語らい
「今宵は、久々に素敵な夢を見たわ」
薄暗い城の通路を、靴音を鳴らしながら上機嫌に歌うように話す主。
その後を追う数人の者達はいつになく楽しそうな主が見て取れ口元を緩めた。
今宵この場に来て良かった……と、皆が同じことを思ったことだろう。
幼い頃から見守り続け、主は全てを憎んでいるのではないかと思うことが多々あった。
その所為で今回のことも自暴自棄にでもなったのではと心配していたが、どうやら杞憂であったと胸を撫で下ろした。
あとはこの場を一刻も早く離れ主の安全を確保することだと、周囲を注意深く探っていた者達は城の出口付近で主の前へと飛び出した。
「一介の楽師風情が、随分と訓練されたような動きを見せるものだな」
柱の陰から現れた者は顔を隠すかのようにフードを被り、闇夜に紛れるかのように全身を黒で覆う姿。如何にも怪しい者、けれど【黒服隊】を知っていれば一瞬で何者かに気づく。
道を阻むかのように通路に立つ黒服に一層警戒心を露わにする舞い手の一団。
睨み合う双方の背後ではゆったりと腕を組み、何が可笑しいのか小さく声を漏らして笑う舞い手。
この状態で笑える舞い手の神経に、スゥーはフードの下で眉間に皺を寄せた。
広間で余興として舞っていたときには何も思わなかった。
やけに堂に入っているのは場慣れしているだけなのかと、これほどの技量の持ち主ならそれもありだと……。
けれど、褒美と称してセリーヌ王妃を舞い手が指名し、王とレイトンと王妃の三名を相手に舌戦を繰り広げたときに頭の中で警報が鳴り響いた。
注意深く観察していれば、どこか違和感が……。
長年の経験で培ってきた己の勘は侮れない。コレのお陰で幾度となく命を助けられたことがあるのだから。
踊っている最中も警報が更に大きく鳴り響き、このまま逃してはならないと勝手に身体が動いてしまった。
平民の舞い手だと?
王家が主催している夜会で、王族共と並んでも遜色無く雰囲気に溶け込める平民が何処にいる?
王妃の護衛騎士に剣を突き付けられても動じず微笑んでいられる者がただの舞い手だと?
「エリスと言っていたな。お前、何者だ?」
思わず口から零れた言葉に反応したのは舞い手以外の者達。
エリスはそれさえも可笑しいというかのように、楽し気に笑い続けるだけ。
何者かと聞かれて正直に答えるような馬鹿はいない。
それに、問われたエリスは特に何かしたわけでもなく、余興で舞いを披露し褒美を与えられただけなのだから。
寧ろ舞い手の一団の行く手を遮り難癖をつけているスゥーの方が「何者だ?」と言われても可笑しくはない状況であろう。
「何方かは存じ上げませんが、私に何か御用でしょうか?今宵は疲れたので、早々に宿へ戻りたいのよ」
「それはすまないな。俺の質問に答えてくれさえすれば、直ぐにでも戻れる」
「あら、強引な殿方は好きじゃないのよ。それに、急に道を塞ぎ何者かと問われても……ただの舞い手ですし、困ったわねぇ」
「では、質問を変える」
スゥーはフードに手をかけ、そのまま顔が見える位置まで上げた。
通路は薄暗いが全く光がないわけではない。
相対する舞い手の一団にはスゥーの顔が見えたのだろう。微かに息を呑む音が聞こえた。
そして、この顔を見てスゥーが誰か気がついたということだ。
「エリス。酒場で俺を眠らせたのは、お前だな」
女にしては高い背丈、低い声。気の強そうな目元もベール越しの口元も、あの日【セオフィラス・アディソン】だと知りながら近づき、昏睡させた舞い手と同じもの。
それだけではなく、こいつだと本能が告げている。
口元に手を当て、目を見開いたエリスは顔を下げ、肩を震わせながら。
