間違った選択
ゴクッと喉が鳴る。
【ヤンデレ】【かなりキテル】のレイトンの何かを間違いなく踏んだ。
このヤバイ目つき……テレビの画面で何度か見たことがある。バッドエンドルートで。
姉ではなかったのかと困惑する私をよそに、力が入っていた兄の手が緩められ、ゆっくりと喉を撫でられた。
「この華奢な首に似合う宝石を送ろうか……」
右手で軽く首を掴まれ。
「それに、細い腕にブレスレットも良いかな」
左手で腕を取られ、兄の唇が触れる。
「あぁ……足首にアンクレットも、きっと似合うよ」
腕を離され、グッと持ち上げられた足首に兄の頬が摺り寄せられた。
一体何を言っているのだろうかと、この状況はどう回避すれば良いのかと、必死に脳を動かす私を嘲笑うように、薄く笑った兄の顔が近づいてきた。
吐息が触れる距離で、間近で兄の瞳と目が合い恐怖で身が竦む。
「首輪に手錠に、足枷。それでも、まだ足りないのかな……」
「っ……お兄様!」
悲鳴を飲み込み、正気に戻れ!と叫ぶ。
無理、まずい、今確実に聞いてはいけないことを聞いた。
どうしてこうなったのよ!?監禁ルート一直線じゃないか!
ジッとしたまま動かない兄の顔、それ目掛けて空いている手を上げ顔面を鷲掴む。
苦肉の策がコレだった。
「お兄様、落ち着いてください」
「……だって、セリーヌが質問に答えてくれないから」
声だけなら弱々しく聞こえるが、指の隙間から覗く瞳は鈍く光ったままだ。
「この体勢ではお話しが出来ませんわ」
「僕はこのままでも構わないよ」
そうか、そうか……この野郎。
セリーヌの握力がどの程度かは知らないが、女性の力だ。大したことはない。
なので、持てる力を指に込めた。
「セリーヌ……少し、痛い、かな?」
「痛くしているのですから当たり前ですわ」
「少し会わない間に、随分とお転婆になったね」
「こちらで鍛えられましたから。お兄様、退いてくださいな?」
眉を下げ、困り顔で首を傾げてみた。お手本はフランちゃんだ。
「………」
「おにいっ!?ぎゃっ!」
兄は何を思ったのか、私の手のひらをひと舐めして身体を起こした。
思わずセリーヌらしからぬ声を上げたが、今更だ。顔面鷲掴みとか、絶対やらないだろうし。
本当に、もう……。
兄妹ってなんだろう……と、遠い目になってしまう。
前世で一人っ子からの義理の姉(兄)ができたときはこんな感じではなかった。
溺愛という言葉で表しても良いものか、妹が大好きというところは似ているのかしら?
でも、姉はこんなにスキンシップ過多ではなかったし、妹相手に監禁発言なんてぶちかましてこない。
私と姉の近くにいた透君はシスコンなどと言ってはいたけれど。
「さて、セリーヌの可愛いお願いを僕は聞いてあげたよ」
機嫌を直したのか、私の手を取り引っ張り起こし、そのまま腰に手を回しドヤ顔を披露された。
なんだろう……今なら頬をひっぱたいても良い気がするわ。
セリーヌはコレに何も疑問に思わなかったのだろうか……あー、思うわけがないか。
幼い頃から兄がやること、言うことは絶対正しいのだと、間違いはないのだと、信じて疑わなかったのだもの。
賢く、強く、美しく。セリーヌにだけには殊更甘く優しいお兄様が大好きで、尊敬はしていてもそれを勘ぐることなどはなかったのだから。
兄が予めセリーヌの害になるものを排除したレールの上を歩いてきたお姫様。
そんなお姫様が唯一我を通し、お兄様に逆らったのはアーチボルトのことだけ。
「お話しする前に、喉が渇きましたわ。アネリを呼んでも良いのですが、久しぶりに私がお茶をお入れしましょうか?」
「そうだね」
時間稼ぎのためにお茶を進め、立ち上がり離れた場所にあるワゴンの前までゆっくり歩いた。
