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『8/6 ノベルstory07 発売』私は悪役王妃様  作者:


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深夜の訪問者


「すまないが、明日は所用で宮殿から出ている。何かあれば侍女へ言うと良い。上へ話が通るようにしてある」

「わかりました。私が予定を早めた所為ですわね」

「気にするな。元を正せば俺の所為だ」

「あら、【俺】ですか?」

「格式張った言い回しは好かなくてな。親しい者相手には口調も砕けるものだろ?」

「親しき者にも礼儀ありですわ」

「それはレイに言ってやってくれ……夜会は二日後だ。無茶な旅で身体が疲れているだろうから、明日はゆっくりすると良い」


そっと手を持ち上げられ、手の甲に口づけられるのかと思いきや、身に着けていた指輪をジッと観察し、ふわっと笑みを浮かべそこへ口づけた。

兄がヴィアンへ訪れたときに開かれた夜会で、半ば押し付けられる形で譲られた百合の紋章が入った指輪。兄が特注で作らせた物で、普段から肌身離さず身に着けていた物でもある。

その横にはヴィアン国の王妃の証である指輪があったにも拘らず、セオフィラスは兄の指輪へと口づけた。

確か、尊敬の意を込めるときに手の甲ではなく指輪にするのだと習ったはず。

ヴィアンは勿論、ラバンでもそのようなことをされたことがなかったわぁ……と居た堪れないような、くすぐったいような気持ちを抑えながらも、セオフィラスが触れた指先が熱くて、違和感を誤魔化すようにぎゅっと手を握り締めていた。



