8.ふくしゅう
「覚えたぞぉおおらあああああ!!!」
分厚い事典を机に叩きつけながら じゃっく は叫んだ。その机に座っていた りざ と とーま は驚嘆のあまり、当然、目を見開いている。
「項目数よりも内容がえげつなかったわ! なんだコレ! 本当なのか!? 親父が眺めているマンガアニメゲームの設定資料集かと思ったわ!」
「理解した。思い出した。自覚した…のどれでもなく、『覚えた』だなんて……絶望的ね…貴方」
じゃっく の意味不明な嘆きを無視し、りざ が片手を頭に付けて溜め息を吐いた。そのような二人に苦笑しつつ、とーま は じゃっく に問いかける。
「じゃあ、じゃっく。『触れる神』って何?」
「『デミウルゴス』。認識されてる神、つまり名前がある神たちだろ。某神話の絶倫野郎とか」
「絶倫って… でも、単語だけ覚えたわけではなさそうね」
りざ は再び頭を垂れるが、理解しているか確認した とーま の問いの内容には感心していた。同時に、的確に答えた じゃっく にもだ。彼は覚えたと言ったが、どうやら単純に覚えたわけでもないらしい。
「じゃあ、じゃっく。私たち獣人は、『術式』や『法式』を使えると思う?」
「…本来は使えると思うが、モノにするのは難しいだろうな。まず、ヒトが術式を使ってるとこすら俺は見たことがねえ。つまりヒトで使えるヤツが居るとしたら数が少ないってことだ。そうなると獣人も同じはず。『世界に拘わる』っつー法式でも、俺たちの土台がヒトだからな。異人との雑種とかじゃねーと、厳しいんじゃねーか?」
そもそもやり方がわかんねーしな、と腕を組みながらも真面目に答えた じゃっく に、りざ は思わず静止してしまう。とーま に至っては、両手を叩きながら「じゃっく すごいよ! 完璧だよ!」と声を上げている。可愛い。
「驚いた…予想以上ね…」
「見直したか?」
「ええ。とても」
りざ の素直な言葉に、じゃっく は目を瞬かせた。彼女と実母の鼻をあかそうと思い、頑張った彼としては、肩透かしを食らった気分だ。もっと悔しがると思っていた。
「素直だな」
「『調子に乗らないで』とでも言って欲しかった? 半分で良いと言ったのに、指定したところ全てを覚えてきて、受け答えもされたら、感無量よ」
文句の付けようがないと りざ は微笑む。その笑みが――実に歳相応の少女らしかったため、じゃっく は思いの外動揺した。なんだ、可愛いところがあるではないか、と。
「調子に乗んなよ! ウサギ!」
瞬間、じゃっく の顔が歪んだ。この声は間違えようがない。
「なんだよ、ワン公。遠吠えするなら時間を選べ」
「俺はオオカミだっ!」
某クズオオカミの れむす だ。りざ もその顔を視認したあと、すぐに顔を反らすが、とーま に至っては、首を傾げている。どうやら、『調子に乗んなよ!』という暴言と『オオカミだっ!』という主張に疑問が沸いているようだ。可愛い。
「大体、ヒトモドキ、てめえが…」
その様な とーま をまた標的にしようとした れむす を、りざ が率先して妨害する。一足遅いが、じゃっく も側に立ち、壁になった。二人の壁を前に、れむす はたじろくが、原因も分かっていたので、言葉を変える。
「て、てめえがライオンの癖にへらへらしてるから、ウサギも周りの奴らも付け上がるんだろうが!」
れむす の主張に とーま は逆方向に首を傾げた。コレのどこがへらへらだ。ふわふわの間違いだろう。可愛い。
「れむす。『オオカミだ』『ライオンの癖に』って言うけど、オレにとって、獣は全部同じで等しいよ? 分類はヒト社会が決めたものだし…」
「じゃあ、てめえは『仔ネコちゃん』とか言われて腹が立たねえのか!?」
「うん」
今度は とーま の主張だ。彼の発言に、ヒト社会出身の じゃっく は納得する。『ネコとライオンの違い』は何か? と聞かれると困るからだ。
ライオンは大きく、雄には鬣があり、尻尾の先に房がある……くらいだろうか。この中で、れむす の『ライオンの癖にヘラヘラ』が当てはまるとすれば、『大きさ』しかない。
オオカミとイヌではもっと違いがわからない。
だが、確かなことが一つある。
じゃっく は侮蔑を込めて、オオカミである れむす を「ワンちゃん」「ワン公」と呼んだ。オオカミよりイヌの方が弱く、飼い主に尾を振る従順な生物というイメージがあるからだ。個人的には、ポメラニアンとかの小型犬扱いしたと言える。自身がウサギであるから、同じ土俵に立たせたわけだ。
対して、れむす はその挑発に乗った。同時に否定もする。それはつまり――
「何だ、ワン公。お前もヒト社会出身か」
「悪いか?! ってか、オオカミって言え! それか名前呼べ!」
「今…その話?」
自信満々に じゃっく が言うと、れむす が犬歯を剥き出して激昂した。りざ はその様な二人に溜め息を吐きながらぼやく。
「でもさ、『仔ネコちゃん』って言われて、傷つかないのは意外かもな」
「てめえはバニーでキレるもんな」
「あ゛あ??」
思わず疑問を呟いた じゃっく の言葉に便乗した れむす を、再び じゃっく が睨み付けた。懲りない男も居たものだ。
…だが、子供扱いとは、弱者扱いと同義だ。強者に畏怖を抱き、憧れることがあっても、『可愛い』という感情にはならない。『可愛い』は『護りたい』という想いの裏返しだからだ。
じゃっく が とーま に抱いている主感情は正にコレであったし、当然、とーま に言ったこともない。
自身が、ヒト社会出身の男であるからか、『弱い』と相手には思われたくないし、不快だ。れむす もそれは同じであるとわかったからこそ、余計そうであった。
「? じゃっく はどうして嫌なの?」
思考していた彼に、正に同じ言葉を とーま は投げかける。じゃっく はかいつまんで話した。
「……まあ、ガキ扱いはな…弱虫みたいだし」
「オレ、まだ子供だし、弱いもの」
直ぐに返答されたその言葉に、じゃっく も側に居た れむす も目を見開き静止する。とーま は少し困ったような笑顔を向けていた。
「二人は強いんだね」
その瞳の奥に悲しみが隠れているのを、じゃっく は見逃さなかった。彼の両肩に手を置き、確りとその目を見て宣言する。
「お前は強いぞ」
精神が。
己は弱いと認め、他者を気遣える彼は充分大人であるし、当然強い。獣らしくないかもしれないが、ヒト社会では立派な鑑だ。
「嬉しい。ありがとう、じゃっく」
謙遜せず、とーま が素直に気持ちを返す。人生で出会った人間……特に母親に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい程の人物だ。きっと聖人と呼んで差し支えない。会ったことはないが。
「だが、れむす はどう考えたって弱い。だから俺はワン公と呼ぶ」
「はぁあああ?!! 俺のどこが弱いっんてんだこの……バ……ウサギぃいい!!」
断言した じゃっく に、れむす が気を荒立てるが、発言は情けなかった。ウサギはラビットとしか呼びようが無い上に、じゃっく にバニーと呼べば首が体から離れるかもしれない。
その事実を認めている以上、彼は弱い。
「負け犬の遠吠えって、コレのことかしら…」
誰にも聞こえない声で、りざ は呟いた。