帰り道 その③
薄暗い室内の明かりはサイドテーブルに置かれている小さな照明器具だけ。その照明のオレンジ色の光を眺めながら、毛布に包まれうつらうつらとする。
「それにしても……あのゲームに、海の向こう側にある大陸の話なんて一度も出てこなかったよな?」
「……多分」
アデルの声は透君のときよりも低いのに、話すスピードや抑揚が同じ所為か全く違和感がない。外側が変わっても中身はそのままなのだから変わるわけがないのかと、そんなことを考えながら彼の話に相槌を打つ。
「ある程度的を絞って二人を探してはいたが、貴族ならまだしも王族に接触するのは難しいんだよ。伝手云々で何とかなるものでもないしな」
「初めて会ったときに人探しを手伝うよう言っていたものね」
「……打算もあって呼び出しに応じたのもあったが、まさかお前が破滅キャラに生まれ変わっているなんて思わないだろ。俺が良く分からないモブだからてっきり二人もそうかと思うだろ?でも、俺だけがちょっと裕福なだけのただの平民その1だったわ。そうか、王族とはいえ別大陸の国の王族の可能性もあったのか……盲点だったな」
本人はおどけているつもりなのだろうが、悔し気に吐き出された最後の言葉にアデルの感情の全てが窺える。
「しかも、ヴィアンの夜会に舞い手として来てたのがあいつだったとか。女装が板につき過ぎてて全く違和感がなかったぞ……」
俯きながらブツブツ呟くアデルが若干不気味ではあるが、口にしている内容はその通りなので同意しておく。十代ならまだしも、二十代くらいの男性があそこまで完璧に女装出来るのは姉さんくらいだと思う。
「けど、何でエルヴィスが楓だって気付いたんだ?あの様子じゃ本人がばらしたわけじゃないだろ?」
「……エルヴィス王子の言動や行動の節々に、姉さんの面影が何度もちらついたのもあるけど」
「けど?」
「私に対して自己犠牲が過ぎるのよ。彼がラバンを訪れたのはたった一度だけ、そのとき私は赤子だったわ。気に入る要素も接点もない。レイトンの妹だからという理由にしては、第三者から指摘されるくらい私に対して自己犠牲が過ぎるのよ」
「その辺は全くブレないんだな、あいつ……」
「ゲームでは妹に無関心だったレイトン・フォーサイスをシスコンにした張本人。舞い手の姿でヴィアンの夜会に現れ私とのダンスを褒美に強請り、意味深な言葉を残して消えた。公務の帰りに襲撃されたときは身を挺して守るし、今回も……具合が良くないのに色々裏で動いて、最後は港まで駆けつけてくれたわ。それと、帰還式の夜会で接触した黒髪の青年はエルヴィス王子の指示を受けていたみたい」
「は……?接触したんじゃなくて拉致されたんだろうが。黒髪って、エルヴィスの隣に居たカルって奴だよね?」
「そうよ。でも、私に接触することが目的だっただけで、傷つけるよう指示はされていなかったと言っていたわ。エルヴィス王子はそんなこと望んでいなかったって……」
「へぇ……」
「カルは罰を受けていたし、謝罪もされたわ。彼の言っていることは嘘ではないと思うの」
「疑いもしないのかよ。仲良しか……」
眉を顰め低い声で問われ、別に仲良くはないとぶんぶんと首を左右に振る。
「まぁ、諸々を繋ぎ合わせればエルヴィスがお前の為に動いていたと思えなくもないが、それだとセリーヌが赤子の時点で中身がお前だと知っていたことになるぞ?本人ですら前世の記憶がなかったのに、それはおかしいだろ」
「そうなのよね……私が記憶を思い出したのは最近のことだし。それに、たった数分部下を接触させただけで中身が前世の妹だなんて分かるものかしら?姉さんのことだから、ただ単にこの世界を満喫していて、ある日いきなりストーリーから逸脱し始めたセリーヌに興味を持って近づいた説の方が濃いと思うのよ」
「有り得そうだけどな……」