「っ、ふっ、ふはっ!あは、ははははっ……ははっ!」
通路の先にまで聞こえるのではないかと思われるぐらいに大爆笑し始めた。
自分を守るかのように前に立つ一団を手で下がらせ、エリスはヒールを鳴らしセオフィラスの目の前まで近づき、晒された顔をまじまじと見て「ぶっ!」とまたもや吹き出してしまった。
「ちょっと!貴方、本気?一体何してるのよ!もう、笑わせないで」
「……」
「嫌ね~、そんなに睨まないでよ~。仕方ないでしょう?帝国の皇子様が敵国で黒服隊なんてやってるんだから!正気?頭大丈夫なの、貴方」
まだ笑い足りないのか、馬鹿にしたような物言いをしながら何度も吹き出すエリスに、怒りを通り越し呆れてくる。
「その髪色似合ってないわよ?まだ前の方がマシじゃない?ちょっと、何よーその顔!失礼しちゃうわ」
「……」
「それに、眠くなっただけで危険はなかったはずよ?約束通り手は出さなかったでしょ?」
「……間違いないようだな。もう一度聞く、何者だ?」
同一人物だと確認が取れたことでセオフィラスの雰囲気が変わる。
それに気づいたエリスは一歩下がり、それまで笑っていたのが嘘のように顔から表情が抜け落ちた。
「あのときと同じことを聞くのね……でもね」
「……ちっ!」
顎目掛けて飛んできた予備動作のない蹴りを片手で防ぎ、セオフィラスはすんでのところで反応した自身を褒めてやりたいぐらいだった。
更に追い打ちをかけるかのように繰り出される足技をかわし続け、反撃の糸口を探す。
場の空気が一転し、エリスを警戒していたにもかかわらず遅れを取った。
剣術だけでなく体技もこなし、帝国の一軍を率いて前戦で戦場を駆け回るセオフィラス・アディソンが、だ……。
女ではないことは分かってはいたが、これはかなり予想外だった。
「手は、出さないんじゃなかったのか!」
「あら、今にも食い殺しそうな顔をした野郎相手に自己防衛しただけよ?」
「生憎、俺も、野郎相手はお断りだっ!」
エリスの攻撃に入る動作、タイミングを窺う為に反撃せずにいたセオフィラスは確実に急所に放たれるエリスの足を掴み、そのまま引き寄せた。
体勢を崩し、床に倒れたところを拘束しようと動いたのだが、次の瞬間反対側から足が飛んできた。
「ぐっ……!」
これには反応出来ず、壁に叩きつけられたセオフィラスは朦朧とする意識の中で何が起こったのかと考えを巡らせるも、二撃目に気づき即座に回避する。
空を切ったエリスの腕を掴み、そのまま勢いを殺さずにお返しだとばかりに壁へと叩きつけた。
「っ!」
「腕や足の一本、貰うぞ」
「それは、困るわね」
互いに体制を整え同時に動き出す。
顔や肩、胸や腹など、手や足が掠っただけであっても恐らく赤く腫れているだろう。
互いに一歩も譲らないまま両手を掴み合い、額がぶつかり合った。
「こんな所で揉め事を起こしたら、お互い困ったことになるんじゃないっ?」
「最初に仕掛けてきたのは、お前の方だったと思うがっ?」
「見逃して?って言って、見逃してくれるとは思わなかったんだもん。ごめんなさいね」
「……で、何が目的だ」
「目的ね~、ん~、それ、言う必要があるかしら?」
「セリーヌか?だったら止めておけ、アレに手を出せば寝ている獅子を起こすことになるぞ」
「それって、レイトン王子のことかしら?」
「あぁ」
「獅子って……あの男が、獅子?」
「ぐっ……」
エリスの両手の握力が増し、思わず呻き声が漏れた。
会話で時間を稼いでいた為に大分体力が戻ってきた。そろそろ、いけるか?と身体に力を入れようとした瞬間、腹目掛けて飛んできた膝を足を上げて回避する。