※※※※※※※※



雲が少なく風も穏やかで、日差しが暖かい。

こんな日は芝生の上に寝転んで、ゆっくりと本を読みながら過ごしたい。

前世では公園、今世ではラバンの庭園でよくぐうたらしていたものである。

皇帝にゆっくりしても良いと言われたので、この際だから帝国の書物を片っ端から読もうと、早起きして侍女から書庫の場所を聞きだしたのに……。


「良いお天気ですわね」


私は昨日散々目にした真っ赤な薔薇園で、数多の侍女と護衛に囲まれながら甘いお茶を口に含み、向かい合わせで座っている女性に愛想笑いをしている。

何故こうなったし。

魔女とのお茶会など私のぐうたら予定には入っていなかったのに。


「こうして、お話しするのは初めてね。セリーヌ様」


帝国の傘下国であるロザント国の第一王女ロメナ。

婚約者もなく、結婚適齢期を過ぎても婚姻のこの字も出てこなかった王女。

ロメナ王女が帝国の第一皇子であるアレン・アディソンの正妻として帝国へ嫁いだ。

急に齎されたこの情報は、各国に衝撃を与えることとなった。


「ラバンの至宝であるセリーヌ様が、我が国に滞在していると昨夜知りましたのよ」


カップを持ちあげるという些細な仕草ですら気だるげで、稀に零れる吐息は同性ですら頬を染めてしまうだろう。顔、胸、足、身体全体色気の塊と言っても差し支えないロメナ。

もうすぐ三十にもなる元王女は、十代にも引けを取らない美貌と色気を纏わせ、咲き誇る薔薇の香りと相俟って胸やけしそうだ。

美しい王女など探せば幾らでもいる。小国の王女が大国に嫁ぐことも珍しくはない。

ならば、何故と問われたら。

幾度となく縁談を断り続けてきたロメナ王女は、洗脳に近い形で性別問わず自身の狂信者を生み出し魔女と呼ばれていたからだ。

魔女とは、前世の私からすれば魔法使いというイメージだけれど。

ここでの魔女の定義は、何らかの力で人畜に害を及ぼす人間らしい。

その魔女が巨大国家である帝国の第一皇子に嫁いだのだから大事件にもなる。帝国だけでも厄介だと言うのに、魔女まで揃ったら近隣諸国は地獄絵図の未来しか見えない。

けれど、皇帝には第一皇子ではなく第二皇子であるセオフィラスが指名され、彼女は皇帝の正妃ではなく、皇帝の臣下の妻の座に座った。

彼女が何を思い帝国へと嫁いだのかは分からない。帝国の傘下国の王女となど顔を合わせる機会などないのだから。

そう、本来であれば一生なかったであろう。

だから、なんでこうなったし……。


「以前からお噂は聞いていたので、是非会ってみたいと思って……だから、お茶に誘ってしまったの」


微かに笑みを浮かべ、お菓子を口に含む姿ですらドキッとしてしまう。


「どうぞ、召し上がって」


目の前にあるお茶や菓子に口をつけない私を気遣って勧めてくれている……そうとって良いのかどうか。

帝国とヴィアン国の諍いを知らないわけがない。何十年も前から争ってきた敵国での飲食物を、毒見もしていない状態で口にする者がどこに存在するのだろうか。

昨夜の晩餐では一つの皿から取り分けられ、更に侍女がその場で一口ずつ毒見をしていた。

こちらから言わなくても配慮して当然の行い。そんな当たり前の事に気づいていないわけがないのに、彼女は侍女に近づかないよう初めに釘を刺し遠ざけている。

要は、毒見役がいないのだ。これ如何に……。


「私の好きな茶葉なのよ。セリーヌ様も気に入ると良いのだけれど」


どうぞ?と、多少強引に微笑み一つで人を動かしてきたのだろう。

そして、私も彼女の狂信者のように頬を染めながら言うことを聞くと思われているらしい。

彼女は私がこの場に来てから、一言も口を開いていない意味を理解していないのだろうか。


「セリーヌ様?」


愛想笑いを浮かべたまま返事もしない私に、眉を顰めたロメナは気分を害したのか、テーブルに並べてあった茶器や皿を手で払い、それらは地面に落ちた瞬間大きな音を立てて割れた。それに驚くこともなく、怯えた様子さえ見せない私に、彼女は溜め息を吐いた。


「セリーヌ様!」

「お怪我は!?」


側に控えていたアネリとクライヴは、私の元まで駆け寄ってくるなりロメナを警戒し、ウィルス達は帝国側の侍女と護衛が可笑しな動きをしないよう睨みを利かせている。


「セリーヌ様はお人形さんみたいね。黙って微笑んでいるだけで、つまらないわぁ」


挑発しているのか、これが素なのか……。

彼女はテーブルに肘をつき、口元を歪め、警戒を解かないクライヴに流し目を送り、目に見て分かるくらい怯んだことで微笑みを浮かべた。


「これは、何事だろうか?」


この状態でこちら側の者を落とそうとするなんて、魔女の異名は伊達じゃないと感心していたとき、やっと待ち人が登場した。

昨夜セオフィラスに言われた通り、ロメナの侍女が来た時点で上に報告するよう侍女に指示しておいた。誰かしらこの場にやって来るとは思っていたが、まさか彼が直々にお越しとは。

出迎えてくれた時も目を引く人物だとは思ったが、落ち着いて明るい所で観察してみれば流石兄弟。セオフィラスと良く似ている。


「あら、アレン様。どうしてこちらへ?セオフィラス様が外へ出ているのに、お仕事を放ってきて大丈夫なの?」

「皇帝が宮殿内に居ないのをいいことに動いた馬鹿がいてな。それと、臣下の分際で気安く皇帝の名を口にするな」

「まぁ、義理の弟ですのに」

「……セリーヌ様。この者が大変失礼いたしました」

「えぇ」


魔女相手にもそうだが、夫婦にしてはお互い冷めているというか……まぁ、私も含めて政略結婚なんてこんなものかも知れないが。

第一皇子であるアレンに謝罪されてしまえば返事をするしかない。クレイ直伝の眉を下げて苦笑顔を披露してみたのだけれど。何が琴線に触れたのか、ロメナは私を見下すように鼻で笑い。


「大国で甘やかされた宝物は、小国出の王女など相手にもしないのね」


と、【ラバンの至宝】を揶揄してきた。

それに怒りを露わにしたのは私でもアネリ達でもなく、彼女の夫であるアレンだった。


「事前に招待したわけでもなく、当日茶会に招いておいてその言い草か?来てくださっただけでも感謝するべきだろう。たかが一臣下の妻の分際で、皇帝の客人であり、ヴィアン国の王妃である方と対等だとでも思っていたのか?【ラバンの至宝】を正しく理解していれば、このような暴挙に出ることもなかっただろうがな」

「ふふふ……そのように怒らないでくださいませ。誰も私に知らせてくれなかったのですもの。帝国の者として、おもてなしをしただけですわ」

「先程の戯言がもてなしだと?」

「あれはアレン様がいけないのですわ。可愛いやきもちですもの、許してくださるでしょ?」


冷たい視線を向けるアレンに「ね?」と首を傾げるロメナは艶やかで、自身の持っているものを正しく理解し、使い慣れていることに、テーブルの下で音を出さずに拍手してみた。