どこか呆れたように苦笑するアデルを横目に、抱えている膝を指で叩きながら、「それと……」と重要なことを口にする。
「後宮を襲撃されたときに使われた睡眠ガス擬きのことなのだけれど」
「あぁ……恐らく吸入麻酔薬だろうな」
「室内に投げ込まれた缶のような物から変な匂いのガスが噴出したでしょ?アレ、元々エルヴィス王子が所持していたものらしいの」
「本人がそう言っていたのか?」
「何があったのか訊かれて、嘘をつけるような状況でもなかったから襲撃されたことを話したのよ。そしたら、持ち出されていたのかって、ハッキリとそう口にしていたわ」
「そうか……」
「私は知識がないからよく分からないけど、その麻酔薬は個人で作れるものなの?」
麻酔といえば歯医者とか手術をするときに使うものというイメージしかないので、ああいった映画で出てくるような形で使われているのを初めて目にした。
勿論それはアデルも同じなのだろうけど、姉さんが監修して作られたのだったらアデルも構造など知っているのだろうかと訊いてみたのだが。
「……個人でということであれば無理だろうな。けど、エルヴィスは腐っても一国の王子だ。資金も手駒もあるだろうし、前世と同じ手段で作れなくても既にこの世界に近しいものがあれば、優秀な専門家達を集めて何年も試行錯誤させれば可能かもしれない。ゲームの世界だからかもしれないが、思っている以上に結構何でもアリなところもあるしな」
「連れ去られる前に嗅がされたのも同じものかしら?」
「……クロロホルムの類かと思ってたが、アレは多少嗅いだくらいで直ぐに眠ったりしないはずだ。どれくらいの時間船に乗っていたのか分からないとなると、オルソンに着くまで寝てたんだろ?そうなるともっと強力なものだろう。にしても、お前に言われてもまだエルヴィスが楓っていうことに疑問を持ってたんだが、あの王子はあいつで間違いないな」
アデルは額に手を当て「何してんだか……」と呟きながら天井を見上げている。
「姉さんが先導して作らせているならガスマスク擬きがあるのも納得ね……」
「いやいや、流石にガスマスクの構造なんて調べたことないだろ。俺なんて興味すらもったこともないぞ?」
「知識チートがなくても麻酔薬と同じで、大体どんな物なのか口に出来ればあとは専門家に作らせれば良いのでしょ?」
「そうか……あいつは既に、大国の王子というチートだったな」
大国とはいえ、エルヴィス王子の環境は劣悪だ。沢山の資金や人を動かす為にどれだけの苦労をしたのか計り知れない。
一体いつから準備していたのか、目的は何なのか、姉さんの考えていることが分からずもやもやしてばかりだ。
「それと」
「待て、まだあるのか……?少しは心の準備くらいさせろよ」
右手を胸に当て大袈裟に息を吐き出すアデルに呆れつつ、心の準備とやらを待つことなく次の話題へと移る。
「別大陸に関してはゲーム内で出てこなかったからだけではなくて、そもそもセリーヌがラバンで簡単な教育しか受けていないのよ。だからほぼ何も知らない状態だったのと、帝国に居る聖女についての知識もないわ」
「あー、悪いが俺も大司教や聖女……教会関係は情報を持っていない。そこら辺はゲームで名前すら出てこない存在しているかどうかすら怪しいレベルのモブだ」
「そうなのよね……」
そう、私を何かと気にかけ助けてくれるルーティア大司教はゲームでは名前すら出てこなかった。寧ろ彼が側に居たら、セリーヌはテディをナイフで刺す前に他にもっと遣りようがあっただろうに。
「気になるなら帰ったら調べておいてやる。オルソンについてもな」
「お願いするわ」
ふわぁ……と欠伸をすると、「そろそろベッドに戻れ」と小さく手を振られた。
それに肩を竦めながら毛布を引き摺ってベッドに戻り、少しだけ開いている扉を見て頬を緩めた。
次に目を覚ましたら、きっともうヴィアンに戻っているのだろう……。
いつの間にか治まっていた吐き気に安堵しながら、そっと目を閉じた。
