予期せぬ接触
黒装束達が一人、また一人と地に伏していく。
海に落とされた者を皮切りにジェイに一斉に襲い掛かってきた者達は彼によってゆっくりと、甚振られるように薙ぎ払われていく。
簡単に……とはいっていないが一人であの人数を、それも城の騎士や王族の影が苦戦していた者達を確実に仕留めている。
異常な強さに唖然としながら、目の前の光景に目を逸らしたくても逸らせずにいると、黒髪に肩を叩かれ小さく悲鳴を上げてしまった。
「……見ない方がいい」
「でも、あの人、一人で……」
「【運命に逆らえし者達】と言う言葉を聞いたことがあるか?」
「……いいえ」
「奴隷制度は?」
「それは、既に禁止されていることだわ」
「いや、この国に奴隷は沢山いる。犯罪者、戦争捕虜、他にも……何の罪もない者ですら奴隷に落ちることもある」
「私の国では、いえ、少なくとも私の知っている範囲の国では奴隷を禁じているし、戦争での捕虜も手厚く保護しているわ」
「此方側の大陸じゃ常識だ。奴隷の使い道は様々だが、大抵は競技場で飼われる」
「競技場?」
「見世物にするんだ。猛獣や同じ人間と戦わせ、どちらかが死ぬまで終わらない。獣相手ならまだマシだ。大抵は人同士で行われる。人間らしい感情を消し、生き残る為には数分前まで話をしていた相手ですら躊躇いもなく殺さなくてはならない」
――あのように。
私の視界を塞ぐように立ち直した黒髪は、そのまま此方を向くことなく淡々と言葉を続けていく。
「そんなことを……」
「公開処刑と言い方を変えれば分かるか?そっちにだってそれくらいならあるだろ」
「余程の事がない限り行われないわ」
「お上品な奴等ばかりなんだな」
「それを観戦しているのは……」
「王族や貴族だ。まぁ、勝ち残れればそれなりの待遇と報酬が約束されている」
「……その、見世物にされている人達が【運命に逆らえし者達】なのね」
「あぁ。ジェイもその一人だった」
ジェイの周囲に流れ広がった血の匂いは離れていても感じるほど――血の海とはまさしくこの事だろう。
辺り一面に多くの血が流れ、それを海のように例えて使っている言葉だけれど……実際にその場に立ち、目にして、初めてその言葉の恐ろしさが分かる。
そして、その血の海の中で尚も新たな血を流させている者が恐ろしくて堪らない。
初めて間近で見た殺し合いに唇が渇き、歯がカタカタと震え、それを隠そうと口を覆った両手もみっともなく震えていた。
「朝、昼、晩。毎日のように行われる見世物で、身体の一部を欠損することなく連勝し、七百日間全ての試合で勝ち残ったのはジェイだけだ」
「……」
「元々奴隷ではなく戦争捕虜だったジェイを引き抜き、貴族位を与え第三王子の護衛騎士とした」
「王族の……護衛騎士?」
「あぁ、言っただろ。それなりの待遇と報酬……それだ」
「……此処は、どこの国なの」
「海を統べる国、オルソンだ」
――オルソン……。
『そう。彼にね、教わったんだよ。家族の大切さや、妹の愛で方』
兄と和解した日に教えてもらった存在。オルソン国の第三王子エルヴィス。
交流の無かった国から訪れた使者は、十歳の病弱な王子だった。側室の子でありながらも優れた才を見せた為に粗末な扱いを受け続け、現在はベッドから起きられないとレイトンは言っていた。
自身は決して幸せな環境ではないというのに、レイトンに家族の大切さを教えたエルヴィス王子はとても心の優しい方なのだろう……。
でも、その王子の命令で黒髪が動いているのだとしたら。
「おい」
この黒髪は夜会で私に危害を加えた。それを指示したのがエルヴィス王子だとしたら、彼は私に何かしらの悪意を持っていることになる。
又は……。
『それともう一つ、雇い主からだ。セリーヌ・フォーサイス、お前は本物のセリーヌなのか?』
エルヴィス王子は……転生者の可能性が高い。
どちらにしても、今の所は王子が私の敵であることには変わりないのだけれど。
「おい!来るぞ!」
「……ぇ」
トン……と肩を押され、ふわりと持ち上がった外套が裂ける音を聞き、目と鼻の先を剣先が通ったのをハッキリと目にした。
それと同時に頭から何か液体のようなものを被り、咄嗟に顔を背けたが……その先、足元に音を立てて転がった黒い塊に全ての意識が持っていかれた。
「……ぁ」
