公務
「セリーヌ様、此方のお召し物でよろしいでしょうか?」
「えぇ、汚れても目立たないくらいがちょうど良いわ」
「セリーヌ様、ジレス様から荷物の目録の確認をと……」
「おもちゃに、本に、衣類……そうね、食材の方の目録も持って来るよう言ってちょうだい」
「セリーヌ様、後程クライヴ様が経路の確認と注意事項の確認をしたいと」
「先にテディとアデルを向かわせて」
私は忙しなく動き回る侍女sに指示を出しながら、孤児院へ訪問に行く支度を整えている最中だ。
普段よりも控えめなドレス、髪は子供相手なのだから一つに纏め、化粧もキツイ顔立ちを少しでも和らげるようアネリが奮闘してくれた。ほら、泣かれたら困るし……。
エマから渡された目録の品と数量の確認はジレスが前以てしている。それの最終確認を私が受け持った。
それと、今回は王妃の公務の護衛なので王族の周辺警護が主な近衛騎士隊が私につくことになっている。
人選についてもジレスとは打ち合わせ済み。護衛の名簿に書かれていた名を見てアネリにペンを要求し、とある個所に二つほど線を一本横に引いて返したのだが、それを見たジレスに隊長であるクライヴは外せないと却下されてしまった。
ならばと、何故か護衛の中に紛れていたフランの名に再度ペンで横線を引き、何重にも線を引かれた紙を二度見したジレスは何かを察したのか、それとも私の背後に控えていたアネリの殺気に脅えたのか、護衛からはフランを外してくれた。
「ギー様からご伝言が。本日はお忙しいでしょうからと、レイトン様への御挨拶は訪問を終えてからで良いそうです」
「……顔を見てからでないと帰らないということかしら」
「ご心配されているのでしょう」
「お兄様もお暇ではないでしょうに……仕方のない方ね」
「レイトン様はセリーヌ様を宝物のように扱っていますから」
侍女sがクスクス笑い合っているのを見て、あー平和だわーと気抜けする。こう連日色々なことが重なると一時だろうと和やかな雰囲気に癒されるわ。
「セリーヌ様、そろそろお時間です」
「えぇ。では、行きましょうか」
戻って来たテディから促され、王妃初の公務に繰り出した。
※※※※※※※※
ウスイラ孤児院は王都にあるとはいえ、かなり端の方に位置している。王弟ダリウス様が静かな場所を好んで緑豊かな土地に別宅を建てたから。
真面目な方で人たらしだったと聞いてはいるが、城から近い本宅ではなく別宅から城へと通われていたという不可解なことを聞いた。
誰か囲っていたのかもとも思ったが、別宅には奥様もお子も居たとなれば何か理由があったのだろう。此処を毎日馬で通うのはかなり不便だろうし、帰宅時間によってはかなり危険を伴う。
人も通らず、孤児院までの一本道。周りは景色を覆うほどの森林。
もし、襲われるのならこの場所でだろうと……森林の中を進みながら、クライヴからされた注意事項に納得した。
まぁ、王族の紋章が入った馬車に白い隊服を身に着けた近衛騎士隊一行を襲うお馬鹿さんなんて早々いないけれど。
今回アデルとテディは城にお留守番。王妃専属の護衛とはいえ彼等の所属は近衛騎士隊ではないから。
公務は基本王族警護を主にしている近衛騎士隊に所属している騎士が就く。
だからこそ本来ならば近衛から専属を選ぶのだが、どこぞのお馬鹿王が嫌がらせに護衛そのものを就けなかったものだから……。
まぁ、もし護衛を選べと言われても編成する前のあの部隊からは頼まれてもお断りだったけど。まともな人選をしたらどのみち騎士団から選んでいただろうし。
こうなったのは私の所為ではないのだからうちの二人も連れて行くとジレスに抗議した結果……隊長のクライヴが直々に護衛にあたるのと(そんなこと頼んでもいないのに)、私の専属を連れて行ったら心機一転した近衛騎士隊が信用に値しない者と判断されたとし士気が下がると(知ったこっちゃないわよ)言われたら否と言えないじゃない。
部屋に戻りぶつぶつと文句を口にしていたら、アデルとテディにアネリは一緒なのだからと窘められてしまった。
難無く孤児院まで到着し、門の中で馬車を止めクライヴに手を引かれ馬車から降りた。
王弟の別宅だった割には質素な造りの二階建ての建物。
赤い屋根は可愛らしく、庭にある花壇には色とりどりの花が咲いている。
入り口の前には院長と思わしき初老の女性と職員らしき人達が一列に並び、その前には子供達が並んで此方をジッと見つめている。まだ距離はあるが一歩、また一歩と近づく度に子供達の顔が強張っていく。
……きっと緊張しているのだろう。それか、大柄なクライヴが恐ろしいのかもしれない。私の顔が怖いとか、嫌違うはず。多分……。
ハッキリと顔が確認出来る距離まで来ると、職員も子供達も皆頭を下げ私からの言葉を待っている。
「顔を上げて」
ゆっくりと頭を上げ先程よりも強張った顔をする子供達に優しく微笑みかけた。
「私はヴィアン国王妃、セリーヌ・カーライルです」
私に話しかけられたことでパニックになったのか、子供達は背後に立つ大人達に一斉に助けを求めている……大丈夫、私怖くないわよ?
