2.とーま
「はん! 誰かと思ったら『ヒトモドキ』かよ」
やってきた少年を見て、クマの獣人が面白い物を見つけたかのように声を上げた。クマの言葉に、キツネとオオカミも意識を戻し、じゃっく から少年へと興味を移した。
クマの発言に、大きく身体を揺らして反応した少年は身を縮ませる。目を伏せている様子からも、『ヒトモドキ』という単語が侮辱に値するのは容易に想像できた。
「あ…みんなも怪我は?」
「お前みたいな半端者じゃないんだよ、俺らは」
「耳も尻尾も無いのに怯えてるのが丸分かりだぞ、とーま」
「百獣の王の名が泣いてるぜぇ?」
とーま と呼ばれた少年が、更に身を縮こませ、それでも笑顔で三人と一人に優しく声をかける。
「みんな無事なら、良かった」
―――――笑顔っ!! かわっ――!!
じゃっく の顔が更に赤くなった。耳の中も首も、どんどん染まっていく。じゃっく の様子に、とーま が再び心配そうな表情へと変わった。
「あ、あの…みんな、その子、本当に大丈夫?」
「うるせえんだよ! ヒトモドキ! 俺たちにかかわるんじゃねえよ!」
指導をしていたことも含め、分が悪い三人は とーま を責めることに切り替えていた。オオカミが怒鳴り散らし、とーま に手をかけようとしたが、その手は空を切るだけで届くことはない。
「うるせえのはてめえらだろうが」
じゃっく が素早い動きでオオカミに近づき、自身の踵をその脳天に叩き落としたのだ。当然、オオカミは地面と接吻をし、そのまま動かなくなる。
「れむす!?」
オオカミの名前だと思われる単語を叫び、とーま が真っ蒼な顔でオオカミの肩に触れた。罵倒してきた、仇成すべき者を心配するとは、彼は随分なお人好しか、優しい人間だ。じゃっく は更に赤くなる自分の顔を叩いて、気合いを入れ直す。
驚愕してオロオロする とーま の手を取った じゃっく は、踏みつけていたオオカミの頭から足を離し、歩きだした。
「あ、あの…」
「そのオオカミ、てめぇらで介抱しろよ。死んでねえから」
二度目のウサギの暴挙で完全に戦意を失っていた二人に、じゃっく は言い放つ。
…本当なら、手刀で簡単にオオカミの首をはねることができたのだ。獲物を狙っている獲物を討つなど、楽勝過ぎる。なんて優しいのだ俺は、と じゃっく は思う。
集落の獣人は随分、非野生的だ。
自分が殺されるなど、微塵も考えないのだろう。
この件を境に、じゃっく の陰口のあだ名が『ヴォーパル』になるのだが、それはまた別の話。
「あ、あの… オレ、とーま っていうんだ」
大分歩み進んでから、じゃっく に手を引かれていた とーま が言った。
彼の優しく響く声音に じゃっく の全身が反応する。握っていた掌に汗が滲みかけたことに気がつき、慌てて手を離した。驚いた表情の とーま の顔が じゃっく の目に飛び込んでくるが、彼は直ぐに笑顔になる。
「オレ、少し留守にしてたから…初めまして、だよね?」
「あ、ああ…俺は、じゃっく。数日前にこの集落に来た」
「よろしくね、じゃっく」
「よ、よろしく…」
今までで一番明るい笑顔を見せた彼に、自身の心臓が跳ね上がったのを じゃっく は感じた。
かわいい、やさしい、きれいなこえ。
こんな生き物に今まで出会ったことが、彼には無かった。
思わずまじまじと とーま を見つめてしまう。
橙色で跳ねた短髪、丸くて大きな茶色い瞳、少し茶褐色の肌に、唇が赤くて鮮やかな様子からも色素が濃いのだろう。
同時に、彼には『獣』の特徴が全く見られないことに じゃっく は気がつく。ヒト化しているのは分かるが、何の獣なのだろうか。所謂、草食動物で被食者とされる自身が惹かれるのであるから、同じ系統の獣なのだろうかと考える。
そう、じゃっく は彼に惹かれていた。
『女性』と『恋愛』に幻滅していた己が、この少年に魅了されているのだ。
……―――え。
俺ってその……つまり。
否、違う! 断じて!
お袋のせいで女に幻滅しているだけで!
あと、とーま が可愛いだけだ!
じゃっく の顔色が赤から蒼へ、蒼から赤へと歩行者信号機の様に変色する。
その様子に、とーま が心配そうに顔を覗き込んで声をかけた。
「じゃっく、やっぱり具合が悪いの?」
「! っいや、ぜんぜんっ!」
近い顔に慌てて じゃっく が顔をそらす。心なしか とーま は太陽の良い匂いがした。
「でも、ずっと同じ場所見てるから…」
「それは、その…とーま が」
「オレが?」
――すごい可愛い。
「っじゃなくて! とーま って、何の獣なのかなって思ってただけで…」
嘘ではない。疑問をそのまま とーま に投げ掛けたところ、彼は一瞬停止し、その瞳を瞬き、そして己の姿を見直していた。腰に手を当て、くるくると回転した後、口をワナワナと震わせている姿は、可愛い。
「ど、ど、どうしよう… 毛皮がない!」
とーま の言葉に じゃっく は首をかしげた。
「? 最初から毛皮なんて持ってなかったぞ?」
「そ、そんな…」
途端、涙目になってしまった とーま に、じゃっく は驚嘆する。なんだこの可愛い生き物。
だが、同時にとても憐れに感じる。出会って数分しか経っていないが、とーま は笑顔の方が似合っているし、彼にはそうあって欲しいと じゃっく は思った。
「な、泣くなよ。俺も一緒に探してやるから」
「ほ、本当?」
「嘘吐いてどうすんだよ」
「ありがとう」
じゃっく の言葉に、涙目のままではあるが、とーま が嬉しそうに微笑む。彼の手を取って礼を告げる様子に、じゃっく は苦笑しながら応えた。
「礼はまだ早いだろーが」
「そ、そうだね! 見つかったら、お礼になんでもするから!」
「ん?」
とーま の一言に、思わず じゃっく が反応してしまう。これは実父のせいだ。彼の父親は、日本のサブカルチャーに詳しい。だからこそ、『なんでも』といわれたら『ん?』と言うに決まっている。『なんでも』。
「オレにできることなら?」
首をかしげて素直に応える とーま に卑猥なコトが浮かぶのは仕方ないことだ。…もしかしたらオオカミたちが揶揄していた原因はこれだろうか。苛めたくも護りたくもなる、この複雑な気持ち。ヤツらの様なクズにならないように、気を付けようと じゃっく は心に誓う。