茶器を手に持ち、さて……どうしようかと悩む。
兄の雰囲気が変化したのは間違いなく私の「楓兄」発言によるもの。
恐らく、レイトンは転生した姉ではなかったのだろう。
これ、誤魔化すのは無理なのでは……。
確実に温くなっているであろう、保温器に入っている紅茶をカップに注ぐ。
お茶を入れるとは言っても所詮王女様で王妃様。侍女のようなことは出来ないし、やらない。
兄もそのようなことは期待していない。
セリーヌが自ら進んでお茶を注ぐことに価値を見出しているだけで。
保温器を置いたとき、隣にあった果物にぶつかり添えてあったナイフが床に落ちた。
床に敷かれた絨毯の上だったので音は鳴らなかった。
ここで拾うのは駄目だろうと気にせずカップを持って振り返るが、笑顔で私を待っていると思っていた兄は立ち上がり私の足元を凝視していた。
「どうかなされましたか?」
足元には落ちた果物ナイフが一本。他にはとくに何もないのだけれど。
「どうして……セリーヌの部屋にナイフが……」
「アネリが果物を用意しておいてくれたのでしょう。お兄様が急に人払いなどなされるから、そのままになっていたのではないでしょうか?」
「刃の部分に蔦の装飾、持ち手には薔薇の装飾……」
「えぇ、そのようですわね」
蔦だの薔薇だの、兄が言うように落ちているナイフには装飾が施されている。
今までとくに気にして見たことはなかったけれど、この果物ナイフがどうしたというのだろうか?
驚くほど高価なものなのだろうか……としげしげと足元のナイフを観察していると、急に肩を掴まれ、持っていたカップを落としてしまった。
絨毯に吸い込まれていく紅茶を唖然と眺め、泣きたくなった。
レイトンの地雷が全く分からない……。
もう、次はなにが起きたのよ!と半ば投げやりに顔を上げたとき。
「ギー!」
「ぇ……」
兄は足元のナイフを蹴り飛ばし、部屋の外へ向かって叫んでいた。
兄の怒鳴り声に小さく声を漏らしたあと、遠くへと離れたナイフ、兄、扉から入って来たギー、それぞれに視線を動かし続けた。
「ギー!ナイフを片付けろ。それと、セリーヌの侍女にも言っておいて。セリーヌが触れるような場所に刃物を置くなと」
「承知しました」
床に転がっているナイフを手に取り扉の外へ消えていくギー。
呆然とその流れを見ながら色々考えてはみたが、さっぱり分からない。
「あの、ナイフが、どうかしたのですか?私には普通のナイフに見えたのですが」
「他に、セリーヌが持っているナイフはないよね?どこかに隠し持ってはいないよね?」
隠し持って……って、私はそのナイフでなにをするように見えているのだろう。
あのお茶会イベントでもあるまいし。
「ナイフなど持ってはいませんわ。仮に持っていたとしても、何に使うのですか?」
「なにって……」
「もう、お兄様。今日はおかしいですわ」
「……」
どうしよう……。
空気が重い、なにか楽しい話題を?なにか、なにか。
「ふふっ、果物ナイフでアーチボルト様を襲ってみましょうか?きっと返り討ちにあうでしょうけど」
前世の私は、お茶会イベントでフランではなくアーチボルトを刺せと言っていたのを思い出し、兄も王を良く思っていないし、冗談のつもりだったのだ。
兄なら、僕も一緒に行こうかな?くらい笑顔で返ってくると思っていたのだ。
それなのに……どうやら、二度目の選択ミスだったらしい。
「何故そんなことを?一度でも、そんなことを考えたことがあるのかい?」
「……いえ、そのようなことは」
さっきのバッドエンドルートのレイトンが降臨し、視線を逸らしながら後退った。
何故、学習しないのよ、私は!