「失礼いたしました王妃様。ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか?」
「えぇ。許します」
「私は、ウスイラ孤児院の院長を務めております。リリアナと申します」
子供達の背後から一歩前へ出て来たのは初老の女性。やっぱり彼女が院長だったのね。
挨拶を受け、中に案内され廊下や室内に目を走らせる。
年数は感じられるが手入れをされながら大事に使われている。不衛生でもないし、子供達も健康そう。最悪な状況を想定していたがこれなら心配はなさそうだ。
ほっとし、院長室でお茶を頂きながら寄付金、今回持ってきた品物などの話をした。
やはりというか、孤児院に入ってきている寄付金の額がかなり違っている。
院長から受け取った書類を見て眉を顰めたのがいけなかったのか、不安そうな顔をさせてしまったが「なんでもないのよ」と誤魔化しておいた。
此処で彼女達に寄付金の額がどうのと言ったところで何も出来ないのだから。
これは城に戻ってからジレスと要相談だわ……と、早速ゲンナリしながら当初の予定である子供達との触れ合いに向かった。
最初は戸惑うかもしれないが、慣れてくればこちらのもの!
セリーヌは自国でも孤児院巡り、炊き出し、教会関係にも手を出していた。言わば得意分野である。意気揚々とお供のクライヴを連れて広間に入ったのだが……。
「王妃様、これはなんですか?」
「これは、こうして遊ぶものよ」
「これは……こうですか?」
「そう。とても上手よ」
予想以上に大人気だったわ、私。
私を中心に輪になって座る子供達は、持ってきたおもちゃや人形の説明をしてあげると嬉しそうに遊びだした。
此処にいる子供達は報告されていた人数と同じ、年齢層は5歳から10歳ほどだろう。
女の子達は私のドレスにも興味津々らしく、側を離れようとしない。
けれど、男の子達は日頃目にすることがない騎士達の方に目が惹かれているらしい。大きな瞳をキラキラ輝かせて近衛騎士を右から左と様々な角度から眺めている。
そんな少年達の一番人気はやはりと言うか、隊長のクライヴだった。
白の隊服に金糸の飾緒だけでも華やかなのに、脳筋でも体格の良い美形が着ていれば尚更良く見える。何度も言う……脳筋だけど。
「あの……」
意を決したのか、一番年長の少年がクライヴに声をかけた。
声をかけられた本人は数度瞬きし、にっこりと微笑むと目線を合わせる為に床に膝をつく。憧れの騎士にそんな態度を取られれば喜ばないわけがない。少し離れた位置で様子を窺っていた他の少年達もわらわらと集まりクライヴを囲んで輪になってしまった。
孤児院にいる子供というものは善悪を嗅ぎ分けることに優れている。近寄っても大丈夫か、この人は自分に危害を加えないか、そういったことに敏感に反応する。
そういった子達に囲まれ笑い合うクライヴは心根の優しい人なのだろう。
こうして見ると、貴族の子息の割には偉ぶったところもなく、伯爵家という地位をひけらかして傲慢な態度を取ることもないので良い騎士だとは思う。ヴィアンの騎士に人気があるのも頷ける。
只、それは役職を持っていない騎士ならばの話だけれど。近衛騎士隊の隊長という役職を持った以上は、一般の騎士と同じでは許されない。
私という王族の護衛よりも、一騎士のフランを優先するところや、ここぞというときの統率力、アーチボルトを国王というよりも幼馴染として見ているところなど……上げたらきりがないが彼には色々足りないものが多い。
惜しいわね……と、眺めていたら先程クライヴに初めに声をかけた少年が両手を出し、そこへクライヴが腰に下げていた剣を乗せようとしていた。
「クライヴ。何をしているの!」
少し離れた場所で見守っていたが、クライヴの取った行動にぎょっとし思わず立ち上がり注意した。態と強めに声を出したのだが、怒られたと思った子供達は脅えてしまいクライヴはそれを見て私に非難の目を向けてきた。
「聞こえなかったのかしら?クライヴ、貴方に言ったのよ」
不満そうな顔をしたまま動かないクライヴに近づき、何よ?やる気?とばかりに睨み返してやった。
「セリーヌ様……どうかされましたか?」
まさか……何を聞かれているのか分からないとか……いやいや、違うわよね?
