二人だけの晩餐
セオフィラスに連れられるがまま、宮殿内に入り長い廊下を進んで行く。
真っ白な壁に黒と白の石が交互に敷き詰められた床。
廊下左側のランセット窓からは光が差し込み、右側には様々な彫刻が飾られている。
贅沢に金を使い装飾された重厚なドアが開かれ、足を踏み入れた先には、玉座があった。
普通なら謁見の間に通されるものなのだが……一体何がしたいのだろうこの人は。
「こっちだ」
私の手を引き上段にある真紅の椅子に歩いて行くセオフィラスに驚き、引き留めようと彼の手を強く握るが、一瞬視線を寄越しただけでそのまま進んでいく。
周囲にいた者達も動揺を隠せず一瞬ざわめくが、張り詰めた空気の中お構いなしに歩みを続けるセオフィラスを、誰も止めることなどできない。
それはこちら側も同様で、振り返るとクライヴ達も伸ばした手をそのままに困惑した顔を見せていた。
「皇帝陛下」
どういう事なのかと低いトーンで名を呼ぶが、何が面白いのか微笑むだけ。そうこうしている内に玉座の前に立ってしまった……。
真紅の椅子は二脚。皇帝と皇妃が座るものだろう。
「座ってみるか?」
見事な装飾だとまじまじと椅子を見ていたからだろうか。
セオフィラスの笑いを含んだ声、私の顔を覗き込むように「どうだ?」と笑みを零すのを見て、遅まきながら言葉の意味に気がついた。
ここで迂闊に返事をしたら冗談では済まされなくなる。
かといって、皆が見ている前で何と言って断る?下手なことを言えば帝国側からの心証が悪くなってしまう。
……もういっそ、お礼を言って玉座に座ってやろうか。
「皇帝陛下」
軽く握られていた手に空いていた手を乗せ、そっと抜き取った。そのまま一歩下がりお辞儀する。母国で叩きこまれた完璧な淑女の礼だ。
「お心遣い感謝いたします。敵国だからと脅えないよう、このような歓待をなさってくださったのでしょうが、ヴィアン国の王妃として、これ以上皇帝陛下に甘えるわけにはいきませんわ」
狼の瞳と呼ばれているアンバーにジッと見つめられると、肉食獣に睨まれているような気分になる。一瞬でも目を逸らせば、喉元を食い千切られてしまうかのような。
ほんの少し前まで微笑んでいたのに、今は何か探るような……品定めされているかのような瞳に背筋が粟立つ。
萎縮しそうになる身体に気合を入れ、なんとか踏ん張りながら手を持ち上げた。
「もう充分ですわ。そろそろ休ませてくださいませ」
「あぁ」
セオフィラスは明らかに笑いを堪えた顔で、エスコートよろしく!と差し出した手を取り階段を下りて行く。そのまま唖然と私達を見守っていた者達の所まで戻ると、側に控えていた侍女に私達の案内を頼んだ。
「では、後程一緒に夕食でも」
「是非、御一緒させていただきますわ。では、失礼いたします皇帝陛下」
そのままセオフィラスに背を向け、扉を潜ろうとしていたとき。
「そうだ、セリーヌ王妃。私のことは、セオと呼べと言ってあったはずだが?」
あぁ、やっと解放される……とホッとしていた私に、セオフィラスは特大の爆弾を落とした。
止まりかけた足を動かし、聞こえませんでした風を装う私の背後では、セオフィラスの笑いをかみ殺している声が聞こえた。
※※※※※※※※
「我が弟ながら、性格がよろしくない」
ヴィアンの者達が退出した後、アレン・アディソンは護衛を下がらせ、まだ笑っている弟へ呆れたように声をかけた。
「……何故、兄さんが出迎えを?」
「この国の宰相だからだ。それに、皇帝が自ら出迎えているのに、臣下である我々が城の中にいるわけにはいかないだろ?」
「……身形を整えて?」
「……」
今日だけは、外見を一切気にしないアレンも、ヴィアン一行を出迎える為にある程度整えてはいた。だが、これは対外的な意味合いであり、他意はない。
しかし、セオフィラスは別な方向へ考えを巡らせているようで、アレンは常日頃から冷静で感情の揺らぎが少ない弟の変化に内心ほくそ笑んでいた。
「なにか?」
「いや……ふむ。間近で見てみたかったからな。噂の王妃様とやらを」
「それで最前列で出迎えか」
