それぞれの想い
暖かい色味の間接照明の下、ベッドの上でクッションを背にリラックスした体勢で借りている本に目を通している。
既に別紙に写し終えてはいるが、もう二度とこんな機会はないと思ったら見落としがないか確認したくなったのだ。
……前世の几帳面と言われる日本人の性だろうか。
明日はヴィアン国に帰国する為早く寝なくてはならない。
帰国が一日遅れたことで当初の予定が狂ったこともあり、早朝から宮殿を出ることになっている。
最後のページを捲り小さく息を吐き出し、そっと本を閉じ、予め開けておいた窓へと顔を向けた。音も立てず前回と同様窓枠に凭れかかるセオフィラスは、何が楽しいのか数十分前からそこにいる。
視線を感じ目だけでその存在を確認し、まだ見落とし確認を終えていなかったので放置していた。
勿論話しかけられたら答えるつもりでいたのに、彼は邪魔することなく静かに佇んでいた。
ベッドから下り、伸ばした手が届くかどうかの距離まで歩を進め、持っていた本を差し出した。
「……もう良いのか?」
「はい」
分厚い本をパラパラと捲りながら驚いたような表情をするセオフィラス。
全てを読む必要も写す必要も無い。重要な部分だけを拾い上げ自分なりに纏めれば短時間ですむ。
まぁ、その際には速読術が必要にはなるけれど。その点においては前世の私もセリーヌも本の虫なので全く問題は無かった。
返事をした私に苦笑したセオフィラスは、そっと本を持つ手とは逆の手を伸ばしてきた。
頬に触れるか触れないかの距離で止まった手は大きく……細く長い貴族特有の綺麗な手ではない。関節が太く、ゴツゴツした男性らしさを感じるもの。騎士や兵士のように長年訓練を積んだ、剣を振るう手をしている。
兄もそうだが、この年代の王位継承者は必要以上に鍛えすぎではないだろうか……。
例外が一人居るけれど、本来護られるべき彼等が強すぎて、影とか護衛とか空気のような扱いだし。これで見目の良い外見に賢さ、身分やなんやらとプラスされているとか、天は二物も三物も与えすぎだわ。少しはあの三馬鹿にも分けてあげて欲しかった。
セオフィラスの手を眺めながらそんなことを思っていれば、微かに彼の指が動き、意識を切り替えた。
「お聞きしたいことがございます」
その手を避けるように一歩、二歩と下がり、ゆっくりと手を握り締められるのを眺めながらセオフィラスに尋ねた。
「構わない」
「私を帝国へ呼んだのは、帝国内に巣くう獲物を狩るだけではなく、ヴィアン国の為でしょうか」
「……何故、そう思う?」
「今回の親善試合は前以て計画なされていたことでしょう。戦争推奨派の心を折るには、長年最大の敵国として争っていたヴィアン国の騎士の力を見せつけることが最も効果的ですわ。でしたら、その役目に英雄の孫であり事実上ヴィアン国の要であるウィルスを、と考えるのが妥当かと。私を帝国へ呼べば専属護衛騎士であるウィルスは付いて来ますものね。どういった展開をお望みであったのかは存じませんが、あの場で声を上げた貴族を即座に捕縛させた動きを見れば、皇帝陛下があの者達を何らかの形で排除する気であったことは分かりますわ」
「それでは帝国の為に動いただけで、ヴィアン国の為と言われるようなことはしていないな」
「周辺諸国と濃密な遣り取りをすることもなく、ご機嫌伺いに訪れていた使者を素気無く追い返していたにも関わらず、敵国の王妃を身内だけの夜会に招待し、尚且つ過分な対応。皇帝陛下にヴィアン国との戦争の意思は無く、友好的な関係を築こうとしている。そう捉える者達も居りますわね。それに、その貸してくださった本。それは私に見せて良いものではありませんでしょ」