返ってきた言葉に冷や汗を流しながら、クライヴの手にしている剣に視線を向け、それだと示してあげた。あげたのだが……自身の持つ剣を見て、私を見て彼は首を傾げた。
これだから脳筋は。取り敢えず脅えている少年達へと優先順位を変えた。
「大丈夫よ。貴方達に怒ったわけではないから」
そっと一人ずつ頭を撫でながらゆっくりと声をかけていく。
気持ちはとても分かるわ。セリーヌも兄の腰に下げていた剣に憧れ、何度持たせてくれとせがんだことか。
「騎士の持つ剣は、私のような女性が持てる軽い物から男性でも持つことが困難な重い物があるわ。これは斬るというよりも叩き斬る為の武器なの。今貴方に渡そうとしたクライヴの剣は大型の物だから、軽そうに見えても私は勿論持てないし、他の騎士でも持つのがやっとね。だからこそ扱いに気をつけなければとても危険な物なのよ。子供なら尚更、怪我をしてしまうかもしれないわ」
「ですが、私が側についていましたから……」
危ないのか~と子供達は納得してくれたが、クライヴはそうではないらしい。大人が側にいれば大丈夫とか根拠の無い自身を持たないで欲しい。
刃がついた鋼鉄製の棒を鍛えてもいない子供に持たせて落としでもしたら大惨事になるわよ。剣の訓練だって最初は木剣からスタートでしょ。
セリーヌだって木の棒から地面ぽんぽんスタートだったのよ!過保護な黒服隊には最終的に短剣しか持たせてもらえなかったけれど。
それに、怒った理由はそれだけではないのよね。
私とクライヴが睨み合う中、空気を変えようとアネリが動いた。
「さぁ、おやつにしましょう」と女性職員と共にお茶やお菓子を庭に置かれたテーブルへと並べ子供達を誘導し、困惑している他の騎士にも手で離れるよう合図を送り、室内には私とクライヴの二人が残った。
「不満そうね。何か言いたいことがあるのなら口に出すことを許すわよ」
「……確かに私の配慮が至らなかったとは思いますが、別に振ろうとしたわけではありません。触るくらいなら、持たせてあげるくらい構わないかと」
「そう、隊長の貴方が判断したのだから危険はないと言いたいのね」
分かってくれたか……と苦笑するクライヴ。
でもねぇ……。
「近衛騎士隊の隊長ともあろう者が、護衛中に剣を手放すとは」
「え……」
「貴方はあの状態で襲撃されても何も問題はないということよね。危険はないと判断したのでしょう?護衛対象である私に」
別に子供と戯れてはならないとは言っていない。私だっていつもより砕けた態度で接している。それでも私は王妃といういつ狙われても可笑しくはない立場にいることを忘れてはならない。護衛から一定距離は離れず、守りやすいように立ち位置を考えながら行動している。侍女のアネリもそうだ。いつでも私を庇える位置に常にいるのだから。今側を離れているのは私がそう望んでいるのと、影がいるから。
「主君を守るために捧げた剣は騎士の誇りだと聞いたわ。他人にはよほどのことがない限り絶対に触らせないとも」
「……」
「穏和で身分問わず接し、思いやりのある近衛騎士隊長。貴方のことを人に尋ねればそう返ってくるでしょうね。でも、私からしてみれば、騎士としての責務や誇りなど何もない貴方はただ甘いだけの名ばかりの隊長よ」
「そこまで、言われなくても……」
「私は本物の愚か者にこのようなことを言わないわ。言ったところで無駄ですもの」
黙ってしまったクライヴに話は終わりだと背を向けた。
クライヴはアーチボルトのようにひねくれているわけではないと思う。何というか……必死にアーチボルトの世界を守ろうとしているというか。ジレスもクライヴもアーチボルトに甘過ぎる。いたことがないから分からないけれど、幼馴染とはそういったものなのだろうか?まぁ、なんにせよ上に立っている者がアレなのだから仕方が無いのかもしれない。
「原因はアーチボルト様よね……」
そう口から零れた瞬間。
ダンッ!!と背後で凄まじい音が鳴り直ぐに振り返ると……一度も目にしたことのないクライヴがそこに居た。
