褒美
「随分と支度に時間がかかっていたな」
準備を終え、アネリに室内へと通されたアーチボルトが私を見て最初に発した言葉がこれだ。
今なら、平手一発食らわせても許してもらえる気がする。
着飾った姿を褒めてもらったところで何とも思わないが、私の護衛達に出来たことが何故出来ないのよ、アーチボルト。女性を褒めるのはマナーでもあるのよ?
それに、その言い方は駄目だったと室内にいる女性陣を見て察してほしい。
アネリなんて般若のような顔をして、今にも襲い掛かる寸前じゃないか。
「私は支度が早い方なのですが、お待たせしてしまったみたいですね」
「あぁ。構わない」
「ですが、アーチボルト様。女性の身支度は時間がかかるものなのですよ?大まかに説明してもよろしいのですが、お聞きしたいですか?その場合少々お時間を取らせますが」
「いや……セリーヌ?」
「王の横に並び立つというのは、アーチボルト様が思っていらっしゃる以上に大変なのです。それなのに、仮にも王妃である私に適当な装いで夜会に出席しろと?母国の使者に粗末な姿を披露しろと?」
「す、すまなかった!私が悪かった!」
柔らかく微笑みながら、一歩、更にもう一歩と詰め寄ると、落ち着けとばかりに両手を出し後ろへと下がっていくアーチボルト。
「愛おしい方に、そのようなことを口にしたら失望されますわよ?もうじき側室も取るのですから、お気を付けください」
「わ、分かった!セリーヌ、今夜の装いもまた、格別だな!」
どうだ!と胸を張るアーチボルトに、女性陣からは呆れと諦めを含んだ溜め息が零れる。
お礼だけを簡単に口にし、何度も話しかけてくるアーチボルトをあしらいながら見慣れた広間の扉まで移動した。
そこには、レイトン、グエン、フランの三人が既に待機しており、談笑している。
普段であればギーが側を離れることはないのだが、軽く周囲を見回してもあのふわふわ銀髪が見当たらない。
どうかしたのだろうか?とジッと兄を見つめていると、気配に気づいたのか三人共こちらへと振り返った。
「待たせたな」
「お待たせ致しました」
軽く頭を下げ兄の隣に並ぶと、グエンと目が合い互いに微笑み合う。
【悪魔ギー】の対【癒しグエン】は髪の色こそギーとは違うが双子なだけあって顔立ちは一緒だったりする。銀というより白に近いふわふわな髪をそっと撫でると、嬉しそうに口元を緩め、それを隠すかのように恥ずかしがる仕草をするグエンが堪らなく可愛い。
ギーにこんなことしたら、無表情でただひたすら観察される。
「久しぶりね、グエン」
「お久しぶりです、セリーヌ様。やっとご挨拶が出来ました。体調は崩されていませんか?食べ物はお口に合いますか?」
挨拶と共に気遣いの言葉が出てくるグエンにほっこりしながら頭を撫で繰り回す。
ギーが黒ならグエンは白。上手いことできているわね、この双子。
「心配してくれていたのね、ありがとう。グエンは元気だった?」
「主と、暴走するクレイを止めるのが大変で……そこにブレアが混ざると本当に、本当に大変でした」
うん、それは大変だっただろうに……。
「ギーが見当たらないのだけれど」
「ギーでしたら黒服隊と既に中へ。前回のこともありますし……」
「それと」とグエンは声の音量を下げると、アーチボルトとフランと話す兄に視線を向け小声で話しだした。
「あのフランという騎士、ギーは気に入らないようです。普段の主様なら否応なく無視して遠ざけるのですが、あのように側に置いているのです。昨夜から主様は様子がおかしく、それもあってギーの機嫌が悪くて困っています」
ゲームと同様に、ギーはフランを兄に近づけることを拒否しているのだろう。黒服隊ならそれは当然ことだ。得体の知れないほぼ初対面の他国の騎士など、警戒しない方がどうかしているのだから。
それにしても、ギーをすっ飛ばして攻略対象のレイトンまでいくとは……フラン何者なのだろうか。今一掴み所がなくて、彼の行動も相俟って私の不安を煽る。
あのレイトンがそんな簡単に攻略されるとは思ってはいないが……と観察していて余計なことに気づいてしまった。
護衛として今就いているのは、フランとグエンに近衛騎士隊数名。
クライヴは警護の指揮を執るためこの場には不在だが、後から護衛として側に就く予定だ。
私専属の護衛は、私がアーチボルトの側にいる間は王族の護衛担当の近衛がいるので広間で待機。
……何が危ないって、今この場が一番危ないと思うのは私だけなのだろうか。
「ギーがお兄様の側を離れても大丈夫なのかしら?」
思わず口にした言葉を聞き取ったのか、グエンはクスリと笑う。
「それなりに戦えなければ、主様の側近も黒服隊にもなれませんよ」