「おや?私は何の問題も無い筈だが?貴族連中がこぞって集まったのはセオの所為だ」
「兄さんが扇動したんだろうが……」
「皇帝の手厚い保護を受け、得意気に現れるかと思ったが……あのような強行軍で宮殿へ来るとは」
「必要最低限。面倒事を避けての行動だろう」
「あれが、王を手の平で操る王妃か」
「噂など当てにはならない」
「【ラバンの至宝】などと呼ばれ、王宮内で大切に育てられたと聞いていたから頭の悪い王女かと思っていたが。あれなら、あの王など転がし放題だろ」
「聡明なことは、一概に良いとはいえないからな。セリーヌは、少しくらい馬鹿な方が生きやすい筈だ」
「随分と気に入っているようだが、あちらはそうでもないな」
「あぁ。毛を逆立てる猫そのものだ」
「あまり虐めるな。懐かなくなるぞ」
「……虐めているつもりはないが、そう見えるのか」
「呆れた、本気で言っているのか?……で、あの王妃がセオの初恋相手で間違いないか?」
「……初、恋?」
「違うのか?執着しているだろう」
「いや、そうだが……恋、か?」
「自覚がなかったのか?あの緩んだ顔を見れば皆直ぐに気づく。それにしても、厄介な相手を選んだものだ」
「選んだわけではない」
「なんだ?運命だとでも言うつもりか?敵国の皇帝と王妃など、どこの絵物語だ」
「兵は引かせた。開戦予定は無い」
「だが、友好国でもない。それに、あれを手に入れるのなら開戦することになるぞ」
「手に入るのであれば、構わないが?」
「王妃が発端の戦か……ヴィアンを滅ぼした、血塗られた皇帝の皇妃など最低の悪女だな。そのような道など、まともな者であれば選ばない」
「そのまともな者だからな、セリーヌは」
「まあ、良い。恋に浮かれずにしっかりと考えろ。セオが決めたことであれば、私に否はない」
なんともいえない笑みを漏らし、軽く肩を竦めて見せたセオフィラスの頭を撫で、アレンは今宮殿に居ない前皇帝である父を思い出していた。
領土拡大を謳っていた割に、ラバン国へ触手を伸ばす気配は無かった。かの国の王は皇帝が躊躇う程の恐ろしい相手なのかと思えば、噂されているものはどれも騒ぎ立てるほどのことではなく。平和主義と聞こえは良いが、臆病だとも言えなくはない。ヴィアン国と同盟を結び、安全な場所から傍観している国王。
警戒しているのはヴィアン国か?とも思ったが、それも誤りだと知った。
皇帝のプライベートルームに飾られていた一枚の絵画。
男性とも女性ともとれる美しい人。
領土拡大とは別に、恐らく前皇帝が執着していたであろう人物。
一度だけ見たことがあるその絵画の中の人物が、到着したヴィアン国の馬車から優雅に降り立ち、アレンは目を見張った。
正確には別人であろうが、間違いなく絵画の人物とセリーヌは親族であろう。あれがどこの誰かは知らないが、少なくとも、今前皇帝が宮殿を離れていることにアレンは安堵していた。
※※※※※※※※
どっと疲れが出た私は、用意された客室のふかふかのソファーに勢いよく倒れ込んだ。
ぼふっ!と音がし、アネリが慌てて何か言っているが……身内のような者しかいないのだから、少しぐらい良いだろうと思って。
「セリーヌ様……」
クライヴの声にハッとし、急いで身体を起こすが後の祭りだ。
口を開け呆然とするクライヴに心の中で舌打ちし、ソファーに座り直した。
「皇帝とは、知り合いだったのですか?」
気を取り直し、護衛メンバーを座らせアネリにお茶を入れてもらい、現状の擦り合わせをすることにした。
皇帝の過度な私への扱い。玉座の間での遣り取りに、愛称呼びの許可。
そして、この客室。
ここは美術館か何かだろうか?と、眩暈を起こしそうになるほど贅を尽くした調度品。天井は額縁となり様々な絵が描かれている。寝室は可愛らしい感じになっていたが、一つ一つとても価値があり一般的な客室では有り得ないクオリティーだった。
それは、荷物を片す為に動き回っていたアネリの顔色が悪くなるほど。
因みに、窓からの眺めは圧巻の一言だった。一面に真っ赤な薔薇が植えられ、その先には噴水と色取り取りの草花。
