荒療治
「すみません。あれが精一杯でした」
「良くやってくれたわ。ありがとう、アデル」
皆がクライヴに集中している間に、アデルは私の元へ駆け寄り直ぐ側に膝をつき謝罪した。
先程の帝国貴族と私の遣り取りを気にしてのことだろう。
「貴方の性格が悪いことなど承知のことよ。寧ろ、あのエルバートをよく罠にかけることが出来たと褒めてあげたいくらいだわ」
「……性格が悪いなどと、お戯れを」
アデルは城の侍女達が噂する【貴公子スマイル】という嘘くさい微笑みを浮かべ、ウィルスに視線を向け「強いですよ」と口にし、壇上の方へ戻って行った。
ウィルスが護衛に就いてから、テディとアデルの三人で頻繁に訓練場に籠もっていることは知っている。アデルはウィルスの力も、今戦ったばかりのエルバートの力も把握した上での「強い」と言ったのだろう。それが誰を指しているのかなど聞くまでもない。
「お上品な、型通りの騎士ね……」
壇上ではクライヴがセオフィラスの振るう剣を受け止め、避け、必ず真正面から突っ込んで行く。テディやアデルのように頭を使う気など全くないらしい。力量の差がある相手に型通りの剣など、阿呆としか言いようがない。
相手が戦場慣れしているセオフィラスなら尚更だわ。
「大抵の騎士はあのようなものです」
「近衛騎士隊長がその辺の騎士と同レベル、ということに問題があるのよ。クライヴはウィルスの助言も聞かなかったのでしょ」
「先程の二試合のような行いは、こうした試合形式では非難されてもおかしくはないものでしたから」
「あれくらい笑顔で聞き流してほしいものね。非難だけで国が護れるのであれば、それで良いでしょうに。ダリウス様のように、とは言わないけれど……国よりも自身のプライドを守っているようでは困るのよ」
「祖父は……規格外の方でしたから。口には出せないような事も平然とやっておりましたので。祖父や私が異常なのだとお思いください」
「それだけ修羅場を潜り抜けてきたということでしょう?誇りなさい」
戦場に出ればルールがどうのと言ってはいられない。常に生きるか、死ぬかの選択を迫られ一瞬の油断すら許されないのだから。
それに、隊長ともなれば沢山の部下の命、自国の民、国の存続と、抱えるものが多い。迷うことすら許されない。
皇族でありながらも前戦で剣を振るってきたセオフィラスや、国境の砦で帝国の兵を退け続けたウィルス。二人の歩いて来た道は、決して生易しいものではない。
「潜在意識……思い込み、とでも言うのかしら。恐ろしいものね」
「思い込みですか?」
「クライヴが昨夜言っていたでしょう。何故、私なのかと。剣の腕ならばウィルスの方が強いと。本当に?そのようなこと誰が決めたのかしら。血筋?才能?そんなもの努力しなければただのゴミよ。確かに、経験値という差は埋められないわね。近衛騎士隊は有事の際は王族と街の警護に当たるのだから、そうそう戦場になど出ないもの。でも、だからといってクライヴが鍛錬を怠っていたかと言えば、そうでもないのよね……。公務として孤児院を訪問した日、彼は瞬時に判断し私を逃がし守りきったわ」
「……」
「クライヴは自身を信じていないのよ。そういうものだと決めつけて、行動することを躊躇うの。だって、本人が無駄だと思い込んでいるのだから。誰が悪いのだと思う……?英雄と呼ばれ、越えられない壁として認識されたダリウス様?それとも、クライヴの進むべき道を示さなかった前騎士団長様?あぁ、目を逸らすことを間近で見せ続けたアーチボルト様かしら?」
「……それで、テディとアデルを出したのですか?」
「クライヴだけが理由ではないわ。本人達の為でもあるし、そもそも私は試合自体拒否して帰国するつもりだったのよ?」
「そうでしたね」
ジトッと背後に立つウィルスを見ると、苦笑されてしまった。
「絶対に勝てない相手などいないわ。まぁ、多少卑怯なことはするけれど。それも戦略の一つでしょ?」
「ですが、クライヴの場合は……己の意思が弱い所為かと。目的があれば、手段など選んではいられないのですから」
意思……そうなのだろう。
でも、自分ではどうにも出来ないこともあると私は知っている。
超えなければならない壁が高ければ高いほど、躊躇し諦める選択へ手を伸ばしたくなるのは人間なのだから当たり前の心境だと思う。
でも、そこから引き上げてくれる手が現れたとしたら?
