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『8/6 ノベルstory07 発売』私は悪役王妃様  作者:


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96/113

愛別離苦 ②



後宮、船内の甲板、そして現在。

現れる度に人数が増えていく彼等はアノ黒光りしている虫並みのしぶとさだ。

明るい場所ではハッキリと捉えることが出来た黒装束達は、今は暗闇に溶け込み手にしている暗器だけが鈍い光を放っている。

そんなとこまで似せなくて良いのに……。


「思っていたよりも早く伝令が到着したらしい」


逆手に持っていた剣を回し、通常の構えに戻したクレイが呟いた声を彼女の腕の中で息を潜めながら聞いていた。


「……人数的に、私が十、ジェイが二十、アデルが五といったところか」

「おい、何で俺が一番多いんだよ」

「……逆に何で私が一番少ないのでしょうか?」


軽口を叩きながらもそれぞれ剣を構え機を窺っている。

三回目の汽笛の音と同時に投げられた得物はクレイが防ぎ、それ以降は姿を見せた彼等が動く気配はない。

どちらが先に動くのか……張り詰めた緊張の中、私達を囲むように立っている黒装束達の中から一人だけ前へ出て来た者がいた。

恐らく、それがセドア王子の影を仕切っている者なのだろう。


「ジェイとその妻……もう一人は此処にはいないようだが、セドア様から捕縛命令が出ている。死にたくなければ抵抗するな」


一方的に告げられた言葉が合図となり黒装束達が飛び出し、右からジェイ、左からアデルが前へ出た。

ナイフの使用さえ怪しい私は、クレイの邪魔をしないように身体の余分な力を抜き真っ直ぐと立つ。

ふふっ……と頭上から笑声が聞こえたが、それはクレイの「よくできました」という笑みなので気にしてはいけない。幼児扱いされているのは気の所為だ。


「姫様、何があっても私から離れないでくださいね」

「えぇ、わかっているわ。クレイも気をつけて」

「お約束していますからね。傷一つ負うことなく、姫様を護りきって見せますよ」


幼少の頃、セリーヌは兄であるレイトンの側を離れなかった時期がある。

跡継ぎに対して行われる帝王学の一環に歴史の授業があり、その授業を王女であるセリーヌも兄の膝の上に座り聞いていた。

幼い子供には難しかったのか、兄の胸に凭れながらうとうとしていたのでその頃に教わったものの大半は記憶にない。

けれど、何故か深く印象に残ったものもあった。


『敵なしと恐れられた帝国がヴィアン国に宣戦布告するとともに軍を進行させ、国境で激しい戦闘が始まりました。負けるだろうと言われていた圧倒的な戦力差をひっくり返してみせたのが、英雄ダリウス・カーライルです。それを影で支え、共に戦場を駆け巡った騎士団はとても有名で、彼等の英雄譚は今も語り継がれています』


そう熱く語った教育係は『ですが……』と目を伏せた。


『帝国が差し向けた手の者に何度も襲撃され、彼の家族はその度に一人ずつ命を奪われました。最後には、英雄も、彼を護った騎士団も。英雄の墓の側には騎士団全員の墓もあるそうです。皆、王弟である英雄を最後まで護り殉職したとし、名誉の死となり昇進しております』


兄は家族への補償はどうなっていたのかと質問していたが、セリーヌの頭の中は(名誉の死とは何だろう……)とそればかりだった。

護衛騎士の役割はクレイがセリーヌの側にいるようになったときに説明されていた。

けれど、名誉の死などというものは一切説明されていない。

授業後に兄に説明を受けたセリーヌはとても憤慨し、数年後クレイがセリーヌの護衛騎士隊長に本格的に就任する前の日に半ば無理矢理約束させたことがあった。


『貴方は明日から私の護衛騎士隊長よ。あらゆる騎士から選んだたった一人の私だけの騎士。クレイは私の身を護り、自身の身も護りなさい。名誉の死など存在しないの。だって、貴方が死んだら、私も死んでいるはずだから。ねぇ、私の騎士様。貴方には、傷一つだって負うことは許さないわ』

