10.あこがれのひと
とーま が朝からソワソワしている。
毛皮に触り、匂いを嗅ぎ、顔を埋めて落ち着かせようとしているが、その見え隠れする両耳は真っ赤だ。
…可愛い。可愛いが、おかしい。
じゃっく は彼を観察して癒されながらも、その様子に不安を抱きつつあった。
「あー…あのさ、とーま。今日、なんかあんの?」
思わず問いかけたところ、さらに彼は顔を真っ赤にしてふにゃふにゃになる。なんだコレ可愛い。
「きょ、今日じゃなくてね…明日なんだけど…オレ、お休みもらってて…」
この学校では、休暇届を出せば簡単に休むことができる。無断欠席は問題にされるらしいが、届出さえ確りすれば、それこそ一ヶ月以上休んでも咎められることはない。
とーま は明日から三日間、休みを取っていた。理由まで申告する義務は無いので、当然、なぜ休むのかは誰も知らない。
「…ああ、みたいだな」
「どうせ、けるむ に会いに行くんでしょう」
「ふぇっ!///」
りざ の発言に、とーま の顔はトマトの様に真っ赤になった。もしかして、名前の由来かな? と思う程の一致具合だ。
しかし、『けるむ』?
以前も聞いたことがある人名だ。
確か、『好き』の話題になった時―――
まさか、とーま が好意を向けているヤツってことか!?
あの時 とーま は『憧れている』と言っていたが、この様子からそれだけでは無い。絶対に。
至った結論から、顔が真っ蒼になった じゃっく は、とーま の様子を伺っている。
「あ…うん…そ、だけど…」
「毎度、よく飽きないわね。獣の姿でヒトに会うなんて」
「!?! はあああ?!!!」
相手は獣人ではなくて、ヒト。しかも とーま は獣の姿――つまりライオンの姿で会いに行く。ヒトが居る地に…ライオンが赴く……
「あっぶねーだろ!? 撃ち殺されんぞ!!」
じゃっく は声を張り上げ、とーま の肩を掴んだ。先日の一件から、じゃっく は とーま に触れやすくなっていた。手と手を繋ぐのはまだ恥ずかしいが、肩に触れるのはこんなにも容易い。顔と顔の距離を橋の様に保てる要因もあるからだと思っている。
「大丈夫だよ? 保護区だから。むしろヒトで行ったら危ないかも」
「保護区って…自然保護区とか動物保護区のことか? 国立公園とか」
「めぇるかい から近いところに一つあるのよ。とーま は昔、そこに居たの」
思わぬことで、とーま の過去を知ることになったなと、じゃっく は思う。
根掘り葉掘り聞きたくなる衝動を抑え、興味の無さそうな態度をとるが、身体は正直だ。ひょこひょこと彼の耳介が忙しなく動いている。
その様子に りざ は溜め息を吐き、とーま は小さく笑う。じゃっく の希望に応えるかのように、彼は話を続けてくれた。
「うん、保護区で産まれて、親子三人で暮らしてたんだけど、お母さんが先に亡くなって。オレはしばらくの間、お母さんの毛皮を身に付けてたんだ」
「え…じゃあその毛皮は…」
思った以上に重い話になったことに、じゃっく は驚嘆するが、りざ は既に聞いていたのだろう。驚いている様子は無い。
「ううん。この毛皮は……お父さんなんだ」
目を伏せながら、毛皮に触れて とーま は呟くように言った。――だから毛皮が無い時にあんなに慌てていたのか、と じゃっく は思い出す。それでなくとも、彼は自分のことのように じゃっく の父の話で共感していた。
「そっか、本当に大事なモノなんだな」
だが、彼の母の毛皮はどうなってしまったのだろうか。父親の死も……。
獣の道を歩むということは、それほど過酷なのだろうかと じゃっく は考える。
しかし、その疑問が解決することは無かった。りざ が話題を少し変えたためだ。
