知らなかった事実
活動報告の方でお知らせがあります。是非見にいってみてください。
「食事の準備が整いました!」と嬉しそうに現れたのは身綺麗な恰好のフラン。
カルやジェイと似たような生地の襟なしシャツに、黒い細身のパンツスタイル。この国特有の服なのだろう。
可愛らしく着こなしているフランはお肌も髪もツヤツヤで……なにこれ主人公チート?とボロボロだったさっきまでの自分を思い出し理不尽だ!と天井を見上げた。
食事はこの屋敷に着いたときに見えた薔薇園に用意されてあり、フランに促されるまま席についたは良いが、座っているのは私一人。
ちょっと待って、整理しよう。
私とフランはエルヴィス王子の子飼いらしき者だと初めにカルがジェイに船の中で説明していた。
ジェイは子飼い説を疑い、私を勝手に没落した貴族か何かだと思っている。それについてエルヴィス王子も否定はしていなかった。
用意されているのは席が二つ。その一つに私が座り、もう一つは空席のまま。多分、空席にはエルヴィス王子が座るのだろう……
カミラとフランは給仕に徹するのかワゴンの前に立ち忙しなく動いているし、ジェイは私の側に立ちグラスを傾けている。
なんでただの子飼いが主と共に食事するのよ。
フランはまだしも、カミラまで私の設定を忘れてしまったのだろうか……。
「先に食うか?」
更には主を待たずに食事しろなどと言いだすジェイを軽く睨んだ。
「気にすんな。子飼い兼あいつの恋人だとでも思っておくから」
「……貴方ね」
「つーか、もう食ってるしなぁ、俺」
堂々とカナッペを摘まむジェイがカミラに向かって「肉ねぇのかぁ?」と声をかけたあたりで私は考えることを放棄した。
正直言ってお腹がペコペコなのだ。腹が減っては戦は出来ぬ!という素晴らしいことわざもあるくらいだもの。
目の前にある前菜らしきスフレにナイフを入れ、それをフォークで刺す前に横から伸びて来た手にナイフを向けた。
「一口ぐらい良いだろうがぁ?」
「これは私のよ。欲しければ貰って来なさい」
「あぁ?それ食った方が早いだろ。寄越せ」
「ちょっと!」
あっと言う間に手掴みでスフレを強奪したジェイは汚れた指を舐めながら口角を上げ「まぁまぁだな」と口にし、あろうことかまだ視線はスフレに固定されている。
また奪われる前に慌ててお皿を引き寄せ、残っているスフレを口に入れふわふわ食感に感動した。
「お上品に食べるんだな……」
「普通でしょ」
「普通ねぇ……」
「えぇ。だって私はエルヴィス王子の恋人らしいから」
王族であるエルヴィス王子の恋人ならそれなりの身分であるお嬢様設定で問題ない。探りを入れてくるジェイに一々反応するのも疲れるし。幼い頃から厳しく躾けられているマナーや言葉使いなんて今更変えようもない。
「はいはい。では、そのように扱わせていただきます、姫君」
声音を変え、姿勢を正し微笑むジェイは騎士に見えなくもないが、ボサボサ髪と顔を覆う髭が全てを台無しにしている。
「よろしく頼むわね、エセ騎士様」
「おい。なんだエセ騎士って」
「あら、私の知っている騎士様はもっと……」
「なんだよ」
ジェイの頭から足元までじーっと眺めてから、彼にもわかるようわざとらしく「ふっ」と鼻で笑い顔を逸らす。
「ジェイ、王族の騎士なのだから、身形には気をつけるべきよ?」
「身形……って、俺は昨夜こっちに戻って来たばっかなんだよ。だいたいなぁ、軽く風呂も入ってんだから文句ねぇだろうが」
「……鏡を見てきなさい」
「……?」
自身の顎を撫でながら黙ったジェイを放ってスフレを堪能していると「あの、リア様」とお皿を持ったフランが小さく声をかけてきた。
庭に来る前に何度も様は要らないと言った筈なのに、にこにこしながらスルーとは。
「あの、エルヴィス様なのですが……」
フランがそーっと指差した方へ顔を向けると、庭の入り口にある薔薇のアーチの隅にしゃがみ込む物体とその背後に立ち額を押さえている青年。