冷たく、悪意の籠もった瞳で私を見据え、固く握り締めた拳は怒りでなのか、震えている。
「……に、貴方に、何が分かるのですか。アーチボルトが努力をしてこなかったわけではない……負かすことの出来ない相手と比べられ、何度も葛藤していました。それなのに、何もせずただ大人しく黙っていることを望まれた。あのような環境では仕方がなかった」
クライヴは自身が無能だの甘いだの言われても黙っていただけだったのに、アーチボルトのことになると感情を調節するメーターが振り切れるらしい。
「確かにそうね、育った環境は大事よ。でも、アーチボルト様は人よりも良い環境で育っているわよ?」
「あれのどこがっ……」
「なに不自由なく、惜しみなくお金を出してもらえる王族に産まれ、地位も名誉も、産まれ持った美貌も、全て与えてもらったものよね?」
「貴方は、そんな俗物的な考えをおもちなのですか」
「あら、子供にかける教育費用は多額なのよ。クライヴだって伯爵家の子息なのだから幼少から家庭教師がついていたでしょ?剣術の稽古も馬術も、全てにおいてお金がかかるものよ。それに、将来は国王という地位を約束されていたのよ?環境だけ見れば十分過ぎるほどだわ」
「ならば、操り人形のままで良いと?それが幸せだと?」
「可笑しなことを言うのね。全て整った環境で、何を考えどう生きていくのかは本人次第だわ」
「考えることすら、自由に出来ないと言っているのです」
「何故?思考は自由だわ。何を思いどう生きていくのか……確固たる意志を持ち、それを周囲に悟らせずその道に誘導することなど、帝王学をきちんと学んでいる王族ならば容易いことよ。アーチボルト様は出来なかったのではなく、やらなかったのよ。現に、裏で糸を引いている狸を一時的にとはいえ追い落としたじゃない。お人形のままではいたくないと、自由を望んだからこそでしょ?」
「……ですが」
「幼馴染だからか、仕えるべき主君だからなのか……貴方はアーチボルト様に甘すぎるわ。努力もせずに驕り高ぶり傲慢に……近しい位置にいる人に嫉妬し癇癪を起す。自国の民の為の婚姻すら蔑ろ。これを全て環境の所為にされたら、被害を受けた方はたまったものじゃないわ。それにね、貴族であってもクライヴやジレスと違って、爵位を継げない子息は将来を見据え幼い頃から功績を上げる為に努力している者もいるのよ?貴族よりも教育に手をかけられない平民も、優秀な騎士や官吏が沢山いるわ。その方達に同じことを言ってごらんなさい。冷笑されるわよ」
「……そう、ですね」
私をジッと見つめながら呆然とするクライヴの瞳には先程の激しい感情の色など見えないが、今度は今にも泣きだしそうな潤んだ瞳になってしまった……。
大の大人が全く……もの凄くめんどくさい。そう思う私は冷たい人間なのだろうか?
再び背を向け数歩進んだ所で立ち止まり、背後を見ないままスッと手を横に出した。
「庭までエスコートしてちょうだい。近衛騎士隊隊長様」
ほら、お仕事中でしょ?と嫌味っぽく言ってみれば、ふっと息を吐き出したクライヴが横に立ち私の手を取った。
「セリーヌ様は、猛獣のようですね」
「……何が言いたいのかしら?」
「いえ、迂闊に触れると噛み殺されてしまいそうで」
「ならば、慎重に行動しなさい。判断を誤ると一息ではなく、じわじわと追いつめてから噛み千切ってやるわよ?」
「……肝に銘じます」
クライヴと共に庭へと戻ったからだろうか、子供達が嬉しそうに此方を見て笑っていた。
その後も恙なく公務を遂行し、子供達に見送られながら馬車で孤児院を後にした。
念の為、日が沈む前にはあの森林を抜けると事前に説明されていた。何かあるとすれば日が落ちてから。護衛にはクライヴ率いる一新された近衛隊が周囲に目を光らせているし、馬車には信頼出来るアネリが同乗している。影だって。
だから、まだ明るい今の時間帯なら大丈夫だと思っていた。危険なことなど何もないと思い込んでいた。
でも、それは間違いだった。
現在……私はたった一人で、暗闇の中で膝を抱え身を小さくしているのだから。