※※※※
「あの二人は随分と仲が良いが、どう思う?」
階段を上がって直ぐの死角に身を隠し、目の前にある角を曲がった先、セリーヌが使用している部屋の廊下を覗き見ながらクレイは楽しそうにくつくつと喉を鳴らしている。
セリーヌはアデルに、大司教はテディとフランに任せ、ウィルスは船内に危険はないか確認する為、各階をクレイと手分けして見回っていた。途中操舵室に寄り操縦士と進路の確認をし、セリーヌに異変はないかと護衛をしているアデルの元へ向かっていたのだが、階段を上がった先で不自然な体勢で立ち止まっているクレイを見つけ今に至っている。
「船に乗る前もそうだが、彼は姫様の特別なのだろうか?」
無言のまま廊下の先に視線を固定していたウィルスの肩が微かに動き、それに気付いたクレイは笑みを深め、壁に寄りかかり腕を組みながらウィルスの言葉を待つ。
「余程信頼されているのかと。そういった者が側に居ることは良いことかと思います」
「……鈍いところは大人になっても変わらないようだ」
口元を引き攣らせたクレイに溜息を吐かれ、ウィルスは何か間違ったことを口にしたのかと己の言動を振り返り思案するが、全く分からなかった……。
普段は片手で数えられるほどの数しかいない侍女と護衛騎士しか側に居らず、脅威に晒されぬよう手厚く守られる立場でありながら後宮に侵入者が入り込み、むざむざと攫われてしまうという事態に陥った。
しかも、連れ去られた国でも危険な目に合っていたのだから心に傷を負い塞ぎ込んでしまってもおかしくはない。
先程から廊下に立つアデルを見ている限り、声は聞こえないが身動きする度に見える口元が微かに動いているので、扉を挟んで会話をしていることが分かる。
どう声をかけようか悩んでいたウィルスは、そのことに気付いて安堵したくらいなのだが。
「鈍い、のでしょうか……?」
「とてもね。君がラバンに居た頃、同じようなことを言った覚えがあるが?」
「えぇ……そうでしたね」
祖父を目の前で亡くし泣きじゃくり謝罪の言葉を口にしながら父に手を引かれ、燃え盛る屋敷から離れたことを今でも鮮明に覚えている。決して離れることのないよう父の手を握り締め、追っ手を避けながら国境付近まで移動したところで思いがけず救済の手を差し伸べられた。
安全な場所を用意するといった書簡を持って現れた使者を頼りに向かった先はラバン国。
交流など一切なかったはずだと唖然としていた父と一緒に、準備が整うまでとラバンの城に滞在した。
たった数日間、されどウィルスの心と身体を癒してくれた大切な数日間。
小さなお姫様はウィルスの側から離れようとせず、顔の半分を覆う火傷の痕を何度も撫でながら一生懸命治りますようにと祈ってくれた。
婚約者と似た色彩だったから、もしくは同情かもしれない。それでも間違いなくウィルスの心は救われたのだから理由などどうでも良い。
「仕方がないことではあるが、あの頃の君は今よりも呆けていたからね」
「呆けて……」
「暗く淀んだ目をしながら周囲全てを遮断し、生きる気力すらなかっただろう?」
「……」
「本人は真っすぐ立っていたつもりでも、私から見たら自身の傷の深さに気付けない鈍い子供だった。それなのに」
クレイに顔を覗き込まれ、ウィルスは目をパチパチと瞬く。
「……姫様の力は偉大だと、そう思わないか?君を少し鈍いだけの普通の人間に戻したのだから」
善意でも、利用するわけでもなく、ただ自分が気に入った人間に頼まれていたからと口にしたラバン国王。
城内の隅に建てられた小さな宮殿で秘密裏に交わされた謁見で、『初めまして』とゆっくりと片足を斜め後ろに引き、綺麗なカーテシーを披露してくれたお姫様の隣には、ウィルスの顔を覗き込んでいる女性騎士が既に控えて居た。
「特別なものは、大抵一つしかないものだ。君は、彼が羨ましくはないのか?」