そんなに離れた距離ではないから彼等がハッキリと見えている。
「ジェイ。エルヴィス王子は何をされているのかしら?」
「……俺に聞くな」
「楽しそうですね」
困惑する私達をよそに、お皿をセッティングしながら気の抜けたことを言うフランは一人だけ別次元にでも居るのだろうか……。
天然なのか作り物なのかわからないこの不思議ちゃんは下手に突かない方が良い。
そして、あのどこぞの国の王太子と似たようなことをしているエルヴィス王子も放置した方が良いと私の脳内センサーが告げている。
「見なかったことにしましょ」
「いや、目が合っただろうが」
「大丈夫よ。気がすんだら此方に来るから」
「あぁ?」
「同じ様なことを家族がしていたことがあるのよ」
「へぇ……」
エルヴィス王子はあの兄に家族の大切さや妹の扱い方を伝授した張本人なのだから、似たようなことをしていても不思議はない。
家族関係ならまだしも、男兄弟しかいないのに妹の扱い方って……絶対何か間違って教えたのだろう。だからレイトンはあんな風になってしまったのだ。
ぐぬぬとナイフを握っていたら、ポンと肩に手が置かれた。
手の持ち主であるジェイを見上げるが、彼の視線の先には薔薇のアーチに居るエルヴィス王子。
肩に置かれた手がそのまま頭に移動し、続いて髪を掴みクルクルと手の中で弄ばれる。
一体何がしたいのかとされるがままでいたが、「そろそろ危ないですよ?」と言うフランの忠告に首を傾げた。
「ジェイ!!」
何が危ないのかと問う前に、エルヴィス王子が一瞬でジェイに詰め寄り怒鳴っていた。
「どういうことよ!なんなのよ!気軽に触ってんじゃないわよ!」
「あぁ?別に減るもんじゃねぇだろうが」
「減るわよ!すり減るわよ!」
「真っ昼間から体力が減るようなことするわけねぇだろうがぁ」
「どういう意味よ!?ちょっと、リアから離れなさい!」
「俺はばい菌かよ」
「もっと質が悪いわ。あんたみたいな色欲魔はリアに近づかないでちょうだい!」
「んなこと言われてもなぁ。そいつ、俺の嫁だろうがぁ」
「私は認めていないわよ!」
「まぁ、諦めろ」
「このっ……今直ぐ息の根止めてやる!その手、切り刻んでやるわ!」
「暫く離れてる間に随分と愉快な性格になったなぁ……お前」
「なんですって!?」
「お前はリアの母親かぁ?結婚の挨拶でもしてやろうか?」
「結婚……!?」
「ほら、落ち着け。また体調崩すだろうが。熱が上がったらまたぶっ倒れるぞ?」
「あんたこそ、私の親みたいなこと言うんじゃないわよ!」
明らかに揶揄って楽しんでいるジェイと、揶揄われていることが分かっていて怒るエルヴィス王子。元敵国同士なのに仲が良すぎるんじゃないかしらこの二人は。
じゃれている二人を眺めながら、前世での透君と姉さんの遣り取りを思い出し、懐かしいなぁ……感傷に浸っていると、ジェイに至近距離で耳打ちされたエルヴィス王子が急に動きを止め、ゆっくりと私の方へ顔を向けた。
「リ……リア」
「はい」
なんだろう、目の瞳孔が開いていて怖いのだけれど。
返事はしてみたもののどうしたものかと様子を窺う私と、笑いを堪えるジェイ、静止したまま動かないエルヴィス王子。
なんかもう、この可笑しな行動に大分慣れて来たわ。
――やっぱり、エルヴィス王子は似ているのよね……。
女性と見紛うほど美しい造りをしたエルヴィス王子はそれを利用してヴィアン国の夜会で舞い手として振る舞い、私と接触し『助ける』などと意味深な言葉を残した。
次に会ったときには得体の知れない者達に追われている最中で、誰が敵か味方かも分からない状況の中、姉さんがよく口にしていた言葉を、仕草を、彼は至って普通にやって見せた。
これだけでもエルヴィス王子が姉さんなのではないかと疑っても不思議はない。
それに、この屋敷で見た彼は化粧もせずこの国の男性特有の衣装を纏っていたのに、今は態々化粧をし女性的な装いをしている。
私が男の人が苦手だとジェイから聞いたのか……それとも知っていたのか。
