不確かな今
セリーヌ・フォーサイスと前世の私。
二つが混ざって今のヴィアンの王妃セリーヌがいる。
レイトンに会うのが怖かったのは、私を見た瞬間兄なら気付いてしまうのではないかと思ったからだ。冷たい瞳で、妹ではないと言われたら、目を逸らされたら?私はそれに耐えることができるのだろうか。
それと、前世の私の影響で触れることが出来る男の人が限られてしまった。
セリーヌが心から愛したアーチボルトでさえ少しの接触で嫌悪感がわくのだ。だとしたら兄はどうなるのだろうと……。
「会いたかった……あぁ、セリーヌだ」
会いたかったという兄の言葉が胸にストンと落ちてきた。
行き場もなく宙に浮いていた両手を、恐る恐る兄の背に回す。
ヤンデレも監禁もお断りだが、それは彼のごく一部でしかない。ちゃんと私の中には幼い頃からの兄との思い出や、愛して大切にしてもらった温かいものが沢山ある。
「私も、お会いしたかった……お兄様」
色々ぐちゃぐちゃと考えていたが、結局どう転がろうとも私はこの兄に会いたかったらしい。
「お兄様、あの……」
互いに抱き締めあってどのくらい経ったのか、挨拶のハグにしては長すぎる。
声をかけ、手で軽く兄をどかそうと試みたのだが……。
ぎゅーっと抱き締めたまま私の肩に頭を乗せ、顔を左右に振りながら「足りない」と囁きつつ頬をぐりぐり押し付けてきた。首筋に兄の髪が触れ、擽ったさに身をよじるが私を抱き込む腕の力は緩まず、それどころか腰をぐっと引き寄せられ隙間もなく密着した。
いやいや、ちょっと待って!と心の中で叫ぶ。
「んー?久し振りなのだから、大人しくしていなさい」
「いえ、ですが……」
「もう少しだけだから……お願い、セリーヌ」
はぁっ……と吐息を洩らしながらぐりぐりと動物のようにマーキングする兄。されるがまま、そっと周囲の様子を窺う……うん、だろうね。
離れた位置で整列して待つ黒服隊の面々は目尻が下がっている。見えてはいないが、絶対満面の笑みを浮かべているに違いない!
しかも、何故かテディも一緒になって微笑んでいるし。アデルに至っては目だけ笑っていないという微妙な顔だ。
この辺は良いとして、問題なのは私と一緒に外へ兄を出迎えにやって来たジレスと近衛隊の面子だ。近衛隊は夜会の最中に私が懇切丁寧に溺愛情報を広めたからだろうか、兄のハグを驚きつつも納得してくれているようだ。
が、ジレス……あんた何しているのよ。
この場で私達に声をかけ城の中へと誘導出来るのは宰相であるジレスだけ。それなのに近衛隊と一緒になって驚いたまま動かない。
ほら、動け!口を動かせ!兄を引っ剥がしなさい!と目に力を入れてジレスを見つめると、若干青ざめながらも行動に移る。
「レイトン様。そろそろ中へ」
「……そうだね」
顔を上げずに返事をした兄の低い声に、空気が凍っていくのは気のせいではない。出所は黒服隊だろう。ギーとブレア、おもにあの二人だ。
久々に見たせいだからだろうか?全身黒ってだけでも悪役感満載なのに、ギーとブレア以外は皆フードを被り口元を黒い布で隠し、目元しか出ていない。物凄く不気味だ。
騎士というより、最早暗殺者の類にしか見えないのは誰がツッコムのか。あ、私か?
ジレスは口元を引きつらせながら、声をかけたあとそそくさと私達から離れるし。
いや、うん、わかるよその気持ち……すまんジレス。
「セリーヌ」
耳元で掠れた声で囁く色気たっぷりな兄は、妹相手に何がしたいのだ。
「お久しぶりですね、お兄様。お変わりなくて何よりです」
「あぁ、うん。セリーヌは……少し痩せたみたいだね」
「まぁ、それは嬉しいですわ。ラバンでは私を甘やかして太らせようとする方が大勢いましたから……困っていましたのよ」
「そうだね。でもこれは痩せすぎだよ……セリーヌ?」
肩に手を置かれ密着していた身体が離れたので、満足したのだろうかと、ちょっと気持ち困った表情で兄を見上げ慌てて兄の頬を両手で包み込んだ。
今にも泣きそうな顔、というよりもう涙が零れ落ちた。人に見られないよう指先でそっと拭うが瞬きする度に落ちてくる。なにこの人……情緒不安定なの!?
