帰り道 その②
普段怒らない人が怒ると、怖いと思う前に体感すると学んだ瞬間だった。
視線を逸らさずジッと見つめていると、アデルは更に笑みを深め徐々に後退する私に向かって手を伸ばし、咄嗟に身構えるが……。
――ペシッ……!
「熱は……なさそうだな」
「いっ……ぎゃ!?」
音が鳴る勢いで額に手を当てられ抗議の意味を込めて睨むが、鼻で笑われた挙句におまけだと言わんばかりに中指で額を弾かれ悲鳴を上げた。
「吐き気は?」
これは、心配されているのか、虐められているのか……。
つい今しがたの不穏な気配はどこへいったのかと様子を窺いながら、アデルの質問には首を横に振って答える。
扉を閉めようといまだに手に力が入っているのは条件反射なので許してほしい。
「少し寝たから、多少はマシよ。今は横になっているより起きていた方が楽なの」
「水分は取ったのか?」
「サイドテーブルに置いてあった水を飲んだけど……」
「そうか。なら、ちょっと失礼」
「ん……、え、うわっ……!?」
扉が一気に開かれ、ドアハンドルを掴んでいた私の身体は勢いよく前方に倒れかかるが、そうなると分かっていたのか軽々とアデルに支えられ難を逃れた。
驚きで若干心臓が早くなっている私を押しのけ室内に入って行ったアデルは、窓際に設置されている椅子を片手で抱え、そのままベッドへと近づき毛布を強奪して戻って来た。
――その間、約数分。
扉の直ぐ側に椅子を置き毛布を広げたアデルに眉を寄せれば、瞬きしている間にその毛布で緩くくるまれ強制的に椅子に座らされていた。
一体、何が起きたのか……。
「よし……」
唖然としながら見上げる私をアデルは一瞥し、満足気に頷いたあと何も言わず背を向け室内から出ていき、先程まで立っていた位置に戻ると半分以上扉を閉めてしまった。
僅かな隙間から覗くのは、真っ直ぐ前を向いて立つアデルだけ。
絶対に怒られると思っていた私は拍子抜けしながら毛布に頬を摺り寄せ、身体の力を抜いて深く息を吐き出した。
衝動に駆られて行動すると碌なことがないとは分かっていても、あの寂しく悲しい夢を思い出すと、何か言葉にならない気持ちが込み上げてくる。
今の私には頼もしい侍女や専属護衛騎士、それにクレイやルーティア大司教だっている。彼等や彼女達の存在は大きく、とても信頼している。
でも、気兼ねなく偽りのない自身を晒し、身を委ねられるかと訊かれたら難しい。私はもう彼等の知っている元のセリーヌではないから。
我儘を言っても、負担をかけても絶対に許してくれると思えるのは、今のところアデルと、初対面から騎士に任命するまでの間に散々な姿を見せてしまったテディの二人くらいだろうか。
そんなことを悶々と考えてしまう私の直ぐ近くにはアデルがいる。そのことに安堵し、そっと目を閉じようとしたのだが。
――コンコン……。
「……っ!?」
扉が叩かれた音にノロノロと視線を上げ、アデルの凍えるような冷たい眼差しに気づき急いで姿勢を正した。
先程の発言を許されたと思っていたのは、どうやら私だけだったらしい……。
「……いいか、よく聞け?」
「はい」
低い声で囁かれ、大人しく返事をする。
これから始まるのは間違いなくお説教だろう。
「前世でも今世でも、女性が家族でもない野郎と密室に二人きりになることがどれだけ非常識なことか分かっているか?しかも、お前のさっきの言動は誘っていると捉えられてもおかしくはない。何が起きても文句は言えないし、そんなつもりはなかったと訴えたところで手遅れだ」
「ごめんなさい」
「護衛騎士でも同じだ。男だということを忘れるな。侍女や女性騎士が待機していない部屋には絶対に男を入れるな。それが例え俺であってもだ。分かったな?」
「……はい」
非常識なのもそうだが、男性と密室なんて頼まれても断る。
アデルが特別で、前世のときと外見は全く違うが中身は気心の知れた家族のような人だからだと言いかけ、照れくさくて言葉を飲み込み、返事をする前に一瞬間が空いてしまったのがいけなかった。
「納得がいかないようなら、どれだけ危ないことをしたのか実地で教えてやろうか?」
「無理、やだ、結構です!」
更に低くなったアデルの声に背筋が震え、必死に首を横に振り毛布を頭から被った。
