影と増えた護衛
気持ちを切り替え、朝早くから庭園で摘んできた花を抱え朝食の席へと臨んだのに。
部屋に入った途端、思いもよらぬ人物に挨拶をされ、それを疑問に思う前に目に飛び込んできた、兄の背後にフランが立っているという光景に急速に頭が冷えていく。
食事の席に護衛として近衛隊がつくことは当たり前のこと。常に部屋の隅、扉の外にと数名が控えている。
でも、どうしてフランが?
先日の夕食の席にフランがいたのは、私の護衛騎士になりたいという訳の分からない要件があったためであって……アーチボルトが常に側に置くことにしたのだろうか?でも、だとしたら何故その場所に立っているの?それでは、まるで兄の護衛のようでは……。
そこまで考えて、今やっとあることに思い至った。
「お待たせいたしました、アーチボルト様に、お兄様」
立ったまま動けないでいた私に視線が集中し、くらりと眩暈を感じながらも微妙に引きつる顔を動かし微笑みながら挨拶をした。
「構わない。私もレイトンも今来たところだ」
何事もなかったかのように従者に花を渡し、引かれた椅子に座るが私の心臓は今にも破裂寸前であろう。動悸、息切れ、眩暈もしてきた気がする。
昨日とは打って変わり、私を視界にも入れず静かにカップを傾ける兄。その姿に打ちのめされそうであるというのに……どうしても確認しておかなければいけないことが出来てしまった。
まだろくに説明も出来ていない状況で下手に兄を刺激したくはないのだけれど。
「アーチボルト様、どういうことでしょうか?」
何かの間違いであってほしい……と心の中で祈りつつフランに視線を向け、右隣にいるアーチボルトに問いかけたのだが。
「……どうとは?」
やはり無理だった……。
皆まで言わなくても察してくれると、少しでも期待して、遠回しに尋ねてみようと思った私が馬鹿だった。
「そこの騎士は、普段護衛としてついてはいませんでしたから……」
頬に手を当てながら苦笑して見せると、私の言っている意味が分かったであろうアーチボルトが晴れやかな笑顔で爆弾を投下してきた。
「ここでのレイトンの護衛として、フランをつけた」
しかも、私の身に危険をもたらすとんでもない爆弾を。
どうやら祈りは届かなかったらしい……。
2周目の攻略キャラであるレイトンの攻略イベント。
ヴィアンを訪れた次の日の朝食の席で、レイトンに護衛兼監視としてフランがつけられる。笑顔で受け入れた振りをして、レイトンはギーを使ってフランを追い払う。
ここでグエンとギーの好感度を上げれば、レイトンと接触することが出来る。ギーの好感度上げで脱落する者がほとんどだけれど。
つまり、何が言いたいのかと言うと。
転生しましたと告白したこの最悪なタイミングで、一番敵に回してはいけない人の攻略がヒロインによって開始されるということだ。
※※※※※※※
朝食を終え部屋へと戻り、黙ったまま動こうとしないセリーヌに皆気遣わし気な顔を向けていた。
昨夜から様子のおかしいセリーヌ。
アネリはセリーヌをエムとエマに任せ、テディへと目配せし部屋を離れた。
「一体どういうことですか?今朝はお兄様にお花をお見せするのだと微笑んでいらしたセリーヌ様が、戻られてから深刻なお顔をなされていて……」
「僕達は扉の外で待機していたので、詳しいことはなにも」
「アデルはどこへ?」
「部屋の中で護衛をしていた近衛隊の者に話を聞いてくると言って、あっ、戻ってきたようです」
足早に向かってくるアデルを見つけ、テディが手を上げた。
部屋の扉の前にいるテディとアネリを見つけ、アデルは廊下の隅を指で指す。
やはり何かあったのかと、隅へと移動したテディは小声で「どうだった?」と聞き、アデルは口元に手を当て苦い顔をしながら詳細を話しだした。
「部屋にいた者が言うには、とりわけ何かあったわけではないらしい。険悪な雰囲気でもなかったらしいし」
「セリーヌ様があのようになった原因があるはずなんだけど……」
「それなんだが、部屋の中にフランが居た。多分原因はそれだ」
「フラン?」
「あぁ。レイトン様が滞在中は、護衛としてフランがつくらしい」
「他国の王族の護衛に、フランが?」
「アーチボルト様の指示だとは思うが、フランから言い出したことかもしれない。何せ、王の寵愛を独占しているフランだからな。」