「使者をどう扱っていたのか知る由もないだろう……と言いたいところだが、レイだな?夜会に招待したのも、過分な対応とやらも、全て俺の私利私欲に過ぎない。戦争の意思云々は今の所自国で手一杯だからな、今直ぐどうこうしようとは考えてはいないが、それに関しては此方とまともな交渉が出来る文官が居なければ取って食われるだけだろう。それと、この本だったか?これは詫びだと言った筈だが?」
セオフィラスは笑みを浮かべ、楽しそうに指を折りながら私の言葉に答えていく。最後は本を振りながら、ほらどうだ?とばかりに笑みを濃くした。
屁理屈めいた回答に呆れ、半目で睨むと軽く声を立てて笑われ、窓を閉めてやろうかと近づいたときだった。
「……セオフィラス様!」
窓の扉に添えた手を取られ距離が近くなり、咎めるように彼の名を呼んだ。
彼はテラスから室内へ一歩も足を踏み入れていない。それは彼なりの配慮であると私は思っている。
だから、今も彼は寝室へは入っていない。私が身体半分テラスヘ引っ張り込まれただけ。
「離しなさい!……チッ」
振り払うように手を動かすが微妙な力加減で掴まれた腕は外れず、迂闊に近づいた事を後悔し思わず舌打ちをしてしまった。
「……ラバン国の至宝が……舌打ち、とは……くっ……ふはっ」
「そのように顔を背けて笑いを堪えるくらいなら、笑えばよろしいでしょう」
「いや……待て……ぶっ……ふっ」
「……手を離していただけませんでしょうか?」
肩を震わせながらも私の手を離そうとしないセオフィラスに呆れ、笑いが治まるのをジッと待っているのだが、一向に治まる気配が無い。
この野郎っ……頬を引っぱたいてやろうかしら……と不穏な考えが伝わったのか、セオフィラスは軽く咳払いしたあと、先程とは違った妖艶な笑みを浮かべ私の腕を指でなぞった。
その瞬間、ゾワッとするような感覚に肩を上げ、掴まれていない方の手でセオフィラスの手を外そうと再度動いた。
「離してください」
「馬鹿にしたわけではない。……改めて可愛いと、そう思っただけだ」
中々外れない手に抗議するように声を上げるが、笑っている事に怒ったのだと勘違いしたセオフィラスの口から吐き出された「可愛い」という言葉に頬が引き攣る。
可愛い……?舌打ちしたのに……?
先日も同じようなことを口にしていたけれど、子供扱いというよりも特殊な性癖の人なのかも……と、腕を掴まれたまま距離を取ろうと動くが彼は微動だにせず私を眺めている。
あぁ、これ絶対またからかわれたパターンだわ……と唇を噛み締め睨みつけるが、どうしたとばかりに首を傾げられ、地団太を踏みたくなった足をギリギリ止めた。
これ以上笑われてたまるものですか。
「レイの気持ちも分かるな」
「お兄様……ですか?」
「あぁ。確か……愛らしく、か弱く、庇護欲を掻き立てられるだったか?それ以外にも、妖精だの天使だのと……人外のものも色々あったな。顔を合わせる度に病気かと思う程、呪文のようにセリーヌが可愛い。愛する妹が愛おしい。閉じ込めてしまいたいと煩くてな。他にもまだあるが、知りたいか?」
「何の嫌がらせでしょうか……」
何故ここでレイトンなのかと睨みつけるも、気にせずつらつらと口を動かしていく。その内容にも驚いたが、甘い声を出し、顔をくしゃくしゃにして笑うこの人は……誰だ?
