ご招待
戴冠式での皇帝セオフィラスの発言は、潜ませていた間者によって各国に広まった。
それと同時に、帝国は近隣諸国に差し向けていた兵を撤退させた。
どのような国であろうが、問答無用で戦を仕掛けていた帝国。数十年変わることなく苛烈な手段を用いられ行われてきたものが、たった一言、新皇帝の言葉によって幕を閉じた。
セオフィラスの語った言葉が本気であるのなら、交渉によって蹂躙の対価に成り得る何らかの物を相手に望むのだろう。
国の規模の違いも考慮されての交渉なら良い……が、そんな優しさをあの帝国が持ち合わせているとは思えない。
【交渉】は、あくまで互いが納得できる形を目指して話し合うこと。
それは背後にあるものも含めての話し合いになる。圧倒的な武力を保持している帝国相手に、強気で交渉出来る国などそうそうあるものではない。端から無暗に戦を仕掛けないという妥協を帝国側がしている状態。機嫌を損ねれば、又前のように武力を用いて攻めてくるかもしれない。
お話し合いなど、成立するわけがない。小国は……為す術もなく言い成りになり、帝国に搾取されるのだろう。
でも、大国であっても油断ならない。
私腹を肥やす貴族と、忠誠心の欠片も持ち合わせていなかった近衛騎士隊。優秀な者達が身分を理由に不当な扱いを受けていたヴィアン国は、同盟を結んでいなければ危うかったかもしれない。相手は、あの帝国なのだから。
自国の民のみを慈しみ、自国のみを憂い、領土拡大を取り止めた新皇帝。帝国としては理想的な皇帝なのだろうが、他国からしてみれば、前皇帝よりも余程たちが悪い。
まぁ、憂いていても仕方が無い。
いつか起こりうるであろう戦争に備え、まずは自国の問題を片付けることを優先しなくては。その為に、朝も早くからアーチボルトの執務室で王と宰相と顔を突き合わせているのだから。
で、自国の問題一つ目が……。
「孤児院への不透明な寄付金は、恐らくベディング伯爵の元へ集まっているものかと思われます」
「証拠は?」
「難しいかと……今迄実権を握っていた方ですから、証拠となるものを消すのも容易いのでしょう」
「そうね。こんな紙切れ数枚で、あの狸まで辿り着くのは難しいでしょうね……」
横領されていた寄付金の足取りを追ったところで、ベディング伯爵の子飼いか派閥の貴族の元で途絶えるだろう。どうせ蜥蜴の尻尾切りをされて終わるだろうし。本当に面倒な狸だわ。
「全て捕えれば良いだろう」
ジレスとの会話中に割り込んできたとんでもない提案。発言した人間、アーチボルトをキッと睨みつけるとビクッと肩を揺らし明後日の方向へ視線を投げた。
「関与していると思われる者達を全て捕えれば、この国の貴族の半数が没落しますわね。只でさえ人手が足りていないこの時期にそのようなことをなされば、ヴィアンは潰れますわよ?」
「そのときは、ベディングの派閥ではない者達を呼び寄せれば良いのではないか?」
「その派閥ではない者達を遠ざけ、見す見す逃がしたのはアーチボルト様ですわ」
「いや、そうなのだが……」
「膿を出すには痛みが伴いますのよ?ですから、まずは逃げ出した者達を確実に生け捕りにしませんと。手を出すのは、それからでも遅くはありませんわ」
口元に扇を当てふふっと微笑むと、正面に座っているアーチボルトとジレスが同時に顔を背けた。若干顔色が悪いのはどうしたことか……失礼な、私はお兄様のように黒いオーラは出していないわよ?