エルヴィス王子の寝室に置いてあったクマの人形も、夜会で襲われたときにカルが口にしていた言葉だって、疑いだしたらきりがない。
でも、エルヴィス王子に関係している事一つ一つが姉さんに繋がっている気がしてならない。
「リア、正直に答えてちょうだい。ジェイと……」
「ジェイと?」
「……ジ、ジェイと」
「キスしたよな?」
「おだまり!」
「いてぇ……」
「嘘よね?ジェイが嘘を言っているのよね?」
エルヴィス王子が『楓』を知らないと言うのであれば今はそれに乗ろう。
けれど、それは誤魔化されてあげるだけ。
「えぇ。したのではなく、されました。合意のもとではありませんわ」
「おい!それじゃ俺が無理矢理したように聞こえ……おい、待て、エルヴィス!」
「死ね、今直ぐ、この場で、死ね!」
された私以上に取り乱すエルヴィス王子を見て苦笑し、私を睨むジェイに舌を出した。
あれは犬に噛まれたようなもの、と私は納得しているしジェイだって同じだろう。人命救助の一環だと思えば大したことではない。
が、当事者以外の者達にとってはそうではないらしい。
「リアは私の知人の妹なのよ!どうしてくれるのよ……あんた死んで詫びなさい!」
「やっぱ子飼いじゃねぇのかぁ?カルの野郎、騙しやがったな。じゃあ、なんだぁ、そっちにも挨拶すんのかぁ?めんどくせぇな」
「だ、か、らっ!なんの挨拶よ!?」
「傷ものにしましたから嫁にください?んな感じか?」
「傷もの……嫁……」
「待て、冗談だろうが!剣を抜くな!」
子飼いや王子の恋人、知人の妹とか。この人達色々と隠す気あるのかしら?と小さく溜息を漏らしお茶を啜る。
恐らくレイトンはエルヴィス王子と同じかそれ以上の反応をするのだろうと思うと背筋が震え、カップを落としそうになった。
……絶対に口を滑らさず墓まで持って行こう。
「……エルヴィス様。取り敢えずお席に」
呆れるくらい終わる気配のないエルヴィス王子の一方的な殴り合いに終止符を打ったのはカルだった。
「リアがオルソン国へ居ると知らせを出しておいたわ」
「ありがとうございます」
「ただ、あちらと遣り取りをするにしても……時間がかかり過ぎるわね」
エルヴィス王子が連絡した相手はレイトン。ラバン国とオルソン国との距離を考えれば兄の元に手紙か使者が届くのに諸々の手続きを入れたら三日以上はかかる。
「返事がくるまで遅くても十日前後かしら?」
「そうね。でも、もうすぐ国王の即位記念式典があるから各国から要人が集まってくるのよ。だから厳重な警備体制が敷かれるわ。港はとくにね」
「身元の確認が必要だということね……」
「出来るだけ早めに国を出た方が良いのだけれど」
周囲を見渡しながら肩を竦めるエルヴィス王子に頷く。
彼が私用で動かせる者は限られているのだろう。兄弟に命を狙われている立場の彼から護衛を離すわけにはいかない。彼等も頷きはしないだろうし。
「船の準備だけ整えていただければ、僕がリア様をお連れします」
「却下よ。リアに何かあれば私の首だけじゃ済まないのよ?」
フランの提案を即座に切って捨てたエルヴィス王子の言葉に皆が息を呑んだ。
一国の王子の首一つで足りないとはどういうことだ?と彼の背後に立つジェイが殺気立っている。
私に何かあればラバン国が、フランに何かあればアーチボルトが私を理由にヴィアン国を動かす。海を統べるオルソン国とはいえ、大国である二国が相手では分が悪い。
それに、自惚れているわけではないが、絶対にルーティア大司教も動き出す……。
ラバンやヴィアンが相手よりも民を容易に操ることが出来る教会の方が面倒だろう。
「取り敢えず、準備の方は進めておくわ」
「よろしくお願いいたします」
頭を下げた私にエルヴィス王子が微笑み、そのまま和やかに食事を続けようとした私の目にカルが一人庭園から出る姿が映った。
そういえば、船で少し話したあとカルとは会話どころか目すら合わない。
避けられている……のだろうか?