『……承知しました』


王太子や王子と違い、王女は外へ出ることが多い。その際に襲撃や暗殺などは王族として生きていれば少なからず起こること。

常に過保護に護られてきたセリーヌですら何度か襲撃を受けている。その度に怪我をしたり命を落とす者もいる中、クレイだけは傷一つ負うことはなかった。

決して楽なものではないのにクレイは今もその約束を忠実に守ってくれようとしている。


「多少飛んだり跳ねたりは覚悟しているわ。万一のときは、首にしがみつくから平気よ」

「それは頼もしい。ですが、万一など、有り得ませんよ」


私を抱き締めていた腕を外し、右手と同様に左手にも剣を持ったクレイに黒装束達が一瞬怯み、その隙を見逃さなかったクレイの細身の長剣が黒装束の身体に吸い込まれていった。

クレイは私に目を閉じろとは言わない。いざという時に動けなくなるからだ。

その代わり、なるべく私に血を見せない為に確実に急所である心臓を一突きする。


「へぇ……両手か」

「……っ、だから細身の剣か!」

「お喋りの時間じゃない。さっさと片付けよう」


飛んできたナイフを剣で弾き、振り下ろされた暗器を二本の剣で受け止め、そのまま流れるように左右にいた黒装束達の息の根を止める。

クレイは人が刺さったままの剣を背後に振り、次の攻撃を受けるときに辛うじて私の目に入るものは剣先を流れる血だけ。

本当は血すら見せたくないとクレイは言っていたが、ほぼ見えていないから大丈夫だと思う。

こうして大切に護られてきたから、船上で目にしたジェイの戦い方に情けなく震え上がり動けなくなってしまったのだ……。


「姫様、浮きますよ」


その声とともに身体が宙を浮き、クルリと一回転する。


「……これで十二か。これ以上此方に近づけたら私がお前達の首を斬るぞ!」

「あぁ!?俺はもう二十超えてんだよ!アデル、働け!」

「どう見ても数があっていないでしょう、がっ!」


確かに、数が増えている。


「おかしいわ、影だけで騎士が一人もいないなんて」

「……港に配置されている騎士が此方に来ないということは、船の方かもしれません。ウィルスを向こうにやっていて良かった。恐らく、此方に来る余裕がないのでしょう」


クレイに叱咤されたからか前にいる二人が黒装束達を押さえ、私達は話している余裕が出来た。

このまま此処にいても埒が明かない。

それに、伝令が飛んだということは援軍も向かって来ているということだ。

馬車で突破しようにも馬をやられてしまえば囲まれて身動きが取れなくなる。走って船に向かうにも、私という荷物を抱えたままでは……。


「馬……?っ、クレイ……!」


どうするべきかと街道に視線を向けると、真っ直ぐ此処へ向かってくる多数の馬が見え、先頭にいる者達が剣を抜く瞬間が目に入り思わず叫び声を上げていた。

私の声に反応したジェイが真っ先に黒装束達の間をすり抜け街道に飛び出し、アデルはジェイをフォローするかのように黒装束達の中に自ら入って行く。


援軍の先駆けかと身構えたが、馬はそのままジェイを素通りし、黒装束達に突っ込んで行った。


「……おい!?」

「……っは!?」


ジェイとアデルの叫び声が同時に響き渡るが、乱入者達はお構いなしに馬から飛び降り戦闘を開始してしまっている……。


「……援軍ね、私達の」

「どうやらそのようですね」


馬で乱入してきたときは暗くて誰だかわからなかったが、この距離なら喜々として戦闘しているのが誰かなんて一目瞭然だ。

まだいるのかとうんざりしていた数が次々と減らされ、やがて沈黙した。


「……無事ね」

「えぇ。来てくださったのですね、エルヴィス様」

「見送りにね……来て良かったわ」


汚れた外套を脱ぎ捨てながら歩いて来たエルヴィス王子は綺麗な顔をくしゃっと歪め私の頬へ手を伸ばし……。


「触らないでください」


クレイに叩き落とされてしまった。


「……触るくらい良いじゃない!」

「減りますので」

「減らないわよ!本当に、あんたは昔から私の扱いが酷いわよね!」

「貴方は昔から胡散臭い人でしたからね」

「私のどこが胡散臭いのよ!?」

「喋りもしない赤子に延々と語りかけ、まだ目が見えない赤子と目が合ったとうっとり微笑んでいる幼子など気持ちが悪いですよね?しかも、赤の他人ですよ」

「周囲の大人達は微笑ましく見ていたからいいのよ!それに、レイだって同じことしていたじゃない!あんた、侮辱罪でレイに訴えるわよ!?」

「ご自由に。あの方は私の主君ではありませんので」


