聖女
「お初にお目にかかります、ラバン国王太子殿下。帝国大司教区で司教の地位についております、ルチーフェロと申します。後ろに控えて居る者達も私と同程度の地位に就いておりますが、本日私は大司教様の代理でのご挨拶ですので、代表としてご挨拶を申し上げます」
「……丁寧な挨拶をありがとう。ルチーフェロとは、珍しい発音の名前だね」
「平民の孤児であった私は、幸運にも神に救われ素晴らしい名を頂きました」
「……そう。こちらでは聞いたことのない名だったものだから少し興味を持ってね。すまないことを聞いてしまったね」
「いいえ。お気になどなさいませぬよう」
「そう言ってもらえると助かるよ。さぁ、座って寛いでくれ。今お茶を用意させているから」
「失礼いたします」
丈の長い裾を丁寧に払いゆっくりとレイトンの対面に腰を掛けたルチーフェロは、顔立ちが幼いからかまだ年端も行かぬ子供のように見える。
――これが、聖女?
数人の大人を引き連れた少女が室内に入って来たとき、レイトンは思わず眉を顰めてしまった。
事前に彼女の経歴を調べさせてはいたが、平民の少女が臆することなく堂々と歩く姿を奇妙に思い、更にはその容姿に舌打ちしそうになり、一瞬父である国王のほくそ笑む顔を思い浮かべるも即座に王太子としての仮面を付け直した。
「態々遠い場所へ足を運んでもらって悪いが、私はあまり時間が無くてね」
「わかっております。では、こちらは帝国大司教であったルーティア大司教様に代わり、新たに大司教となられたジーザス大司教様からの書簡でございます。どうぞお受け取りください」
「……あぁ。ルーティア大司教はヴィアン国の教会に移動したのだったね」
書簡を開きながらルチーフェロに微笑むと、彼女も微かに微笑み返し頷いた。
ルーティア大司教とセリーヌはラバン国内にある教会、孤児院での奉仕活動で出会い仲を深めていった。
その際にルーティア大司教を調べさせたが怪しい点は見つからず、セリーヌに対しても害は無く互いに友のような関係を築いていると報告を受けていた。
今回の移動も恐らくはセリーヌの為に行ったものとして認識しており、それに関しては手を出す予定はない。
セオフィラスからも暫くは静観すると連絡がきている。
書簡の内容はジーザス大司教の挨拶から始まり、ラバン国内に居る大司教と肉親であることが書かれている。
セオフィラスが戴冠したからといって帝国と停戦協定や同盟を結んだわけでもなく、未だ敵国という認識であるにも拘らず教会がこのように面会を申し入れてくる意味がわからない。
この面会は教会側からだと聞いているが、だとしたら王太子である自身よりも国王である父がこの場に居るべきだ。
ルチーフェロと一度でも面識があればそれもまた変わってくるが……思い返して見ても彼女と会ったことは一度もない。
「ありきたりな挨拶文だね……あとは、教会同士で繋がりが出来たと、その報告かな?」
「私は代理として書簡をお持ちしただけなので、大司教様の意図までは」
「……帝国の聖女と名高い君を使いに出してまで、教会は何を望んでいるのかな?」
「聖女などと過分な呼び名であり、私はただの司教でございます」
「まぁ、絶対権力者である皇帝が統治している国ではあまり力はないよね。けれど、他国ではまた別だと言うことはわかっているかな。信仰厚い国は沢山ある」
「はい。帝国もそうですが、豊かな土地を持ち、他国からの侵攻を許さないラバン国でも教会はお飾りのようなものです。私のように」
「民衆から支持を得ている聖女が、お飾りなのかな」
「たかが聖女です。この国に居られた女神様の足元にも及びません」
「……」
ルチーフェロの口から出た【女神様】という言葉に反応したレイトンに、それまで淡々と受け答えをし人形のようであったルチーフェロは、目を細め口角をゆっくりと上げた。