「……アデル、僕もフランが原因な気がするのだけど」
「……」
「……」
最近のフランの行動を思い浮かべ、テディとアデルは黙ってしまった。二人の中では、もうすっかりフランは不穏分子扱いだ。
騎士仲間であり、以前は割とまともだったフランを知っている二人が認識を改めるぐらいなのだ、初めからフラン憎し!なあの人物が黙っているわけがない。
「また、あの者がセリーヌ様を苦しめているのですか……」
今迄黙って聞いていたアネリの底冷えするような声に、二人は身震いし恐る恐るアネリを伺う。顔を歪めきつく拳を握ったアネリは、今にもフランを襲いに行きそうな勢いだった。
「落ち着け、まだフランだと決まったわけじゃない」
「では、他に誰が原因だというのですか?」
「他には……今夜レイトン様の為に開かれる夜会で、何か催し物があるとか」
「初めてお顔を見たときから嫌な感じがしていましたのよ!愛想が良い、害のなさそうな印象を与えて、セリーヌ様を影で傷つけてきたのですよ!」
「アネリ様、落ち着いてください。セリーヌ様に聞こえてしまいますから」
「テディ、離しなさい!私があの者を叩きのめしてまいります!」
「フランのあれが計算なのか、天然なのかは俺も分からないからな……というか、アネリ。フランなんかに構っている場合じゃないぞ。セリーヌ様に影がつけられることになった」
アデルの口から出た影という言葉に反応したアネリは暴れるのを止め、思いっきり顔を顰めた。テディもアネリの動きが止まったことにほっとしつつ、首を傾げた。
現在ヴィアンに影は存在していないからだ。
「アーチボルト様が、そのようなご指示を?」
「影……もう随分前からいないとセリーヌ様からは聞いていたけど。先日の夜会のことがあったから、アーチボルト様が?」
アネリとテディは自国の王の指示だと思っているらしい。アデルは何と言うべきかと唸り、頬を掻きながら「あのな……」と切り出した。
「影はラバンの者らしい。レイトン様の指示で、アーチボルト様が許可をだした」
「他国の影を、城の中に招き入れるのですか?」
「それは、アーチボルト様になにかお考えがあってのことなのでは?」
「テディ……もしこれがあのアーチボルト様が考えたことなら、尚更事態は悪い方へと向かうからな?」
「そうですわ。あの方が行動される度にセリーヌ様が苦しまれるのですから」
「そんなことを実行するレイトン様もだけど、許可をだしたアーチボルト様もどうかしているよな」
「ですが、セリーヌ様には良いことですわ。信用のならないヴィアンの者より安心できますもの」
「影とは、どのような方達ですかね……」
前代未聞の行いだろうが、セリーヌが安全に過ごせるのなら構わない。どうせ隠しごとをしたところで穴だらけのヴィアンの内情などラバン側には筒抜けだろうから。
だとしたら、やはり原因はフランで間違いないのだろうと三人が頷いたとき、背後から声がかけられた。
「そこの怪しい三人組―。セリーヌ様に取り次いでもらえるかな?」
三人が振り返った先、セリーヌの部屋の扉の前には黒いフードを被った者を連れた、黒服隊のギーが立っていた。
※※※※※※※
座ったままぼーっと考え事をしていた私は、突然訪れた来客(可愛らしい皮を被った悪魔ギー)にサッと背筋を伸ばした。
さっきまで部屋に居たはずのアネリが扉から入って来たことに(あれ?いつの間に外へ?)と思い、その後ろから続けて入って来たテディとアデルの困惑した顔に(え、私が少しぼーっとしている間に何が起きたの?)と驚き、ギーが来ているということを伝えられソファーに突っ伏した。
「セリーヌ様、顔色が悪いみたいですけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ありがとう、ギー」
「いえいえー、我が主様の大切なセリーヌ様を心配するのは当たり前のことです」
「お兄様は……何をなさっておいでかしら?」
「グエンと部屋にいますよ。夜会の準備中です。お会いしますか?喜びますよー」
レイトン右腕、猟犬、信者のギーは兄から昨夜の話しを聞いていないのだろうか?聞いていはいるが素知らぬ顔をしているのか……兎も角、いつも通りのギーに安堵した。