その場で地団太を踏むエルヴィス王子を尻目に、サッと私を抱き上げたクレイはエルヴィス王子が乗ってきた馬の上に私を乗せ、自身も馬へと乗り上げてしまう。


「借ります。アデル!そこの黒髪野郎の馬でついて来い!」

「了解」

「ちょっと、あんた!?クレイ、待ちなさい!」

「おい、俺の馬は!?」


普段丁寧な口調のクレイが「黒髪野郎」なんて……恐らくカルが私にしたことを知っているのだろう。

本人もそう思ったのか、すぐさまアデルに馬の手綱を渡したのは保身の為に違いない。


「……このまま突破します。しっかり掴まっていてください!」


流れる景色と頬に当たる冷たい風に目を細めながら港の入り口を通過し、嫌に静かな市場の中を通り過ぎる。

真夜中なのだから人などいなくて当然なのだけれど、配置されているという二部隊の姿までないのは明らかにおかしい。


「……クレイ」

「少し速度を速めます。舌を噛むのであとで」


グン……と身体が後ろに引っ張られ、私のお腹に回されているクレイの腕に力が入った。

後ろから馬の足音が聞こえるからアデル達もついて来ているのだろう。

磯の匂いが強くなり、僅かな灯りだけがある波止場に出ると、そこには呻き声を上げ倒れ伏している騎士達が点々と転がっていた。


「どうやら、彼一人で十分だったようですね」


クレイは速度を緩めることなく騎士達を避けながら波止場に止まっている大きな船へと向かう。船に近づくにつれ血の匂いが濃くなり、倒れている騎士達はピクリとも動きはしない。


「いましたね……」


船へ上がる為の階段前、小さな灯りの下に一人立っている者がゆっくりと顔を動かした。


「ウィルス!」

「……ご無事でしたか」

「船内の状況は?ルーティア大司教はご無事なの?」

「はい。汽笛を鳴らしている最中に船内に騎士が押し寄せてきたので、テディとフランがルーティア大司教を、私は騎士を。皆無事です」

「ウィルスは?怪我はしていないわね?」

「怪我はありません。軽い運動のようなものでしたから」

「……運動?」

「恐らくまだ追っては来ると思う。姫様を中に」


尋常でない数を相手にしていたの、本人にとっては軽い運動らしい……。

英雄の名に相応しい能力を持つウィルスに、その下で日々訓練し続けているテディ、前世の知識を持つアデル。


「……私の騎士達、最強だわ」

「最強過ぎて出る幕がないのよね……」


クレイに馬から降ろしてもらいながら呟いた独り言だったのに、返事が返ってきて驚き振り返るといつの間にかエルヴィス王子が背後に立っていた。

この人はメインキャラじゃない筈なのに色々謎な部分があり過ぎるのよね……。


「お別れね」


そう口にしたエルヴィス王子に頷くと、微かに笑った気配がし自然と私も微笑んでいた。

エルヴィス王子の横に並んだジェイは私を見ても何も言わず、そのまま私の隣に立つアデルに近づき抱き締めた。


「……怪我すんなよ」

「あんたもな」

「俺は、エルヴィス次第だろ」

「……騎士じゃなくてもいい。奴隷だろうが、何だろうが、生きていてくれ」

「奴隷は勘弁してほしいが、考慮はしてやる。で、お前の探し人は見つかったのかぁ?」

「あぁ。もし……もし、見つからなかったら、あんたに仕えるのも悪くないと思ってたんだけどな」

「そりゃあ、残念だ……俺みたいになくすなよ」


互いに搔き抱くように強く抱き締めたあと、二人は最後に拳を合わせ離れた。

少し離れた位置に立っていたカルは目が合うと深く頭を下げ、私は再びエルヴィス王子へと顔を戻す。

この国を出たら、私はただのリアではなくヴィアン国の王妃セリーヌに戻る。

帰ったら今回の件について報告と、不審な点について話し合いの場を設けなくてはならない。王妃としての公務は日常的に行われるし、アーチボルトの側室選びに、幾つか国家予算で作りたい物もある。

アーチボルトに後継ぎが産まれるまでやるべき事はやるが、そのあとはラバン国に戻り国から出るつもりはない。


……だから、もうこの先エルヴィス王子に会うことはないだろう。


チクリと刺す胸の痛みに気づかない振りをし、そっと息を吐き出した。


「お世話になりました」

「気をつけて」


あっさりとした別れの挨拶。

暗くてエルヴィス王子が今どんな顔をしているのかわからない。

でも、彼がどう思っていようが私には関係ない。互いに心を配るような相手ではないのだから……。


――次は絶対に、助けるから。


あの言葉は何だったのだろうか。


――大丈夫。大丈夫。貴方には、私がいるから。


どうして姉さんと同じことを言うの?