これら全て、あの帝国だからね!……では済まされないレベルのもてなしなのだ。
「皇帝陛下とは、初対面よ」
皆を代表して質問するクライヴの言葉にそう返すと、(どういうことだ?)と皆表情に現れていた。
そんな顔をされても困るわ。あの人何処にでも現れるのだから……。
「アネリ、ヴィアンの夜会で私を助けてくれた者を覚えているかしら?」
「はい。名を名乗らずに去ってしまいましたが」
「では、お兄様が私の護衛につけていたスゥーのことは?」
「あの方も、いつの間にか居なくなってしまいましたが……」
「その二人は同一人物で……皇帝陛下なのよ」
静まり返った部屋に私の溜息だけが落ちる。言葉も出ないのだろう。その気持ちは良くわかるわ。皇帝になる前だからといって、ふらふらと敵国の王宮内を闊歩している皇子とか聞いたことがない。どれだけ警備が手薄なのかと心配になるレベルだもの。
「身分を隠していらっしゃったから、皇帝と名乗ったセオフィラス様とは初対面なのよ」
「ですが、セリーヌ様は皇帝陛下と知っていらしたのですよね」
「知っていたのではなくて、気づいたのよ」
「確かに、あの髪色と顔立ちは有名ですが……」
いや、それらは一切見ていないけれど。
ゲームのパッケージで……とか、声で……なんて言っても分かってはもらえないだろうから。
「ですが、皇帝陛下が……何故ヴィアンに?セリーヌ様の護衛とは?」
「落ち着きなさい、クライヴ。夜会の日、あの場に何故居たのかは私にも分からないわ。私の護衛の件は、お兄様の指示よ」
「それはそうですが」
「お兄様と皇帝陛下は、知人らしいのよ」
「敵国の皇子だった方ですよ……?」
「そうね、何をお考えなのかしら。お兄様も皇帝陛下も、私には理解が及ばない方達ということだけは言えるわね」
突っ込んだことを聞かれても説明のしようがない。悪友だからとしか聞いていないのだから。
「でも、あの方がお兄様とどういった関係であろうと、私達には関係無いのよ。私と皇帝陛下は知人ではなく、他人なのだから」
「ですが、レイトン様とお知り合いだからこそこの対応なのでは?」
「分からないわ。安易に厚意と受け取っても良いものか……テディ?」
「……ぁ、はい」
端に座っていたテディはどこかぼんやりとしていて、心配になり声をかけてみたのだが……。
「大丈夫?具合でも悪いのではなくて?」
「いえ、その、考え事をしていまして」
「何か気になることでもあるの?」
「皇帝陛下と、コーネリアス様なのですが……。僕の師に似ているような気が」
首を傾げながら「可笑しいですよね」と言うテディを、横でアデルが口を開け凝視していた。
「ちょっと待て。お前の師匠って、一期一会のだろ?なんでヴィアン国の領内に帝国の皇子がいるんだよ」
「でも、同一人物と言えるくらいは似ている」
「テディの師という方は、どういった方なの?」
「各地を旅していると言っていました。偶然僕の村に立ち寄って、そのときに色々教わったのですが」
「顔は見たの?」
「はい。セオさんは頭に布を巻いていたので髪色までは分かりませんでしたが、顔は確かに皇帝陛下と似ていました。それに、一緒に旅をしていたリアスさんとバートさんはセオさんの護衛だと」
「三人で旅をしていたのね。で、コーネリアスもその内の一人と似ていると?」
「はい」
「そう」
兄は一時期各地をふらふらと旅をしていた。その道中にセオフィラスと親しくなったのだとしたら、【悪友】も納得がいく。
それに……【セオさん】と【リアスさん】って、偽名の付け方が可笑しいでしょ。
「兎に角、テディの師という確証もないし、もしそうであったとしても此処は敵国よ。皆慎重に行動すること」
「では、セリーヌ様。お支度を」
警戒を怠るな!と気を引き締めたところで、手にタオルや何やらと持つアネリが目線でバスルームを示す。
うん、夕食に招かれているものね。女性は支度に時間がかかるから急いでいるのよね?
瞳がギラギラしているのは、焦りからよね?手が妙な動きをしているのは気の所為よね?