私が不安に思っていたことを察し、暗に自分が就いているではないかと示す。その態度や笑い方がギーと重なり鳥肌が立つ。
そうだった、グエンもあのレイトンの側近であの黒服隊の一員だ。無能なわけがない。
ギーと双子なのだ、もしかしたら同じくらい危険人物という可能性だってあるわけで。
「……駄目よ。グエンはそのまま、真っ白な可愛いグエンでいてちょうだい」
そう言いながら何度も頭を撫でると、グエンは首を傾げながら、自身の黒い隊服を掴み私と交互に見つめていた。
※※※※※※※
「今宵は同盟国、ラバン国の王太子であるレイトン・フォーサイス殿のために開いた夜会だ。我が国一同、貴殿を歓迎する」
合図と共に広間へ入場し、檀上からアーチボルトが皆に声をかける。
その両隣には私と兄。貴族達は間近で初めて目にした鬼才と名高いレイトン・フォーサイスを注視し、その視線を浴びる兄は作り物の笑顔で微笑む。
アーチボルトに劣らない美貌で微笑まれたら、御婦人、御令嬢の女性陣は頬を染め見惚れてしまうのは当然で、逆に当主、子息といった男性陣は鬼才とは名ばかりかと軽んじる。
一見細身の優男に見えるが、それは兄が意図してそう見えるよう振舞っているだけで【鬼才】を実際に目にすることが出来るのは外交と戦場でのみだろう。
まぁ、この国には美貌だけが取り柄のアーチボルトという王がいるから余計にそう見えるのかもしれないが。
そんなことを考えていれば、広間の中央にぽっかりと穴が。
それと同時に流れてきた音楽、中央に優雅に進み出て来た女性。
「ほら、セリーヌ。余興が始まったぞ」
アーチボルトが顎で指し示す先、ふわりとお辞儀した女性が舞い始めた。
異国の舞い手と聞いて思い浮かんだものは、某RPGに登場する踊り子さん。
リズミカルな音に合わせて、セクシーな衣装で艶やかに舞う。同性の女性であっても思わず目を奪われてしまうほどの色香を持つ、そんな感じのイメージだったのだけれど……。
「素晴らしいわね」
宮廷音楽に合わせ華麗に舞う姿は、圧巻の一言だ。
広間の中央で舞っているのは、露出の少ない黒いアラビア風の衣装を纏っている長身の女性。
頭部から流れる長いベールと、口元を覆う薄い布で目元しか見えてはいないが、それだけでも美人だろうということは分かる。
舞い手の一団だと聞いていたが……音楽を奏でている人数はそれなりに多いというのに、舞っているのは先程から彼女一人だけ。
もう数十分は休憩なしの状態に大丈夫だろうか?とは思いつつも、目が引き寄せられてうっとりとしてしまう。
彼女が顔に緩やかにかかる黒いベールを払うように身体を動かす度、檀上の私と目が合う。
実際には隣に座っているアーチボルトに視線を向けているのかもしれないが、目尻を下げ微笑んでいる彼女に同性である私が動揺してしまう。
傾国の美女というのはこういう感じの人なのだろうか……?と、隣のアーチボルトの様子を窺うが、流石BLゲームの攻略対象なだけある。目を瞑り音楽だけを楽しんでいるという状況だ。
フラン以外は眼中に無いのだろうけど、舞い手を呼んでおいて目を瞑って見ていないなど一体何がしたいのかと思う。
で、フランは……というと。
私とは反対側に座っている兄の背後にグエンと共に立ち、目をきらきらさせながら広間の中央を凝視している。
偶に「凄いです!」「わぁ!」と護衛らしからぬ声を上げはしゃいでいるが、そんなフランを注意するわけでもなく時折兄から話しかけている。
たった一日……私との15年の月日より遥かに短い時間だというのに。
ヒロインとは、なんて残酷なのだろう。
「良い余興であった」
音楽が鳴りやみ、立ち上がったアーチボルトの声と拍手の音に舞い手が頭を下げた。
拍手と歓声はアーチボルトが手を上げたことにより止み、代わりにワルツが流れ出す。
さぁ、お仕事しますかと、アーチボルトにエスコートされ私も広間へと下り立った。
先程美女が舞っていた場所では王と王妃が二人だけでワルツを踊る。
前回よりも私との距離を開け、不必要に触ることなく、会話も最小限に抑えるアーチボルトに微かに驚いた。
それと共に、檀上から向けられる熱い眼差し。踊りながら視線を滑らせた先には、私から片時も目を離さない兄。
今直ぐにでも問い質したい気持ちをグッと抑える。
そんな瞳で、何か話しかけているフランを気にも留めずに私だけを見ているのに、どうして……。
「嫌では、なかったか?」
踊り終え手を離す瞬間、小声で問われた言葉。
不思議なことも起こるものだ。兄からは拒絶、アーチボルトからは了承とは。
苦笑しながら頷くと、アーチボルトは安堵したのか肩を竦め私の手を取り歩き出す。