「馬鹿なことを……」
「ほんの冗談のつもりでしたのよ?」
「冗談でも言って良いことと悪いことがある。あのアーチボルトにでも聞かれたら、問答無用で幽閉とかしそうだから、気を付けて」
「いくらあのアーチボルト様でも」
「セリーヌ。人知れず幽閉され、後継ぎのためだけに手をつけられ、産まれた我が子を取り上げる。そんな非道な男など探せばいくらでもいるんだよ」
どうしてそこまで話しが発展しているのやら……。
それに、幽閉に子供ね……そのワードはまさしくゲームのセリーヌを連想させる。
この人は、本当に転生者じゃないのだろうか?
転生者だとすれば、果物ナイフにあんなに反応するのも納得がいく。
気になるなら、聞いてみれば良いだけだ。
でもそれを口にすれば、自身のことも言わなくてはいけなくなる。
もし本当にレイトンが転生などしていなかったら、私は妹として見てもらえなくなるかもしれない。
いや、存在そのものを拒絶されたら?
レイトンに会う前に散々頭をよぎったものがまたじわじわと私を侵食していく。
今から口にすることは【楓兄さん】なんて言葉の比ではない。
でも、それでも……姉と間違えたことは誤魔化せないし、いつかはおかしいと気づくかもしれない。だったら、自身の口から伝えたほうが良い。
セリーヌと……私の、大切なお兄様なのだから。
「レイトン・フォーサイス」
【お兄様】ではなく【レイトン】と、名前を呼んだ私を訝しげに見つめる兄を真っ直ぐ見つめ返し口を開いた。
「転生という言葉を、ご存知ですか?」
「転生……?」
「えぇ。簡単に言えば、生まれ変わることです。同じ、または別の世界で死後、再び肉体を得る」
「死後……再び肉体を、得る?」
「お兄様には記憶があるのではないですか?ここではない、別の場所で生きていた記憶が」
「そんな記憶なんてないよ」
「でしたら、どうして私が果物ナイフを持つことを恐れているのですか?何故、幽閉され子を産まされ、取り上げられるなどとおっしゃったのですか?」
「僕が、その転生とやらをしたとでも言いたいのかな?そんな御伽話みたいなこと、あるわけがない」
「御伽話でしょうか?」
「どこでそのようなことを知ったのかは知らないけれど、僕の可愛いセリーヌは相変わらず夢見がちなんだね」
僕の可愛い……などと口にするくせに、私に向けられている眼差しはいつものような温かいものではなくなっている。
「私は、前世の記憶を持っています。いえ、元からあったわけではありませんわね。最近思い出したので」
「……え?」
「ですから、私は前世の記憶を持っています」
「……」
絶句しているレイトンから目を逸らさずに告げた。
「先程口にした、楓兄さんは、前世の私の兄のことです」
「まって、それは……」
「貴方は、どうなのですか?」
「どうって、だから、僕に記憶なんて。いや、まって、前世?」
「記憶ではなくても、何かそれに近いものをおもちなのでは?」
「僕は……違うよ。前世の記憶なんてものありはしない」
「ですが」
「セリーヌ、まちなさい」
食い下がる私の口元にそっと手を当て、大きく深呼吸し、困惑していたであろうレイトンは冷静さを取り戻した。
「ごめんね、取り乱したみたいだ」
「いえ……」
「確認、しても良いかな?その前世の記憶というのは、本当のことなのかな?」
「はい」
「そう……でも、今僕の目の前にいるのは、セリーヌ?」
「はい」
「そうだよね……その身体はセリーヌのものだ。うん。では、中身は?」
「なかみ?」
「今の君は、元のセリーヌとは似ても似つかない。勿論、外見の話ではないよ。今言ったように中身のことだね。あの子の弱さや、愛する者に対しての愚かなまでの愛情。それはどこへいったのかな?」
「っ……!それは、色々と記憶を思い出しただけで……私はセリーヌのままで」