――服に血が、どこか怪我をしたの?


震えながら私に振れ、眉を寄せ泣きそうな顔をしていた。


――私が貴方を襲わせたとして、それを突き詰めてどうするの?


でも、拒絶されて。


――その名が何を指すのかはわからないけれど、私に心当たりはないわ。


希望を断ち切られた……。




「姫様」


クレイに促されるままエルヴィス王子に背を向けた。

まだモヤモヤしたものが残しながら、差し出されたウィルスの手に掴まり船内へと続く階段に足をかけたときだった。


「リア」


間近で聞こえた声に驚く間もなく、私の背後にいたクレイを押し退けたジェイに腕を掴まれ引き寄せられていた。


「何もしねぇよ、餞別だ。……耳かせ」


ウィルスとクレイが動こうとするのを咄嗟に手で制止し、真っ直ぐ私を見るグレーの瞳を見返した。

周囲からはジェイが私を抱き締めているかのように見えているだろう。

でも、最後の言葉だけ声を潜めた彼の意図していることは、先程のアデルとジェイのような別れの抱擁ではない。


「エルヴィスの唯一はお前だ」


何を言い出すのかと眉を顰めたが、彼の切実な声に耳を傾け続けた。


「あいつ怪我が悪化して数日前から熱が下がらねぇんだよ。立っているのもやっとのくせに、それをお前に悟らせないよう前日から城に入った。あいつにとって怪我や病は命取りだ。それでも、お前の為に色々画策し、こうして此処に駆けつけた」

「……」

「この世で一番大切な女だ、詮索すんな、手を出すな、それしか言わねぇ」

「……」

「頼む。今にも泣きそうな顔をしているあいつを、このまま放って行かないでくれ」


出会いは最悪で、やることなすことメチャクチャで。

私を殺したいほど強く憎んでいる人。

それなのに、優し過ぎるから……私の、自ら切ってしまった希望を繋いでくれた。


ジェイから勢いよく離れ、階段の前にいたアデルの腕を掴みエルヴィス王子の下へ走った。


「どうしたの?」


暗くてよく見えないのなら、見える位置まで近づけばいい。


「なにか……」

「嘘吐き」


困惑、悲しみ、恐れ……それら全てを混ぜ合わせたような複雑な表情を顔に張りつけているくせに、声だけはそれらを感じさせないくらい平坦で。


「……リア?」

「嘘ばっかり、全部、全部、嘘ばっかり!!」


子供の癇癪みたいなことをしている自覚はある。

でも、今思っていることを吐き出さないと、きっとこの人には何も届かない。


「なにか、理由があるのはわかる。こうと決めたらしつこいくらい諦めが悪いことも知ってる。でも、だったら、人違いだって言うのなら、もっとしっかり騙してよ!拒絶するなら、最後まで遣り通して!中途半端に姉さんの影を見せないで!」