護衛陣が一斉に視線を逸らし退出していく中、私は引き摺られるように身支度へ向かった。
甘すぎないマーメイドラインのドレスは、ボディラインに沿った美しいレースがドレス全体を彩り溜息を誘うほど。上質な素材と洗練されたデザインは兄の自信作。結い上げられた髪にはティアラが飾られている。
これでもかと磨ぎあげられた身体、透明感のある肌の上に施される甘めの化粧。
これら全ての支度をアネリ一人が手掛けている。
帝国側から侍女が数名つけられたが、私の支度をアネリが断固としてさせなかった。
帝国の侍女達も何か言い含められていたのか、側に控え黙って見ていただけ。
いや、時折アネリの技巧に音を出さず拍手をしていたけれど。
支度を終えたと報告しに侍女達が室内から出て行くと、数歩下がったアネリは私の姿を見ながら瞳を潤ませていた。
ラバン国から持ってきたドレスに感動し、涙ながらに褒めちぎるのは恒例のこと。
「私達が見たかった光景は、帝国で叶えられてしまいましたわ」
だから、アネリが呟いたその言葉で、いつもとは違うことに気がついた。
「セリーヌ様の為に、惜しげもなく直属の部下を国境まで派遣し、皇帝自らが迎えてくださいました。待ち切れなかったと……お手を取られ、セリーヌ様を気遣われながら宮殿内を歩く姿は……」
「アネリ」
涙が頬を伝い、口元を手で押さえながら嗚咽を漏らすアネリに駆け寄り、そっと抱き締め背中を摩った。普段は何があっても気丈に振る舞っているアネリがここまで取り乱すなんて。彼女の感情を高ぶらせる何か……それは、恐らく皇帝陛下の振る舞いだろう。
「あれは我が国の王がなさるべきことでした。他国から、お一人で嫁がれて来られたセリーヌ様を労わり、言葉をおかけし……ですのにっ」
「アネリ」
「何故、皇帝陛下なのですか。何故、王は……」
「アネリ、落ち着きなさい。それ以上は口にしてはいけないわ」
「セリーヌ様……」
「アネリは私の侍女ですものね……気に病ませてしまったのね。そうね、アーチボルト様は、子供なのよ。身体は成長なさったけれど、心はまだ子供なの。周囲に厄介な者達しかいなくて、自身では何一つお考えになられたことなどなかったの」
「ですが、それがセリーヌ様に苦労を強いる言い訳にはなりません」
セリーヌもアネリもまだ十六歳。大人でもなく、子供でもなく、精神的にも不安定な年齢だろう。だからこそ黙って現状を飲み込むことなど出来ず、私というイレギュラーな存在がいなければゲームのシナリオ通りフランを虐め、排除する方向へといっていたのかもしれない。現実は甘くはないと、幼い頃から嫌というほど体験してきた私にとっては、この程度のことなど生温いが。
「そうよね。理不尽よね……私の前世の行いが悪かったのかしら?」
「セリーヌ様の前世、ですか?そのようなこと、一度とてある筈がありませんわ!」
「あら、私だって悪いことの一つはしているかもしれないわよ?」
「あり得ません」
「こうなる運命だったと、そう思えば理不尽だとは思わないわ」
ぽんぽん……と、アネリの背中を軽く叩きまだ濡れている頬をそっと指で拭う。
「さぁ、この姿では皇帝陛下の御前には出られないわよ」
「……すみません。直ぐにお直しを」
アネリは己の失態に気づき慌てて謝罪しながら私の乱れたドレスを整え。
その間、私は窓の外にある薔薇へと視線を向け、因果応報という言葉を反芻していた。
※※※※※※※※
夕食の席に案内された場所は、応接間でも客間でもなく、友人や知人と過ごす為のプライベートルームだった。部屋へ入るのを躊躇いながらも侍従について行くと、室内を素通りしテラスへ。そこには二人掛けのテーブルが置かれ、セオフィラスがワインを口にしていた。
ライトアップされた美しい庭園を眺めながら、食器が鳴る音だけが響いている。
見える範囲に護衛が配置されていない所為か、この場所に二人しかいないのではと錯覚してしまう。
席に着いてから食事が運ばれてくる間、セオフィラスは一言も話さず庭園を眺めたまま。今も目の前にある豪華な食事には手をつけずにワインだけを口にしている。
私は淡々と手を動かし、ある程度食事を口にしたところで顔を上げ、いつの間にか庭園ではなく私を見ていたセオフィラスと視線が絡んだ。
数秒……或いは、数分……。
彼の瞳に見つめられると余裕が無くなる……というか、どこか落ち着きが無くなってしまう。歴戦の将軍が眼だけで人を殺せるとは、こういったことだろうか。
ゆっくりとワイングラスを置いたセオフィラスに反射的に身を竦め、眉を寄せると、彼は苦笑し「怖いか?」と口にした。