「獣人で獣の道を選んだ人は、保護区に住みつくことが多いの。密猟者は稀に来るけれど、多くはスポーツハンティングされている地域では無いから驚異は少ないし。家畜化されることも無いから」
「けるむ とは、八年前に保護区で出会ったんだ」
まさか八年の付き合いとは…。ますますその『けるむ』という存在が気になるところだ。大体、保護区で出会ったのなら、とーま も獣の姿だったはずなので、意思疏通が不可能だ。愛玩のような付き合いなのだろうか。野良ネコが餌を貰って懐き、家に住み着くような。
「その けるむ ってヤツ、保護区の近くに住んでるのか?」
「ううん、けるむ はアメリカっていう国に住んでるんだけど、お父さんのお仕事の手伝いとかで、時々こっちに来るんだって」
「来るんだって、って…」
とーま の話を聞く限り、意思疏通ができているようであった。そうでなければ、けるむ という人物は、ライオンに自分のことを熱く語るただの変人だ。
「とーま。お前、獣人であることを、相手に話してるのか? それかヒト化して会話したことがあるとか?」
彼の身が別の意味で心配になってきた じゃっく が、思わず訪ねると、とーま は「えっと…」と少し困った顔を見せた。可愛い。
「けるむ は昔、保護区で迷子になってね、オレのお父さんがヒトの姿で助けたの。オレもその時にヒトになって。獣人であることはその時に話してるよ。それで…いろいろあってね……。
オレが集落で生活するようになってからは、獣の姿で会いに行ってる。けるむ はお話してくれるけど、オレが喋られないから、頷いたりして動作で会話してる感じ…かな」
『いろいろ』な部分は、恐らく彼の父親の死が関係しているのだろうと察する。じゃっく はその部分には触れず、別に気になった箇所を確認した。
「何でヒト化しないんだ? 相手も知ってるなら、普通に話せばいーじゃねーか」
言ってから、コレはまだ会ったこともない敵に、塩を送ったのではないかと じゃっく は思う。
しかし、意外にも とーま は悲しそうな顔をして俯いてしまった。
…もしや、けるむ は 重度なケモノヲタクなのかもしれない。とーま の獣姿が好きとか、獣の姿にだけ興奮するとか…
途端、じゃっく はとても不安になった。自分も獣化して尾行し、とーま に危機が迫りそうな場合は、飛び出して倒した方が良いのでは無いだろうか。そうしよう。と、心に誓ったところで、彼は りざ に肘打ちをされる。
思わず睨み付けたところ、彼女の真剣な表情が訴えかけていた。『この場は流せ、あとで説明する』と。
その様子に じゃっく は不平不満を飲み込むと、とーま へと視線を戻す。
どちらにしろ、『けるむ』の正体は知りたいことだ。今後の自分のためにも。とーま のためにも。我々がどの道を歩んでいくかの足掛かりになるかもしれないのだから。
「…と、とりあえず。その けるむ ってどんなヤツなの?」
けるむ は本当に自慢のヒトなのだろう。
パッと とーま の顔が明るくなり、ニコリと微笑まれる。胸元で掌を重ねて語る彼は、まるで恋する乙女の様であった。
「綺麗な碧と赤のお目目でお星さまみたいなの。身長はヒト化したオレの頭ひとつ分くらい高いかな。声は昔より低くなったけど、変わらず優しくて… 手櫛してくれる大きな掌も好き。今年で二十一歳になる、とっても素敵な男のヒトだよ」
「男かよおおおおおお!!!」
父親が手紙とEメールで多用する『orz』の文字格好になりながら、思わず じゃっく が叫ぶ。
否、 とーま が女性に憧れている線が全く浮かんでいなかったので、想像は予想どおりであると言えた。
しかし、とーま の様子を見るに、自分以上に、男に惚れ込んでいるのでは無いだろうかと じゃっく は考える。逆に自分にも機会があるのではないか? と思い直し、一筋の光が射しているのを感じていた。