「前回の夜会では、何度も抓られた。後から考えてみれば、それが何を意味していたのかに気がついたからな」
「えぇ。良く出来ました」
「……それは、幼子を褒めるとき使うのではないか?」
「あら、なにか間違っていましたか?」
「いや。そうだな、ありがとう……で良いのか?こういったときに、どう返して良いのか分からなくてな」
真剣な顔をしてお礼を言うアーチボルトに笑いが込み上げてくる。
王に対して【良く出来ました】はないだろうに。
私達の後に続くように貴族達が踊りだすと、そのダンスの輪から離れ、檀上から下り挨拶を受けている兄の側にアーチボルトと向かう。
その途中、数メートル離れた先に舞い手が立ち此方へ向かって頭を下げていた。
「セリーヌは、あれを褒めていたな……」
「えぇ、とても素敵でしたわ」
「そうか、良し」
何を思いついたのか、頼むから余計なことを仕出かさないでよ……と思いつつ彼女の元へと進むアーチボルトの後ろをついて行った。
「顔を上げよ」
言葉に従いゆっくりと顔を上げ微笑む舞い手の女性。
ヒールを履いているからか、それにしても若干アーチボルトより高い背丈は彼女の妖艶な雰囲気と相俟ってとても目立つ。
彼女とアーチボルトの間に邪魔にならないよう護衛が就き、いつの間に来たのかクライヴがアーチボルトの横に立ち、私の横には……。
「お待たせ致しました、姫様」
「……クレイ。貴方はラバン国の騎士で、客人の筈なのだけれど」
「姫様の護衛騎士隊長の座は、誰にも譲れません」
「それはラバン国でのことであって、今は違うのよ?折角なのだから、ゆっくりと楽しめば良いのに」
「充分楽しんでいますよ。姫様のドレス姿を目に焼き付け、姫様が華麗に踊る相手が私であったならと想像していましたから」
「本当に……相変わらずなのね。でも、私の護衛からお仕事を奪っては駄目よ」
「ですが、姫様。皆、快く承諾してくれましたよ」
「ねぇ?」とクレイは背後に控えるアデルに同意を得ようとするも、アデルは首を真横に振り否定し、少し離れた位置で周囲を警戒しているテディとスゥーも話しは聞こえていないだろうに首を横に振る。
それと、何故か私の護衛二人と肩を並べているブレアはクレイを思いっ切り睨みつけていた。
誰も納得していないようだし、夫婦揃って私の護衛をしているのは何故なのだろうか……止めなさいよ、黒服隊!
そんなやり取りをしている間に、どうやら話しは進んでいたらしい。
発言の許可を得た舞い手とアーチボルトに意識を戻した。
「先程の舞いは見事であった。王妃も気に入ったらしい」
「有難き幸せに存じます」
「なにか褒美を与えよう」
国が行う夜会に呼ばれるような舞い手の一団なのだから、王から褒美を貰うことはある。
しかも今回は同盟国という重要な客人が出席している夜会。
「よろしいのでしょうか?」
「あぁ、私が決めても良いが……そうだな、何か欲しいものがあれば言ってみろ」
大抵は国との繋がり、金貨、装飾品のどれかなのだろうが、稀に王に気に入られた者は側室となることもある。
何の後ろ盾もない平民が側室になったとしても幸せになどなれるわけがない。それどころか、たった一夜だけということもあるのだから。
けれど、世界の美丈夫であるアーチボルトなら顔だけは極上だし望む者がいるのかもしれない。
「でしたら、無礼を承知で申し上げます」
「あぁ、構わない。言ってみろ」
「私と、一曲踊ってはいただけないでしょうか?」
踊るとは……ダンスのことであっているのだろうか?金銀財宝よりも、思い出!?
私も驚いたが、アーチボルトもまさかその様な事を言われるとは思ってもみなかったのだろう。王の言葉を待っている舞い手に言葉も出ない状態だ。
仕方なく「アーチボルト様」と促す。呆けている場合じゃないのよ。
「……そのようなことで良いのか?」
「私にとっては、光栄なことでございます」
「そうか、褒美を与えると言ったのは私だからな。良い、許可する」
それを聞いたクライヴが舞い手の元へ行き、武器を持っていないかボディチェックをする。
嫌がる素振りも見せず、身体に着けていた装飾品を自ら全て外していく。
検査を終え、クライヴが元の位置に戻ったとき、丁度曲が終わった。
アーチボルトが踊るのなら私は先に兄の元へ移動しようと、一歩踏み出したときだった。
「麗しき王妃様、私と踊っていただけますか?」
その場に居たものは、誰もが驚愕し一瞬思考が停止したことだろう。
黒いベールを揺らし、広間の中央で誰の眼も釘付けにしていた舞い手が、艶のある声で王妃様と口にし、私に向かって手を伸ばしていたのだから。




