視線恐怖症の俺に友達ができた話
クラスは今日も騒がしかった。日本語かどうか定かではないような、謎の叫び声やうめき声が教室を飛び交っている。動物園だってここまで騒がしくはないだろう。これが授業中の出来事だというのが驚きだ。
時計に目を向けると、授業終了まであと二十分だった。学校で見る時計は、いやに進むのが遅く感じる。
身体の色々な所にじんわりと汗が浮かんで、その不快感に顔をしかめる。息が苦しい。吐き気がする。俺は机の木目を睨みつけながら、じっと長すぎる二十分を耐えた。
チャイムがなると同時に、机の中から文庫本を取り出して、教室を飛び出した。長すぎる階段を降りて、やっと保健室にたどり着く。
「失礼します」
スライド式のドアを開けて部屋に入る。消毒液の匂いがつんと鼻をついた。先生は不在で、一番奥のベットのカーテンだけが閉められている。誰か使用しているのだろうか。
俺は溜息をついてまたドアに手をかけた。ここで本を読んで一時間でだけでも休もうと思っていたが、何だかそれすらも面倒だ。もう疲れた。このまま早退してしまおう。
しゃっと一番奥のカーテンが開けられた。俺は驚いて振り返った。そこには普段関わることのないクラスメイトがいて、なんだが気まずくなった俺は、何事もなかったかのようにドアを開けようとした。
「ねえ、時々すごく死にたくならない?」
自分が話しかけられていることに気がつくまで長い時間を要した。俺に話しかけてきたのは、今まで一言も口をきいた事がないクラスメイトだったからだ。この部屋の中には、俺とクラスメイトの横田しかいない。なんでこいつは俺に話しかけようだなんて思ったのだろう。
横田はベットに腰掛けて、俺を見つめてきた。
何と言えばいいのかわからない。でもその一言は、俺の肌をぞわりと粟立せた。本音を外に晒されたような、ひどい気分だ。
長い沈黙が流れた。横田はずっと俺の返答を待っている様子だった。
本当にやめてほしい。手元の文庫本のページを意味もなくめくる。
「お前は、お前は時々すごく死にたくなるわけ?」
俺はやっと口を開いた。俺のぎこちない硬質な声が部屋に溶けていく。
質問に答えず、質問を返した。
横田は目を細めて「まあ、そうだね」と言った。
「なんかさ、怖いんだよね。いろんなことが怖すぎて、死にたくなる」
横田は立ち上がると、こちらに歩み寄ってきた。俺は後ずさりしたい衝動を堪えて、その場から一歩も動かなかった。
「和田」
「……なに」
横田の目は猫みたいだった。スカートは短くて、髪の毛は明るい茶髪。不良みたいだ。いや、不良か。
俺は不登校。横田は保健室登校。まともに教室に行くことが出来ない俺も、言ってしまえば不良だ。
横田はじっと俺の目を見つめた。俺は目を逸らして床を見つめる。
「和田ってさ、視線恐怖症だよね」
「……は」
ぐらぐらと目の奥が揺れる。指先がひりついた。横田は何でもなさそうに言葉を続けていく。耳を塞いでしまいたかった。
人の目が怖い。怖いから下を向く。視線恐怖。
「目が怖いから学校苦手なんでしょ? 学校って人、多いもんね」
顔を上げる。鈴田が顔を傾けて、にっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
何もかも見透かされた気分だった。自分の中でもはっきりしない部分が、言い当てられたような。そんな感じがした。
「友達になろう。私達、似てるかも」
横田が右手を差し出してきた。これは握手をしようということの意だろうか。俺が固まったまま動かないでいると、横田が「ほら、手」と急かすように言った。
「……え」
「あーもう」
うろたえる俺を無視するようにして、横田が強引に手を取った。横田の手は氷のように冷たかった。人と手をつないだのは何年ぶりだっただろうか。慣れない感触に体がむずがゆくなる。
「よろしくね、和田」
横田はそう言って微笑んだ。俺は何も言わずに、静かに頷いた。