「いいのよ、お兄様とはまた改めてお話しをしようと思っているから」
「そうですか?では、要件を。主様からお話しがあったと思いますが、セリーヌ様に影がつくことになりました」
「えぇ、お兄様から聞いているわ」
「優秀な者を選んだので、役に立つと思います」
ギーの基準で優秀な者ってどんな人間なのだろう……突然豹変してナイフを振り回すような人じゃないことを願うわ。
しかし……影ねぇ。
王と王太子のみが動かすことが出来る影。
『セリーヌ。今日から僕の持っている影を君につけるよ』
朝食の席でやっと目が合ったと思えば作られた笑顔でそう告げられた。
それがいるということは知ってはいたが、人数もどのような人なのかも一切不明。把握しているのはお父様とお兄様だけ。
地位が高ければそれに伴い危険が増す。護衛は多ければ多いほど良い。
兄が黒服隊を連れずに気軽に城の外へ出るのは、影が常に兄の身を守っているからだ。
黒服隊がそれを容認しているのだから、相当力がある者達なのだろうし。
自身の影を減らしてでも、私につけると決めたレイトン。
多分、ヴィアンに来る前から決めていたことではあろうが、昨夜のことが合ったあとでも影をつけてくれる。まだ妹として見てはもらえているということだろうか。
ずっと詰めていた息を深く吐き出し、ギーの背後にいる者に目を向けた。
黒いフードを被り、口元を布で覆っているから目元しか見えていない。
長身で体格の良さそうなこの者は男性だろうか?
『声をかければ返事はするけれど、危険が無い限りは、セリーヌの前に姿を現すことはないよ』
一瞬この人が?とも思ったが、影ではないはずだ。
黒服隊の誰かだろうか?ほとんどの者が姿を隠すようにフードを被っているから、誰が誰だか全く分からない。
私の視線に気づいたのか、にっこり笑ったギーが一歩下がり、フードの者が前へと出た。
「こっちの者は、主様がヴィアンにいる間、セリーヌ様の従者として側に置くようにとのことです」
「……従者?」
黒服隊の猛者を従者にしろと?護衛ではなくて?いや、どちらも必要ないのだけれど。
「主様が大いに扱き使って良い!と言っていました」
「騎士の方よね……?護衛として側に置いておきなさい、ということかしら?」
「従者ですよ、セリーヌ様。お茶汲みだって、お掃除だって、書類仕事も体調管理も……あとは」
「ふふっ、それは普段グエンがお兄様にしていることよね。黒服隊の方なのでしょう?そのようなことはさせられないわ」
「……んー」
頬を膨らませたギーはいつになく真剣な顔で考え込み、何か思いついたのだろうか、ポンっと手を叩き口を開いた。
「黒服隊見習い、騎士で放浪者でもあり、護衛も出来なくはない……凄く偉そうな人です」
ごめんなさいギー……さっぱり意味が分からないわ。
変な紹介の仕方をされたフードの者も、若干眉間に皺を寄せているし。
「そのような、凄い方を従者にしてしまっても良いのかしら?」
「凄く偉そうなだけの人です」
「……お名前を教えてもらっても良いかしら?」
ギーの失礼な発言をスルーし、名前を伺ったのだけれど。
「名前、名前はー……スゥーです」
「はい!」と右手を上げ、明らかに今付けたであろう名前を口にしたギーは何故かドヤ顔だ。隣の偉そうな人から冷気が漂っていることに気づいているくせに、ギーはにこにこ笑顔のまま。もう絶対変える気がないわね。
訂正するなら今のうちよ?と彼が口を開くのを待っていたのだが、そのまま黙ったままゆっくりと首を縦に振ってしまった。
「暫くの間だけれど、よろしく……スゥー」
妙な名前を付けられても文句一つ言うことなく、黙って受け入れたスゥーのどこを見てギーは偉そうだなどと言ったのか……。
「私の侍女はそこにいる三人、右からアネリ、エム、エマよ。護衛はスゥーの後ろに立っている二名、アデルとテディ。護衛に関しては二人と良く話しておいて。それと、まだ到着してはいないのだけれど、もう一名護衛がいるわ」
帰還命令が出てから結構日が経っているのに、ウィルスはまだ王都へ到着していない。
兄がヴィアンに訪れる前に戻ってきてもらうつもりだったから急がせたのに、なにかあったのだろうか……?