「わかりやすく例えるのなら、アーチボルトへの恋情はどこへ消えたのかな?あれがどんなに愚かな人間であろうと、セリーヌは耐えて、耐え続けて自身を犠牲にする道を選ぶ。先程、帰ろうと言った僕に、君は同盟や民のことをだした。一度もアーチボルトの名をあげなかったんだよ?そうだよね、君はとっくに、あいつを切り捨てていたのだから。あれを切り捨てると決めたのはセリーヌ?それとも君の意思?今のセリーヌを動かしているのは二人?それとも君一人?本当に記憶なのかな……君という別人がセリーヌという人格を乗っ取ったのではなくて?」
さっきまで、口に手が触れる距離にいたのに。
一歩、また一歩と私から距離を取る兄に、胸が苦しくなり手を伸ばしていた。
「ごめんね」
私から視線を逸らし、立ち去ろうとする兄に、私の伸ばした手が空を切る……。
「……すまない。部屋へ戻るよ」
兄が私から遠ざかった分が、今の私達の心の距離なのかもしれない。
でも、このままじゃいけない気がしたから、なけなしの勇気を振り絞ったのに。
「……お兄様!」
兄は振り返ることなく、部屋を出て行った。
※※※※※※※
「っ、はっ……はっ、はぁっ……」
息をするのが苦しい……。
足が痛い、胸が締め付けられて、これ以上走れない。
「……ぅっ」
気づけば部屋を飛び出し、庭園まで走っていた。
あの場にいたくなかった。いつものように振舞えることなどできそうになかったから。
皮肉なことに、先日入れ替えた花々はラバンにある兄の庭園と同じもの。
少しでも癒されたくて、同じものにしたのに……。
「あーぁ……意味なくなっちゃった……」
その場に座り込み辺りを見渡していれば、背後から靴音が。
多分、侍女sか頼もしい護衛騎士だろう。
「セリーヌ、様」
よりにもよって、今一番こんな姿を見られたくない人だとは……。
「アデル、暫く一人にしてほしいの。だから……」
「泣いているお前を一人にしておけと?無理だろ、ばか」
私の背後に立ったままそう言うアデルに苦笑する。
この俺様には何を言ったところで無駄なのだ。
「違ったみたいなのよ。兄はあの人じゃなかった」
「……」
「間違えたみたい……言っては駄目だったのに、誤魔化せばよかったのに」
「……」
「わかってくれるんじゃないかって、どこかで期待してたの。そんなわけないのに……」
「俺の所為だ。俺の存在が期待を持たせたから。あいつがお前にとってどれほどの存在なのか知ってたのにな」
月明りに照らされた二人の影。
「気軽に抱き締めてやることができないんだから……これで我慢しとけ」
「……ん」
私の影をアデルの影が抱き締めていた。
傍からみたらおかしな光景だろうに。
「もう一度話してみろよ」
「……」
「あのシスコンがそう簡単にセリーヌを嫌いになれるわけがないだろ?」
「でも」
「もし駄目だったとしても、ほら」
「ぇっ!」
急に抱き上げられ、驚いてアデルの首に手を回せば吹き出す声が。
それと同時に私の視界に入ったものは、庭園の入り口に立つテディ。
「今のお前を心配して、大切に思っている奴なんてわんさかいるんだよ」
抱き上げたままポンポンと慰めるように優しく叩かれ、テディの顔が見える距離まで近づけば、泣きそうな顔をしているテディにアデルが私を受け渡した。
「護衛を置いていかないでくださいっ」
「ごめんなさい。泣かないでテディ」
「まだ泣いていません」
「ごめんなさい」
テディの拗ねたような言い方にクスッと笑うと、それを見たテディもはにかむように笑った。
「戻ったらアネリからお説教ですよ、セリーヌ様」
「え……」
「うわぁー、頑張ってくださいね、セリーヌ様!」
「大丈夫です。僕も一緒に怒られてあげますから」
「俺はパス」
部屋へ戻ったら落とされるであろうアネリの雷を想像し、笑い合いながら三人で月明りの中を歩いた。
テディの温もりと、アデルの軽口で、さっきよりも楽に呼吸が出来るようになっていた。
もう一度、ちゃんと話してみよう。
そう、思えるようになっていた。
※※※※※※※
それなのに、現実はとても厳しくて。
次の日、私が目にした光景は、とても残酷なものだった。
朝食の席で、兄の側にいたのは……。
「おはようございます。セリーヌ様」
フランだった。