ポタッ……と外套から頬へ垂れた液体を振るえる手で拭い、恐る恐る持ち上げた手は真っ赤だった。
足元の血だまりの中にある黒い塊はナイフを握っていて……人の、腕のようで……。
「……ぁぁ!」
脳が急激に動き出し、何事かと理解した瞬間膝から崩れ落ちていた。
「おい、まだ来る……船内に入れ!」
「僕が!立てますか?掴まってください」
黒髪とフランの声がどこか遠くで聞こえる。彼等の焦った声と、正常に動いている脳が早くこの場から動けと危険信号を出している。力が抜けて思うように動かない身体は伸ばされた腕に掴まることすら出来ず、電池の切れたお人形のようにその場に座っていることしか出来なかった。
「使えねえなぁ……」
ぼんやりとした意識の中、抑揚のない声が耳元でハッキリと聞こえ、鳩尾に圧迫感を感じた瞬間身体が宙を浮いていた。
「邪魔だ」
圧迫感が無くなった途端、背中から引っ張られるような変な感覚に全身が粟立ち、悲鳴を上げる間もなく、咄嗟に腕で頭を庇っていた。
「……ぐっ!」
何かに背中からぶつかり、衝撃で息が詰まる。
数秒、或いは数分だろうか、腕に力を入れ動けずにいた身体をゆっくりと起こした。
咳き込みながら涙で微かに滲む視界の先、私が元居た場所にはジェイが立っていて黒装束達に囲まれていた。
「足を引っ張ってんじゃねぇよ!」
ジェイの低く唸るように吐き出された言葉は、恐らく私に向けられたものなのだろう。
数が減っているどころか増えているような気さえする黒装束達。ジェイなら大丈夫だと言って静観していた黒髪も暗器を持ち、フランでさえ剣を手に相対している。
「おい!ジェイ!」
「あぁ……?」
「もっと、他に方法があっただろ!」
「そうですよ!放り投げるなんて」
「怪我してなければ問題はねぇだろうが……」
「……お前な」
「女性なんですよ!」
「悪いな、生憎ゴミを気にする余裕はねぇんだよ」
「セ……あの方になんて言い方をするんですか!」
「あぁ?」
黒髪とフランに責められながらも手を止めず、挙句小馬鹿にするように鼻で笑ってお荷物扱い。好きで此処に居るわけではないけれど、この状況では確かに私はお荷物以外の何者でもないだろう。
「女、子供だろうが、あいつ以外は俺にとっては皆等しくゴミだ」
……人間らしい感情を捨てた【運命に逆らえし者達】。
戦争捕虜であるジェイは祖国を奪われ、自尊心を踏みにじられ、気の遠くなる時を死ぬ気で生き延びてきたのだろう。
でも、彼の言動からは恨んでいても可笑しくはない敵国の王子を心の底から慕っているように感じる。
「……ほら、でっかいゴミがおいでなさった、ぞ!」
ナイフを突き出した黒装束の腕をジェイが掴み捻り上げ、手から離れたナイフを黒装束ではなく船の外、陸地へと向かってそのまま投げた。
「そいつ拘束しておけ。絶対に渡すな」
「あぁ」
意識を刈り取られた黒装束の一人を黒髪に渡し、ジェイはまだ周囲を囲んでいる黒装束達ではなく、ナイフを投げた方へと真っ直ぐ視線を向けている。
何故か黒装束達の動きも止まり、今迄の事が夢だったかのように静寂が訪れていた。
けれど、その静寂を破ったのは予想外の者達だった。
「王国騎士団、並びに第二王子殿下がこの場に介入する!武器を捨て投降しろ!」
座り込んでいる私には見えないが、確かに【王国騎士団】と【第二王子殿下】という言葉が聞こえた。
まだ夜が明けたばかりの時間帯だというのに、第三王子の領地内に騎士団を連れた第二王子がタイミングよく現れた。それと同時に黒装束達が動きを止め、ジェイ達から少しずつ離れていっている。
「ほら、さっさと散れ。第二王子殿下の機嫌を損ねるぞ」
先程までの緊迫した空気は消え、面倒そうに黒装束達に手を振るジェイに黒髪もフランも驚いている様子はない。
じりじりと離れていた黒装束は皆船から飛び降り海の中へ。それを慌てた様子も見せず、追う気配さえない人物は優雅に船へと上がって来た。
前世で目にした事があるインドの伝統的な衣装、シャルワニのように光沢のある紫のコートを来た細身の男性は、手に持った杖で肩を叩きながらジェイに近づいて行く。
黒髪とジェイが並んで対峙し、フランは私の元へ走って来て外套を被せ直した。
「……私に恐れをなして逃げるとは。どうやら間に合ったようだな、ジェイ」
