14.ゆういせい
とーま が対応していた獣は、同じライオンの雄だ。鬣の様子から、こちらもまだ若い雄の様であった。とーま よりも歳をとっているように見え、力の差は歴然であると、通常ならばライオンもヒトも考えるだろう。
しかし、とーま は獣人だ。齢は十五。負ける要素は無いと、じゃっく は思っていた。
ライオンは見るからに痩せており、飢餓だ。けるむ が姿を隠した様子からも、恐らく彼を獲物と捉え飛び掛かり、とーま の返り討ちにあった。
ライオンは少し制止したが、諦めきれないのか、それとも突然邪魔した若い雄に腹をたてているのか、逃げる気配はない。じっと、とーま を見つめていた。
…よく考えれば奇妙だ。ライオンは普通、群れで行動し、狩りは雌が行う。雄はその間、子守りや群れの監視を行うものだ。
現にココは、どの縄張りにも該当しない位置にある。とーま が来ること自体、珍妙に思われているとおり、雄ライオンがうろついていることはおかしかった。
「最近、プライドを追い出された放浪ライオンかな」
「…そうでしょうね」
くろー が呟いたところ、りざ が同意する。その二人の言葉に、じゃっく は首を傾げた。
「どういうことだ?」
「プライドで生まれて育った雄は、繁殖できる年齢になると、ボスの雄ライオンに追い出される。別のプライドを乗っ取ったり、境遇が同じ雄ライオンと群れを作ったりして凌ぐのだけど… …一頭になってしまうこともあるのさ」
なるほど、と じゃっく は納得する。つまり、とーま も同じ境遇の雄ライオンだと思われているのかもしれない。それは、保護区で働くヒトも同じだろう。よく一頭で生き抜いていると、感心しているはずだ。
しばらく硬直状態が続いたが、ジリジリと雄ライオンが近づいてくるのを感じ、とーま が前方へ突進した。ライオンを けるむ と車から離そうとしているのだと分かる。
しかし、その とーま を華麗に交わすと、雄ライオンが彼の後ろに回り込んだ。
これは…戦闘経験の差だな、と じゃっく が思考していたところ、りざ が突然、車から――車のルーフを上げ、飛び出し叫ぶ。
「あいつ…!!」
「ちょ、おま」
視線を思わず外していた じゃっく であったが、戻したところ、とーま は雄ライオンに後ろ首を咬まれているところであった。程度としては甘噛みに見えたので、じゃっく は問題ないと考えたが、反して とーま は力が抜けたように伏せてしまう。
え、ヤバい状態なのか、と じゃっく も思わず飛び出しかけたその時、りざ のネコパンチが、ライオンの顔面――鼻頭に直撃していた。
思わぬ反撃に、ライオンがよろめき、とーま から離れた。顔を左右に激しく振り、そして原因を探る。
対して りざ は悠然と立ち上がると、ライオンの目の前に移動し、琥珀色の両目で見下した。その怒りは隠匿しようがなく、ただのヒトの姿であるのに、巨大な肉食動物が居るようであった。
反して、とーま は驚嘆して制止している。それは当然のことであった。彼は けるむ を救い、観光車を守ろうとしただけだ。まさか件の車から、友人が、しかもヒトの姿で飛び出し、ライオンに攻撃するなど、予測しようがない。
「とーま が優しいのをいいことに…調子に乗ってるんじゃないわよ…野生児がっ!」
靴を脱ぎ捨て、素足を大地につけて肉体を借り受けると、彼女の両手足が『獣』のモノへと肉付けされる。筋肉量も明らかに増していた。
……あ、これはヤバい、ライオンが。
じゃっく も慌てて車から飛び出すと、側に立っていた大木へ走り、お得意の業で、またも木を斬り倒した。倒れた大木は、見事にライオンと りざ の間へ落ち込み、分断させることに成功する。それでも りざ はライオンに飛びかかろうとしたが、彼女の服を とーま が咥えて押さえ込んだため、それは叶わなかった。
流石にライオンも恐怖に負けて、その場を走り去っていく。その後ろ姿に彼女はいつまでも暴言を吐いていた。
「やっぱ、女ってやべぇ…」
じゃっく が呟いた声を聞き、りざ は途端、その矛先を変える。
「貴方! キスは駄目なのに、アレは良いわけ!? どうかしてるわ!!」
「な、なんだいきなり」
先程と立場が逆転したため、じゃっく は勿論、車の中にいたままの くろー もたじろぐしかない。だが、くろー は りざ の怒りの原因がよく分かっていた。
「とーま が抑え込まれたコトか?」
「マウンティングだ」
思わぬところから助言され、じゃっく は音源へと振り替える。けるむ であった。
彼も怒りを隠さず、逃げていったライオンの背を見つめている。しかし、次には とーま の元に戻り、咬まれていた首、のしかかられていた背中や太腿付近を確認した。問題がないと判断すると、とーま の首元に両腕を巻き、「無事で良かった」とだけ呟く。
肝心のとーま は、キョトンとしていたが、けるむ に抱きしめられて嬉しいのだろう。目を閉じながら、彼の横顔や後ろ髪に、顔を擦り付けている。
うらやましい…と じゃっく は思いつつ、けるむ の言葉を脳内で反芻していた。
「マウンティング…」
次に、口に出す。
マウンティング…ってアレだ。動物が、自分が優位な立場であることを相手に示す行動だ。
代表的なのは、霊長類やイヌが相手の背に馬乗りになって――……!
「!! あんのライオン、交尾しようとしやがったのかっ!?!」
思わず、じゃっく が叫ぶ。道理で『とーま命』のりざ が激昂し、けるむ が とーま の体を確認するわけだ。
ライオンが挿入までしようとしたかは不明だが、真似事であろうと『俺の方が上だ。従え』と言っていることにはかわりない。ふざけろっ!
「だから言ったじゃない!」
「いや、わかるかっ! つか、気づいたら俺があいつの首を跳ねてたわっ! くそがっ!!」
りざ に続いて じゃっく が暴言を吐き始める。同情して逃がしてやるんじゃなかったと、後悔する彼の腕に、とーま が頭を擦り付けてきた。
突然のことであったので、じゃっく が驚いて とーま を見ると、見上げてくる優しい顔が首を傾げているところであった。可愛い。
擦り付けられた手で、そのまま とーま の頭を撫でたところ嬉しそうに目を閉じて、押し付けてくるのがわかる。
「……そっか、お前が良いなら、いっか…」
とーま はあのライオンを屠ることを望んではいない。自分は正しい行動をしたのだと、じゃっく は思い直した。だが、二度目はない。
二人の様子を見て、りざ も落ち着いたのか、大地へ肉体を返還すると、靴を履き直した。
辺りに静けさが戻ったところで、漸く全員が冷静になる。
そして けるむ が封を切った。
「…君たちは…獣人か」