セオフィラス・アディソンのイメージぶち壊しだ。NO笑み!NO甘さ!クールな皇帝陛下を何処に捨ててきた。
「レイに散々言われ慣れているだろう?」
「お兄様のそれは、挨拶のようなものですので」
「では、俺のも挨拶だと思ってくれないか?」
二度目の絶句……。
眉を下げて子犬に擬態している彼は何を言っていらっしゃるのだろうか?あんた本来は肉食獣の頂点のような男でしょうに。
何度も瞬きをしてみるが、目の前に居るのはあのセオフィラス・アディソン。帝国の皇帝陛下だ……。
うん、間違いない。コレ子犬じゃない。
「なんだ、その眼は……」
「なにか?」
「その不審者を見るような眼はやめてくれ……」
「お兄様と同類でしたら、この対応で間違っていませんわ。それに、人目を忍んで深夜に女性の部屋を訪れ、無体を働き、胡散臭い言葉を吐く男性を不審者と呼びますのよ?」
「……いや、これはもっとこう、違った意味を持つものではないか?」
「不審者以外の何者でもありませんわね。……あとは、刺客ということもありますけれど」
「一部認めはするが……刺客はどこから出てきた?」
「ハニートラップをご存知ありませんの?あれは大層恐ろしいものだと教わりましたわ」
「……誰だ、セリーヌ相手にそんなものを教えたのは。余計ややこしくなるだろうが」
誰って、姉さんよ。
片手で目を覆い項垂れるセオフィラスをフンと鼻で笑ってあげた。
「可愛い」や「綺麗」などは社交辞令。特に息をするようにそれらを口にする男には気をつけなくてはならない。
「二人で遊びに行こう」「友人交えて遊びに」なども下心満載らしい。ほぼ初対面なら尚更。
悪い男の見本は透君だと姉さんが良く言っていた。
まぁ、実際は私の男嫌いオーラが功を奏したのか、近づいて来る男性など居なかったのだけれど。
今世でもレイトンが同じようなことを言っていたし、世界が変わってもこれらは共通なのだろう。ルーティア大司教も男は皆狼だと言っていたし。
「何故、セリーヌ相手だとこうも違った方向へずれていくのか……。なぁ、逢瀬や密会という言葉の意味を知っているか?」
「えぇ。それがどうかなさいましたか?」
「今のこの状況が正しくそれだと思うが?」
「……えぇ、信頼関係がある程度必要ですし」
「あぁ」
「……その本は、お詫びではなく、やはり何らかの意図があって見せてくださったのでしょう。重要機密ですものね……」
「ん……?」
「何と引き換えになさるおつもりかは存じませんが、私だけでは決められませんわ。内容は国に持ち帰り検討いたしますので、書面に……それはマズイかしら……」
「逢瀬と密会から何故そうなった」
それくらい知っているわよ?と胸を張って答えてあげたのに、指の隙間から覗く瞳には呆れが含まれているように感じるのは気の所為だろうか……。
「……これ以上何か言えば余計に食い違いがでそうだな」
「お兄様には敵いませんが、私もそれなりに優秀ですのよ?」
「そうだな……セリーヌは厳重に囲い込まれた深窓の姫君だったな」
溜め息と共に解放された腕を数度プラプラさせながら、【深窓の姫君】という言葉に首を傾げる。意味が分からない。どこを見たら深窓などと出てくるのだろう。姫君は合っているけれど。
「どこか痛めたか?」
「いぇ」
腕は赤くなってもいないし、痛みも無い。強く掴まれていたわけではないのに、外れないとはこれ如何に。
大丈夫だと首を振り、ふわぁ~と眠気に負けて出た欠伸を隠そうと口元を手で覆った。
普段であればとっくに寝ている時間なのだから許してほしい。
そう思い、ちらりと彼に目線を向けた。
「疲れているとは分かっていたが、どうしても今夜顔を見ておきたかった」
「……」
「明日は俺も見送りに出る。……おやすみ、セリーヌ」
セオフィラスがさっさと背を向け颯爽とテラスから姿を消したあと、思っていたよりも疲れていたのか、力の入らない身体を動かしベッドヘダイブした。
結局、何がしたかったのだろうか?お別れの挨拶……いや、でも明日見送るって言っていたし。
わしゃわしゃと髪をかき回し、眠気で何度も閉じようとする瞼を無理矢理開けるのを止め、自身でも分かるくらい機能していない脳を休めようとそのまま就寝した……。
