05
「あら、晴ちゃん。お帰りっ……て。あらまっ」
人の良さそうな女性。目元が、土御門によく似ている。母上なのだろうな。口を手で塞ぎ、何を驚いているんだ。と言うか、飛ばされてから、何かと驚かれてばかりじゃないか。
本来、陰陽師が道を往くなら、民は頭を下げ讃えるハズなんだが。
「彼氏じゃないからね」
「まだ何も言ってないじゃないのよっ、なあに言っちゃってるのかしら?まさか、カップルに思われるとでも?? プププー」
「カップルなんかなりたくないし!! 求めてない!」
土御門の母上は、目を彎曲させ嫌味ったらしい笑みを浮かべていた。だが、土御門の背後からでも感じる覇気が全てを飲み込む。正直、顔を見るのが怖い、すげー怖い。でも、ここは男として何とかせねば。話に乗っておけば良いのだろ。
こんなのは、日常茶飯事だ。お偉いさんと話す時なんか、愛想笑いだと口裏合わせだとか良くやったものだしな。
取り敢えず、不穏な空気を裂く為に、左手を土御門の肩に乗せた。意外と体つきは細く、少し竦み上がる姿が女の子らしさを醸し出す。ドキッとしちゃったじゃんか。そーいや、俺、ここ数年ちゃんとした女性には触れてきてなかったな。ヤバ、悲しくなってきた。
辛い過去を、無理やり振り切って口を開く。
「土御門よ、母上にそー言うでない」
穏便な解決、穏便な解決。
「何ですか、急に」
「俺は、カップルになりたいし、夢だ。だからな、土御門もなるべきだと思うぞ? ──それを、母上が望」
え、あれ、なんで沈黙になってんの。つか、土御門に関しちゃ、蒼白な面構えになってるの。
え、なに? 時が止まったかのように動かないんですけど。
「あるじ様、あるじ様」
「なんだ?」
「さ、流石でございまする。皆を完膚無きまで黙らせるとは」
あ、何だ。言い返せないだけか。額にかいた変な汗を拭いながら深く息を吐いた。
「ふう」
「ふう……じゃないですよ! な、な、何を言ってるんですか! 貴方達は! 流石な訳があるわけないじゃないですか!!」
なんだよ、この女。情緒不安定過ぎるだろ。あ、なるほど……情緒不安定な事をこの地域ではメンヘラというのか。
「そんな怒るなよ。本当、情緒不安定だな」
「なっ!? 貴方まで、メンヘラと!!」
「おい、なぜ怒る。メンヘラなんか、生理現象だろ」
「生理は先週終わりましたよ!!」
「あらやだ、こんな場所で」
「──ルト、今の状況が全くもって理解ができないんだが」
「た、多分、この雌は自らの周期を告白したようでありまするよ」
あー、どーりで涙目になっている訳だ。
「もう、良いです!! まずは、部屋に来てください!! 母さん達は、来なくて良いからね」
そんなこんなで、土御門の部屋に来ているわけだが。
「なんか、いい匂いがするな。美味そうな果実の匂いだ」
「は、はい。妾も思いまする!! これは、蜜柑の香り」
物凄い、いい匂いがするのだ。さながら、みかん畑の中に居るような、優しくて落ち着く透き通った匂い。特に、この布地からは香る。しかし、みかん等々はとても高価な食べ物だ。買えるとはやはり只者じゃないな、けしからん。加えて、皮は干してお湯に浸し飲むのが普通なのだが──土御門は、あろう事か衣服に刷り込ませているって事になる。
「あの、なゆたさん? るとちゃん?」
「なんだ? 土御門。俺は今、忙しいんだ」
「妾もだ!! スンスン」
「いやいや、人の肌着に何、鼻を擦り付けてやがるんですか!!」
豪快に布を取られて、鼻は擦れて火傷をしたのかヒリヒリする。
「だが、嘘は良くないな。女は、元来、着物の中は何も着ていない」
「はい? 何を言って? 着なかったら、ノーブラ、ノーパンじゃないですか。私は、露出狂じゃありません」
下卑た者を見る目で、何故か見られている。
謎すぎる……。
「と言うか、ノーブラだとかノーパンてなんだ」
「えっと、だからそれは、下着を体に身につけ──ッて、何言わせてるんですか! 変態!!」
「アベぶっ!!」
「こ、こ、この雌! な、な、あるじ様に向かって平手打ちなど! 万死に値する愚行だと知れ!!」
ルトは、耳を天におったて、尻尾はいつもの倍、大きくなっている。気迫があるのだが、膝は笑っているのがルトっぽい。そんな事より、一触即発な雰囲気だ。俺は争いを望まない、心優しき陰陽師。
ルトの柔らかい毛先を、味わうように頭を撫でいきり立った感情を宥めつつ頭を下げた。
「すまん。間借りせてもらっている身。そちらの、作法に従うのが礼というもの」
「べ、別に頭を下げなくても……。私こそ、引っぱたいて、その……ごめんなさい」
「謝る事は無い。して、土御門よ」
互いに頭をあげると、目が合う。
土御門は、小首を傾げ「何ですか?」と、返答をした。
皆まで言うまい。俺は、あの不思議と香る布が気に入ったのだ。故に、指を指し穏便に済ます為に笑顔で口を開いた。
「その布を俺にくれ」
「あの、なゆたさん?」
「なんだ」
「本当に反省していますか?」
「している。だから、頭を下げた」
「それで?」
なんだよ。怒ってるのかと思ったら笑顔か。要するに、上手く聞き取れなかったんだな。それなら致し方あるまいて。もう一度、胸に抱えている布を指さした。
「だから、布をくれ」
「全然、反省してないじゃないですか!!」
──刹那、閃光の如く繰り出された右の鉄拳が顎にめり込んだ。
骨に響く鈍い音が鼓膜の奥で反響し、視線は宙を泳ぐ。
「ガグバッ!!」
「な、な、な!! 一度ならず二度までも!! しかも、次は握り拳だと!? ええい!! 刀を抜けい! 妾の宝刀・白夜の錆としてくれる!! ムフームフーッ」
遠のく意識の中で覚えたのは、妖怪よりも人の女が格段に怖い事。布は貰っちゃイケナイと言う事。ここの地域に住む奴らは、メンヘラで、直ぐに手を出すといった暴挙に出る事だった。
「──不幸だ」