王子がジェイに親し気に話しかけているのに対し、ジェイは一言も返さずただジッと動かずに立っている。そのジェイの肩を杖で突き、恩を着せるかのようにそう発言した男性は背後に騎士を引き連れていた。
「第二王子殿下。何故此処に?」
黒髪とジェイの会話に出て来た、弟の命を狙い価値を見出し利用する。多少も賢くない恥知らずな第二王子。
あれが……と目を細め第二王子を観察しながら、フランと二人で隅の方で目立たぬよう小さくなっていた。
「大切な弟の領地を私が直々に視察しに来た。そのお陰で命が助かったんだ、そうだろう?ジェイ」
「……何をお望みですか」
「望みなど、今言っただろう?大切な弟の為だと。だが、そうだな……」
不遜な笑みを浮かべる第二王子に何度も杖で突かれている肩は微動だにせず、真っ直ぐ立ったまま。間延びした特徴的なジェイの言葉使いは鳴りを潜め、丁寧な物言いになっている。
「膝をつけ」
「……」
「地に額をつけ、私に礼をしろ」
「……」
「なんだ?それくらい出来るだろう。元は卑しい捕虜の身だったのだからな」
第二王子が杖を振り上げジェイの腕を叩くと、背後の騎士達から笑い声が上がった。その光景に唖然としていると、ジェイは膝をつき、地面に額をつけ「第二王子殿下、命を助けて頂き感謝致します」と口にした。
「……やけに素直だな」
「……」
「我が国まで名を轟かせた元騎士には誇りが無いのか?」
「……」
「あぁ、あのエルヴィスに忠誠などというものを誓っているのだから、そんなもの初めから持ってはいないか」
「……」
「卑しい身分の者同士、仲良く慰め合って生きていくのがお似合いだ」
ジェイの頭を踏みながら、【大切な弟】と建前であろうと口にした第三王子まで侮辱し、さも愉快だと言う様に大きな声で嘲笑う第二王子。目を背けるどころか一緒になって笑う騎士団。
――腐っているわね。
「セリーヌ様……彼等の狙いは第三王子とジェイさんだけです。ですから今の内に船内へ」
囁かれた内容に頷き、そっと船内へと動き出す。
元から私達の事など視界にも入れていないのだから簡単なこと。第二王子が飽きることなくジェイを馬鹿にし、笑っている間に船内の入り口へと辿り着いた。
「セリーヌ様、もっと奥へ」
「えぇ……!」
船内へと身体を滑り込ませ息を吐き出した瞬間、私の耳に苦し気な呻き声が聞こえた。
決してあの礼以外の言葉を発しなかったジェイの声が……。
思わず振り返り、私と同じように驚いた顔をしているフランの視線の先、そこには激高した第二王子が杖ではなく剣でジェイの肩を突き刺していた。
「何故頷かない!この私が、お前のような者を側に置いてやると言ったのだぞ!」
「……」
「では、そのくだらない忠誠心とやらを持ってあの世へ行け!後から、エルヴィスも送ってやろう!」
私は神でも無ければ聖人でも無い。
自国なら未だしも、一歩外へ出たら王族としての権力なんて塵にも等しい。
人を助けられるような力は無く、無力なただの小娘。
――ガシャン!!
「……なんだ!?」
でも、首元目掛けて振り上げられた剣を目にして勝手に身体が動いたのだから仕方がない。
「おい、そこに居る二人。こちらへ来い!」
気付いたらフランが持っていた剣を奪い思いっきり放り投げていた。格好良く助けられれば良かったのだけれど、私の力では数メートル先に放り投げるだけで精一杯だった。
まぁ、音を出して此方に意識を向けたかったのだから……結果としては成功だわ。
第二王子が連れている騎士達が私とフランの腕を掴み引き摺って行く。そのままジェイと同じように膝をつかされ顔を下げた。
「……女?顔を上げろ」
確かに、この第二王子はお馬鹿さんなのだろう。下手したらアーチボルトと同レベルかも知れない。
第三王子の護衛騎士であるジェイや、それと動いている黒髪なら王子に危害を加えないと多少は安心出来るかも知れない。
けれど、外套を被った怪しい者を拘束することもせずに自身の目の前に放置するなんて。私が本物の刺客だったら一瞬で息の根を止めているところよ。
「ほぉ……」
隣に居るフランが顔を上げたのだろう。第二王子が感嘆の声が上げた。
「見たことの無い顔だな」
「……」
「エルヴィスの侍女か?可愛いじゃないか」
流石ゲームのヒロインであるフラン。あの可愛らしい顔は世界共通なのだろう。
「で、そっちの女。そのふざけた姿はなんだ?私が誰だか分かっているのか!」