「寄付金の件は財務官を入れ替えました。少々経験値は不足してはいますが、信頼のおける人間です」
「それが妥当ね……財務官の弁明は?」
「知らなかったと、指示された通りに仕事をしただけだと言っています」
「そいつは捕えないのか?」
再び会話に割り込んできたアーチボルトに室内にいる人間の視線が突き刺さる。以前のように無関心では困るが、言葉は口にする前に色々と良く考えてからにしてほしい。
「構いませんの?それを指示したであろう者も捕えなくてはなりませんのよ?」
「指示した者も分かっているのであれば、捕えるべきだろ。証拠はあるのか?」
「えぇ。偽造されていた書類にハッキリと証拠となるものがありましたから」
「だったら直ぐに捕えて尋問しろ」
「アーチボルト様……」
「何だ、ジレス。問題でもあるのか?」
「その書類には、王印が押されています」
「……は?」
「私も確認いたしましたので、間違いありませんわね」
そう、厄介なことに寄付金の偽造書類には、アーチボルトだけが使用出来る王印が押されていたのだ。つまり、件の財務官にゴーサインを出したのはアーチボルトである。
碌に確認もせずに判を押していたのだろうが、毎回想像の上を容易くいくアーチボルトのフォローが辛い……。
本人に身に覚えがないのか、「いや、私ではないぞ!」と言い張るアーチボルトにジレスが無言で書類を突き付けた。それをジッと上から下まで目を通したアーチボルトは、書類を両手で掴んだまま項垂れてしまった。項垂れたいのは私だ。
しかし、尻尾切りに王まで組み込むとは……狸は一筋縄ではいかないらしい。
「ですから、妥当だと言いましたでしょ?これに関して追及すれば、向こうから逆に攻撃されますわ」
「孤児院だけでなく、他にも叩けば何か出てきそうですが。今は全てに人員を割けるほど信頼出来る者がおりません」
「ヴィアンは貴族や民と協力体制を取っていないのだから、仕方が無いわね」
「……協力体制ですか?」
国の事業も奉仕活動も、通常は国家を統治する機関が単独で行っている。アーチボルトの権限を使いベディングが好き勝手出来たのは、この体制だからこそ。
ラバンにもその機関が存在してはいるが、単独では行っていない。貴族、平民と身分は問わず、事業の企画、運営、教会関係や孤児院への奉仕活動、その他を協同して行える団体を立ち上げている。
団体の職員は国が文官を派遣し、貴族は資金支援、平民は技術提供、商家は貴族と平民の間に入り円滑に回るよう動いている。ラバン国を代表する繊維産業はこれの賜物だろう。
利益のある産業と違い、奉仕活動の方は維持費、人件費、寄付金と損害を伴う。純粋な好意で行う者などほぼ皆無だろう。
だから、積極的に奉仕活動を行った者は王族から表彰されるという対策を取った。地位や名誉に拘る貴族、上級貴族に顔を売りたい商家にとっては、王族との繋がりは喉から手が出るほど欲しいものだろう。
他国から羨まれるほど豊かな国は、こうした形で作られてきた。
ジレスの問いに大まかに説明すると、初めて耳にしたのか物凄く驚いた!という顔をされた。
「他国の、それも同盟国の内政ぐらい把握しておくことは当然のことでしょうに」
「お恥ずかしい限りです……ですが、話してしまってもよろしかったのですか?」
「別に隠していることではないわ。お兄様に聞いても簡単に教えてくださるわよ」
「真似したいところですが、現状我が国では不可能ですね」
「王族より、貴族が力を持っているのだから……無理よ」
自国の問題二つ目が、その力を持つ貴族だったりする。
帝国の戴冠式後直ぐに、アーチボルトは国の中枢に関りがある有力貴族を招集し会議を行った。その中にはベディング伯爵は勿論、その派閥、中枢から退いたカルバート家、アルマン家、リンド家と、奥様方に尻を叩かれたであろうメンバーも参加していたらしい。
そこでの話し合いは友好的なものではなく、対立している二つの派閥が火花を散らし怒鳴り合い、最終的には互いに背を向け部屋を出て行ったという。
王と宰相の二人をその場に残して……。
沈痛な面持ちでそう口にするアーチボルトとジレスに、「まぁ……」と中途半端に開いた唇を噛み締め、膝の上に置いてあった手で太腿をコッソリと抓った。
何それ……最高権力者と次点の宰相を置き去りとか……どんなコントだろうか。
しかも、それをしょんぼりしながら黙って見送るとか、これを笑わないでどうしろと?