「勘違いなさらないでください。私共は決して女神様に対して害をなそうなどとは思っていません。えぇ、決して。あの方には!」
不気味な笑みを浮かべ、熱に浮かされたかのように語気を強めるルチーフェロに対して、レイトンの側に待機していたギーが警戒をする。
彼女の背後に立つ司教達も予想外な出来事だったのか、立ち上がりかけた聖女の肩をやんわりと押さえつけていた。
「……君は、セリーヌと面識が?」
「いいえ。私のようなものがご尊顔を拝見するなど、神に唾を吐くような行いです」
にたり……と笑うルチーフェロを見て害がないなどと誰が思うのだろうか。
いや、ある意味これが信仰というものなのか……?とレイトンが若干引いていたことに気づいたのか、ルチーフェロは目を瞬かせ「失礼しました」と謝罪した。
「女神教などというものがあるとは知っていたけれど……皆が君のような者達なのかな」
「王太子殿下は、女神教のことをどのように認識しておられますか?」
「……数々の奇跡を起こすなどと、まるで絵空事のような話だ。王女としての義務を果たそうと動いていたセリーヌを偶像にし、教会は何を企んでいるのかと危険視されても可笑しくはないよね」
いつの間にか教会内で浸透していった女神という存在が己の妹だと知ったとき、腸が煮えくり返るほど怒りをいだいた。
自身の命よりも大切な妹が教会に良いように使われているなどと許せるはずもなく、裏から手を回し愚かなことを企てた扇動者を潰そうとした。
が、そんなレイトンの邪魔をしたのはルーティア大司教であり、彼こそが女神教を作った人物だった。
「ルーティア大司教様が詳細はご報告されているはずです。これは全て女神様の為であり神のお導きによってのことです」
「……神ね」
「えぇ。何れ、皆様もお分かりになられる筈です。偉大な神によって、何が護られ、どのような恩恵を受けるのか」
「で、君はその神とやらの使徒だとでも?聖女としてわけのわからない存在を信仰しろとでも言いに来たのかな」
神などくだらないと吐き捨てるように言うと、対面している少女の表情がスッと消えた。
「……信仰?そのようなものなど神は望んでおりません。寧ろ、必要ないとお捨てになるでしょう。聖女としての役割をご説明しようとは思っていませんが、間違った認識は双方にとって誤解が生じることになります。それは本意ではありません。ですので、ひとつだけ。聖女とは、神の使徒ではなく帝国の為だけに存在する者と覚えておいてください」
「……どういうことかな」
「それをご説明するつもりはありませんと、お伝えしました」
ギーが動こうとする気配を感じ右手を上げて止める。
王族に対して不敬だとでも思ったのだろうが、教会とはそのようなもの。
国の管理下に置かれているとはいっても、国の一部ではない。
さて、どうするか……と思案していると扉がノックされた。
謁見している者達へ退出を促す合図だ。
間が悪いと思いつつ、謁見時間を短くしたのは自身だと失敗を悟った。
「では、王太子殿下。貴重なお時間をいただき、本日は誠にありがとうございました」
ルチーフェロはもう用はないとばかりにレイトンへ退出の挨拶をし、来たときのように司教を引き連れ扉の外へと姿を消した。
「ギー……あの聖女が国内に居る間だけ影をつけるように」
「承知しました」
聖女に関して事前に貰っていたセオフィラスからの報告書の内容はたいしたものではなかった。
平民の孤児、ルーティア大司教の庇護下に置かれている者。言動はときに幼く、その辺の平民と大差ないと。
帝国内での民からの印象は良いが、身に余る地位を欲している強欲な者の為、王族や貴族内ではあまり歓迎はされていない存在であるとも書かれていたが。
「……報告書の内容とは、違っていたね。どういうことかな。セオが、僕に嘘を?」