「足癖の悪い奴だな」
「貴方が馬鹿なことを言うからでしょ?獅子はね、子煩悩なのよ。家族を大切にする生き物なの。間違っても、実の妹を見殺しにしたりなどしないのよ!」
「だったら、レイトンで合っていると思うがっ!」
「何も、知らないから。いぇ、覚えてないのよね……」
「どういうことだ?」
エリスの冷めていた瞳には憎しみに近いようなものが宿り、鋭い眼差しを向けている相手は目の前で相対しているセオフィラスではなく、別の者に向かっているかのようだった。
「……時間切れね」
そう呟くと、パッと両手を離したエリス。それと同時に駆けてくる足音と自分の名を呼ぶ声。
「あのときも言ったと思うけど、今のところは貴方の敵ではないわ」
「いつかは敵になるということだろう?」
「私の邪魔さえしなければ、ずっと敵にはならないわよ?」
エリスは出口とは反対側の通路に一瞬視線を向け、一団に囲まれ出口に向かって歩き出した。
セオフィラスは微かに痛む腕や足を軽く動かし、フードを被り直しゆっくりと振り返った。
「セオフィ「コーネリアス!」……スゥー、すみません、駆けつけるのが遅れました」
「追いますか?」
「あぁ。深追いはするな、強いぞ」
こんな場所であんな派手に立ち回っていたのだから今更な気もするが……走り寄って来たコーネリアスがセオフィラスの名を全て呼ぶ前に遮り、エルバートにはそのまま舞い手の跡を追うよう指示をだした。
「随分と……ボロボロですね」
「まぁな、どうして此処へ?」
「レイトン様から指示が。スゥーが単独行動をしているから捕獲して来いと」
「見られていたか」
「またハニートラップとやらに引っかかるかもしれないからと」
「あいつ……」
「で、両手を掴み合って至近距離で一体何をしていたのですか?今は隠密行動中なので、女性問題は控えていただきたいのですが」
「お前っ!アレのどこをどう見たらそうなるんだ……。明らかに主人が危機に陥っていた状況だろうが」
「そうですね。スゥーをどうにか出来るのはレイトン様ぐらいだと思っていたのですが……何者ですか?」
「酒場で俺を襲った奴と同一人物だ」
「狙いは帝国の皇子ですか?」
「いや、聞き出せなかった。王家主催の夜会に、身元が不確かな者達が出入り出来るわけがないんだがな。裏に誰かいるのは確かだな」
「敵は外だけでなく内にもいるものです。スゥーの無事も確認出来ましたから、私は折角の機会ですからこのまま城内を探りますが」
「俺は広間へ戻る。あまり派手に動くなよ?」
「そっくりそのままお返しします」
セオフィラスは痛む額を押さえ、大きく息を吐き出すと広間へと踵を返した。
※※※※※※※
広間は先程と変わらず、王城の通路で軽い揉め事が起こったことなど知る由もない。
不本意だが、レイトンとの賭けを律儀に守ろうとするセオフィラスは護衛対象であるセリーヌを探していた。
アーチボルトとレイトンは直ぐに見つけたが、肝心のセリーヌが側に居なかったのだ。
まさか……あんなことが合ったばかりで、テラスに出てはいないだろうな?と思いつつテラスへと視線を向け、セオフィラスはフードの下で唸った。
「スゥー?」
辛うじて広間から見える位置、前回の夜会で襲われた場所、そこにセリーヌはいた。
今回は護衛が側に張り付いているとはいえ、何故また此処なのかと頭が痛くなった。
しかも、慌ててテラスへと駆けて来たスゥーを見て首を傾げるセリーヌ。
どうしてくれようか……と、フードで隠れている顔が凶悪なことになっていることにセリーヌは気付いていないのだろう。
「涼みに出たのよ……」
そうぽつりと零したセリーヌに、何か引っ掛かりを感じた。