腐るわけでもなく、鍛錬し続け、騎士団をクライヴなりに大切にし守ってきた。アーチボルトのことも、王族として敬うべき相手としてではなく幼馴染として見ていたが、想う気持ちは本物だった。
「素直というか……融通が利かないというか……それを阿呆というのかしらね」
誰かに認められても自信はつかない。目的も、自分で見つけなくては何も解決しない。全て自身で気付くべきものだから。
まぁ、何が言いたいのかといえば。
「一度、何もかもかなぐり捨てて、全力でぶつかってみれば良いのよ」
これに限ると思う。少々荒療治かもしれないが、舞台は整えてあげた。
差し出された手を取るか取らないかは、結局は自身で決めなくてはならないのよ、クライヴ。
※※※※※※※※
ガキンッ!!
頭上目掛けて振り下ろされた剣を剣で受け止め、体重が乗る前に払う。目の前の相手は姿勢を崩すこともなく、再び次の攻撃へと移っている。
息を吐く間もなく、正直動きを目で追うのもやっとの状態。一撃一撃が重く、このまま受け続ければ先に地に膝をつくのは確実に自分だろう。
薄っすらと笑みを浮かべ余裕を見せる皇帝陛下。
帝国での彼の功績は周辺の諸国を脅えさせ、大国ヴィアンやラバンですらセオフィラス・アディソン率いる帝国第一騎士団を危険視していた。
レイトン・フォーサイスに、ウィルス・ルガード。そして、セオフィラス・アディソン。同じ騎士でありながらも、何故こうも違うのだろうか……。
王族だからか?背に背負っているものの差なのだろうか?では、ウィルスは?彼は英雄の孫だからか?
「最中に考え事とは……随分と余裕がありそうだな?」
「なっ!?」
急に剣の軌道が変わり、咄嗟に対応したが腹部を蹴られ後ろへふっ飛んだ。
アデルの試合中足を使った事で帝国の貴族が喚いていたが、自国の皇帝が足を使うことには非難しないのかと唇を噛み締めたが……。
私を蹴った後周囲を見渡しニヤリと笑ったことから、彼は態と足を使ったのだと思い直した。
余裕がある?そんなもの、全くない。才能が、訓練がどうのという話ではないのだろう。圧倒的に経験値が違い過ぎる。
だから、言ったのだ……昨夜セリーヌ様に、何故ウィルスではなく私が出るのかと!
『私ではなくウィルスを出すべきです』
『試合とはいえ、国を背負って出るのです。騎士団のトップである貴方がいて試合に出さないわけにはいかないでしょう?』
望まれてその職についたわけではない。ウィルスの代わりで、父が前近衛騎士隊の隊長だったから私に回ってきただけのことだ!
頬を剣が掠り、距離を取る為に横へ飛んだ。
『何故急に親善試合などと皇帝陛下がおっしゃったのか、クライヴは分かる?』
『……』
『帝国の歴代皇帝は巨大国家を掲げ、他国を蹂躙し続けてきたわ。軍事力も資金力も、一国ではとても太刀打ち出来る規模じゃないのよ。でも、戴冠式でセオフィラス様は相手にならぬと侮っていれば……明日は我が身だとおっしゃっていたわ』
『それと、親善試合と、どのような関係があるのですか』
『窮鼠猫を嚙むという言葉があって、絶体絶命の窮地に追い込まれれば、弱者も強者に逆襲するという意味があるのよ』
『……』
『分からないという顔ね……。帝国は周囲を山で囲まれ、攻め込まれ難いという利点はあるけれど、その分同盟国、属国からの支援や援軍が遅れてしまうという欠点もあるの。本格的に戦争が始まれば、賢い軍師、腕の立つ指揮官さえ居れば、それなりに此方も戦えてしまうのよ』
キーンッ!