「セオフィラス様が騙されているのか、あの女が本性を隠しているかのどちらかです。それに、主様もセオフィラス様に黙っていることは沢山あります」
「そうだね……でも、女神教のことは聞かれたから教えてあげたよ」
セリーヌがヴィアン国の王妃として帝国に招かれたあと、一体どういうことだ!と殴り書きされた手紙が届いた。
どうもこうも、レイトンが主導で行っていることではないと前置きし、全てルーティア大司教の仕組んだことだと返事を書いた。
嘘でも、誤魔化しでもなく、本当のことだ。
「あの女、気味が悪いです」
「ギーがそう感じたのなら、警戒しておいた方が良いかな。それに、彼女はセリーヌの幼い頃に似ているね……」
「似ていましたか?」
「……いや、どちらかというと祖母に似ていたのかな?」
何度も首を傾げるギーに苦笑しながら、王家の肖像画が飾られている間に置かれている祖母の若かりし頃の絵を思い出す。
とても美しく聡明だった祖母は近隣諸国からの婚姻の申し込みが後を絶たなかったと聞いている。
「セリーヌは祖母に良く似ているからね……」
「それなら、主様も似ていますか?」
「血は繋がっていても僕は男だから。女性である祖母やセリーヌよりも、父に近い顔立ちだと思うけど」
「中身はそっくりです!」
「……それは、あまり嬉しくはないかな」
大きく両腕を伸ばしたあと軽く肩を回し、隅に待機している侍従に国王へ面会の取り次ぎを指示する。
出来れば直ぐにでもヴィアン国へと向かいたいものだが、聞かなくてはならないことが出来た。
「さっさと引退してくれないかな……」
面倒だと溜息をつき、聖女と面会なんて何を画策しているのかを吐かせる為に国王の執務室へと足を向けた。
※※※※
ラバン国の騎士に挟まれながら、聖女とそれに付き従う司教達は城内を歩いていた。
その間余計なことは一切話さず、稀に聖女が周囲を窺う程度で何も問題はなかった。
「では、私共はこれで失礼いたします」
城の門の外まで案内をした騎士に丁寧に頭を下げ礼をする少女の姿は、誰から見ても聖女という名に相応しい存在だろう。
実際に礼を言われた騎士もどこか感心するかのように頷き、少女が馬車に乗る手伝いまでしたほどだ。
「……ばいいのに」
扉が閉められ、馬車が動いたのを確認し、ルチーフェロはポソリと呟いた。
「聖女様」
一緒に馬車に乗っていた司教に咎められるかのように名を呼ばれ、ルチーフェロはベッと舌を出した。
「だって、みーんな使えないんだもん。あの子なんて近くにいるのに、ほーんと使えない!あれも、これも、みーんな、使えない奴なんて死んじゃえばいいのに。ね、そうでしょ?」
「……聖女様。この国を出られるまでは大人しくしていてください」
「はーい。で、私がラバン国を訪れていることはあのじじいに伝わってる?」
「はい。聖女様には監視がついているので、恐らくは」
「上手くいったかなぁー?褒めてもらえるといいなぁー」
ルチーフェロは先程レイトンと面会していた人物とは思えないほど幼子のようにクルクルと表情を変え、拙い言葉使いになっているが、司教は驚くどころか額に手を当て項垂れている。
紛れもなくこちらがいつもの聖女なのだ。
「さーてと。あとは教会の視察でしょ?皆へのお土産にあの噂の庭園の花千切ってくればよかったねー」
そんなことをしたら王太子殿下の怒りを買うだろうけど……とルチーフェロはクスクス笑いながら、一度どうしても来てみたかったラバン国の景色を馬車の中から楽しんだ。
※※※※
「で、何の用かな」
「忙しい」とバッサリ取り次ぎを断って来た父に、なんとか一時間後の約束を取り付け執務室へ訪れてみれば、それは嘘ではなかったようで執務机の上に書類の束が積み重なり雪崩が起きそうになっていた。
レイトンも王太子とはいえ政務をこなしているし、騎士団も預かっている。寝る間もないとは言わないが、それなりに多忙である。
