迎え
その場でふわりと回り、高く跳ねながら伸ばした手足が優雅で美しい。
足を高く上げる度に衣装から覗く素足が艶めかしく、元王女であるからか高貴さを感じ決して下品ではない。
長身のエリスの舞いには圧倒されたけれど、小柄で表情豊かなジェナリアは可憐で庇護欲を誘う舞いだ。
ジェイの視線は中央で踊っているジェナリアに釘付けで、その瞳には懐かしさや親しみなど一切なく憎悪しかない。
帯剣している方の手は握り締められ微かに震えているし、逆の手はその震える手が剣に伸びないよう押し止めるかのように強くその腕を掴んでいる。
今にも斬り殺しそうなジェイにフランが耳元で何か囁くが、それすら聞こえていないようだ。
ジェイの様子に不安になり、壇上に戻らず離れた位置に立っているエルヴィス王子を窺うと、彼は私に向かって小さく顔を振った。
殺したいほど憎い女性が直ぐ側に無防備な状態でいる。
もう護るものが何もないジェイからしてみれば、此処でジェナリアを斬って処刑されても構わない筈だ。
けれど、この場でジェナリアを斬れば彼一人の責任ではなくなる。
王族ではあるが、何の力も持っていないエルヴィス王子も彼の主として巻き添えにしてしまう。
『けどな、あいつの足を引っ張るようなことをしてみろ……殺すぞ』
小屋でそう殺気を隠そうともせず凄んだジェイが、必死に衝動を抑え込んでいるのは、エルヴィス王子の為なのだろう。
「ジェイの妻だったか?お前、どこの国の者だ」
私が袖を引いても、フランが声をかけても反応しなかったジェイが、壇上からかけられたセドア王子の声には即座に反応し顔を動かした。
「その眼と肌の色は、この国の者ではないだろ」
自身が命じて側室達に躍らせているのにセドア王子は早くも飽きたのか、それともジェイの反応を面白がっているのか、広間の中央から完全に顔を背け話しかけてきている。
その相手は私で、セドア王子の視線を遮るように立ち直したジェイが鼻を鳴らした。
「第一王子に気に掛けていただけるほどの者ではありません」
「大切な弟に寄生している虫がまた一人増えたのだから気にもかけるだろ?くだらない浅知恵で、高位の者に擦り寄る品のない女は昔から多い。なぁ、エルヴィス?」
セドア王子がエルヴィス王子に笑みを向けると、周囲に居る貴族達から失笑が漏れる。
彼が態々エルヴィス王子に問いかけた理由なんて考えなくてもわかる。
平民が高位の者に意図的に擦り寄ることは不可能だし、カミラだってエルヴィス王子のお母様が望んで側室になったわけではないと言っていた。
逆らえない相手を王が勝手に見初め、手を伸ばしただけ。
それなのに、現王の側室であった方をこうして亡くなったあとまで侮辱するなんて……。
「今宵は招待状を頂いたので出席させていただきましたが、高位の方に何かをなどと、そんな考えは持っていません」
「父が側室に贈ったドレスを着て出席しておいてか?もう既に王の興味を引いただろ?」
「それは夜会に出席出来るようなドレスを私が用意出来なかった為、エルヴィス様に貸していただきました」
「だが、エドルもエルヴィスもその女に好意的だ」
「奴隷の妻だからと哀れんでくださっているのではないでしょうか」
「……なら、次は私が哀れんで見せる番だな」
こうしてジェイを楽しく揶揄っているようで、セドア王子の眼は少しも笑っていない。
無機質な物を見るような、ただそこにあるどうでも良いものに気まぐれに話しかけているだけのようにも見える。
感情のないセドア王子の意図が全く読めず、対抗策を練ることも出来ない。
――だからこそ、私は彼が怖い。
「つまらない」
セドア王子はそう一言だけ呟くと、ふいっと何事もなかったかのように顔を広間の中央に戻し、音楽の音色が小さくなり途切れた瞬間にお辞儀したジェナリアに拍手を送っている。
彼は「手本を用意してやる」と言っていた。
だとしたら、次に予想出来ることは一つしかない……。
「ジェイ。私、踊れないわよ」
「だろうな……ワルツなら兎も角、アレは貴族の令嬢が踊るようなもんじゃねぇ」
「元王女様は踊っていたけど……」
「奴の好みに合わせて覚えたんだろうよ……ったく、ワルツすら碌に踊れず教師から見放された女が、よくやるよ」
「リア様が踊るよう言われたら、代わりに僕が踊ります」
「……それが許されるなら俺が踊ってやるよ」
幾らフランがこの世界のヒロインとはいえ、相手が悪すぎる。
どこからどう見てもセドア王子は攻略対象ではなく、私と同じヒロインを窮地に追い込む悪役側だ。
「セドア様。いかがでしたか?」
カツン……と高いヒールの音を響かせ、壇上の前まで歩いて来たジェナリアがセドア王子を真っ直ぐ見上げ首を傾げながら微笑んだ。
踊っていたときとは違い、ただそこに立っているだけで儚げな印象を周囲に与える。
男性だけを集めた側室に唯一加わった女性のジェナリア。
踊り終えたあと他の側室達は壇上の隅に移動しているのに、彼女だけはセドア王子の元へ来て話かけることを許されているのだから、側室筆頭はジェナリアなのだろう。
正妃の補佐としてある側室は王の後ろ盾となる家柄の者か、他を圧倒するほどの美貌や才などが求められる。
稀に手をつけた者を無制限に側室として後宮に入れる国の王もいるが、大国であればあるほど他国の王族や上級貴族が揃う後宮に、不和を招くとわかっていて利益を齎さない者など入れはしない。
何も益がない王女をここまで優遇している理由は何なのだろうか……?
