聞こえてくる。

 三島神社を後にしてから少し走ったところで、逸夏は見覚えのある牧場を見付けた。それを話すと紳士はわざわざ戻って牧場を訪れてくれたのだ。

 観光地化された牧場にはこの寒空でも人が多く来訪していた。広い敷地内にレストランやお土産売り場があり、奥のほうにはアイスクリームなど軽食を売るスタンドがあるようだった。

 お土産売り場を覗いている際に、その声は聞こえてきた。

 寒さが厳しいこの時期に草花が販売されていたわけではない。それは、店内に展示されていた高原の植物の写真を見たときに聞こえてきたのだ。

 店内には何枚もの野草の写真が額に入れて展示されていた。

 ニッコウキスゲ、カタクリなど珍しい草花が自生している様子を撮ったもののようで様々な野草の写真に交じって、濃い赤色で群生する背の低い野草の写真があった。その写真にだけ野草の名前がなかった。これが「からいちご」だろうか。

「お嬢ちゃん、気に入ったのかい?それはザゼンソウだよ」

 じっと見入っていたからだろう、レジで暇そうにしていた中年の女性がカウンターを出てこちらに来ていた。

「ザゼンソウ?」

 からいちごではないの?とは思ったが問いかける間もなかった。

「河原に生える野草さね。ネコグサなんて呼ぶ人もるね。昔はね、そこいらにも普通に生える野草だったんだけどね。最近は見かけなくなったねえ」

「そ、そうなんですか」

「だから、勝手に山に入って取ってく人が最近は増えてね。余計に数が減ってるのサ。売ればいい金額になるみたいでねぇ。せっかくの自然を荒らすなんてひどい人もいたもんだねえ」

「ここでは売っていないのですか?」

 先ほど聞えた言葉の内容を思い出して疑問が湧いたので問いかけてみる。

「昔はね、取ってきたやつじゃなくて、趣味で増やしている人が出荷しに来たりはしていたね。山から取ってきても、そのまま植えたんじゃ大体は次の年からは咲かなくなる。華が咲かなきゃ種ができないだろ。で、そうしているうちに芽が生えなくなっちまうのさ。土や気候が全然違うからね」

「そうなんだ。難しいんですね」

「もともと河原に生える草だからね。土に植えてもダメなのさ。夏は直射日光にもあんまり強くないんだよ」

「ええ。日に当てちゃいけないの?」

「暑さと湿気に弱い草なんだよ。春秋は大丈夫さ。でも夏はね大きな樹の下なんかに置いとくのがいいね。少しだけ日が当たるくらいで十分なんだよ。……私も好きでね。友達に分けて貰っては何回か挑戦したけンど、大体は花が咲く前になくなっちゃったね」

「花、咲かないんだ……」

「葉が生えそろってから7・8年はかかるって言われてるね。弱い野草さね。だからみんな珍しがるんだろうよ」

 独特のイントネーションを含む女性の物言いは少しぶっきらぼうに感じたが不思議なやさしさを感じる。

 逸夏は女性にお礼を言い、小さなザゼンソウの花の絵が描かれたキーホルダーを購入した。

 老紳士は逸夏と女性のやり取りを見ていたようだが口をはさむことはなかった。

「買っちゃった」

 小さな包み紙を大切そうに両手で持つ少女は報告するように義明に駆け寄り包みを見せた。

「からいちごか……。懐かしいね」

「からいちご?さっきのおばさんはカタクリの花って言ってたけれど……」

 二人で並んで外に歩き出しながら、隣の老紳士を見上げて逸夏が問うと、紳士は少しだけ困ったように笑った。

「おじさんも良くは知らないんだけどね。カタクリの花のことをおじさんのお義母さんがそう呼んでいたんだよ。こちらの方言なんだろうかね」

 逸夏の頭の中で自然に義理の母親なのだと理解された。それは多分、あの幻影の女性の母親なのだろう。

「おじさんのお義母さんは栃木の人?」

「うん。もっと南のほうに住んでいたけどね」

 過去形だった。それはそうだろう。どう見ても義明も70歳は下らない年齢に見える。もしかしたら80歳に手が届くかも知れない。これで母親が生きているとしたら100歳を超える年齢になってしまうのではないか。

 本当はもっと身近に同じように読んでいた人がいることに逸夏は気づいていたけれど、あえてそれを言葉にしないのは、きっと……。

 老紳士とその妻はこうやって二人で観光を楽しんでいたんだろうか。その幻影おもいでを探しに義明が一人でこの地に訪れている。

 それはきっと、もう二度と会うことができないから。

 ちりっと逸夏の胸が痛んだ。どうすることもできない。慰めの言葉すら浮かんでこない。

 長い長い時間を共にしてきたはずの二人。幸せに暮らしていたのだろう。けれど、終わる時までが一緒になることなんてないんだ。それがこんなに切ないなんて。

 こんなに切ないんだ。長く一緒にいる人と裂かれるということは。

 瞳が潤んできたが、逸夏は唇をかみしめて堪えた。

 本当に切ないのはあたしじゃない……。

「さて、そろそろお昼だろう。お腹は空いていないかい?」

 優しい声が問いかけてくる。けれど、逸夏は胸がいっぱいでとても何かを食べられる気分ではなかった。

 一呼吸ついて、呼吸を整えて紳士の顏は見ずに答えた。

「さっきのドーナツでちょっと胸焼けしちゃったかも。今はまだいいかなあ」

 声にわずかに湿り気が含まれてしまったが、概ね平静を保てたと逸夏は思った。

「そうだねえ。じゃあ、アイスクリームはどうだい?あっちで買えるみたいだよ。あぁ、でもこの気候じゃ寒いかねえ」

 歩く先にアイスクリームの看板が出ている小さなお店が見えた。

 よく見ると店はドアでしっかり外から遮断されていて、中にテーブルのようなものも見える。

「中あったかそうよ。行ってみましょうよ」

 ゲンキンにもアイスクリームと聞いてすっかり機嫌を良くしたのか、跳ねるようにお店に近づいていく。紳士も微笑んで少女の後を付いて行った。

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