では、ラバン国の国王であるレシュウィナ・フォーサイス王が執務室に居る王太子を一瞥すらすることなく手を動かし続けている仕事とは、確実に個人の趣味……いや、執念であろう繊維産業の部分だろう。
用件を尋ねておきながら手を止める気のない国王に肩を竦めたレイトンは、まともな答えが返って来るとは思えなくても口を開いた。
「教会で聖女と呼ばれている者と、先程面会を済ませました」
「うん」
「アレから受け取った大司教からの書簡をお持ちしています」
「その辺に置いておいて」
その辺?とレイトンが目を細めると、国王の侍従が慣れた様子でギーから書簡を受け取っている。
「どのような意図があって、面会の申し入れを受けたのですか?」
「……意図?」
適当に返事をしていたレシュウィナが顔を上げ、首を傾げた。
さらりと肩から落ちた長い髪は執務の邪魔ではないのだろうかと思いながら、レイトンは実の父に胡乱気な目を向けた。
「面会での内容は控えさせてありますので確認を。ギー渡して」
「承知しましたー」
「うーん……それは、今直ぐにかな?」
「えぇ。セリーヌよりも優先させたことです。直ぐに確認し、理由を教えていただけると助かりますよ」
「理由と言われても。特に拒否する理由がなかったことが理由かな。他国のように政治や祭事に教会、大司教、その関係者達が関わることはないけれど、この国にも一応教会はあり民が信仰しているものだからね。何か問題を起こさない限り排除する気はないんだ」
「向こうが何か企んでいないとでも?」
「企んだところでねぇ……あれ、聖女は気に入らなかった?帝国内では民に寄り添う心優しい少女だと評判のお嬢さんなのに」
「縁談の一つや二つは覚悟していましたが……あの聖女を選ぶことはありませんよ」
「嫌だな。王太子であるレイに得体の知れない者との婚姻なんて勧めないよ」
レシュウィナは執務机に肘をつきその上に顎を乗せながら呆れたように言うと、侍従に空いている方の手を差し出し、面会内容が書かれている書類を受け取ると目を通し出した。
「へぇ……帝国だけの為に存在する聖女ねぇ……」
「それに関して心当たりがありますか?」
「あるよ」
迷うことなくあっさりと告げられた言葉に唖然とするレイトンに、レシュウィナは再度首を傾げ「そのままだよ」と微笑んだ。
「そのまま?」
「そう。あの聖女は帝国の為だけに存在する聖女。それで良いんだよ」
「どういうことですか?」
「うーん、一から説明するのも面倒なんだよね。ほら、忙しいし」
「……」
「そんな殺気を向けられても……」
「簡潔にお願いします。直ぐにでもヴィアンへ向かいたいので」
「あれ……?レイが私の所へ来たのは、セリーヌに似ている聖女と合わせたことへの苦情じゃなかったの?大丈夫、あの子はレイの婚約者候補ではないから気にしなくて良いよ」
「似ているのはセリーヌではなく、祖母にです」
「……うん。そこ重要なんだね、レイには」
「まだ話は終わっていませんが……」
「うん」
レシュウィナが聖女に関して何か知っていようが、今のレイトンにとっての最優先事項はセリーヌ。
他国の使者との会談、聖女との面会も終わらせたのだからもう好きに動いても良い筈。
再び机の上の書類に手を出し始めたレシュウィナの空返事を聞き、これ以上は時間の無駄だとレイトンは退出することにした。
「では、僕はこれで」
「レイ」
「……なにか?」
「帝国の皇帝に聞いてごらん。前皇帝が誰の肖像画を持っているのか」
振り返ったレイトンに手をヒラヒラと振るレシュウィナはレイトンが聞き返す前に「それと……」と声を低くし。
「戻って来たら、最低でも四人との縁談が待っているからね」
「……」
縁談の本番は後日だと告げた……。
口元を引き攣らせながら退出したレイトンの背後からはレシュウィナの笑い声が響いた。