「自室で謹慎していろ。処分は、皇帝が戻り次第だす」


けれど、魔女の色香はアレンには全く効かないらしい。クライヴなんて流し目一つで一瞬怯んだのに……。


「わかりましたわ。では、セリーヌ様。お先に失礼いたします」


彼女の真意も分からないまま唐突に終わりを迎えたお茶会。退席の挨拶はしてみたものの、私の返事など期待せずさっさと背を向けたロメナ。


「ロメナ様」


私は愛想笑いの仮面を捨て、心持ち低い声で彼女を呼び止めた。

足を止め振り返った彼女にうっそりと微笑み、クライヴの手を借りて席を立つ。


「私も、人を狂わす噂の【魔女】を見てみたかったの」


ゆっくりと、少し離れた場所に立つロメナに近づきながら、お人形さんから王妃様の仮面にシフトチェンジしていく。


「ロメナ様は随分と……奔放にお育ちになられたようね」


同じくらいの背丈のロメナの瞳を見つめながら、先程の彼女のように鼻で笑ってあげた。


「性別問わず人を虜にする魔女も、大したことがないのね。余程、自国では甘やかされていたようで」

「貴方……」

「小国出の王女の分際で、私にそのような口を利くものではないわ。私は帝国の傘下国の者でもなければ、属国でも、滅ぼされた国の者でもないの。帝国が、長年手をこまねいていた大国の王女であり、何度攻めても落とせなかったヴィアン国の王妃よ?」


先程までお人形さんのように大人しくしていた者が噛みついてきたから戸惑っているのか、ロメナは唖然としたまま私を見つめ、帝国の者達も驚きを露わにし、アレンですら動きを止めている。ヴィアン国の者達はいつもの事なので静観だ。


「私よりも格下相手のお茶会に出席したのは、帝国の第一皇子であるアレン様の顔を立てたまで。ティーポットも、お茶菓子の皿ですら別な物に、毒見もなしに口をつけるわけがないでしょう?そのようなことすら知らない相手との会話など無意味よね」

「それは、帝国の者がセリーヌ様に毒を盛るとでも言いたいのかしら?」

「毒見など、王族であれば当たり前のことよ。あぁ、ロメナ様は奔放な方ですものね」

「……侮辱しているの?」


その通りだと、良く出来ました!と満面の笑みを送ってあげた。


「お人形さんじゃなかったのねぇ」

「お人形さんでは、王妃は務まらないの」


周囲の者達に聞こえないようロメナが小声で呟いた言葉に、顔色一つ変えることなく同じように小声で返す。

若干子供の喧嘩のようになってしまったが、私の反撃に嬉しそうに笑顔を浮かべるロメナは、とても面倒くさい部類の人間らしい。やはり今迄のは全て態とだったのか……。


「では、セリーヌ様。機会がありましたら、またお話ししましょうね」

「えぇ。機会がありましたら」


足取り軽く楽しげに宮殿内へと戻ったロメナを見ながら、魔女面倒くさい……と心の中で愚痴る。ほら、まだ彼女の旦那様が側にいるからね。

私も退席しようと、くるっと向きを変え、背後にいるであろうアレンに声をかけようとしたのだけれど……物珍しいものを見るような目で見られているのは気の所為だろうか。


「アレン様、私も自室へ戻ってよろしいかしら?」

「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

「謝罪はもう結構です」

「皇帝が戻られましたら、直ぐに報告いたします。その後、セリーヌ様の元へ向かわれるかと」

「お戻りは、遅いのではなくて?お疲れでしょうから、報告だけで十分。明日の夜会に備えて英気を養いますとお伝えしてください」

「これ以上煩わすな、ということでよろしいでしょうか?」


その通りですよ、と口に出来たら楽なのだけれど。この人冗談通じなそうな気がして、迂闊なことを口に出来ないのよね。

魔女と夫婦が成立しているくらいだから、きっとアレンも面倒なタイプに違いない。


「では、失礼いたします」


どうとでも取れるよう、曖昧な笑みで誤魔化しその場を後にした。

ゆっくり読書……まだ時間はある。書庫へ突撃よ!と先程の魔女のように足取り軽く去って行く私を、アレンが「アレと同類か?」と、魔女と一括りにしていたことに全く気付かなかった。



※※※※※※※※



帝国の書庫は思っていたよりも広く、書物の数も尋常じゃなかった。

実用書、専門書と小難しい物もあれば、騎士やお姫様などが登場する物語的な物まで多彩に取り揃えている。

アーチボルトの所為で立場の無かったセリーヌは城の中をウロウロする勇気などなく、アネリ達に適当に本を見繕って来てもらっていたのでヴィアンの書庫に入ったことがない。

けれど、戦闘民族の帝国ですらこの量なのだから、あっちはもっと凄いに違いない!