私としてもカルに良い印象などないから別段これで構わないが。
「気になる?」
カルを目で追っていたのに気づいていたのか、エルヴィス王子の冷ややかな声に困惑してしまう。
「え、えぇ。前に会ったときには、眼帯をしていなかったので」
気になるとはいっても危害を加えてこないだろうか?とそっち方面を気にしているだけで。でもこの場でそんなことを言ったらまずいのでは?と咄嗟に眼帯と口にして後悔した。
「……放っておきなさい」
エルヴィス王子の纏う空気が更に冷たくなったから。
大人しく口を閉じようとカップに手を伸ばした私の耳に「片目ないんだよ、あいつ」と恐ろしい言葉が聞こえた。
「ジェイ」
咎めるかのように名を呼んだエルヴィス王子を無視し、しれっと「お前がやったんだろ?」とジェイは口にした。
「……ジェイ」
「別に隠すようなことじゃねぇだろうが。カルは片目、俺は戦場へ。エルヴィスが与えた罰だろ」
「罰って?」
「ヴィアン国の王妃様に手を出した罰だとよ。お前しっかりエルヴィスの手綱掴んでおけよ?」
ヴィアン国の王妃って……私よね?手を出した罰って?
「余計なことを言わないで」
「ちゃんと言っておかねぇと後で喧嘩になるぞ?女は嫉妬深い生き物だからなぁ」
「意味がわからないわ……もう、黙ってなさい」
「あぁ?余所の女に入れあげてるなんて聞いたらそいつだって面白くねぇだろうが」
真顔で女性の機嫌の良し悪しを語りだすジェイを手で遮りテーブルに突っ伏したエルヴィス王子。
その隙に私は椅子から立ち上がり「失礼します」と背を向けた。
背後でエルヴィス王子の呼び止める声が聞こえるがそれを無視し、小走りで庭園から出る。
薔薇のアーチを潜り抜け私のとは違う足音に視線を向けるも、フランだと分かりそのままカルを追いかけた。
「カル」
「……リア、様?」
屋敷の門付近で追いつき声を上げると、黒髪の青年カルが訝し気に振り返った。
彼の左目に付けている装飾のない布の眼帯は夜会で襲われたときにはなかったもの。
「どうかされましたか?」
目の前に居るというのにやはり視線は合わない。
「聞きたいことがあるの」
「……こちらへ」
屋敷の中に入り、玄関ホールに置いてある長椅子を勧められ腰を下ろす。側に立とうとしたフランには、私が目に見える範囲内で離れるよう言うと渋々ながら受け入れ玄関の扉の前に待機した。
それを見ていたカルは難色を示すも対面に腰掛け「で?」と口を開いた。
「その眼帯の下にある左目は、見えていないの?」
「誰が……」
「ジェイよ。罰としてカルは左目、ジェイは戦場へと言っていたわ」
「余計なことを」
「その罰は、ヴィアン国の王妃の所為だとも言っていたの。どういうことかしら」
「……エルヴィス様は、何と?」
「何も。ただ、夜会の最中に貴方に襲われたことは言ったわ。その指示はエルヴィス王子が出したと、本人の口からも聞いたわ」
「違う。俺がエルヴィス様に指示されたことはあんたに接触することだった。あの人はあんたを襲うようになんて言っていない……」
「では、何故あのようなことを」
「騎士がうじゃうじゃいる王宮へ忍び込んであんたに接触するなんて、連れ去る以外無理だろ。まぁ、思っていた以上にあんたの周囲はスカスカだったけどな」
影もいない、護衛騎士もテディしかいない状態では確かに抜け穴だらけだわ。そもそも簡単に城内に侵入できるようなヴィアンが悪い。
「あんたを追って来ていた奴がいたから、計画を変更して雇っていた奴等の所へ連れて行った……そのあとどうなるかなんて、あんたには悪いが、他国の王妃なんてどうなっても構わないと、そう思っていた」
「……」
「でも、あんた変な奴で。我儘な王妃様って聞いていたのに、全然違って。攫われて、怖がって泣いても可笑しくないのに、震えながら少しでも俺から情報を引き出そうとするなんて。エルヴィス様やあんたみたいな人間は俺には理解出来ない……」
視線を下げ膝で手を組みながら懺悔でもしているかのように呟くカルは今どんな気持ちなのだろう。