アデルの言いたいことも分かるし、私の為に怒ったのも分かっている。
この、扉を挟んだ位置での椅子と毛布という処置が最大限譲歩された形で、扉の隙間を使って小声で話すことが精一杯。分かってはいるが、色々散々な目にあった後なだけに……。
「……遠い」
「今更だろ」
アデルは何が?とは訊かないし、私の呟いた言葉を肯定もしない。仕方がないことだと初めから割り切っているからだ。
こういうところは姉さんも透君もメンタル強いのよね……。
「……アデルが女性だったら良かったのに」
ガバッと毛布から顔を出してそう口にすると、扉の隙間から覗くアデルの顔が嫌そうに歪んだ。
「おい、俺までそっちの道へ行かせようとするのをやめろ。そもそもヴィアン国では女性騎士を起用していないだろうが」
「アデルなら侍女も器用にこなせそう……」
「俺だからな」
「私よりも、よっぽど女性らしく過ごせそうよね」
「そういうのは……楓に頼め」
軽く微笑みながら嬉しそうな声で姉さんの名前を口にしたアデルを見て苦笑する。
恐らく、本人は無意識だろう。
姉さんと透君なんてしょっちゅう喧嘩していたのに、悪友とか親友とか言うだけあって家族のように仲が良い。船に乗る前も、私に促されエルヴィス王子と対面したアデルの驚きは大きかったが、それ以上にとても嬉しそうだった。
「……そういえば、話ってなんだ?」
毛布にくるまったまま椅子の上で膝を抱え小さく唸る。
この先、拉致や誘拐といったフランのイベントに巻き込まれ続けていたら命が幾つあっても足りない。唯でさえ味方は少なく、住居である後宮は警備が手薄。事前に何かあると疑っていてもこの状態……。
兎に角、些細なことから重大なイベントまで、ゲームの情報を全て頭に叩き込んでおく必要がある。
「王国の騎士について、何かこの先に起きるイベントとか、それが起こる切っ掛けのようなものがあれば教えてほしくて」
「早さ重視で結構雑に攻略してたんだよな……」
アデルの口から攻略という言葉が出てきて目を瞬く。
透君がゲームをしている姉さんの横に座り、時折選択肢がどうのと話しているのを見かけたことはあるが……。
「一応全部終わらせはしたが、俺が把握している内容とは随分変わってるからな……」
「全部って、二周目のキャラも?エンディングまで終えているの?」
「あぁ。でも、俺はシークレットキャラの出しかたが分からなかったから手を付けてないけどな」
私よりは詳しいだろうとは思っていたが、これは嬉しい誤算だった。
「あの悪魔ギーを退け、ヤンデレを手玉に取って、絶対零度の皇帝を誑しこむなんて……」
「待て、とんでもない風評被害だぞ」
横目で睨まれたが、誇ってよいことだと深く頷いて見せたのだが。
「どっちが先に終わらせるか、あいつと賭けてたんだよ……」
誰かに言い訳をするかのように呟いたアデルの目が死んでいる。
「……何故あのジャンルに興味を示したのかと、俺はお前を呪ったことがある」
「騎士を育成するゲームだと思ったのよ。入団試験とか、訓練とか勉強とか、その日にこなすものを選べたし、入団試験なんて何日もかかったって姉さんが。てっきり平民の主人公が成り上がるロールプレイング系かと……」
タイトルもパッケージもごく普通のもので、どこもおかしなことはなかった。
それに、何故あのジャンルと言われても、姉さんが持ってきた他のゲームは私には合わなかったのだから仕方がない。
「まぁ、他に用意したのは……王子、財閥、人外、その他諸々との恋愛シュミレーションゲームだったしな。よくそこまで集めたなってくらい数があったが、なんでその中にぶち込んできた?いや、王国の騎士も恋愛ゲームだけどな……」
「姉さんだから」
「……そうだな」
アデルは何やら納得しているが、大人の男性が一人で淡々と恋愛ゲームを進め、あろうことか日々の睡眠時間を削って全クリアを目指している。姉さんと透君は確実に同じ穴の狢だと教えてあげるべきなのか……。
「攻略キャラと大体のストーリーは把握しているよな?」
「えぇ」
「流れ的には、主人公が騎士団に入り遠征に出る。その遠征後の帰還式で功績が称えられ近衛騎士に。これが切っ掛けで王妃に妬まれ、同じ騎士達からは睨まれることになる。両方から様々な嫌がらせを受けつつ今回の誘拐イベントが起こる……」
