15.とんちんかん
車外にヒトが三人、傍に野生の動物が居ると判断される状況は、良い状態ではない。そもそも、『サファリ』には明確なルールが設けられているのだ。
・騒がない
・車外に出てはならない
・ゴミを捨てない
・拾わない
・持って帰らない
・動物に声をかけない
・動物を脅してはいけない
……まだあるが、この中でも既に りざ たちはいくつも規則を破っている。
けるむ に促され、四輪駆動車と共に一同は宿舎のフェンス内に入り、とーま は外で待機した。彼を(正確には けるむ を)襲ったライオンが戻ってこないか、りざ と じゃっく は気がかりであったが、けるむ が宿舎で待機していた実父たちに見張りを頼んでいた。
「僕は殺すことはできても、救えないんだ」
彼が放った言葉が印象的で、思わず じゃっく は眉をひそめたのだが、その様子に気がついた けるむ の方が話を続けてくれる。
「麻酔が打てないんだ。免許が無いから」
「ああ…」
なるほど、と じゃっく は納得した。人を襲う獣が出ても、彼は撃ち殺すことしかできないと言いたいのだろう。日本でも野生の大型動物が市街地に出現した際、撃ち殺されることが殆どだ。
特に日本では銃の所持には許可証が必要であるし、麻酔の知識や使用許可も必要だ。麻酔に関しては獣医師なら問題ないが、銃砲所持許可まで所持している人間は多くない。
少ない人間の到着が遅ければ、人的被害が出る。その前に処分する――当然の結果であるが、事情を知らない他人が批判しているのを、じゃっく はメディアで見たことがある。
***
じゃっく と りざ が 案内された場所は、宿舎の――けるむ が宿泊に使っている――個室であった。ちなみに、くろー はこの場には居ない。宿舎に入った瞬間、レミエルに仕事のことで相談があると、声をかけられたためだ。好都合であったのはお互い様で、今は談話しているところだろう。
けるむ の部屋は実に質素であった。机の上にはノートパソコンと紙束が整頓されて置いてあるくらいで、本すら見当たらない。
ベッドとエアコン、小さな冷蔵庫が設置されており、大きなクローゼットもあったが、確りと閉じられていた。その前に、トロリーケースが置かれている様子からも、『いつでもこの地を離れられる』という彼の意思を感じてしまう。
じゃっく はソレが気に入らなかった。
「すぐ出せるのは冷たいモノなのだが」
「お構い無く。本題にどうぞ」
机に備え付けられている椅子に、二人を誘導しながら けるむ が告げると、りざ から話題を切り出した。彼はその対応に安堵したのか、「では」と立ったまま自己紹介をし、質問を投げかける。
「僕は、けるむ。とーま の古い知り合いだ。君たちも とーま と同じ、獣人で間違いないか」
「ええ、種族は違うけれど、獣人よ。私は りざ」
あっさりと、りざ が認めたため、逆に じゃっく は慌ててしまう。だが、彼は思い返していた。
母親に『獣人であることを隠匿せよ』とは、今まで言われたことがない。彼が言われたことがあるのは、『ヒト前で獣耳を出すな』『ヒトに手足を出すな』の二点。これを守れるならば、『暴言』『破壊行動』は良しとされていた。
「簡単に認めるのだな…」
けるむ も意外だったのか、少し驚嘆した様子で呟く。
「既に『獣人』の存在を知っている者に隠しても仕方ないわ。『獣人』たちにとって脅威になるかと問われれば、貴方は無害。まあ、最高権力者とかになるなら話しは別だけれど」
「予定はないな」
「そう、なら結構」と りざ は即答し、口を閉じる。不本意ではあったが、じゃっく も自己紹介を済ませた。二人が行ったのに、自分だけしないわけにはいかなかったからだ。
「君たちも あんたいへるま に住んでいるのか?」
「あんたいへるま?」
続けられた けるむ の質問に、じゃっく が反対に疑問を投げかけてしまう。その様子に、りざ はため息を吐くと「まあ、覚える項目に足さなかったから…」と言いながら、じゃっく の疑問に応えてくれた。
「獣人の集落のこと。私たちが住んでいる場所は、『らい』『あんたいへるま』『めぇるかい』等呼ばれているの。あんたいへるま の方が主流ね」
「めぇるかい もだけど…、あんたいへるま ってどういう意味だよ…」