※※※※※※※※
翌朝、起きて早々アネリに笑顔でお説教されてしまった。
理由は開け放たれた窓とぼさぼさの髪。仕舞いにはベッドに入らずうつ伏せのまま寝ていたことだろう。何故か寝間着の乱れを確認されたが「思っていたよりも理性的な方なのですわね」と謎の発言と共に頷かれた。
「おはようございます」
「……クライヴ?」
支度を済ませ、寝室を出ると直ぐに掛けられた声。
寝室へ入る扉付近で直立不動の姿勢を取るクライヴだった。
どうしたのかと問いかければ「寝室の前で護衛をしていました」と、妙に張り切っているクライヴ。「そう」と素っ気なく返すと途端に肩を落とし落ち込んでしまった。
朝食の間は背後に立たれ、圧迫感を感じながらパンをモソモソと噛んでいたが正直食べた気がしない。帰路の確認をウィルスとしていれば、珍しいことに……いや、初めてではないだろうか?積極的に会話に加わるクライヴにウィルスと二人で目を見合わせた。
何時にも増して意味の分からないクライヴ。
全ての支度を終え部屋を出るときには専属護衛かのように振舞っていた。
そして、とうとうそんなクライヴに静かにブチ切れた。
「いい加減になさいませ」
アネリが……。
戸惑うクライヴに「貴方は何様ですか?専属護衛騎士でもありませんのに。良いですか?昨日セリーヌ様がおっしゃられていた大切な者の中にクライヴ様は入っておりません。えぇ、これっぽっちも」と言いながら親指と人差し指ピッタリくっつけ彼の顔面に突きつけた。
縋るように私を仰ぎ見るクライヴに、アネリの言葉を肯定するように首を縦に振って見せた。止めは「アネリ?クライヴはアーチボルト様に剣を捧げたのだから、この先、一生、セリーヌ様の専属になることはないよ?もし、やると言われても……必要もないし」ウィルスが刺した。
完全に息の根を止められたクライヴを置いて先頭に立つウィルスはとても良い笑顔だった。
天然……天然なのよね?と隣に居るアデルを窺うが、遠い目をしながら「ナニコレ、腹の中真っ黒しかいねぇ……」と呟いていた。
魂が抜けたように一歩も動かないクライヴを心配して声をかけるテディに癒されながら、背筋を伸ばし宮殿の外へと足を進めた。
「お待たせ致しました」
出迎えのときと同様、階段下に並ぶ貴族達に顔が引き攣りそうになりながらセオフィラスに頭を下げる。
そして、セオフィラスの横に立つアレンは立場上居なくてはならいことは分かるが、ロメナは何故居るのだろうか?にこにこと邪気の無い笑顔で小さく手を振っているし……。
「国境までは護衛にコーネリアスと第一騎士団を就ける」
「……必要ありませんわ」
「そう嫌そうな顔をしないでくれ。夜会もそうだが、昨日の親善試合もあって帝国領内の貴族、周辺国には色々と憶測が飛び交っている。だから、来たときのように急いで帰国することはない」
さらっとセオフィラスの口から齎された情報に一瞬眩暈がした。強行軍をしてまで気を付けていたのにあっという間にあらぬ噂が広まっているらしい。
……人の口に戸は立てられぬというくらいだから物凄い勢いなのだろう。
我儘王妃様からアーチボルトとベディング伯爵の所為で悪女にジョブチェンジして、次は何だろうか。
ははっ、慎ましやかに生きているのに悪役街道驀進中とか……笑えない。せめて、裏切り者のレッテルだけは回避したい。切実に。
こうなったら帝国騎士団引き連れて堂々と帰国してやるわよ。えぇ、腹を括って道中ベディング伯爵対策に精を出してやるわ。
「何事もなく帰国出来るよう祈っている。道中……どうか気を付けて」
「はい……」
「馬車までだ」
「仕方がありませんわね」
「慈悲を感謝いたします。王妃様」
「……」
挨拶を終えたら此処でさようならではなかったらしい……。
セオフィラスに差し出された手を睨むが、彼は共に階段を下りて馬車まで見送るとか言い出した。
お断りしたいが、帝国の上級貴族が集まっている場で皇帝と揉める度胸など私にはない。
仕方なくだと尊大な態度で彼の手に手を乗せてみたが、ニヤリと笑った彼はそれに対して騎士の礼で答えた。