現王がエルヴィス王子のお母様を愛していたように、セドア王子がジェナリアを愛しているから?
有り得ない……セドア王子のジェナリアを見る冷たい瞳には、そんな甘ったるい感情など一欠片もない。
「沢山練習しましたのよ?褒めていただけますでしょうか」
両手を胸元でぎゅっと握り頬を染めながら甘えた声を出すジェナリアに、セドア王子は溜息を吐きぞんざいに手を振り下がれと合図をした。
「お前の役目は終わった。もう下がっていろ。今はそこの者に興味がある」
「……そこの者?」
セドア王子の視線を辿りながらゆっくりと此方に顔を向けたジェナリアの表情が歪み、思わずといった様子でジェナリアが「セドア様……!」と声を上げた。
「奴隷とその妻など、そんな素性の知れない者達に関心など向けられませんよう」
「可愛い弟の身内だ。舞いの一つでも躍らせ褒美を与えるのは兄としての気遣いだが、どうも気に入らないらしい」
「それこそセドア様に声をかけていただく為の汚い手段です。王家の夜会に図々しく顔を出す者だもの、場末の踊り子のように舞いくらいはできるでしょう?それを嫌がって見せるなんて……汚らしい」
「……おい、どの面下げてお前が」
「お前ですって?私はセドア王子の側室よ。身の程を弁えなさい、奴隷が」
マズイと思い、苛立ち足を踏み出そうとしたジェイの上着を思いっきり引っ張ると、足を止められたことで我に返ったのかジェイは唸るように息を吐き出した。
「煩い……ジェナリア、少し黙っていてくれないか?」
一触即発の状態を楽しむかのように彼等の遣り取りを眺めていたくせに……。
顔色悪くしコクンと頷いたジェナリアに満足げに微笑み、セドア王子の興味は息を潜めていた私に再び向けられた。
「見本は十分だな?踊ってみせろ」
「……っ」
「エドルもエルヴィスもこれ以上何か言うようであれば、夜会から叩き出す。勿論ジェイもだ。大切な妻なのだろ?一人にさせたら可哀想だな?」
立ち上がろうとしたエドル王子と私達の元へ動こうとしたエルヴィス王子の背後には、いつの間にか隅に控えて居た騎士達が彼等の左右に立ち、セドア王子の脅しの言葉と共に身動きが取れなくなってしまった。
――助けを期待するだけ無駄だわ。
この場でもっとも権力を持っているのはセドア王子だ。
彼の一言で私達なんてどうとでも出来る。だったらこの場では大人しく従っていた方が良い。
けれど、踊れと言われても……何を?
前世でバレエとか習っていたのなら何とかなったかもしれないけれど、NO趣味!NO運動!の私が一人で踊れるものなんて盆踊りくらいだ……。
それでも、ここで王族であるセドア王子の命令に逆らうわけにはいかない。
「……ふざけやがって」
「ジェイ」
「……くそっ」
逆らっては駄目だとジェイの名を呼び、振り返った彼に(大丈夫だから)と、声に出さず口だけを動かした私に、息を呑んだジェイを安心させるよう微笑んだ。
女は度胸と言うではないか……どんなに無様なことになろうと、踊れと言ったのはセドア王子なのだから命令した彼が恥をかこうが知ったことではない。
寧ろ、思いっきり恥をかくが良いわ!