期待に身を震わせ、独特な本の匂いを思いっきり吸い込み、うっとりしていたらアデルから脇腹を突かれた。

扉付近に立ったまま動かない私を心配して……ではない。

あれは不審者を見るような目だった。

残念ながら閲覧禁止ゾーンは皇帝の許可が必要らしく入れなかったが、ぐるりと一通り書庫を巡り、目に付いた物から帝国の内政に関係がありそうな物と、持てるだけ持って自室へ引っ込んだ。

そこからは……本に熱中し過ぎてあまり良く覚えていない。

気付いたら用意された豪華な客室の、これまた華美な寝室のベッドの上で寝間着に着替え書物を読んでいた。

一瞬(夕食って、どうしたのかしら?)などとボケたことを思ったが、あのアネリが夕食抜きなんてことを許す筈がない。覚えてはいないけれど、食べたのだろう。

そう締め括り、手元の書物に視線を戻した。

帝国の歴史書。然程詳しくは書いていないが、これで十分。

鉱物資源産業を主としている帝国……帝都の門で見たあの城壁と構造材を思い出し納得した。

鉱物資源を得るためには鉱山開発を行わなければならない。それにともなうリスクは多いが、資金力と体力のある国ならば可能。貴金属として扱われる金や銀、その他の物も大抵は帝国産の物。富も力も、これからの未来をも手にしている帝国相手に、他国は打つ手があるのか……。