「……何を、言って」

「そんな、壊れてしまいそうな顔を……しないで……」


エルヴィス王子の顔へ両手を伸ばし、頬を包み込んだ。

潮風で冷たくなった手が彼の火傷しそうなくらい熱い体温によって温められていく。

無理ばかりして、私を遠ざけてまで何がしたいの……。


「姉さんって、楓……?」


アデルの言葉に微かに反応したエルヴィス王子に小さく頷いた。

徐々に目を見開きながら私からアデルへ視線を移し、潤んだエルヴィス王子の目元を親指でそっと撫で、噛み締めている唇も同じように撫でた。

エルヴィス王子を問い詰めたところで、返事は決まっている。


だから……。


「今度は、私がしつこく付き纏ってやるから。何度拒否されても、絶対に諦めない」


最初に私の作った壁をぶち壊して許可なく踏み込んできたのは、貴方だから。

返事なんて聞かないとばかりに勢いよく背を向け、代わりにエルヴィス王子を凝視しているアデルを前に押し出す。


「アデル。何を言っても構わないわ。私が、許可します」


泣き笑いを浮かべているアデルの背を思いっきり叩き、あとを任せてウィルスとクレイの下へと歩き出した。



「……おい、悪友!」


ふ~~っ……と深く息を吐き出しながら楓がよく口にしていた呼称を態と使った。

喜べば良いのか、泣けばいいのか……。

それとも、ここは怒って絶縁宣言を突きつけるチャンスなのか?と、一瞬思案し(ないわ)首を振った。

なら、やることは一つだけだろ。


「俺一人残してさっさとあの世に逝ったと思ったら、今世でもその恰好かよ?」

「……ぇ」

「俺は男の恰好をしたお前を探してたんだよ。まさか、ソレとか……俺の貴重な青春時代を返せっ……!」

「……は?」


両手で顔を覆い空に向かって愚痴を垂らしてみたが、おふざけはこの辺にしておかないと遠くから発せられているウィルスとクレイの視線が物凄く痛い。


「何企んでいるのか知らねーけど、あいつのこと泣かせるなよ?」

「……」

「あ、ついでに俺のこともな?最近涙腺弱いんだよ」


まだ状況はいまいち呑み込めていないが、この呆けている男はどうやら前世の腐れ縁らしい。

今世も大分拗らせてはいるが、この方が楓らしくて良いのかもしれない。


「じゃ、行くわ。またな」


やっと、見つかった。

それが嬉しくて、にやけそうになる口元を手で押さえながら階段前で待っていてくれている仲間の下へ駆け出した。




「お前も知り合いだったのか?」


錨が上げられ、静かな波止場に水飛沫の音が響いている。

ジェイはゆっくりと船が岸から離れていくのを眺めながら、未だ呆然としたままのエルヴィスに尋ねてみた。


「いや……そんなはず……嘘でしょ……?」


大分顔色が良くなった。あんな悲壮な面見るぐらいなら、今の方が幾分かマシだ。

それにしても、近頃は狼狽えたり取り乱したりと面白いエルヴィスがよく見れる。


「そう……あいつが……」

「……おーい、何考えてんだぁ?」


エルヴィスの目の色が変わったのを見て、「うげぇ」と後退ったジェイの代わりに、カルが前に出て「計画の変更は?」と口にした。


「ないわ」

「そうですか」

「跡形もなく、無慈悲に……潰すわ」


淡々と恐ろしいことを口にする主従に頭が痛くなったジェイが唸り声を上げた。

潰すと簡単に言ってくれるが、それを先最前線で行うのは間違いなくジェイだ。

それに……。


「大事な女がいる国だろうがぁ……」

「だからよ……この世界で一番大切な、私にとって奇跡のような人なの」


背筋が粟立つような笑みを零したエルヴィスは、出港した船を名残惜し気に見送ったあと先程から騒がしい市場の方へと視線を移した。


「随分と遅い到着ね。セドア兄様にどう言い訳するつもりなのかしら、エドルは」

「馬鹿ですからね、エドル様は」


あとから城を出たとはいえ、軍馬を飛ばしているのだから船が出港する前には到着していたはずだ。

エドルは嘘や誤魔化すことが苦手なくせに夜会のときも今も、リアの為ならセドアに叱られる覚悟があるらしい。


「戻ったら後始末か……仕事量と給金が釣り合っていない」

「……俺、拘束されんじゃねぇのか?」


体力を使い果たす前に戻らないと此処の後始末まで押し付けられそうだ。

首を回し、馬に跨ったまま暗い夜空に光る月を見上げた。



――こんな月明りの綺麗な晩に、終わって始まったんだ。





オルソン国の末の王子、エルヴィス・ボルネオの世界は小さな家と病弱な母親だけで完成していた。

王族の子だと言われてもこれといった恩恵などなく、理不尽に向けられる悪意を払うことが日常。

幸か不幸か、前世の記憶のおかげで害のない無知で病弱なエルヴィスという人間を演じることが出来、成人を迎える頃には憎たらしい側室の子から哀れな側室の子という認識にまでもっていけた。

