一夜のダンス
この女の目的は何か……など瞬時に考えてしまうのは私の可愛げの無さの表れだろう。
大切に育てられた王女であったとしても、兄と同じように教育された時点で仕方のないことなのだけれど。
金銀財宝、名誉、側室、そのどれも望まずに、大国の王であるアーチボルトを飛び越えて王妃を指名してきたのだ。
狙いは今この場に居るラバン国の王太子、または、私に悪意を持っている。そう疑われてもおかしくはない。
まぁ、前者だった場合の方がしっくりくるのだが。
レイトン・フォーサイスには現在婚約者が居ない。
それに、自国では有名な妹狂い。ヴィアン国が知らなかっただけで、他国でも割と浸透してはいるのだけれど。
アーチボルトのように正妃に大国の王女様、愛妾には近衛隊の騎士(男)がいるような男性より我が兄の方が優良物件だろう。
狙っているものの周囲から固めていくのは常套手段。
私を何らかの形で使えば、兄に好印象を与えることも可能。
「それは、私では駄目なのかな?」
大分離れた場所にいた筈の兄が、私の肩に手を置き柔らかな声で舞い手に問いかけた。
決して低い声で脅しているわけでもないし、丁寧な対応をしているのに物凄く威圧感を感じるのは気の所為ではない。
隣に佇むアーチボルトからは唾を飲み込む音が聞こえたのだから。
その気持ちは痛いほど分かる。私の喉もカラカラだ。
「もし良ければ私が相手をするよ」
「ラバン国の王太子様からそのようなお申し出を頂けるとは、光栄なことです」
レイトンの恐ろしいところは、場の主導権を握るのが上手いというところ。
それと同時に言葉や仕草、ときには威圧感でもって意図的に話しを誘導したりもする。
少しでも兄を侮れば、急にスイッチが入ったかのように切り替わったラバン国王太子としての兄に飲み込まれるだろう。
対処法はひとつだけ。自分をしっかり持つ……これしかない。
周囲の人間が固唾を呑んで見守る中、一度深く頭を下げた舞い手が顔を上げ目を細めた。
「ですが、私はヴィアン国の王妃様であられる、最上の女神に手を取って頂きたいのです」
目の前にいる美女は手を下ろすことなくジッと懇願するように私を見つめ。
「卑しい身分である私に、王妃様と踊れるという一夜の思い出をお与えください」
兄の威圧感などなんのその、止めを刺しに来た。
これには流石に私も驚いた。
目的は王太子だと思っていたのに、折角の好機をふいにし私に固執する理由が分からない。
「ほう……」と感心したような声が隣の馬鹿王から聞こえ、周囲の貴族も何故か舞い手の言葉を好意的に捉えている。
このままでは押し切られるか……と思ったが、それを是としないのが私の肩を離さない人だ。
「女性同士では難しいのではないかな?」
兄も狙いが読めない舞い手を不審に思い前に出て来たのだろうから、そう簡単に引き下がるわけがないのよ。
そして、まさかの後者の王妃憎し!フラグが立った今、私も兄の援護に回らせていただきます。
「とても嬉しいのだけれど、女性同士では……」
はっきりと拒絶するのではなく、少し残念そうに相手を配慮しながらのお断り。
自国での夜会でセリーヌが散々使った技である。
若干首を傾げ、眉を下げると尚良し!と、クレイが顔面を崩壊させ身悶えながら伝授したものである。大抵の者なら空気を察してくれるのだけれど……。
そもそも、男性の役割であるリード、周囲の状況を判断しながら女性を人のいない場所へ誘導し、次のステップを考えるなど、女性の何倍も苦労するものをどちらが行うつもりなのだろうか?