涼みに出た割には頬が火照っているわけでもなく、それどころか顔色が悪い。
「……どうしてかしらね」
ある一点を見つめながら、悲しそうに囁くセリーヌ。
そこには、アーチボルトとレイトン、それに、男にしては可愛らしい容姿の護衛騎士。
アーチボルトは偶に騎士の頭を撫で、愛おしそうな眼差しで話しかけている。
そういえば、セリーヌはあの王を愛しているのだとレイが言っていたのを思い出し、何故か酷く苛立ちを感じ困惑した。
もしやセリーヌがアーチボルトに向ける瞳に熱を感じなかったのは、そう思いたかった俺の願望だったのでは?と愕然としたとき「ぁ……」とセリーヌの口から悲痛な声が漏れた。
「セリーヌ様。そろそろ戻られますか?」
「もう少しだけ」
「セリーヌ様、お顔の色が……」
「大丈夫よ、テディ」
気遣うように声をかけたのは、王妃の専属護衛騎士のアデルとテディ。
大国の王女は愛した人に愛されず、護衛騎士にも困るくらい蔑ろにされ、それでも言葉に出来ない悔しさを胸に秘め強くあろうと毅然とした態度で前を向いていた。
その姿を見て、泣き虫だのか弱いだのと世迷言を言うレイに王子に生まれてきた方が良かったと口にしたのに……。
もう一度見たかったのは、今にも泣きそうな、辛くて苦しいという、そんな顔ではない。
『ありがとう』と礼を口にし、綺麗に微笑んだあの顔だ。
「寂しい、わね」
何かを諦めたように笑うセリーヌが痛々しく、そうさせているであろう相手が忌々しい。
誰がそんな顔をさせている?誰が傷つけている?
今、誰を想っていた?
セリーヌが声を出したときに視線の先で動いていたのはたった一人。
「彼奴か」
「ぇ……」
怒気を含んだ声に驚いたのか、それとも今迄声を発しなかったスゥーが喋ったことに驚いたのか、目を大きく見開いたセリーヌがスゥーを凝視した。
可笑しいと思ってはいた。
けれど、自分には関係が無いことだと思っていたから放って置いた。
「スゥー!?」
セリーヌの引き留める声を無視し、広間の中央まで足を進め、人にぶつかろうがお構い無しに一直線で目的の人物の前まで来ると、護衛騎士に不自然な笑顔で心にもない言葉をかけている奴の胸倉を無言で掴み引き摺るように広間から連れ出した。
苛立ちの原因であるレイを人気のない場所まで引っ張って来ると、服を掴んでいた手を離し向き合う。
「セオ……どういうつもりかな?」
「セオ?此処ではスゥーじゃなかったのか?」
「……セオ?」
「吹っ飛ぶなよ」
「ぇ!?」
何が起こったのか理解出来ず、いつになく無防備なレイの腹に勢いよく拳を叩きつけた。
身体を曲げただけで膝さえつかないレイに内心舌打ちしながら、再度胸倉を掴む。
「アレは弱音を吐くような人間なのか?辛いと、悲しいと口に出せるような奴なのか!?無駄に我慢強いと、本当は泣き虫でか弱くて、守ってやらなくてはならないと言っていたのはお前だろう!」
「……」
「何の為にこんな国へ嫁がせたんだ!何が、奪い返すだ!お前もあの愚王と同じか?セリーヌが泣いていることに気づいていないのか?」
「ごめん、理解した。間違いなく、僕の所為だ」
「お前まで傷つけるようなことをするな。大切な家族なんだろ、狂っていると言われるほど愛している妹だろ……他の奴に、自分の妹を見殺しにするような男だなどと二度と言わせるな!」
「セオ……」
「良いか?お前は鬼才レイトン・フォーサイスだ。お前以外の男に付け入る隙を与えるな!」
「……っ」
「俺が戻るまで、大人しく、此処にいろ。動くなよ」
もう一撃腹に食らわせ、レイの強張った顔に留飲を下げ足取り軽く広間へと戻った。