「この左目は、エルヴィス様の命令を無視した代償だ。あの人は、昔からあんたに害が及ばないよう、そう動いていたから。悪かったと……思っている。もう二度と、あんたに手は出さない。すまなかった」
深く頭を下げたカルにかけるべき言葉が思いつかない。
謝罪されたところで許せるものでもないし、彼が罰を受けたという左目のことを知っても胸が痛んだわけでもない。
私は知りたかっただけだ。本当にエルヴィス王子が指示したことだったのかを。
「顔を上げて。謝罪は受け取ったわ。でも、それだけよ」
ゆっくりと顔を上げたカルは左目の眼帯に触れ目尻を下げた。
避けていたのは罪悪感からだったのか、主君の命に従えなかった己を恥じてのことか。
「……ジェイは?あの人もあの場に居たの?」
罰を受けたのはカルとジェイの二人。
でも、あのとき姿を一度も見かけなかった。そればかりか、船の上で顔を晒したあとも彼が私に気づいた様子はなかった。
「ジェイは、この大陸からは出られない。あいつは元奴隷だから」
「国内ではなく大陸?海を越えることが出来ないの?」
「あぁ。大陸とはいえ、エルヴィス様から離れてオルソン国から出るときは監視がつくし戦場以外では手に枷を嵌められる」
「王族の護衛という身分になっても、それは変わらないのね」
「あいつは特にだ。エルヴィス様以外の命令は一切聞かない」
「まさしく獣ね……」
「その獣が命令を無視した結果が戦場行きだ」
「……」
「ヴィアン国の王妃を傷つけろと、あわよくば殺せ。そう俺に提案したのはジェイだ」
「どうして」
「俺が船であんたに言った言葉は覚えているか?ジェイに顔を晒すな、名を口にするな、もしばれても白を切り通せ……って」
「えぇ」
「ジェイはこの世で殺したいほど憎んでいる女が二人いる。一人は元婚約者。もう一人は、ヴィアン国の王妃であるあんただ」
女性が嫌いで、此処へ来て直ぐエルヴィス王子との口論でジェイ本人もカルが今口にしたものと同じようなことを言っていた。
その内の一人が元婚約者だということは知らなかったけれど、まさか私がその中に入っているとは夢にも思わなかった。
だって、ジェイとの接点なんてこの国以外ではないのだから。
「あんたの顔を知っている他国の人間なんて片手で数えるほどだ。俺も夜会で初めて目にしたし……だから、ジェイは王妃の顔を知らない」
「顔も知らない相手を憎むなんて」
「エルヴィス様のことを想って……ってだけではなさそうだ。だから、気を付けろ」
「もし……あのとき私の顔を知っていたら」
「あんたは、その場で殺されてたよ」
狩猟小屋で目にした憎悪に染まったグレーの瞳は、掠れた声で静かに発した慟哭は、他の誰でもなく私に向けられていたものだったなんて。
「憎まれている理由が、私には分からないわ」
「それは俺も知らない。ただ、ジェイにだけは絶対に身元を明かすな」
はぁ……と大袈裟に溜息を吐き出し、庭園に戻りたくないと両手で顔を覆っていると玄関の扉が叩かれた。
最初は軽く叩かれていたのが次第に大きくなり、衝撃で微かに扉が揺れている。
すかさずフランが私の元へ走り、それを確認したカルが未だに叩かれ続けている扉を開いた。
ジェイが様子を見に来たのだろうか……どんな顔をして彼と向き合えば良いのかと、胸が苦しくて心臓が痛む。
フランが何か言いたそうな顔をしているがそれを避けるかのように長椅子に深く沈みこんだ。
「遅い!」
突如として玄関ホールに響いた叫び声に聞き覚えがある気がして、フランの影からそっと顔を出すと、カルを押しのけずかずかと屋敷に入って来る一人の人物が。
それは恐れていたジェイでもなく、エルヴィス王子やカミラでもない。
「急用だ。エルヴィスを呼べ」
尊大な態度で言い放つ彼は今日は一人なのだろうかと玄関の方を見るも、誰もいない。
さて、この場をどう切り抜けようかと思案しているとバッチリと目が合ってしまった。
この上なく面倒な相手である、オルソン国の第二王子と。