生粋のお姫様であるセリーヌは出来なくて当たり前。貴族の御令嬢達だってやれと言われたところで出来はしないだろう。
だとしたら、彼女が男性パートを踊れなくてはいけないわけで。
「私は各国を旅する一団の舞い手です。男性、女性、どちらも踊れます」
まぁ、そうよね……でなければこんな馬鹿げたことを口にはしないだろう。
けれど、ここで引き下がるわけにはいかないと思っていたことが伝わったのか、私と兄が口を開く前に彼女は先手を打ってきた。
「褒美を与えるとおっしゃったのは、ヴィアン国の王様でございます。許可もいただきましたわ」
こう言われてしまえば、これ以上兄が介入することは出来ない。
直訳すると、【ヴィアン国の一番偉い奴が許可したのだから、他国の王太子ごときがでしゃばるな】と言ったようなものだ。
ぶわっと兄の威圧感が増し、それを感じ取ったアーチボルトが恐る恐る私の背後に視線を向け動揺を示した。
【お前が何とかしろよ……?】と兄の心の声が聞こえたのだろうか……。
内心怒り狂っている兄に脅え、取り繕うように軽く咳払いしたアーチボルトが舞い手に向き直った。
「それは……そう、私が相手をすると思っていたからだ」
「私は誰と、とは一言も口にいたしませんでした。けれど、王様もお聞きにならずに許可するとこの場でおっしゃいました」
「それは、そうだが……」
返答に困ったのか、にっこりと余裕の笑顔を顔に張り付けている私に視線を向け、情けない顔で助けを求めてきたアーチボルト。
えぇ、そうでしょうね。物凄く困っていることでしょう。
でもね、王が許可したことを私が断れと?ここでそんなことをしようものなら、王を掌で転がしているなどの悪評が益々増えてしまうのよ?悪役街道を走らせる気なのか!?
仕方が無いと、張り付けていた笑みを消した。
「良いわ。王が褒美としたことですもの、この国の王妃としてお受けするわ」
私の言葉に笑みを浮かべた舞い手の手に、己の手を重ねようとし、触れる直前で止めた。
「けれど、クレイ」
「はい、姫様」
私の一言で察したクレイは舞い手に近づき片手で顎を掴んだ。
「口を開け」
クレイは低い声を出し、舞い手の口元を覆っているベールを捲り、薄く開いた口に指を突っ込んだ。
それを終えると顔を左右に向け、髪、首、胸、両腕、爪、身体、靴と上から下に確認していく。クレイの服まで剥ぎ取りそうな勢いに、クライヴが「そこまでするのか……」と声を漏らし、されるがままになる舞い手にアーチボルトは痛ましい者を見るような眼を向けている。
そこまでって……コレが?
ブレアはクレイの側に立ち、呆気に取られていたクライヴから、舞い手から預かった装飾品をひったくり確認作業に勤しんでいる。
そっと私の専属護衛達に目を向ければ、皆真剣にクレイの動きを目で追っていた。
この国の近衛隊は使い物にならないだろうから良く見て勉強しておいた方が良い。
新しく編成された貴族以外の近衛隊にも後で伝授してあげて欲しいくらいだわ。見本がアレでは話にならない。
兄も同じようなことを思ったのだろう。
「そこまで、というようなことはしてはいないよ。王族と接するのだから、寧ろ足りないくらいだよ」
隣に並び、私の肩を抱き寄せアーチボルトを鼻で笑う。
「だが、先程クライヴに確認させた」
「確認ねぇ……あれなら新米騎士だって出来るよ。本来であれば手を出すべきではないのだけれど、見本となるべきである君の部下が使えないから、黒服隊が動かざるを得ないのだよ?アーチボルト王は危機感が薄いようだね。今迄どのように暮らしてきたのかな?」
「男ならまだしも、武器も持たぬ女性だぞ」
「鍛えている者であれば、女性であっても首を素手でへし折ることも出来るよ。君の言い分では、間者に女性がいないということになる」
「素手で……」
兄は目を見開いたアーチボルトに冷笑し、出来の悪い子に教えるよう、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「覚えておいた方が良いよ。こういった場合は後日呼び出し、それ相応のものを褒美として与える。それに、このようにあり得ない要求をされた場合は断るべきだよ……そもそも、要求自体させてはならない。図にのるからね」
