敗退
「残りは、俺達だけ……か」
一人の男性は、血だらけになりながらも、依然として悠々と立つ四本角の赤鬼を眼前に捉えていた。
黒髪長髪・細く眠たげな黒い瞳。服装は、首や手首に数珠を装飾し、着物・袴・水干で一つとする、所謂、式服に身を包んでいた。
百八十程の背丈は、延喜では畏れられる程の身長。だが、それもそのはずであり、男性も人で在らざる自分を重々と承知していた。
「貴様、半妖の癖に人側の味方になるとはのう?半妖半人の、半端な陰陽師に俺が殺せるはずが、なかろーよ」
体長が、四メートルを超えるとなれば、たった一言を怒鳴るだけで、口からは暴風の如く言葉と共に息が吹き荒れる。
男性は、器官が傷つき、ササクレの様な違和感を覚えつつも、血反吐を吐きながらそれでも冷やかす笑顔を浮かべた。
式服を、鬼の吐息で靡かせ「別に俺は、誰の味方でもない。人も嫌いな奴は嫌いだ。妖怪も、嫌いな奴は嫌いだ。ただ、俺がしたいから、そーしてるだけさ」と、額から零れた血で、白目を赤に染めつつ言ってのける。
「ほう。なら、貴様は儂を殺せるのか?」
辺りに散らばる、陰陽師の死体を巨大な足で踏み潰して一歩前進した。
巨体が奏でる地鳴りとは別に、血液が体内で圧迫され、弾け散る音は嫌に耳へと残る。足元に、転がってきた目玉一つ。それは、男性に数分前、笑顔を浮かべ「任しとけ、俺が百鬼夜行を止めてみせる」と、肩を叩いた男性もの。男性は、込み上げ滾る憤怒を宥めつつ口を開いた。
「朧兎、やれるだけの事はやるぞ」
「わ、分かり申したぞ! あるじ様」
おずおずと、男性の背中から体半分を覗かしたのは妖兎だ。名を朧兎と呼び、男性と長きに渡り過ごしてきた唯一の戦友であった。
長く白い耳・ツンとした小さい鼻・赤い目・白い髪。身長は、男性の腰より高いぐらいであり、巫女装飾を身にまとった妖怪。
赤鬼は、わかり易く大いに笑う。
「がハハハッ!! なんだ? 貴様は、式神すら使えないのかのう?だから、妖怪を──それも背中に隠れたちっこい妖怪を使役しておるのか? 情けないのう」
朧兎は、丸く小さい尾っぽを逆撫で、頬を真っ赤にしつつ言った。
「う、五月蝿いわい!! 妾を嘗めるでない」
「黙れ、小娘」
殺意の篭った眼光をくらい、朧兎は竦み上がり背中に隠れた。赤鬼は、鼻で笑い満足気に二人を見下す。男性は、圧倒的であり歴然たる力の差の前に強がり、平然を装うのがやっとだった。
しっかりとした準備が間に合わず、浅はかだった考えを、男性が悔いるよりも先に死んでいった同業者。
「まあ、よいよい。儂も遊び疲れたしの」
赤鬼は、男性の足元に魔法陣を展開させた。
「儂を、貴様達は殺せんよ。もし本気で殺したかったのなら、平安京の安倍晴明でも連れてくるんだったのう。とは、言え──奴でも儂を殺せはせんがな。では、暫しの別れよ」
──刹那、男性と朧兎は燦然たる光に包まれた。