「お兄様」
「ごめん。もう一回」
「えっ」
ぎゅっとまた抱き締められたかと思えば直ぐに離れ、ぐっと唇を噛み締め険しい顔をする兄に、また泣くのではないかと頬へと手を伸ばしたが寸前で避けられてしまった。
そればかりか、ラバンで家族以外によく向けていた、ゲームでは最初のころにフランに見せていた見え透いた愛想笑いを浮かべた。
「お、にいさま?」
「セリーヌ……ありがとう。もう大丈夫だから、そんな悲しそうな顔をしないで」
「えぇ……では、中へ。皆困っていますわ」
「そのようだね。すまなかったね、案内を頼むよ。さぁ!お手をどうぞ、お姫様」
差し出された手に手を重ね、城内へと歩いて行く。
笑顔で会話をしながらも、先程の兄の笑みと重なった手に意識がいく。
親しくない者に向ける愛想笑いも、手を重ねたときに一瞬震えた兄の手も、気のせいだと思いたかった。
※※※※※※※
そういえば、兄を出迎えた近衛隊の中に彼はいなかったなぁ……と今更ながら気が付いた。
それどころではなくてすっかり忘れていたのだが。
「花が!」
兄と私を守るように前に立ったギーとブレアの背後から顔を覗かせ、少し先に広がる光景に一瞬くらっと気が遠くなった。
大量の花が床に散らばる中、両手に花を抱えたフラン。可愛いフランと彩り鮮やかな花の組み合わせとか、なにこれあざとかわいい。
曲がり角から急に飛び出してきたフランは、先導していた騎士にぶつかり手に抱えていた花と共に後ろへペタンと座り込んだ。比喩でもなんでもなく、本当にペタンだ。
一瞬……あれ、フラン騎士だよね?よわっ!と、思ったのは私だけではないと思う。
フランは床に落ちている花を拾うことに必死で一向に立ち上がる気配がない。
これ私だけだったのなら見逃してあげられたのだけど、本日はラバン国王太子の我が兄とその護衛一味がいる。
それに、今日は兄の警護のため今通っている通路は封鎖され、近衛隊であろうとも王が許可を出していない人間は出入りが出来ないようになっているはずだった。
今回許可されているのは近衛隊の中でも貴族階級が高く、腕もたつ四名と私の護衛二名。
腕だけで選ぶのなら他にもいたのだが、護衛相手は王族。それなりに配慮できなければならないため階級も考慮されている。
それに、黒服隊が常に張り付いているのだから実際にはヴィアンの護衛など兄には必要ない。現に近衛隊よりギーやブレアの方が動くのが早かったし。
で、フランなのだが……多分というか絶対に許可が出ていない。
封鎖区域は前以て通達されているし、フランが来た方角は王妃の庭園。二カ所とも近衛隊といえども平民のフランがふらふら入っても良い場所ではない。
まさかとは思うが、その花は庭園から引っこ抜いてきたのではないでしょうね?……もう色々と、処分されてもおかしくないのよフランちゃん。
さてどうするか、と考えていたところでジレスが動いた。
「近衛騎士隊のフランですね。なぜ貴方がここに?」
「ジレス様?あの、アーチボルト様に頼まれて花の手配を」
「花、ですか?」
「はい。セリーヌ様がお好きな花がちょうど今朝咲いて、それをアーチボルト様にお教えしたら持って来るようにと」
どうして私の好きな花をフランが知っているのだろう?とかアーチボルトは考えもしないのだろうか。
それに、あの花って……。
「あれ、匂いがきつくてセリーヌ様は苦手だ」
「姫はあのような濃い色合いの花は、お好きではない」
セリーヌには真っ赤な薔薇とか物凄く似合うのだが、ギーとブレアが言った通りそういった濃い感じのものを本人は好まない。寧ろ、淡い色の春に咲くような花が好きだったりする。匂いがきついものも苦手だし。
まぁ、逆に前世の私なら喜びそうだけど……。
一般庶民の憧れだよね、真っ赤な薔薇とかそういう派手な花は。
だから、フランがセリーヌの好きな花だと何を根拠に言っているのかがわからない。
一瞬嫌がらせだろうかと思ったが、フランが?私ならまだしもヒロインちゃんが嫌がらせなどするのだろうか?
「ねぇ、どうしてアレが僕のセリーヌを知ったふりをしているのかな?」
何かから守るかのように腰に手を回され距離が近くなる。だからこそ兄の冷たい声が良く聞こえ、背筋が凍るほど恐ろしい。思わず悲鳴を上げそうになり、口を両手で押さえた私を誰か褒めてほしい。
「アレとは、親しいのかな?セリーヌ」
耳元で囁かれ肩がビクッと上がる。
アレって……フランのことで間違いないわよね?