勝てない……マウントが取れない……と嘆きながら、階段を下りようとした私の視界に入った純白。
数段下に立ち、物凄く嫌な笑みを浮かべているのは年の離れた親友であるルーティア大司教。神出鬼没の変わり者だとは思っていたけれど、まさか公式の場に顔を出すなんて。
嫌な予感がする……。
優雅に階段を上がって来るルーティア大司教は、神の御使いのような神聖な空気を纏いながら一段低い位置で立ち止まった。
ウィルスが私の横に立ち、セオフィラスがルーティア大司教と私達の間に入るように立つ。
警戒されていることから、やはり勝手にこの場に訪れたのだろうと苦笑してしまった。
ルーティア大司教は眉間に皺を寄せ、如何にも不機嫌ですというオーラを出しながらもゆっくりと口を開き。
「私の女神にご挨拶を」
爆弾を投下した挙句。
「女神の下僕でありながら、ヴィアン国までお見送りすることが出来ない私をお許しください。どうか……道中事故などに遭わぬよう、お祈り申し上げております」
ふわりと階段を上がり、セオフィラスを避けて私の前に跪き、頭を下げたかと思えばドレスの裾を持ち上げ口をつけた。
帝国の管理下にある教会の長が、王や皇帝であっても決して頭など下げない大司教が、たかが王妃に膝をついた。
誰もが言葉を発せずに静まり返る中、顔を上げたルーティア大司教は悪戯が成功したかのように無邪気に笑ってみせた。
「……ありがとうございます」
平静を装いながら礼を言い、未だ立ち上がる気配を見せないルーティア大司教の横を通り階段を下り始めた。私の護衛とセオフィラスは彼と私が知り合いだと知っているが、階段下の貴族達は違う。
さっさとこの場を退場しようとセオフィラスの手を軽く引っ張りながら馬車へと乗り込んだ。
※※※※※※※※
「クライヴ、といったな」
セリーヌが馬車の中へ入るのを見届け、目的の人物へと声を掛けた。
ヴィアン国の近衛騎士隊隊長であるクライヴ・アルマンが振り返り、自身に声を掛けた相手が皇帝であると気付き軽く頭を下げる。
他のセリーヌの専属護衛騎士達が此方を何事かと窺っているが知った事ではない。別に害をなすようなことはしないのだから。
「王の側近だったか?」
「……はい」
俺とエルバートのように、アーチボルトとクライヴは最も近しい関係なのだろう。
だからこそ、声を掛けたのだが。
周囲の者達に聞かれては都合の悪い事もある。ならばと顔を近づけ、困惑した顔をしているクライヴの耳元で声を発した。
「では、今から私が言う言葉を一言一句漏らさず王へ伝えろ」
自然と低くなる声には多少殺気が混じり、それに身体が反応しないよう耐えているのか、ギリッと歯を軋ませた音が聞こえた。
「セリーヌに土産を持たせた。それをどう使うかによって、周囲の者達のセリーヌへの扱いは格段に変わるだろう。まぁ、利用価値が上がるとも言うがな。帝国の皇帝が対等と認め、敬った王妃がいながらも、愛妾を側に侍らしている王は他国に何と噂されるだろうな?さぞ屈辱的な気分を味わうだろうな」
「……」
「セリーヌは、お前如きが決して軽んじていいような存在ではない。見誤るな。まだ地に落とされたくないのであれば、これ以上私とレイトンを怒らせるな。セリーヌに何かあってみろ……お前の首一つでは済まない」
「……」
「あぁ、それと。いつまでも、セリーヌがお前の手元にあると思うな。そう伝えておけ」
言いたいことだけ話し、もう用は無いとばかりに軽くクライヴの肩を押し、行くように促した。一瞬口を開きかけたが、自身の馬へと歩いて行った。
睨みつけるくらいはするものだと思っていたが、どうやらクライヴは幾分か成長したらしい。
「皇帝陛下」
コレに比べれば……どうでも良いが。
「何か用か?……ルーティア大司教」
「えぇ。私を教会の長から降ろしてください」
「……あぁ?」
「帝国の管理下にある教会の大司教が皇帝陛下の怒りを買い、その地位から降ろされた。そういうことだ」
「いや、待て。そういうことだ、ではないだろう」
つい今しがたの己のように、要件だけを告げて去ろうとする大司教を呼び止めた。