外套を剥ぎ取られた拍子に軽く纏めていた髪も一緒に掴まれたのか、ふわりとアッシュブラウンの髪が広がった。
大丈夫。セリーヌ・フォーサイスの絵姿はベールで顔を隠されているものしか出回っていない。お父様とレイトンが婚約者であるアーチボルトに送る物以外は全てそのように手配していたのだから。
「顔を上げろ」
ゆっくりと、視線を合わせないよう顔を上げていく。
冷たくなった指先と、微かに震える身体を誤魔化すかのように、ギュッとスカートの裾を握り締めた。怯えた表情なんて決して見せない。この手の男はそれを何よりも好むのだから。
「……」
両隣からは息を呑む気配を感じ、第二王子は何か言う事はなく無言のまま。
ただの女か……程度で終わらせてほしい。フランには悪いけれど、第二王子がフランに見惚れてジェイへの殺意を忘れてくれれば尚良しだわ。
「……名はなんと言う?」
急に優し気な声で問われた内容に一瞬思考が停止し、口元が引き攣りそうになった。
……私ではない。そう、きっとフランのことよ。
「お前に聞いている」
「……」
「直答を許す。名を」
私の考えを読んだかのように、第二王子が軽く私の顎を掴み、視線を合わせるかのように顔を近づけてきた。驚いて振り払おうと上げた手を寸前で押さえ、奥歯を噛み締め王子の瞳を見据えた。
第三王子の騎士を斬り殺そうとした男だ。怒らせでもしたら何をされるか分からない。少しの抵抗ですら危険だわ。
それに、絶対に名を名乗るわけにはいかない。私がヴィアン国の王妃だと、こんな男に知られでもしたら何を要求されるか分からない。
「本当に……美しい。まさか、このような者がアレの側に居たとは……」
ねっとりとした気色の悪い視線に怯みそうになる。
この第二王子もそこそこ美形な部類に入るのだろうけど、良く知りもしない赤の他人の男なんて皆同じに見える。
触らないで、撫でないで、これ以上近づかないで……。
「その潤んだ瞳とこの滑らかな肌……そうだ!お前を私の側室にしてやろう」
「……」
「どうだ、あの死にぞこないよりは良いだろう?」
側室なんて冗談じゃない。
私は、残りの人生を大切な人達と笑って生きていくのだから。
「さぁ、私と一緒に来い」
痛いくらい顎を掴まれ上を向かされ、第二王子の顔が首筋へと下りてくる。
民に生かされ、国に尽くす王族が、自身よりも立場の弱い者を虐げ、挙句手を出そうとするなんて。女が皆、王子の側室なら喜ぶとでも?力で押さえつけて無理矢理肌に触れて、感謝すると思っているの?ふざけないでよ、だから男なんて……嫌いなのよ!
一度は下ろした手を、嫌な笑い方をしている第二王子に振り上げた。
「第二王子殿下」
振り上げた筈だった。
けれど、その手は隣に居た男に掴まれ、そのまま引き寄せられていた。
「……ジェイ。どういうつもりだ!」
第二王子の怒鳴り声にビクッと身体が反応した。男の人の怒鳴り声は苦手だ。嫌な奴を思い出させるから……。
ジェイは腕の中で藻掻く私の顔を胸に押し付け、肩に回されている腕に力を入れた。ジェイに守られているのではないかと錯覚しそうになる。
トクン……トクン……と彼の心臓から聞こえてくる静かな音だけに集中し、気を落ち着かせていたとき。
「これは、俺の妻だ。不用意に触るな」
私だけでなく、周囲に居る者達皆の時が止まった気がした。
だって……妻?それは奥さんってことで、誰が……誰の?
「ふざけるな!お前に妻などいるわけがないだろう!」
「あぁ?俺にだって嫁さんくらいはいるだろ」
「そんな、そのような者が、お前の……」
「美人だろぉ?俺の唯一だ」
混乱する私を置いてジェイと第二王子はヒートアップしていく。飽きることなく嫁だの妻だのとくだらない話しをしている二人に私は呆れていた。
そろそろ腕を外して欲しいと彼の脇腹を軽く叩いたときだった。
「……悪い。我慢しろ」
チュッ……と耳元で鳴ったリップ音に肩が跳ね、囁かれた言葉と共に拘束が緩み、顔を上げた私の口は柔らかなもので塞がれていた。
グレーの瞳、頬に当たるチクチクとしたもの。
それが何なのか……目を見開いた私を、ジェイは逃がさぬよう緩んでいた拘束を再び強めた。
「離れろ!!ジェイを捕らえろ!」
何度も角度を変え、皆に見られながらの行為を終わらせたのは、第二王子の怒声と騎士団が動き出す音だった。