それに対して私は首を横に振るが、納得がいかなかったのだろう。
「私が、恐ろしくはないのか?」
ならば……と、再び似たような質問をしてきた。
「この手で数多の国を滅ぼし、王族の血を根絶やしにしてきた」
「それが皇帝の命であれば仕方がないことかと」
「私の大切な家族、知人、民の為ならば、平気でこの手にかける。それが、皇帝の命でなくとも。これからも、そう生きていく。血塗られた皇帝と呼ばれるだけの数は葬ってきた。そのような者を目の前にして、仕方がないか……セリーヌは変わっているな」
悔いているわけではない。許しを乞うているわけでもない。
ただ、純粋に目の前にいる男がどういった人物か分かっていて、それでも恐ろしくはないのかと尋ねているだけなのだろう。
怖がった方が良かったのだろうか?子ウサギのように瞳を潤ませ震えてみせたほうが……想像してみたが、似合わな過ぎて自分で驚いてしまった。
無理。それは、ヒロインであるフランの担当だわ。
「そうですわね……戦争は、とても恐ろしいものだと思っています。でもそれは、大切な者を失うことが恐ろしいからです。ですから、皇帝陛下が血塗れだろうと、現状私には一切関係がありませんので恐ろしくはありませんとお答えしました」
自分のことで手一杯なのに、赤の他人とかどうでもいいわよ。私に害がなければどうとも思わないわ。
「それに、皇帝陛下が血塗れなら、家族も、知人も、民も、皆全て血塗れですわね」
「……」
黙ったセオフィラスに微笑み、ワイングラスを手に取り、この物騒な会話に似合う赤ワインで喉を潤す。
「貴方にそれを強要した者、他国を蹂躙することを諫めなかった者、数多の死者を糧に豊かな暮らしをしている者。私にとっては、皆等しく血塗られた者達ですわ」
「皆、か……」
「それに、私は戦争が好きではありませんが、だからといって黙って滅ぼされて差し上げるような偽善的な考えは持ち合わせていませんの。私の大切な者を、私から奪うようなことがあれば、持てる全ての力を使い、慈悲すら与えず、塵一つ残さずに、喜んでこの手を血塗れにしますわ」
「自ら手を下すのか。勇ましいな」
「えぇ。ですから、私の大切なものに手を出すときはお気をつけください。皇帝陛下と私の違いなど、既に実行しているか否かの差ですので」
「今の所は、感謝されるような事しかしていないが?」
「えぇ。セオは、私の恩人ですものね」
感謝していますわよ、とにっこり微笑むと、ぷいっと顔を逸らされてしまった。
照れているのだろうか?自身を血塗られた皇帝などと言っておきながら、感謝の言葉一つでこうも可愛らしい反応をするとは……。
「とんだ、人たらしだな」
「誑すなどと、酷い言われようですわね」
「そちらはレイの方だ。セリーヌは……蕩かす、の方だな」
「……」
意味が分かって言っているのだろうか……。
黙ってワインに口を付ける私を、セオフィラスは可笑しそうに笑っているが、真顔でそんなことを言える彼の方がよほど人たらしだと思うわ。
「気に障ったか?」
「いいぇ。ですが、私などまだまだですわよ。本物の人たらしは、もっと凄いのですから」
「レイのことか?」
「お兄様は誑かす方ですわね」
「まだいるのか……」
「お兄様も、私も、敵いませんわ。自身を犠牲にして、望んでいるものを惜しげもなく与えてくれるのですから。……それはとても甘い毒ですが」
「毒とは……あまり良い意味には聞こえないが」
「一度触れてしまえば、それなしでは生きていけなくなり、手放せなくなってしまいます。ですから、毒なのですわ」
「その毒を、手にしたことがあるのか?」
「えぇ。最後のその日まで、私の一番大切な方でした」
「もう、この世にいないかのような言い方だが……」
あの日。何度も私の名を呼ぶ声に、たった一言、大事な言葉を返せなかった。
私を肯定してくれた。私の為に全てを投げ打った。
そんな貴方に、一度も口にしたことがなかった、『ありがとう』という感謝の言葉を。
「今の私は、その方が時間をかけて育んできた賜物ですわ」
「男か……?」
「さぁ、性別など関係ありませんでしたから。……父でもあり、兄でもあり、姉でもありました。稀に妹にもなるのですよ」
クスクス笑いながら、何処か遠くを見つめるセリーヌに、セオフィラスの身体がぞくりと震えた。先程まで悲しげに語っていた口は艶やかに笑みを纏わせ、今この場に居ない相手に恋焦がれるような顔をしている少女が、年下とはとても思えなかった。
「やはり……敵は、アーチボルト王ではなかったな」
ふっと息を吐き出したセオフィラスの呟きは、誰に聞こえることなく消えていった。