『らい』に関しては何となくであるが察していた。
集落で取り扱われている穀物にライ麦があるのだ。わざわざ寒い地方の別の集落から取り寄せており、その集落も『らい』とよばれているらしい。食堂でもライ麦パンが名物の一つであることから、獣人たちの中でライ麦は何か象徴めいたモノなのだろう。
「アンチ ヘルメス…という意味だ」
しかし、答えてくれたのは けるむ であった。その意味に じゃっく は更に首を傾げてしまう。
「へ、へるめす?」
「私たち祖先の天敵『あるじ』よ」
りざ の隠さない殺気は、先程のライオンに対峙した姿を思い出し、背筋を凍らせた。動けなくなりそうになる じゃっく であったが、本来、草食動物はこういう生き物なのかもしれないと思い直す。
「あるじ って きまいら が裏切ったってヤツだろ?」
「そうだ、正確には――」
「待って」
じゃっく の言葉に けるむ が応えてくれるが、りざ がソレを制す。彼女を怒らせたら怖いことは、彼にも充分わかっていたことであるので、素直に従った。
「けるむ 貴方、知りすぎてる。とーま が話したの?」
「否、彼の父親から聞いたんだ」
「獣人が、獣人であることを明かす以外に、生い立ちまで説明したの? 普通、ヒトは許容できないはずなのに」
「…僕は洗礼も受けていないからな」
「信じていないの?」
「信じている。崇めていないだけだ」
宗教面の話をしているのは、じゃっく にもわかった。獣人がヒト社会へ赴くことになった場合、宗教が一番面倒であると授業でも習う。彼もソレは重々承知していた。
むしろ、日本の生活は楽であったし、母が日本に移住した原因の一つでもある。そして、秋葉原で父と出会ったのだ。そう言えば、秋葉原はヲタクの聖地の一つだったはずだ。…日本はやはり変わっている国である。
「…それで、貴方が本当に聞きたいことは何?」
確かに けるむ の質問で、じゃっく が疑問を抱いてしまったため、話が脱線しつつある。本線は別だ。
「とーま は、僕に遠慮しているのだろうか」
「? 遠慮してたら来ねーだろ」
とんちんかんな質問に、思わず じゃっく は即答していた。
何だ、自分たちが獣人で、とーま と同じ場所に住んでいるのかと聞いた理由は、とーま のコトを知りたかったのかと、期待外れでがっかりもしていた。
「…彼はあの日以来、僕の前ではヒトにならない。僕の言葉が、想いが届いているのか不安になるんだ」
「ん? ヒト同士だと分かるのか? ソレ」
「え」
「獣人同士でも無理ね」
自分の思想が、相手に届いているのかなど確かめようがない。そのようなコトは言語化できないし、理解もできない。見えないモノを視ろと言っているのと同義だ。応えて欲しいという考え自体が存在し得ない。仮に応えたとしても、ソレが『真実』だという証拠もない。『真実』だとしても、『気に入らない』答えなら、結局『無価値』だ。
「損得の話なら、お前は充分『得』してるぜ、けるむ。とーま の可愛い姿が始終見れてるんだろ」
正直斃したい。と じゃっく は思う。
少なくとも、とーま は けるむ のことが『好き』だから、側に居るのだ。動物は『嫌い』なモノには近づかない。嫌いなモノは『危険』なモノだからだ。
嫌いな物でも栄養だからと食べ、嫌いな人でも仕事だからと付き合える獣であるヒトは、本当に奇妙であるし、寿命を縮めている。『○○恐怖症』と称される人々の方が、逆に正常だと言えるのではないだろうか。
「結局のところ、貴方は とーま と会話したいのね」
痛いところを突かれて、けるむ が沈黙した。大分経ってか小さな声で「ああ」答える。
「彼が、獣の姿でのみ会う理由を知っているか」
「りざ が言っていた『受け継ぐ』が原因なんじゃねーの?」
意味は分からないけど、という言葉は飲み込み、じゃっく が言ったが、その言葉に「やはり…か」と落胆する けるむ の声が応えた。こいつ、俺が知らない『受け継ぐ』の内容まで知ってるのか。とーま の親父、許すまじ。
「私も直接聞いた訳じゃないから…。良いわ、聞いてきてあげる」
その答えは目から鱗だったのだろう。けるむ の顔は驚嘆と安堵が入り交じり、複雑な表情になっていた。
「ただし、私は切欠だけ。聞くのは貴方自身。貴方の話を聞くと、貴方の言葉が重要なんでしょう?」