このままこの小さな箱庭で老後を過ごしていくのだろうと思っていた。


自身の過ちを知るまでは……。


『……カミラ、これは?この新聞は本物か?』

『はい。今朝の物ですから』


毎朝置かれている新聞に載っていたのは海を挟んだ大陸にある国のこと。

ヴィアン国第一王子の誕生を祝う式典と盛大な夜会が二日にかけて開かれるといったものだった。

先ずエルヴィスが驚いたのはその国の名前だ。

ヴィアン国と聞いて頭をよぎったのは前世で妹との会話に使っていたゲーム。

まさか……と思いながら読み進め、誕生した第一王子の名を見て愕然とした。



――カエデ。


どう考えてもこの世界にはない響きと、前世の自分と同じ名前。

違う、偶然かも知れない……そう思いながらここ数年分の新聞を取り寄せ天を仰いだ。

無知な振りをしてはいてもそれなりに学習はしていた。僅かな資金では大した物は揃えられず、それでもと集められるだけ情報を集めたのは自国と周辺国だけ。


そう、海の向こう側のことなどどうでも良かった。


『ヴィアン……ラバン……帝国……』


聞きなれた国の名を呟きながら広げていた地図を指でなぞる。

新たに集めた書籍にも間違いなく知っている王の名が書かれているし、それに付いていた絵姿も何度もスチルで見たものだった。


どうして自分だけだと思っていたのか……。


この世界が前世でやり尽くしたゲームと同じだと気づいたのは、もう全てが終わったあとだった。


直訴すると言ったエルヴィスはカミラや影の制止を振り切り、王に頭を下げヴィアン国の式典に参加する許可を得たが、それに王妃は否を唱えた。

エルヴィスのやる事なす事全てが気に食わない王妃は国の顔として兄達を行かせると言ったが、端から参加するつもりのなかった兄達が説得し事なきを経た。


――このときは、まだどこか楽観視していたんだ。


式典の日を迎え、招待された者達と一緒に民に向かって手を振る男を眺めていた。

幸せそうに笑い合うアーチボルトとフランは一枚のスチルのようで、ゲームクリア後のエンディングのようにも見えた。


此処へ来た理由は一つ。誰が第一王子に名を付けたのか。

もし、あの子がこの世界に居るのだとしたら、フランに生まれ変わっていても彼等を攻略はしないだろう。絶対に。

それなら、可能性としては侍女か……?

んーと唸りながら、あの子ではない全くの別人かもしれないと思い至りガックリと肩を落とした。


――俺は馬鹿だから、君の嘆き声に気づかなかった。


夜会が始まる前にアーチボルト王に謁見を申し込んだが忙しいからと断られ、八方塞がりだった俺は侍女や侍従に目をつけた。

長年勤めている者ほど口は堅い。狙うなら若い侍女や侍従達だと、猫を何重にも被り夜会の開始時刻まで情報を集めた。

最初は理解が出来ず、何度も聞き返すが返ってくる答えは一緒で、皆口を揃えて同じことを言う。


『第一王子の名を付けたのは、セリーヌ王妃様です』


夜会に出席することなく、ゲームの中で見たスチルを頼りに城の外へ走り出していた。


古びた離宮の門を開け、誰かに止められることなく庭園へと出た俺は、遠くで鳴る音楽に合わせ月明りの下で一人踊る君を見て涙が溢れた。

こけた頬にやせ細った身体。身に纏っている物は王妃とは思えないほど粗末なドレス。

ゲームで見たセリーヌからは想像も出来ないほど酷い姿だった。


『……名も知らぬ方。そこで何をしているのかしら?』

『こんばんは、王妃様』


警戒心剥き出しの君を怖がらせないよう、花壇だった物を挟んだ向かい側に腰を下ろし、長期戦も辞さないという構えを見せた。

彼女は驚いたというより、どこか懐かしむような顔で俺と同じように地面に腰を下ろしジッと俺の声に耳を傾け続けてくれた。


『幸せな夢を見るのよ』

『何もない私に、一心に愛情を注いでくれたの』

『だから、私の可愛い子には、その人の名を付けたわ』


愛する男のことを語らいながら、時折口にする夢の話に相槌を打ち、流れ落ちる涙を隠すように片手で目を覆っていた。

彼女にハッキリとした前世の記憶はないのだろう……。

でも、間違いなくこの世界の悪役であるセリーヌは、前世の俺の妹だった。


『今日は、お兄様が此方にいらしてくれるのよ』


そう嬉しそうに微笑んだ彼女は音楽が聞こえなくなるまで何度も王城の方を見ていたが、何時間待っても彼女の兄であるレイトン・フォーサイスが来ることはない。

ゲーム通りなら、今頃レイトンはフランと王城の噴水に居るから……。

夜会は二日続けられるからと、気休めにもならない言葉しか掛けられない俺に儚く頷いた彼女は真っ暗で誰も居ない寂しい室内へと消えて行った。


翌日は、朝から街に出て目に付く物全てを買い彼女の下へと足を運んだ。

昨夜はわからなかったが、日の下で見る彼女は動けていることが不思議なくらい衰弱していて今にも倒れそうだった。

子供を産んだばかりの女性を酷い環境に置くような男が、彼女の身体の異変に気づくわけがない。彼等なら彼女が姿を消しても気にせず、捜索されてもオルソン国まで手は広げないだろう。