「すまない」
「へぇ……謝ることが出来たんだね」
兄にチクチクと責められているアーチボルトを丸っと無視し、クレイの様子を窺うと確認を終えたのだろう。
「必要以上に姫様に近づいた場合、即座に叩き斬る。不審な行動だと私が判断した場合もだ」
「承知しました」
クレイは舞い手に釘を刺し、ギリギリと歯ぎしりをしながら唸っていた。
私と踊りたいと前々から言っていたものね……。
私の視線に気づいた舞い手は再び手を差し出した。
「エリスと申します。王妃様、私と踊っていただけますか?」
さて、彼女の目的は何なのだろう。
腕を上げると、横から兄に手を掴まれ指先に金属が触れた。
私の指に兄が常に身に着けている指輪が嵌っていることを確認し、差し出されている手に手を重ねた。
※※※※※※※
互いに向き合い、エリスの手が腰に当てられそっと引き寄せられた。
広間の中央には私とエリスの二人だけ。それを囲むようにアーチボルトと兄、護衛に近衛隊が立ち、その後方に貴族。
何かあればいつでも動けるようにこの配置なのだろうが、とても踊りにくい。
相対する彼女もそう思ったのか、軽く周囲を見渡しふっと吐息をついた。
「では」
彼女が腰を落とすと、それと同時に音楽が鳴りだす。
大抵のものは踊れるハイスペックなセリーヌ。だから高を括っていた。
流れてきたものは夜会で使われるような曲ではなく、ゆったりとした、どこか哀愁を漂わせた初見の曲。
まさかの恥をかかせる目的か!?と、一歩目が踏み出せずに戸惑っていると重なっていた手がきゅっと握られた。
「大丈夫ですよ、ステップはあまり変わりませんから。私がリードしますので王妃様は楽しんでください」
私達の直ぐ側では舞い手の一団が演奏し、彼女と似たような装いをした女性が高く澄んだ声で歌い上げる。
前以て準備していたのだろう……まるで初めから褒美を決めていたかのようだ。
彼女に合わせ身体を動かし、円を描くように回る。
その度にドレスの裾が広がり、散りばめられた宝石が光に反射しひときわ光り輝く。
彼女のリードが上手いのか、羽が生えたかのように身体が軽い。
まるでお芝居の世界の中のようだ……楽しんで踊るなんて何時ぶりだろうかと、思わず微笑んでいた。
視線を感じ下げていた顔を上げると、彼女は綺麗なグレーの瞳を大きく見開き、私に触れている両手に力が籠もった。
「……」
掠れた声で何か呟き、グレーの瞳が徐々に濡れていく様に息を呑み、澄んだ瞳に魅入られ目が離せなくなる。
警戒心が緩みそうになったことで私の身体に力が入った。
それに気づいたのか、数回優しく腰を叩かれ、その行動に何かが頭を過ったが「美しいですね」とエリスの言葉に思考を中断し、今はそれどころではないと頭の隅に押しやってしまった。
「あら、私のことかしら?」
「えぇ……私には、眩しくて」
「ふふっ。このドレスの所為かしら?お兄様からの贈り物なのよ」
「とても、愛されていらっしゃるのですね」
「そうね、私もお兄様を大切に思っているわ」
「……」
彼女は何も答えずにただひたすら私の顔を見続け、グレーの瞳には困惑した顔の私が映っている。
多分もう直ぐこの茶番は終わりを告げる。
褒美として貰ったのは一曲分だけ。思惑があって私を指名したのだとしたら、仕掛けてくるのはそろそろだろう。
何もないことに越したことはないのだが。
今の所、夜会=鬼門といっても良いくらいなのだ。このまま無事に終わるわけがない。
「エリス」
名を呼ばれたことで何を思ったのか、彼女は一度目を瞑り、再び開いたときには何事もなかったかのように周囲を魅了する妖艶な眼差しに切り替わっていた。
「では、王は?」
ベール越しの唇の端に浮かんだ笑みに、嘲るような眼差し。
急に変わった彼女の雰囲気に、セリーヌではなく王妃としての私に即座に切り替えた。
「王とは、アーチボルト様のことかしら?」
「はい。王には愛されていらっしゃるのですか?」
「それを聞いたところで、貴方には関係がないことね」
「王妃様のお気に障りましたか?それでしたら、申し訳ございません。私共は各国を旅しているので、良く噂を耳にしますから」
