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他人が言う「悲しい」「苦しい」「つらい」といった感情を、僕は真に受けたことが無かった。ほとんど感じていなかったと言ってもいいだろう。
例えば、身近な知人Aが不慮の事故で亡くなったとする。
一般的に、それは酷く物悲しい出来事だ。その人の性格や気質にもよるだろうけど、死とは基本、寂しくて暗いものだ。
そのような経験を前にしても、僕は動じることが無かった。揺さぶられることが無かった。
何も今に始まったことじゃなかった。
昔からこの「僕」は続いている。
遡れば歳が二桁にも満たない頃から、僕は僕自身を無個性と思う以上に無感情な存在だと捉えていた。
ざっくり言うなれば、「僕」を冠した人を遠目に眺める「赤の他人」。客観的視点を酷くしたらこうなるかもしれない。
無意識に苦しみを与えられる壁を作って、その裏で僕はのうのうと日々を過ごしている。
こうなった原因を色々と考えたけれど、近いのは深刻なまでの対人不足なのだろうと一時の結論を見出した。
誰かと接した上で自分が何かを表に出す、といった一連のコミュニケーションが足りてないから、こうなったのではないかとぼんやり捉えている。
勿論、こんな自分に嫌気が差す時も無いわけではなかった。
自身の周りで喜び、怒り、哀しんで、楽しむ誰かが大勢いることに、知らず識らずに羨望を向けていた自分を責める時があった。
皮肉なことに、自分で自分を蔑む分には何も問題はなかった。ずっと殻に篭ったような性格をしてきたから、思慮深さという名の自意識だけが醜く膨らんでしまっていたのだろう。
最も、それを変えようと一念発起する気力も僕には無かったから、そんな時期も一瞬で過ぎてしまった。
人は現状維持が可能だと悟ると、そこから中々発展しないように出来ている。今回の場合、僕は現状維持の為に殻を厚くした。それだけのことだ。
...
「...」
ログインできたまではいい。
僕は今現在、立ち入り禁止の赤信号エフェクトと共に封鎖されたポータル前に立ち尽くしている。
利用人口も多い電脳仮想空間は、その莫大なまでのデータ処理から起こるサーバへの負荷を未然に防ぐ為に定期的なメンテナンスを行っている。
第1から第8、計8サーバを週2つずつ。カレンダーに丸印を付けたら綺麗な階段が出来上がるように。
今日は僕たち学生が通う現隔学園を構える第8サーバのメンテナンス日だった。
昨日、午後の授業をサボったツケが回ってきたなと思う。SHRでの諸連絡を聞いていなかった為の失態だ。
日頃から曜日感覚を失っている僕にとって、伝達事項の聞き逃しは致命的な欠陥に直接繋がってしまう。
現隔生は僕1人。まだログインしたばかりだから早々に退出も出来ない。多重ログイン時の混雑を想定して、一度アクセスしたら一定時間の経過が確認されるまで自主的にログアウトできないといった《オケアノス》の制度を、今日ばかりは少し鬱陶しく感じた。
鞄には教養道具と、ウェブマネーを差した財布が1つのみ。
定期メンテナンスは日付変更で変わるから、今の僕にはつまり丸一日分の余裕が用意されたことになる。
同じ状況に人生を心から楽しんでいるような連中が置かれたとして、彼らはきっと「まだ足りない」とか言うのだろう。
けれど僕には膨大とまで言える時間を潰す手段など思い付かない。
かといって勉学に励めるほどの模範生徒でもないし、病室に戻ってリハビリなんてもっとごめんだ。
「...先輩?」
今時新入生でもしないような凡ミスを僕はした訳で。
一人きりだと思っていたから、その呼び声が自分を指しているのだと気付くまでおよそ2分ほどを要した。
「...先輩。先輩ですよ。他に誰がいるんですか」
僕が振り返って口元に人差し指を向けると、眼前の彼女は呆れたように頷いた。
「ああ...そうか」
君もか。
こちらを睨め付ける彼女は僕と同じ、現隔の指定制服に身を包んでいた。
肩から提げている鞄もいつも使っているものだった。
...つまり、そういうことなのだろう。
「...その、同類を見つけたみたいな視線はやめてください」
「理由は同じなんだから変わらないだろ?」
これで新入生でもしないような凡ミスをかました現隔生は僕一人から二人に変わった。
数は増えたけれど、これが喜ばしい事とは思えないし、文殊の知恵にはあと一人足りない。
欲しいとも思わない。
二人してポータル上の掲示板を眺めて溜息を吐く。
なんとなく声に出したらタイミングが同じだったので、一度視線を交わしてすぐに逸らした。
「先輩って暇です?」
「そうじゃなかったら溜息なんてしないさ」
ですよね、と彼女はからから笑う。
それから暫く思考したのち、ふと伏せ目がちに顔色を伺ってきた。
「...じゃあ、ちょっとばかし私に付き合ってくれません?先輩暇なんですよね」
...やっぱり模範生徒になるべきかもしれない。