互いの剣が衝突し、甲高い音が鳴る。
無駄のない動き、己の知る常識外の剣筋は次の一手を読むことが困難で、躱し斬れずに傷が増えていく。
『皇帝陛下が絶対とはいえ、帝国も一枚岩ではないのよ。反発する者達も少なからずいるわ。甘い汁だけを吸っていた者達は納得しないもの』
『……』
『要は、親善試合は見世物なのよ。明日は夜会に呼ばれなかった貴族の者達が見学に来るらしいから、何も知らず侮っている他国、長年落とせなかったヴィアン国の騎士の力がどういったものなのか、己の目で見て判断しろということね』
やはり間違いだった。私にヴィアン国の騎士の力を見せつけられるわけがなかった。
躱すことすら難しく、反撃する隙など見当たらず、このままただ甚振られて終わってしまうのだろう。
『でしたら、尚のことウィルスを出すべきです……』
『……貴方は?テディかアデルの代わりに出るのかしら?』
『それが、一番良い選択かと思います』
『国の騎士団を預かっている者が、大将戦には出ないと?』
『もし負けでもしたら、皇帝陛下は貴族を抑えきれなくなるのでは?戦争になるかもしれないのですよ』
『皇帝陛下の戴冠式での言葉は民への誓い、他国への布告でもあるの。早々破られることはないとは思うけれど。開戦宣言をされたところでラバン国にはお兄様がいるし、軍事力は負けていても資金力は負けたりしないわよ』
『ですが……』
『お兄様、黒服隊、資金力……ラバン国がヴィアン国と同盟を結んでいる間は、セオフィラス様は手を出してこないわ』
『……?』
『……知らなかったの?帝国がヴィアン国に仕掛けた戦いに、セオフィラス様が率いている第一騎士団は関与していないのよ。彼は、一度も戦場に出ていないの。だからこそラバン国は傍観するだけに留めていられるのだけれど』
三度目の蹴りを受け、とうとう地に膝をついた。
セオフィラス・アディソンは肩に剣を乗せ、降参しろと目で促してくる。
剣を突きつけないのは優しさか?情けか?
『偶々という場合もあるのでは……』
『戦争に偶々などないわ。相手の力量を図り、確実に勝てる見込みがなければ手など出さないでしょう?』
『……皇帝陛下は、ラバン国を危険視していると?』
『でしょうね……。賢王と呼ばれたエイハブ様が、ラバン国と同盟を組んだ理由が分かったかしら?帝国ですら躊躇させる国との同盟は、とても大切なものだったのよ』
それを壊そうとしたのは、貴方達だと……セリーヌ様の一瞬揺らいだ瞳がそう語っているように見えた。
『今回の親善試合は、皇帝陛下が帝国を纏める為に使われるのよ』
なら、もう良いのだろうか……。
テディもアデルも良くやってくれた。私がここで負けてもウィルスが出る。寧ろ彼が出ることに意味があるのだ。それを皇帝陛下は望んでいる。
ならば……私は何の為にこうして剣を振っているのだろうか。ただの茶番でしかないではないか。
『貴方はヴィアン国の近衛騎士隊隊長よ。戦力の要であり、偉大な方の職を継ぐもの。貴方が先頭に立ち、皆がその背を見つめながら戦うのよ』
こんな、情けない姿……。
手も足も出ない、こんな状態で。潔く負けを認めるべきなのではないか?