「噂なんて当てにはならないわよ」
腰を持たれ身体がふわっと浮き、地面に足が着くと同時に、一瞬耳元にベール越しの彼女の唇が触れた。
何事もなかったかのように距離を取られたが、クレイが居るであろう方向に笑みをむけたことで態とだろうと思い至った。
先程叩き斬ると言われたのに、挑発行為と取られてもおかしくはないのに随分と危ない道を渡るものだわ。
「女性ではなく、男性の愛妾がいる王に嫁がされた王女様」
「随分と間違った噂ね。私は自身でこの国へと嫁いだのよ」
「それを良く思わない者もいるのです」
「気にしていたらきりがないわ。所詮本人にしか分からないことだもの」
「ですが、この場に来てみて初めて分かることもあるのですよ」
囁くように紡がれる彼女の言葉は毒でしかない。
王や王子狙いなんてとんでもない、彼女の狙いは確実に私だったようだ。
「あの子、とても可愛らしい騎士ですね」
位置を変えられた目線の先に、アーチボルトと兄に挟まれて立つフランがいた。
兄の護衛として側にいるだろうが、フランの位置は先程まで私が居た場所。
「随分と大切にされているのですね。まるで王と王子に護られているかのようです」
「えぇ。先の戦で功績を上げた優秀な騎士よ」
精神攻撃のつもりなのだろうか?だが、それは失敗だわ。私は、フランを使って攻撃されたところで痛くも痒くもない。
やはりアーチボルトの側室狙いなのだろうか?それなら喜んで迎えるのに。
今度は私が位置を変え、彼女に三人が見えるようにしてみるが表情一つ変えない。
面倒ね……その辺の頭の悪い令嬢や何時ぞやの狸のように、喜怒哀楽を出してくれれば楽だったのに。
「そろそろ終わりそうね」
歌声が聞こえなくなり、終演へ向かうかのように段々と音が小さくなっていく。
ほら、仕掛けるのであれば迎え撃って差し上げるわよ?と、うっそりと笑えばそれを見たエリスは初めて表情を消し。
「その地位は、相応しくありません」
そう口にした。
返事する間もなく急に距離を詰められ、耳元で囁かれたことで動きを止めた私の手を彼女はそっと離した。
けれど、一瞬の出来事であっても遅すぎた。
「クレイ!」
私は視界の端で動いた者に気づき声を上げていた。
両手を上げたエリスの首目掛けて、クレイは剣を振るっていたのだ。
ぎりぎり首の皮一枚で踏みとどまったクレイは、エリスを睨みながら剣を鞘に戻し、アーチボルトと兄の前に膝をつく。
「王の御前で失礼致しました」
「いや、良い。セリーヌを守ろうとしてのことだからな」
「レイトン様、すみませんでした」
「次は、もう少し早く動かなくてはね」
明らかに引いているアーチボルトとは違って、兄の方は確実に仕留めろと言っている。
夜会で血塗れとか、勘弁してほしいわ……。
悪役王妃ではなく血塗れ王妃になってしまうではないか。
軽いめまいを覚え、元凶であるエリスに顎で出口を指すと、彼女は私達に一礼し静かに下がっていった。
言葉遊びで呆気なく終了したダンスだったが、何故か腑に落ちない。
もう、本当に夜会嫌いだ……疲れた。
休憩したい、癒されたい遠い目をしていたら頭を撫でられた。
振り返らなくても分かる。こんなことをするのは一人しかいないのだから。
「お兄様」
「それ、使えなければ意味がないよ」
頭に置かれている兄の手に私の手を重ねれば、兄はきつく握り締め指輪を撫でた。
そうだった、兄からの借り物だったと思い出し、慌てて返そうとしたが首を横に振られ持っているように言われてしまった。
流石レイトン。こんな便利アイテムを簡単に手放すとは……。
「共に歩んでいた道を引き裂かれ、たった一人で茨の道を進むのは辛いことだろうね」
繁々と指輪を眺めていれば、独り言のように兄が呟いた。
「お兄様?」
「セリーヌが彼女と踊っていたときの歌だよ。僕も聞いたことのないものだったけれど、そう解釈したよ。とても……とても哀しい歌だった」
離れる間際に囁かれた言葉。
『次は絶対に、助けるから』
彼女は一体、何者なのだろうか。
「さぁ、おいでセリーヌ」
「はい」
兄に促され、彼女が消えて行った出口から私が目を逸らしたとき、そっと跡を追うようにスゥーが出て行ったのを兄だけが見つめていた。