「では、ちょうど良かったです。そのもう一名が来るまでスゥーはセリーヌ様の側を決して離れないよう。常に何処へ行くにも、部屋の中でも目を離さず、お側を離れないように。でないと、我が主様がお怒りになります」
「っ……!?」
ギーの言いように、やはり従者ではなく護衛として連れて来たのだと私は納得したのだが、スゥーはくぐもった声を漏らした。
「では、これで。セリーヌ様また夜会で、グエンも会いたがってましたぁ」
「えぇ、またあとで」
手をふりふりしながら退出したギー。それを引き留めるかのように伸ばされたスゥーの右手……。
どうしようか、これ。多分彼は何も聞かされていなかったのだろう。
でも、黒服隊なら兄の命令は絶対。更に、黒服隊のトップに立っているギーの命令も。
手を下ろして、諦めたかのようにテディとアデルの方へ歩いて行くスゥーに苦笑し、私も夜会の準備に取り掛かった。
※※※※※※※
今夜のドレスもまた一段と豪華なものだった。
なにがって、デザインもそうだが、値段が。
肩を出した薄紫のボールガウンドレスは裾に向かっていくにつれて色が濃くなっている。全体的に施されている刺繍は、良く見なくてもわかる。刺繍と思いきや全てが宝石。
どうりでドレスがずっしりと重いわけだわ。
「素晴らしいドレスですわ……これもお兄様からですか、セリーヌ様?」
ドレスを身に纏った私を見て吐息を零すアネリに微笑みながら頷いた。
エムとエマはドレスについている宝石と、手に持った装飾品を見比べながら意見交換をしている。
このきらっきらな宝石に劣らないものを!と悪戦苦闘中だ。
「15歳の誕生日に、お兄様がくださったものよ」
来年からは祝ってあげられないからと、特別な日に着てほしいと言われてプレゼントされたもの。兄は覚えているだろうか……。
これを、今夜選んだのには理由がある。夜会のあと、もう一度話を聞いてほしいとお願いするつもりだから。
準備を終え、隣の部屋へと移動するために立ち上がった。
アネリ達は楽しそうに、今回テディはどんな顔をするかしら?とくすくす笑い合いながら扉を開いた。
重たい高価なドレスを、隣室で待っていたテディ、アデル、スゥーにお披露目してみたのだが……。
「お綺麗ですよ、セリーヌ様」
アデルは王子様仕様の笑みと口調で、私の手を取り口づける真似をした。
流石アデル。前世で数々の女性を泣かしてきただけのことはある。
「……」
スゥーに至っては安定の頷きだ。
目元が和らいでいるから、おかしくはないのだろう。
さて、問題はうちの可愛いテディだ。
呆然と立ったまま、私に視線を注ぎ続けているテディ。
「テディ?どこか変かしら?」
「はいっ!……いえ、違います。変ではなくて、今のは、返事をしただけで……」
しまった!と焦りながら一生懸命口を動かすが、段々と語尾が小さくなっていく。
そんなテディの姿に、皆つい表情が緩んでしまう。
「凄く、お綺麗です。セリーヌ様は、容姿だけでなく、心もお綺麗ですが」
照れ笑いを浮かべながら、さらっと賛美を口にするテディ。
どうしよう……うちの子、将来数多の女性を泣かせることになるかもしれないわ。
「まぁ……」と口元に手を当て微笑むアネリと視線を合わせ頷き合う。
リンド家へと話がきているであろうテディの婚約者候補は厳選しなくては。
「ありがとう、テディ。アデルは見習いなさい」
「いえ、セリーヌ様?私も同じようなことを言ったのですが……。どちらかと言えばスゥーの方が、問題があると思いますよ?」
「あら、スゥーは良いのよ。目で語る方ですもの」
「……いや、なんだ、それ」
項垂れるアデルに笑い合い、アーチボルトの迎えが来るのを待つ。
今夜は王自らが迎えに来るらしい。
「なにかあるのかしら……」
「……異国の舞い手が来ているらしいですよ」
ぽそっと呟いた言葉を拾ったのか、アデルが教えてくれた。
エムとエマも知っていたのか、その舞い手の一団を城内で見かけたと言う。
「舞い手……」
イメージが湧かず、その話はそこで終わってしまい、部屋の扉がノックされた。