「ゲームでは、この誘拐を画策したのはセリーヌなのよね?」
「一応それらしいことを本人が言っていたから、多分そうだろ。バッドエンドはその先がないからいまいち分かりにくいな……取り敢えず、ここまでが大体中盤だ。このあと帝国と本格的な戦争が始まり、その間に幾つか小さなイベントはあるが、どれも一周目の攻略キャラと絡むイベントだった筈だ。ラストは帝国を退け、主人公は英雄となり、邪魔な王妃は幽閉されて終わりだ」
「一周目のときに、二周目のキャラが出てきたことはあるの?」
「……名前なら何度も、いや、一周目のラストに出てきたな。式典か何かの夜会にウィルス以外の二人がいた」
「ウィルスは私が護衛騎士として王都へ呼び戻したのだから、本来のシナリオでは主人公が英雄になったあとに王都へ戻ってくるのかもしれないわ」
ラストにレイトンとセオフィラスを登場させたのは二周目への期待値を上げる戦略で、そこにウィルスがいないのは、彼は事前情報が何も明かされていないシークレットキャラだからだろう。
「それにしても……王様は散々蔑ろにしていた王妃をある日突然気にかけるようになり、隊長様は親善試合後から王妃に尻尾を振る犬と化した。腹黒は王妃限定で気弱キャラになるし、鬼才は病的なシスコンで、皇帝は軽くストーカー。シークレットは重度の王妃信棒者だろ?主人公も様子がおかしいし……もう、別ゲームだな」
それこそ風評被害だから。
「別ゲーム大歓迎よ。幽閉ルートを完全になくし、後腐れなく平和的に離婚してラバンに戻る。そのあとは何処か静かな場所に家を貰って、穏やかに過ごすわ」
その為には命大事に……!と拳を握り締める。
「主人公が英雄になる前に攻略キャラが全員集合しているのだから、これはもう一周目と二周目が混ざった状態なのかしら?」
「今回のようにお前に何かあればレイトンがアーチボルトと協力体制を取っているし、帝国との戦争はあの皇帝の様子を見る限り起きない確率の方が高いだろうな。混ざったというよりは、英雄がいない二周目だと思っておくべきか……」
姉さんは二周目を苦戦していたのでバッドエンド画面しか印象にない。
もしかしたら彼等の攻略が難しい分、イベント関係は難易度が低く優しいものなのでは?
期待しながら黙ってしまったアデルを見上げるが、何かあるのか表情が暗い……。
恐る恐る「アデル……?」と声をかけながら、何もありませんように!と心の中で祈る。
「何か目立ったイベントがなかったか、記憶を掘り返してたんだが……」
「だが……?」
「二周目にな、王都炎上とか城内占拠とか……物騒なものがあったわ」
だから、何がどうしたら恋愛ものにそんな物騒な要素を詰め込む必要があるのか。
大人しく恋愛だけをしているわけにはいかないの!?
「攻略キャラが他国の皇帝、王太子、自国の元王位継承者だろ?これくらいヤバイ案件じゃないと出張ってこれないからだろ、多分」
「でも、シナリオは破綻しているのだからソレもなくなる可能性が……」
「って、俺も一瞬思ったが……よく考えて見ろ?指示者と実行犯が変わっただけでイベント自体は起こってるんだよ。だから、あるな、コレ」
「軽く言わないで……!」
アデルから齎されたとんでもない情報に頭を抱え、ヴィアンに戻ってからのことを考える。
先ずは早急に三人の側室候補達を入宮させよう。ベディング派、前々王派の令嬢達が側室となれば、彼女達の後ろにいる者達の矛先は後継ぎ問題となる。
第一王子が産まれるまでは、王都の炎上とか、城内を占拠したりなんて物騒なことを企まないと思いたい。
「己の保身を考えれば、さっさと離婚してラバンに戻るべきだ。レイトンは話の通じない男じゃないだろ?」
レイトンにモラルや常識くらいはあると信じているが、それでも軽くて城の自室に軟禁、重くて彼が独自に建てた離宮に監禁される気がする。
それに、王族同士の婚姻は柵があるからこそ、そう簡単に無効とすることはできない。
「ラバンにはいずれ戻るわ」
私が何の憂いもなくヴィアン国を捨てる日がきたら。
「そのときは、ついてきてね」
「当然だ」
互いに顔を見合せ、ふっと笑い声が零れた。




