1.まなびや
むかしむかし、ある きまいら が あるじ に さからい、はぐがい されていた ニンゲン たちに ちえのきのみ を わけあたえました。
ちえのきのみ は どく でしたが、かれらは ぜんりょう だったので、どく はきかず、くうふくがみたされ、いきのびました。
かれらに けもの の ちから が やどりましたが、かれら は いまでも しあわせ に くらしています。
―――その子孫が私たちなのです。
「…ってゆーのは、大昔の話ってわけね」
木を背に、三人の少年に囲まれた少年が、皮肉を交えて呟いた。
ここは、獣人の集落にある『ヒト社会に適合する試行の場』、通称『学舎』の裏庭だ。
獣人の集落とは、獣人がヒトと獣のどちらの道を歩むか決めるまでの仮住まいの土地だ。世界各地に点在している獣人の集落のうち、ここはアフリカ大陸にある小さな土地で、多くの獣人は『らい』、続いて『あんたいへるま』、『めぇるかい』と呼んでいる。
そして獣人とは、ある人物により迫害され、病に侵されていた人々が、『獣人の始祖』から与えられた とある樹の実を食べて生き残り、その実の能力から獣の力を宿したヒトであり、今から五千年前に誕生した。ヒトの世界では、物語に出てくる亜人として広まっているが、実際に存在するとは認知されていない。有名なのは、狼男や人虎だろうか。
そんな獣人の集落の学舎で、ウサギの獣人が溜め息を吐いた。その様子に囲っていた獣人たちの怒りが増す。
――そう、三人の少年も、囲まれた少年も件の獣人であった。
ただし、それぞれ異なった種族の獣人である。
囲っている少年たちはオオカミ、キツネ、クマであり、囲まれている少年は先にも告げたとおりウサギであった。彼らはいわゆる『半獣』と呼ばれる形態で、ヒトが仮装で獣耳や尻尾を着けている…と言えば分かりやすい。
異なる種族の彼らであったが、着ている服はとても似ていた。いつかヒト社会で背広というものを着ることになるかもしれない。その慣れのためにと支給された『制服』だからだ。
ただし、皆、思い思いに改造してしまうので、全く統一性はない。
尻尾を出すための穴は空いているし、オオカミとキツネは上着を羽織っておらず、首に巻いているネクタイは緩い。クマに至っては筋肉質な腕が入りづらいのか、ワイシャツの袖が肩口から取られている。
そしてウサギ――彼は上着を着ているが、ワイシャツの上にはフード付きの青いトレーナーを身に付けていた。当然、ネクタイなど締めてはいない。――一番ヒト社会でいう『不良』に近い格好かもしれない。
態度を改めないウサギに、リーダー格のオオカミが業を煮やしたのか、その胸ぐらを掴もうとした。透かさず、ウサギは彼の腕を払いのける。彼にとってオオカミの動きは、実母の鉄踵の速度より遅かった。
信じられないといった表情のオオカミが、次に行ったことは暴言である。
「ウサギの癖に生意気なんだよ!」
「……はぁ?」
『ウサギの癖に』とは、心外であった。獣人は元々ヒトであり、ヒトに獣という『毛』が生えただけの存在だ。だからこそ、ヒトと獣人、獣人と獣人で恋愛もするし、子も成す。その子どもたちが自分自身の存在から戸惑い、路頭に迷わないように教育するのがこの集落の役目なのだ。
少なくとも、ウサギの少年―― じゃっく は、母にそう教えられ、数日前からこの地に家族と住んでいる。
「お前ら、ばかじゃねえの? 獣の種類に優劣関係持ち込むなよ。それとも何か? 捕食者と被食者の話か?」
「――――っ、外から来たばかりの癖に図々しいって話だよ! 俺の女に色目を使いやがって!」
「………はああ???」
思わぬオオカミの発言に じゃっく は首をかしげた。オオカミの女に色目を使った覚えなど全く無い。キツネもクマもだ。りざ というネコの女と話はしたが、まさかその女か? と じゃっく は考える。
因みに獣人同士の恋愛において、獣の種族は関係ない。例えば、オオカミの男とネコの女の間で子を成した場合、子は全てネコになる。ヒトと獣人の場合も同様だ。つまり、子は必ず獣人となり、母方の獣となる。
よって、件のオオカミとネコが付き合っていたとしても、別段不思議ではない。だが、『色目を使った』というのは絶対に無いと、じゃっく は断言できた。
彼は、女に興味が無いのだ。
がさつで横暴な母親を持つせいか、はたまたそんな女房の尻に敷かれているヒトの男が父親なせいか、じゃっく は『女』と『恋愛』に幻滅していた。
しかもウサギの獣人は、性的にふしだらだと思われる傾向にある。恐らくノウサギが一年中繁殖できることにちなんだ、バニーガールのイメージのせいだ。獣人ですらそう考えるとすれば、つまり、大分ヒト寄りの思考である。
故に、じゃっく はその点に関しては警戒しているし、自重していた。
「色目なんか使ってないっつーの、仮にその女が俺に惹かれたのだとしたら、お前に魅力がねーだけだろ、ワンちゃん」
じゃっく の変化の無い態度と、増していく煽りに 、耐性が全く無いオオカミは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らすしかない。彼は見た目以上に子供であった。
「っこのっ! バニーがっ!!」
「んだとおぉぉ!!! だっれが淫乱仔ウサギだぁっ!!! ごらあああぁぁあ!!!!」
同時に じゃっく が完全にキレた。
このウサギには、『バニー』という単語が禁句であり、そして、目の前で大木が倒れたのを見て、怒らせてはいけない存在であったのだと三人は悟る。
じゃっく は右手一つで、背にしていた木を斬り倒したのだ。余りの速度と力に、誰一人として経緯を理解できたモノは居なかった。
遺された無惨な結果と じゃっく の怒りに、三人は完全に思考が停止している。
「大人しくしてれば図に乗りやがって! 首をはねるぞ!」
じゃっく が再度叫んだ時、第三者の優しい声が響いた。
「な、何があったの?! 怪我してる人居ない?!」
四人とは違い、制服をきちんと着こなしている少年が飛び出してきた。
獣の耳と尻尾は見当たらない。半獣化ではないヒト化している珍しいパターンの、獣人であるのは確かであった。
「っわぁ… 木が倒れちゃってる… だ、大丈夫?」
停止している三人は倒れた木から離れている。少年は不安気な顔で じゃっく に問いかけた。彼が一番木から近い位置に立っていたのが理由であったが、それよりもその顔が真っ赤であったからだ。
「――――――っ/////」
「顔が赤いよ? 打ったの? そ、それとも熱がある?」
完全に動かなくなっている じゃっく を心配して、少年が近づいてくる。
「えっ…と」
少年と じゃっく は初対面だ。そのためお互い名前を知らない。少年は名前を呼ぼうとして、言葉に詰まっているようであった。
―――え、何あれ、かわいい。
じゃっく が初めて抱いた感情であった。