「鉱山……潰して回ろうかしら……」

「止めてくれると、助かる」


中々良い案だとほくそ笑んでいたら、この場に居るはずのない人物の声が聞こえ、恐る恐る窓のある方へと顔を向けた。

そこには少し開かれた窓枠に凭れかかり、苦笑しているセオフィラスが立っていた。


「子供は寝る時間だぞ」

「……大人がなさる振る舞いではありませんわね」

「すまない。戻って来たばかりでな。この時間じゃセリーヌの侍女や護衛に取り次いではもらえないだろ?」

「だからといって、そのような場所から忍んで来るなんて」

「忍んで来る、か……響きが良いな」


艶めいた笑みを向けられ、思わず持っていた本をボスッと布団に落としてしまった。

それを見て目を細め、肩を竦めたセオフィラスは手に持っていた物を私に振って見せた。


「喜々として書庫へ行ったと聞いてな」

「えぇ。好きなので」

「では、もしよろしければ……こちらもご覧になりませんか?」


再度振って見せた物は、どうやら本らしい。

態々持って来てくれた物なのだから、珍しい物なのだろうか……?どうしよう、物凄く中身を見てみたい。


「……」

「俺は、これ以上中には入れないが?」

「当然です」

「では、取りに来ていただけませんか?」


私の葛藤を知っていてか、茶化すように丁寧な言い回しを使う彼にムッとしてしまう。

ベッドから降り、手近にあった物を寝間着の上から羽織ると、窓へと近づいて行く。

月明りに照らされたセオフィラスは、幼い頃セリーヌが読んでいた御伽話に出てくる王子様のようだった……。

セリーヌにとって、王子様という者は輝くばかりに美しく、怒っていても、泣いていても、どれもとても素敵な人。民の為に身を削り、重き荷を背に乗せ歩き続ける人。

そして、セリーヌを幸せにしてくれる人だった。


『私達が見たかった光景は、帝国で叶えられてしまいました』


「ふっ……ふふっ……」


子供の頃抱いていた幻想と、アネリの言葉を思い出し吹き出してしまった。身を固くして警戒しながら歩いていた者が、急に笑い出すなんて妙な光景だろう。

けれど、セオフィラスは態度を変えることなく、相変わらず窓枠に凭れ微笑んでいるだけ。

部屋と外との境界線。

彼の前に立ち、本を寄越せと手を出した。


「性急だな……しかも、皇帝よりも本の方が良いらしい」

「初めからそのつもりですわ」

「どうぞ」


渡された分厚い本を捲り、軽く目を通しセオフィラスを見上げた。


「よろしいのかしら?」

「構いませんよ」

「これ、閲覧禁止の物では……?」

「皇帝の許可は出ているから平気だ」


自身を指差し「だろ?」と簡単に言うが、政治形態や地図、鉱山の場所など……恐らく他国に知られては困るもの。


「遠慮なく利用するわよ?」

「その程度では大して困ることはない」

「どうなっても、知らないわよ」

「今日、ロメナに困らされたのだろ?その詫びだと思ってくれれば良い。すまなかった」

「……鉱山、潰すかもしれないわ」

「無駄な争いは嫌なのだろ?やるなら、ばれないようにな」

「……」


トンと額を指で小突かれ、頬を膨らませてしまう。レイトンにもよくやられるのだ。


「可愛いな……」


囁くように言われた言葉に反論する前に、膨らませた頬を指で潰され「ぷふっ……」と間抜けな音が響いた。

そう、これもよくやられたわ……。


「子供扱いなさらないでください」

「……子供扱いをしていないと、俺の身がもたないからな」

「子供で構いませんわ!」

「ははっ……くっ……ふはっ。怒るな、可愛い、可愛い」


子供の機嫌を取るようにぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、遠くを見ながらされるが儘になっていた。二十代からすれば、十六なんて子供よね……。


「なぁ、知っているか……レイ曰く、初恋は実らないそうだ」

「お兄様がよく口にしていますわね」

「レイの初恋はセリーヌだからな」

「妹相手に使う言葉ではありません」

「手厳しいな……」


セオフィラスは私の絡まった髪を直すように、何度も髪に手を滑らせ、可笑しなことを口にしだした。お兄様の初恋とか本気で止めてほしい。

それに……。


「初恋は、何も知らない、愚かな者が抱く幻想です」

「……」

「決して、手に入らないものです」

「本当に……?」

「えぇ」

「決して、手に入らないと思うのか?」

「えぇ」

「そうか」


セオフィラスが私の髪から手を離し、そのまま数歩下がりテラスの手摺に手を置くと同時に、寝室の扉が叩かれた。


「さて……そちらも、こちらも、番犬が目を光らせて見張っているからな。そろそろ逃げるか」


ふわっと身体を浮かし、一瞬のうちに目の前から消えたセオフィラス驚き、慌ててテラスから下を覗き込んだ。

待って!ここ何階だと思っているのよ、馬鹿なの!?

暗い中目を凝らし、下の階のテラスに立っている姿を見て胸を撫で下ろした。

心臓が痛い……勘弁してよ……。

手摺を掴みぐったりとしていると、飄々とした態度で下から手を振るセオフィラスに殺意が湧いた。


「セリーヌ」

「……なんでしょうか」

「初恋なんてものは、実るものではない。実らせるものだ」

「仰っている意味が分かりませんわ」

「そのままだろ。待っていても手に入らないのであれば、奪うまでだ」

「……勝手な言い分ですこと」

「心ごと奪えば、文句はないだろ」

「それが、一番難しいのですよ」

「全てを……捨てても良いと思われるぐらいの男になればいい」

「片方は、何も捨てないのに?」

「捨てる。相手がそれを望むのであれば、だが」

「……皇帝を、民を、たかが初恋の為に捨てるなんて、馬鹿だわ」

「俺が選ぶ女が、愚かな者のわけがないだろ?何も捨てずに、きっと全てを手に入れようと足掻く」


暗闇の中でも分かるほど、彼の瞳は私を射貫くように真っ直ぐ見つめていた。

扉を叩く音が止み、ウィルスの「入ります」という声が聞こえ、セオフィラスにひらひらと手を振る。


「セリーヌ様。知った仲であろうとも、護衛なしに近づかれませんよう」

「ごめんなさい。貴重な本をお借りしたのよ」


ウィルスは靴音を立てずに側まで来ると、テラスの下を覗き、不躾な訪問者が去ったことを確認すると部屋の中へと促す。

流石元近衛隊。主の意思を無視せずに、絶妙なタイミングで割って入る。注意の仕方もスムーズだわ。今回は、私が悪いので素直に謝罪します。気が緩み過ぎていました、本当に。


「不思議な人ね……」

「セリーヌ様?」

「なんでもないわ」


静かに閉められた窓の外。テラスでの遣り取りは、シェイクスピアの有名なシーンのようで。あれは悲劇の物語だったわね……と、そっと目を逸らした。



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