耐えきれず笑みが口角に浮かび、二人から目を逸らした。
その瞬間視界の隅に入ったアデル。奴の口元もフルフルと震え今にも吹き出しそうな勢いだった。うんうん、分かるわぁ~と扇子を広げ、正面側にいるアーチボルト、ジレス、クライヴには見えないよう顔を隠し、扇子の中で変顔を披露してあげた。私をジッと見つめるアデルに。
「ぶふっ!」
咄嗟に口元を手で覆ったが、皆の視線が吹き出したアデルに注がれる。何度か咳払いし誤魔化そうとするアデルには悪いが、お陰で私が吹き出すのを堪えることが出来たわ。有難うアデル。
「で、両者はなんと?」
「ベディングの方は帝国の条件を呑み、無用な争いは避けるようにと言っていたな。逆に前々王の派閥の者達はそれに対して否を唱えていた……」
「帝国を退けたエイハブ王の時代を知る者達はそうでしょう。それに、今はラバンと同盟を結んでいますし。ですが……この国に、帝国が欲する物などあるのでしょうか?」
【欲する物】という言葉に皆が思考を巡らせる。
軍事力?帝国より劣る騎士団など必要ないだろう。
ならば金銭?貴族に食い潰され、財源が底を彷徨っているような状態なのだ、これもない。
あとは、無駄に有り余っている土地なら……逆に、土地しか無い。
「領土拡大に力を注いでいた前皇帝ならまだしも、今の皇帝が手にしたい物など……」
「あら、ヴィアンを手に入れようとすれば同盟国であるラバンも出てくるのよ。そちらが狙いかもしれないわ」
「確かに、帝国でなくともラバンを欲する国は多そうですからね。そう考えると、ラバンと同盟を結べたのは奇跡に等しいのですね」
そうよね……。帝国に接しているヴィアンを盾に使い、自国の被害を最小限にと考えての同盟だろうけど。思っていた以上に内部が破綻していて、盾の役割すら果たせないとか今頃思っているのではないだろうか。
「これも、アーチボルト様の容姿。それを見初めたセリーヌ様のお陰ですね」
顔だけが取り柄の王と、それにまんまと騙された王女。なんとも胸を抉ってくる嫌味だこと。
このドS野郎……と心の中で毒づき、うっそりと微笑み。
「恩義を感じていると言うのなら、私の靴を舐めそれを示してもよくてよ?」
「そうですね。ご要望とあらば」
肩を竦め微笑み返すジレスにゾッとしながらも、悠然とした態度をなんとか保つ。最近色々と吹っ切れ、愉し気に絡んでくるジレスが面倒くさい。私を虐めても泣いたりしないわよ?倍にして返すわよ?
どちらも視線を外さず「うふふ」「ははは」と笑っていたら、それまで口を閉じていたアーチボルトが「あぁ、そうか!」と急に声を上げた。
「帝国が欲するものなど、一つしかないではないか……」
顔を両手で覆い重々しい口調で話すアーチボルトに、皆が息を呑み耳を傾けた。
もしや、代々王にしか受け継がれない価値のある何かがこの国にはあるのかと……。
だが、やはりアーチボルトはアーチボルトだった。
「私だったのだ……」
「……」
静まり返った室内を訝しみ顔を上げたアーチボルトは、皆の無言の抗議を受けながらも怯むことなく大袈裟に手を広げ、周囲を見渡し溜め息をつく。
全く意味の分からないその行動に怒りを通り越し呆れてしまう……。
いや、言いたいことは察したのよ。でも……。
「ヴィアンの王位でしょうか?それとも、帝国の者をアーチボルト様の側室とし後継ぎを得ることでしょうか?」
「……何を馬鹿なことを言っているのだ、ジレスは。セリーヌ、其方なら分かるだろ?」
「いぇ、私には仰ってる意味が……」
「不本意ではあるが、私の美貌は世界中に知らされているからな」
本気で言っているのだろうか……ぇ、本気なの?違うわよね?それ一番要らないやつだと思う。
助けを求めようとジレスを窺うが、彼は苦虫を嚙み潰したような顔でアーチボルトを見ていた。恐らく、ジレスも同じことを思っているのだろう。
「兎に角、皇帝が何を仕掛け、何を求めてくるのか。それらは帝国へ送る使者に探って来てもらうしかありませんね」
「言質を取られるような真似はされないよう、慎重に人を選んでちょうだい」
「おい。私の話しを聞いていたのか?」
アーチボルトをスルーし、一番頭の痛い問題である案件。帝国への使者として誰を派遣するのか決めなければならない。
周辺国は既に動きだし、新皇帝への祝いと称して使者を送っている。
皇帝セオフィラスと接触し、一つでも有益な情報を自国へと持ち帰りたいのだろう。
今迄固く閉ざされていた帝国の門。向こうからしてみればウェルカムな状態で開いていたかもしれないが、恐ろしくて誰も近づこうとしなかったのだから確かめようが無い。
僅かでも生き残れる道があるのであれば、その恐ろしい門の向こう側へ足を踏み入れなければならないのだ。結果、力の無い国から順に使者を送り始めた。門前払いされる国もあれば、皇帝と接触出来た国もあるという。
これら全ての情報は兄のお抱えである黒服隊が調べてきた情報なので信憑性はバッチリだ。
恐れているわけでもない。媚びてご機嫌伺いをする気もない。軽いジャブ程度。祝いの品を持たせた使者をラバンも送ると、兄の手紙に書いてあったのだ。
ラバンはセオフィラスと親しいレイトンがいるからまだ良いが、ヴィアンは誰を?