「いいえ、アーチボルト様の側にいるのを何度か見たことがあるくらいです」
「そう……」
ジッとフランを見つめる兄に心臓が嫌な音を立てる。この二人が出会うイベントはこんなかたちではない。そもそも、レイトンがヴィアンに訪れるのは私が幽閉されたあとになるはずだから、こんなに早く顔を合わせることすら予想外だ。
「セリーヌ様、僕が。アデル、セリーヌ様を頼んだ」
「了解」
背後にいたテディが足早にフランに近づき、腕を掴み立ち上がらせようとした。
「あっ、なに!?わっ……せっかく集めたのに」
その拍子に抱えていた花が落ち、むっと拗ねたように口を突き出したフランがテディを非難した。
けれど、さすが元フラン担当のテディ。再びしゃがみ込むフランを引っ張り上げ、それに対する抗議の声はスルーだ。
「フラン。早く立って」
「でも、花が……」
「いいから、謝罪して直ぐにこの場から離れて」
「え……?謝罪って……セリーヌ様!」
離れた位置に私達がいることに気づいたフランはテディの手を振りほどき、立ち上がると共に頭を下げたのだが、そのせいで折角拾い集めた花が音を立てて床に散らばってしまった。ドジっ子属性までもっていたのかフラン。
「すみませんでした。急いでいて、気がつかなくて」
「花はあとで片付けるから、フランは戻って」
「わかった……けど、僕もアーチボルト様の元に戻るのだからセリーヌ様の護衛に加えてもらっても良いかな?」
「フラン、セリーヌ様だけではなくラバン国の王太子様がご一緒だから」
「王太子様って、セリーヌ様のお兄様だよね。凄く有名な方だよね!うわぁ、どうしよう」
「……」
「ぇ、ちょっと、テディ!?」
フランとの噛み合わない会話に見切りをつけたのか、テディはフランを軽く拘束しそのまま廊下の端まで連行していく。近衛隊の一人もフランの口を押さえジレスに「お早く」と移動を促しているし。ヒロインちゃん……危険人物扱いだわ。
「セリーヌ様、どうぞ」
「えぇ、移動します。ギーとブレアはありがとう」
さっさと立ち去ろうとその場から足早に離れるが、兄は歩きながらもジーッとフランから視線を外さない。一体何を考えているのか。
それにしても……もごもご何かを叫び、じたばた拘束から逃れようとするフラン……国の恥?騎士の恥?両方か。なんてものを送り込んできた、アーチボルト!
どうか……セリーヌはアレに愛する方を取られたのだと、兄が知ることがありませんように。
※※※※※※※
「距離が近すぎるのではないか?」
「そうかな?国が違えば風習も違うものだしね」
「だが、セリーヌは平気なのか?」
「ねぇ、アーチボルト。何が言いたいのかな?」
「セリーヌは慎み深いからな。たとえ兄妹とはいえその近すぎる距離に困っているのではないかと思っただけだ」
「余計なお世話だよ。大体、慎み深いとか、君がセリーヌのなにを知っているというのかな?」
「私は、あれだ……あのときだな!」
「……あのとき、とはどのときかな?」
部屋に到着し、本来ならアーチボルトの隣に座るはずだった私は……さり気なく兄に手を引かれ、さも当たり前のように隣に誘導され、肩を抱かれ逃げられなくなっていた。
一連の流れを目で追うだけだったアーチボルトは、何故か感心したように頷き一人で座ってしまった。
けれど、距離の近さに疑問をもったのだろう。さっきからずっとその話しばかりだ。同盟国の王と王太子が、話し合いの場で距離の近さとかどうでも良いと思うが。
「お兄様、手を退けてください」
「セリーヌ……」
「そのようなお顔をされても駄目です。今日だけはアーチボルト様も穏便にはからってくださいますが。私はもうヴィアンの王妃なのですよ」
しゅんとしてしまったお兄様に心を鬼にして待ったをかける。ここはヴィアンです!いつものように自由な振る舞いは許されませんよ、お兄様。
「セリーヌは相変わらずだね」
「あら、融通が利かないとでもおっしゃるのかしら?」
「いや、優秀なお姫様で嬉しいよ。僕が馬鹿なことをしても諫めてくれるだろう?」
「まぁ、それは未来のラバン国王妃様のお仕事ですわ。私はもうヴィアン国のものですから」
普段の兄ならこういった場面でふざけたりなどしないのだが、一人称も僕のままだし。
アーチボルトを家族として認めて……はいないだろう。普段の手紙でだってかなりアーチボルト批判凄いし。
「本当に、仲が良いのだな」
「僕のセリーヌ愛は有名なはずなのに……知らなかったようだね」
「あ、あぁ。セリーヌから聞いてはいたのだが、実際に目にすると……まるで、恋人同士のようだな」
「まぁ、未来のラバン国王妃よりもセリーヌの方が大切だからね、僕は」
「兄妹とはそういうものなのか」
「……前から思っていたけれど、アーチボルトはのんびりしているよね」
「そうか?それは言われたことがないが」
違うって……のんびり=頭が悪いよね?ってことだから。凄いオブラートに包んで馬鹿にされたのよ。
「そうそう、ベディングのことは聞いたよ」
「そのことでは、セリーヌには申し訳なく思っている。守ると口で言っておきながら危険な目に合わせてしまった」
兄に頭を下げ、そのあと私を見つめるアーチボルトの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
なんか、以前とはやっぱりどこか違うのよね……。
まぁ、何か変わったとしても今更どうこうはならないけれど。
「これからは、セリーヌに認めてもらえるよう、相応しくなるよう精進しようと思う」
ここで「いや、必要ないから」とか言ったらアーチボルト大好きセリーヌではなくなってしまう。
仕方なしに笑顔で誤魔化す作戦にでたのだが。
「今更」
隣にいても聞き取れないくらいの小さな声。
「セリーヌは退出しなさい。あとで部屋へ伺うから寂しくても大人しく待っているんだよ」
それが兄のものだと気づいたときには、有無を言わさぬ口調で言われ部屋から退出させられていた。