「降参するのか……?」
「……」
「しないのならば、さっさと立ち上がれ。焦れた者達に勝手に勝敗を決められるぞ」
「その方が、都合が良いのでは」
「誰にとってだ?俺か?はっ、お前の都合だろう」
「皇帝陛下は、ウィルスと戦うことを望んでいたではありませんか……」
「あぁ、そうだな。で?だから何だと言うんだ」
「でしたら……」
このまま、試合を棄権とみなされ終えた方が……。
「セリーヌは、不憫だな」
「……?」
「信じて試合に出した騎士が、何もせずに試合を放棄しているのだからな」
「私は、あの方の護衛騎士ではありません」
「はぁ……試合前にセリーヌが言っていたことを聞いていなかったのか?エルバートが勝負を捨てるつもりかと問うたとき、セリーヌは迷っていたか?考えを変えたか?」
「……」
「私の騎士と、簡単に倒されるような者達ではないと、そう言っていただろ。あれにお前も含まれているのだと、気付いていないのか?」
何を言っているのだろうか……。私はセリーヌ様の専属護衛騎士ではない。それどころか、あの方のヴィアン国での境遇を知りながら何もしてこなかった。
『勝って来なさい、クライヴ。私は、貴方の力を信じているわ』
公務のときでさえ、私は何も出来なかった。ウィルスが後から駆け付けたから助かったようなものだ。
「俺がセリーヌの立場だったら、お前のような奴はさっさと切り捨てているな。ヴィアンの代表としてウィルスを出し、端でそれを眺めさせ、その無駄に高い矜持を完膚なきまでにへし折ってやるところだ」
「……」
「降参と口にすることも出来ず、俺に勝とうという気概もない」
「……」
「お前は、何の為にその剣を振るっている」
侮蔑の眼差しと共に、ゆっくりと肩から剣を下ろされるのを眺めていた。カチャリ……と、剣が再び持ち上がる音がやけに鮮明に聞こえた。
そうか、喉元に剣を突きつけられ試合が終わるのだと……安堵しつつ、ツキリと胸が痛んだ。
「クライヴ様!」
やはり自分はこんなものなのだろうと、そう己を嘲笑い地についていた手を握り締めたときだった。咎めるように名を呼ばれ……視線だけを声の主へと向けた。
普段自信など無さげで、話しかければ畏まり、その内容もフランのことで……。
今回の帝国への訪問がなければ、テディという一人の騎士のことを知ろうともしなかっただろう。
顔をくしゃくしゃにし今にも泣きそうな癖に、目だけは鋭くて……何をしているのだと、さっさと立ち上がれと責められているような気がした。
「……っ!」
その瞳から逃げるように逸らした視線の先、そこにセリーヌ様がいた。
情けない姿に失望されただろうか。いや、元から期待などされていなかったのかもしれない。自嘲しながら視線を合わせ、目を見開いた。
「……どうだ、信頼を裏切った気分は」
ハッとし目の前に視線を戻すと、私と同じようにセリーヌ様を見ていた皇帝陛下が顔を戻しゆっくりと剣を振り上げた。
「不愉快だ……さっさと退場しろ」
そうだ、その通りなのだと……そうするつもりだった。
セリーヌ様が、真っ直ぐ私を見つめたまま微笑まれなければ!
ガンッ!!
己の腕は意思に反して動き出し、皇帝陛下の剣を弾き返していた。
鼻の奥が痛み、視界が揺らいでいる。ついでに言えば、胸が痛くて気分は最悪で、身体の中をかきむしりたくなる。
あの方は、一体何を考えているのだ!
軽蔑、失望、呆れ。その他全てを覚悟していた。どう思われても可笑しくはない無様な姿を見せたというのに!
「くっ……!」
「っあぁぁぁ……!」
一瞬で懐に入り、下から剣を突き上げた。反応が遅れたのか、剣先が皇帝陛下の髪に触れ数本宙を舞った。そのまま体勢を整えることなく右から左へ剣を持ち替え、剣を振り続けた。普段であったら絶対にやらない……滅茶苦茶な動きだっただろう。
本能のみで身体を動かし、時折掠る剣先に眉を顰めはしたが、それでも休むことなく剣を振り続けていた。
「勝者!セオフィラス・アディソン!」
剣を握り締めたまま空を見上げ、ハッハッ……と乱れた呼吸と共に乾いた笑いが零れ、壇上を下り、セリーヌ様の元へと走り出していた。
「良く頑張ったわね」
その一言で、足の力が抜け地面に膝をつく。見上げた先には先程と同じように微笑まれたセリーヌ様がいて、何故か安堵した。
「ですが……負けました」
「あら、これは試合よ。戦ではないわ。それと、アレを御覧なさい」
扇子で指された先には汗を拭う皇帝陛下が立っていた。
私のように息を乱している様子はないが、それでも初めのように余裕があるわけでもなさそうだった。
「努力なさい。次に戦場で会ったとき、今日の借りを返す為。アーチボルト様を、国を守る為に」
「努力すれば、勝てるとお思いですか……」
「さぁ?でも、努力しなければ何もかも失い、貴方の手には何も残らないわ」
「……」
「貴方の場合は、意識を変える努力の方が先のようだけれど」
「……はい」
自然と頭が下がり、掠れた声で返事をすることがやっとだった。
負けた悔しさと己の不甲斐なさに、逃げることを許さず無様な姿を褒めてくださる、そんな主に仕えるテディ、アデル、ウィルスが羨ましくて……涙が頬を伝った。