優秀な文官?そんな者が居たら宰相が目の下に隈を作るまで働かなくて済んだだろう。
「私の補佐を行かせます。使者の護衛には近衛騎士隊から数名お借りしますので」
「護衛は、平民の者を避けてちょうだい。あちらで何かあったときに助けられないわ」
「承知いたしました」
まだ何事かブツブツ呟いているアーチボルトを部屋に残し、さっさと自室へと向かう。
ところで、少し前から気にはなっていたのだが……。
クライヴのあの顔の傷はなんだろうか?偶に足を引き摺っているのは気の所為だろうか?
首を傾げながら廊下を進み、まぁ良いかとあっさり振り払った。
※※※※※※※※
使者を送ってから数日後。帰還した使者と面会していたアーチボルトから「至急」と言伝された侍従が後宮へと訪れた。
呼び出されることは多々あるが、至急などと言われたことは一度も無い。一体何が遭ったのかと、嫌な予感を感じながらもアーチボルトの執務室へと急いだ。
嫌な予感というのは結構な確率で当たるものだ。
これは直感とか神のお導き、とかそんなものではなく。
不測の事態が起こったときの為に、誰しもが張っている予防線に関係している。ある種の自己防衛本能だろう。これを張る回数が多ければ多いほど、当たったと感じるらしい。
まぁ、ここ半年ほどで私に起こったことを考えれば、トラウマ的なものになっていて神経質になっているだけかもしれないけれど。
「送った使者が、持ち帰ったものだ」
「……」
予防線を張りまくっている私の嫌な予感は、どうやら当たったらしい。
真っ白な上質の紙に金の縁取り、黒のインクで書かれた日時と時間。その下には必ず出席するようにと脅しとも取れる言葉が綺麗な字で書かれている。どう見ても招待状である。
もう一度、恐る恐る招待状の一番下の欄、皇帝セオフィラスのサインと帝国の紋章を確認し軽い眩暈を堪えた。
「皇帝と言葉は交わせなかったが、謁見は出来たらしい。その時に皇帝の側に控えていた者から渡された物がそれだ。それを持ってさっさと帰れと追い出されたらしい」
「厄介な物を持ち帰ってきましたのね……」
「セリーヌ……」
アーチボルトが労わるような口調で私の名を呼び、ジレスは黙ったまま私の様子を窺っている。無理がない、招待状には私の名が書かれているのだから。
戴冠式後には二度、宴が開かれる。一度目は当日の夜。深夜まで行われるこの宴は皇族、貴族、他国から招かれた賓客を招待してのもの。
二度目は、皇帝とその身近な者達。派閥の貴族に子息達。
それと、正妃も側室もまだいないセオフィラスの寵を得ようと、帝国中の貴族の令嬢が意気揚々と出席するだろう。
本来であれば、この身内だけの宴に他国の者が呼ばれることは無い。
それなのに、これはどういう事だろうか……。
「本物、でしょうか……?」
「あぁ。本人を目の前にして渡された物だからな……」
こういった類の招待状にある筈の参加、不参加の欄が無い。強制ということだろう。
指に力が入り、思わずぐしゃっと潰してしまいそうになったのでテーブルへと戻した。
「どうするかは、セリーヌが決めて良い」
「良いのですか?」
「あぁ。どうなろうと、責任は王である私が取る」
分かっているのか、いないのか。相変わらずなアーチボルトと招待状を見比べ、肩から力を抜いた。答えなど初めから一つしかない。
「参加致しますわ」
ピッとテーブルの上の招待状を指で弾き、そう口にした。
「だが、同行させることが出来る護衛は人数が限られるぞ。それに、帝国は敵地だ」
「ですが、断ったら……恐らく戦争になりますわよ」
「交渉次第によっては回避できるかもしれん」
「いいえ。これは真っ当な招待状ではありませんのよ。強者が弱者に送り付けた、令状ですわね」
「ならば、レイトン殿に話し、相談をしてからでも遅くはないだろう」
「お兄様には私から手紙を送りますわ」
相談したところで、セオフィラスを悪友とまで言っていたのだから、笑って行って来いとか言われそう。
ラバン国の至宝、大国ヴィアンの王妃である私を、敵国の宴に呼びつけるなんて……本当にお兄様のお友達なのね、彼は。たちの悪さがそっくりだわ。
「私は部屋へ戻ります」
ゆっくりと立ち上がり、退室する旨を伝える。これから侍女s総動員で支度をしなくてはならない。
「セリーヌ。本気か?」
「えぇ。私、売られた喧嘩は買うのが礼儀だと思っていますので」
クライヴの怪我の理由は番外編の方へ更新しています。