ウィルスの目をジッと見つめたまま口角を上げるクレイの目は笑っておらず、初めからずっと冷ややかなものだった。
獲物が罠にかかるのを待つ捕食者のようだと思いながら、ウィルスは視線を逸らすことなく口を開く。
「羨ましいのですか?」
鈍いらしい自分にも分かる。
普段であれば質問に質問で返すことなどしないが、恐らくコレが一番正しい言葉だと思ったのでそう訊き返していた。
「勿論」
ウィルスは即座に返ってきた肯定の言葉に目を見開き、その姿を見てクレイは満足気に笑みを浮かべた。
「些細なことでも自分を一番に頼ってほしい。他の誰でもなく、私の手を取ってほしい」
「……」
「君はもっと我儘になるべきだ」
クレイは壁に寄りかかっていた身体を起し、セリーヌの部屋とは反対側、甲板に向かって歩き出す。その後を追うようにウィルスも自然と足を動かしていた。
「思うところは多々あるが、良い騎士だ。主人に忠実で、丁重に扱っている。剣の腕はまだまだだが、そこは君が育てれば問題ない」
「はい」
「それに、利口だ。私達に気付いていたのか顔を斜めに向け唇の動きを読ませないようにしていた」
短い階段を上がり甲板に出ると、船首に立ち暗い海を眺めていたテディとフランがクレイとウィルスに気付き振り返った。
今にも駆け寄ってきそうな二人をクレイが片手を上げて制止し、彼等に向かって歩いて行く。
「さて、あの二人には何と言うべきか」
体調を崩していたセリーヌを心配していたのは此処にいる全員。
護衛と称して皆が部屋の前に居座るわけにはいかない為、アデル一人を残したのはクレイの采配だ。見たままを伝えれば、フラン辺りは走って部屋へ突撃するだろう。
「面倒だな、意識を落とすか……?」
「何があるか分からないので戦力を減らさないでください」
万が一のときには盾にならなくてはと、ウィルスは物騒な言葉を吐くクレイを追い抜かし船首へと急ぐ。
「面白味のない男だ」
背後から聞こえた言葉に眉を下げ、恐らくそれだけは永遠にそのままなのだろうとウィルスは苦笑した。
※※※※
「……っ、うっ、うう……!」
真夜中、呻き声を上げながら自室のベッドから飛び起き、周囲を見回したあとそっと息を吐き出した。額から頬を流れ落ちる汗を袖で拭い、乱れている呼吸を整える。
ドク、ドク……と激しく鳴る心臓の音を聞きながら、アーチボルトは汗で身体に張り付く寝間着を脱ぎ捨て頭を抱えた。
『……殺してやる』
最近になって頻繁に見る悪夢。
夢だというのに、起きていても怨嗟の声が耳にこびりついて離れない。
侍従を呼ぼうとベルに手を伸ばすが、こんな姿をそう何度も見せるわけにもいかず、天井を見上げながら背中からベッドへと倒れ込み、きつく目を瞑った。
夢の始まりは穏やかなもので、愛する者を腕に抱きようやく一緒に居られると微笑み合う。
けれど、直ぐに場面が切り替わり、玉座に座っている自分の前に騎士に拘束された男が現れる。
『お前に、心はないのか……?』
震える声でアーチボルトを非難したのは誰なのだろうか……。
顔を上げた男の容姿は目を覚ますと覚えておらず、その男の瞳の奥に見えた強い増悪だけが忘れたくても忘れられない。
もう見たくない、止めてくれと願うのに、夢の中の自分は男を嘲笑い手で合図を出す。
『必ず、地獄に、落としてやる』
そう口にした男の首が跳ねられる瞬間……そこで必ず目が覚める。
「……何なんだ、一体」
このまま寝たらまたこの気味の悪い夢を見ることになるのかとウンザリし、ベルに手を伸ばし手荒く鳴らす。
「……もう起きる。眠れないから執務室に行く」
夜が明ければ港にセリーヌとフランを乗せた船が到着する。
王妃が攫われたことを知られるわけにはいかず、港への迎えはクライヴと数名の騎士が内密に動いている。
上着を持つ侍従に指示を出し、「もうすぐ……」と窓の外を見ながら呟いた。