バサッと長い髪を後ろへ流し、煩わしそうに皇帝に視線を向けるこの男は人目があるというのに普段隠している横暴な素を晒している。
……大司教の座から降ろせと、冗談ではなく本気で言っているのだろう。
「理由を聞いても良いか?」
「はぁ……何処の国の誰かは言わないが、王妃などと身の丈に合わないことをしている阿呆が、あの腐敗寸前の教会相手に立ち回れるとは思えん。だから、私が行ってやろうと、そういうことだ」
「それは……友が心配だから側に居てやりたいと、そういうことだろう?素直に口に出来ないのか」
「友?何を馬鹿なことを」
「違ったか?セリーヌはそう言っていたが」
「友などと、そのような容易く誰にでも当てはまるようなものではない。親しい友と書いて親友と呼ぶものだ」
「……」
「聞いているのか?生涯、切れることのない糸で繋がっている、親友だ」
「……後任に充ては?」
「ある。だから早めに降ろせ」
「小細工などしなくとも、ルーティア大司教ならば移動など容易かろう」
「ふん。あの国は特殊でな、少々面倒なことになっていた。裏で教会を牛耳っていた馬鹿が爵位を落とされた今だからこそ容易く入り込めるだろうが……」
「ならば俺が何かする必要などないだろう?」
「いや、そう思っているのは私だけではない。女神がおわす国の教会だ。皆が挙って希望する筈だ」
「だから俺を使うのか?」
「帝国の皇帝だろう?私をあの国に送れ」
「……良いだろう。セリーヌを頼む」
「言われなくとも、あれは、この私の、親友だからな!」
「あぁ、聖女はどうする?連れて行くのか?」
「まさか、アレはこの国のみの聖女だ」
「……どういう事だ」
「詳しい事はそこの兄に聞くと良い」
大司教は嘲笑うかのように少し離れた場所に立つ兄さんを顎で指し、宮殿の門の外、セリーヌを乗せた馬車が去って行った方を見ながら「ああ、そうだった……」と、感情のこもっていない声を出した。
「セリーヌに手を出しているようだが……止めておけ。あれは、皇帝陛下には無理だ。諦めろ」
「諦める理由が無い」
「……セリーヌにも言ったが、与える愛とは違い、求める愛というのは厄介なものだ。手に持つもの、血の一滴、全てを捧げなければ納得しない」
「……」
「セリーヌは無意識にそれを見抜く。だからこそ、あれの周囲に居る人間はどこか可笑しい。魔女のように意図的にそれを行っている者より質が悪い」
「帝国を背負う、皇帝では無理だと……?アーチボルト王なら、それが可能だと?」
「いや……そうだな、出来たかもしれない。現にセリーヌを粗末に扱い、国を傾けることも厭わずに愛妾に入れ込んでいるらしいからな。だが、もう遅い。セリーヌは……あの王を切った」
「確かに、愛しているようには見えなかったが」
「愛などまやかしだろう」
「教会の長とは思えない言葉だな」
「大司教などただの役職だ。流されるままに生き、目にしたこともないような者に祈りを捧げ、この先どう生きるかも定まっていなかった怠惰な者。神の寵児などと言われている私の中身など醜いものだ。それを……全く別なものに変えることの出来る人間が居ると聞いてはいたが、セリーヌと会うまでは信じていなかった」
「……元から、セリーヌを知っていたのか?」
「知っていた。私の神に、気に入ったのであれば助力するようにと……そう言われた。だから、態々会いに行った」
「神など……」
「いるさ。まぁ、神と言っても……見方によっては最悪な神だがな。あれは唯一と決めた者の為だけに存在している」
「唯一とは、セリーヌのことか?」
「自身だけではない。必要ならば他者も、国も、世界も捧げるだろうな。神には、誰も敵わない」
「それは誰だ……」
「教えるわけがないだろう。機会があれば何処かで会えるかもしれないが……私は知らん。忠告はした。何れ訪れるそのときに絶望しないよう、早めにセリーヌを諦めろ」
背を向け歩き出す大司教を今度は呼び止めることもなく、自身も背を向け宮殿内へと歩き出す。
この後のことについて話す兄さんやエルバートに相槌を打ちながら、不確かだった想いを固め一つの決意をした。
神とやらを超えて見せよう。
セリーヌは……俺の生涯唯一の皇妃だ。