夜会の準備をしながら、例え嫌がられても国へ連れ帰ると決めた。


顔だけ出せば体裁は整う。

視界の端にフランを囲みながら互いに牽制し合っている男達が映った。

彼女が愛した男はフランに微笑み、彼女がずっと待っている兄はフランの頬に手を当て、それを羨ましそうに眺めている男達。


吐き気がした。


連れて来ていたカミラと数名の影に荷物を引き上げるよう指示を出したが、彼女に関しては何も口にしない。言わなくても、俺が何処で何をしていたのか把握している。女手は必要ないかと言うカミラに微笑みながら首を振った。


――愚かな俺は、まだ間に合うと思っていたんだ。


糸が切れたように突然崩れ落ちた彼女の身体に手を伸ばし、境界線だった花壇を飛び越え抱き留め、冷たくなっていく彼女の身体を温めるかのように何度も摩り、誰かいないかと叫び続けた。


『……アーチボルト様……アーチボルト……様』


意識が混濁しているのか、うわ言のようにアーチボルトの名を呼び続けている君を見て、何も言えなかった。

視界が滲み、彼女の頬に俺の涙が零れ落ち、どちらの涙かわからなくなっていく。


古びた離宮には侍女の一人も居らず、バルコニーから見える庭園には花の一つも咲いていない。暗くて、寒くて、声を上げても誰も助けに来てくれない。


『ありがとう……名も知らぬ方……』


側にいてくれて、泣いてくれて。

そう聞こえたのは俺の耳がおかしくなったのかもしれない。


『……もし、生まれ変わるのなら……カエデの妹になるの。だから、大丈夫』

『待っていて、誰か呼んでくるからっ!』


ゾッとするほど軽い彼女の身体を抱き上げ、室内に置かれているソファーに横たえた。


『カル……!今直ぐ人を呼んで来い!!』


影なのだから側で待機していることは知っていた。

暗闇から現れた男がもう一人に指示を出すのを横目に、彼女に声を掛け続けた。

居なくならないで、置いて行かないで、お願いだから……。

止まることなく流れる涙が彼女の命を削っているような気がして、必死に手を握り締めた。


『エルヴィス様、人が来ます。此処から出て下さい!』


命さえあればいつでも連れて行ける。

今誰かに俺の姿を見られ問題となれば、彼女の扱いが更に酷くなりかねない。

数人の足音が聞こえ、離れる前にと彼女を抱き締めていた。


離れたくない。


『姉さん……』

『……っ!?』


幻聴かと思った。



『もう、最後だから……』


薄く目を開いた彼女が、ゆっくりと唇を動かすのをただ眺めていた。


『言ってなかったから……ありがとう、って』


一生懸命言葉を紡ぎくしゃっと笑った顔は、セリーヌではなく……綾だった。

流れ落ちる涙に手を伸ばすが、カルに肩を引かれ触れることさえ出来ず、後で後悔することになる。


式典から間もなく、王妃の崩御が発表された。





「エルヴィス?エドルが来る前に行くぞ?」


月を見上げていた顔を下ろし、市場とは逆へ馬を進める。

エルヴィスが此処に居たとセドアに知られては少々都合が悪い。


「……嘘吐きか」


墓前の前で無感情に吐き捨てた言葉を忘れはしない。

王者のように立ち塞がったあいつを許しはしない。


一度目の彼女の死後起こった結末を思い出しかけ乱暴に馬を走らせると、背後でカルとジェイが何か叫んでいたがそれを無視し目元を拭った。


首を刎ねられる前に叫んだ声は誰かに届き、奇跡となった。

けれど、奇跡はもう起きないだろう。


――二度目は、彼等が辛酸を嘗める番だ。









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[一言] マジかの一言しかないです。日常の話やエルヴィスの言葉の意味がやっとわかりました。どきどきたのしみぃ〜〜!!! 更新嬉しいです!
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