背筋を伸ばし、顎を引き、戦地へと赴くような気持ちで中央へと足を向けたときだった。
「なんだ……?夜会はもう終わった?」
私が、彼の声を聞き間違える筈はない……。
人が多い場所が嫌いで、話すのも面倒だと通常であれば口数少なく覇気もないのに。
「……至高の音色が聞けると言われたが、期待外れだ」
静まり返っていた広間には彼の声が響き、それが誰なのかを察した貴族達が道を開けるように左右に広がり、その中を純白の衣装の裾を翻しながら神の御使いのような美しい男性が進んで来る。
「招待されたから足を運んだけど……コレが王家の夜会?今迄見たどの夜会よりも最悪だ」
少し子供じみた口調になるときは、彼が物凄く怒っているときだと私は知っている。
「ルーティア大司教様……」
唖然としたように呟いたセドア王子に、ルーティア大司教が口角を上げた。
フードを深く被り顔を隠した司教四人を引き連れたルーティア大司教に驚く私を余所に、彼は此方を一瞥もせず勝手に壇上へと上がって行く。
「何故、貴方が夜会に……?式典のみの参加だったはずでは?」
「招待されたから」
「誰が、そのようなことを……」
「可笑しなことを言う。王家主催の夜会に、私を招待できる者は限られている。で、コレなに?」
「いや、だが……何故」
質問に質問で返すなと相手に聞こえるように呟くルーティア大司教にセドア王子は困惑を隠しきれないのだろう。
他の誰もが彼の纏う空気や人間離れした美貌に惑わされがちだが、ルーティア大司教は決して清廉潔白な大司教ではない。
とても我儘で、空気など敢えて読もうとせず、地位と権力をふんだんに使ってくる、とてもずる賢い大司教だ……。
「夜会はまだ続いています。今から余興をさせるところでした」
「余興?」
「……そこの、奴隷上がりの者の妻に舞いを披露させます。皆を楽しませることが出来れば王族から褒美を与える予定です」
「……妻」
「えぇ、そこに」
セドア王子の手を向けた先には私が……。
バチッとルーティア大司教と目が合い、一瞬にして彼の表情が歪んだ。
「必要ない」
「……必要ないとは?」
「聞こえなかったのか?舞いは取り止めだ」
「取り止め……?」
「舞いは嫌いだ。私は演奏を聞きにきたのだから、演奏させるべきだ」
「……」
セドア王子を絶句させることが出来る人なんてルーティア大司教だけだろう。
各大陸、各国において多大な力を持つ教会。
大司教となれば王族相手でも決して頭を下げることはないと言われているし、実際にそれが許されている。
その大司教の中でも次期最高位と称されているルーティア大司教が、子供のように我儘を言い勝手に夜会の余興を変えてしまうのだから言葉も失うというものだ。
「……まだか?」
「大司教様……」
「そこの……第二王子?楽師達に演奏させろ」
「大司教様!」
言いたいことだけを言ってさっさと壇上から下りたルーティア大司教にセドア王子が声を荒げるが、本人はどこ吹く風だ。
エドルが楽師達の方へと向かったのを眺めながら、然も今気づいたというような顔をして私を指差し「舞い手としては不足だな……」と鼻で笑っている。
踊りを強要されたばかりか、自称親友にまで貶められたのだけれど……。
ルーティア大司教が介入したことで、このままセドア王子の命令をなかったことにしてしまえば楽だが、その後が怖い。
式典が行われる三日の間は港が封鎖されていて船が出せないだろうし、軍部を掌握しているのはエドル王子ではなく恐らくセドア王子。
無事にこの国を出るにはなるべく彼の機嫌は損ねない方が良いのだけれど。
「勝手なことをされては困るのですが」
「この国の王からは、好きに過ごして良いと言われている」
意味が違うと思うのよね……。
過ごしやすいようにと配慮された言葉であって、好き勝手に遣りたい放題してくださいと言われたわけではないのだが。
全て分かっていてコレだから、ルーティア大司教は本当にタチが悪い。
「お前達は下がれ……この場には不似合いだ」
周囲に聞こえるよう告げたルーティア大司教と、壇上で唖然としているセドア王子に頭を下げ、ジェイに手を取られながら急いで出口へと移動する私の横を、フードを被った司教が通り過ぎた。
「……ぇ」
そのほんの僅かな一瞬。
人混みの中、腕が微かにぶつかる距離で拾った音にずっと張り詰めていた糸が切れた。
「……リア?」
「大丈夫よ……」
思わず立ち止まってしまった私に何かあったのかとジェイが声をかけてくれたが、それに返事をしながらも必死に涙を堪えた。
『……迎えに来ました、姫様』
すれ違いざまに囁かれた言葉は私の涙腺を意図も容易く壊してしまう。
大好きな、大切な、私だけの騎士。
まさかクレイまで来てくれるとは思っていなかったから。
決して振り返ってはいけない。足を止めても駄目。
早く、早く……と焦る気持ちを抑えながら広間を出て、誰も居ない城内の廊下を走った。
「馬車を呼んできます。ジェイさん、リア様をお願いします」
「あぁ」
……もう、無理、全力疾走とか、無理過ぎる。
淑女としてどうなのかとか気にしている場合ではない。
膝に手をつき肩で息をする私を、呆れたように見るジェイに何か言ってやりたいがそれすら出来ない……。
「……体力ねぇなぁ」
十分でしょ!?と口をパクパクさせ声にならない抗議をするが、肩を叩かれ宥められてしまった……。
もうお腹いっぱい。これ以上何もありませんように!と祈ってみたが。
「……ジェイ!」
この世界に神様が存在しないことをすっかり忘れていた私には、今日最後の試練が待っていたらしい。
(勘弁して……)
背後から叫ばれた声とそれに反応するかのように隣で殺気を放つ男に、溜息を吐いた。




