ウィルス・ルガードという男
帝国と隣国だった為に長年搾取される側だったヴィアン国。
強国を相手に為す術もなく、抗うことさえ諦めていたヴィアンを大国の一つまでに押し上げた前々王エイハブ・カーライル。
賢王と名高いエイハブには、たった一人弟がいた。
王弟ダリウス・カーライル。彼は国と王である兄に忠誠を誓い、騎士団を率いて常に前戦で戦っていた。
帝国を退けた王と王弟。
仲が良く、互いを尊重し、他国にヴィアンを脅威と知らしめた二人が決別する日が訪れるなど誰も予想していなかっただろう。
国が安定し王弟に第一子が誕生した年、ダリウスは王位継承権を破棄し騎士団の職も辞した。
国を守り、民を守り、王弟でありながらも自身の身を削り、ヴィアンを大国へと導いた騎士団長は城から姿を消した。
二人に何が起きたのか分からないまま月日は経ち、エイハブの孫であるアーチボルトが五歳、ダリウスの孫であるウィルスが十歳の年、二人はエイハブ・カーライルに呼ばれ顔を合わせた。
エイハブによって兄弟のように育ったアーチボルトとウィルス。
祖父のように共に力を合わせヴィアンを支えてゆくものだと期待されていたが、周囲の予想はエイハブの死後裏切られた。
一方は大切に囲われ、王位争いをすることもなく玉座に座り、数多の財を手にするアーチボルト・カーライル。
もう一方は――。
生まれ落ちたその日から命を狙われ、やっと手にした安寧の日々はあっさりと終わりを告げ、たった一つの望みを叶える為に生きている。
木が生い茂る森の中、顔の左半分を仮面で覆う青年が地面に片膝をつき、息を潜め仲間の合図を待っている。
もう間もなく薄暗い森の一本道を帝国軍が通る。この森を抜ければ青年が配属されている国境の砦。
かつての同僚である王都の騎士がこの姿を見たら情けないと、騎士としての誇りはないのかと馬鹿にすることだろう。
「第一部隊」
「完了です」
だが、国境に進軍してくる帝国軍相手に誇りなど何の役にも立たない。
数が違い過ぎるものを相手に真正面から正々堂々など無駄死にするようなものだ。
「第二部隊」
「完了です」
勝つため、生き残る為に手段は選んでいられないのだから。
「合図は?」
「上がりました」
真っ直ぐ森の中を進む帝国軍に、潜んでいた部隊が左右から弓を射る。
「では、行くか」
青年は眼下の下で行われている戦闘を横目に目的の場所目掛けて走り出し、標的を見つけるや剣を抜き飛び降りた。
目の前に現れた青年に驚き、馬から落ちた帝国軍の指揮官は瞬きする間もなく胴体から首が離れた。
「ウィルス隊長!」
「頭は取った。後片付けをする」
ヴィアンより遠く離れた地、帝国との国境に存在する砦。
辺りは深い森。人里から離れているため砦に駐屯している騎士しか見かけない。
ヴィアンの要と呼ばれてはいるが、実際は後ろ盾のない騎士、上から睨まれた騎士達の墓場。補給物資すらろくに届いたためしがない中、度重なる帝国との諍いで生存率は下がる一方だ。
暑さ寒さ、飢えを耐えしのぎ訓練に戦闘。こんな場所に何年もいれば、腐らずに必死に生き残ってきた者達は精神的にも肉体的にもそれなりに鍛えられるというものだ。
砦を落とそうと思えば直ぐにでも出来るはずなのに帝国はそれをせず、遊ばれているのだと確信した。
何度も仲間の死を目にし、血まみれの手を握り締め嗚咽を漏らしながら、次は己の番ではないかと恐怖した。
「深追いはするな!」
けれど、今は彼がいる。
指揮官を失い退却する帝国軍に安堵し、戦いの中心で血を浴びている仮面の青年の背中を仲間達は憧憬の眼差しで見つめる。
少なめの侘しい食事を有難く口にしていたとき、食堂の入り口に仮面の青年が現れた。
ちょっとやそっとのことでは驚きはしないと自負していた騎士達は皆動きを止め、次いで目を疑い、自身の顔をたたく者、隣に座る同僚の頭を殴る者、数分したのち王都で何かあったのではと動揺した。
さらりと揺れる金色の長い髪を後ろで束ね、顔半分は黒い仮面で隠れてはいるが、整った顔立ちに翡翠色の瞳。
王位継承権を破棄した王弟の孫。王家の血を引き、王家の色を纏う青年。
ダリウス・カーライルの再来かと言われた近衛騎士隊ウィルス・ルガードが、数名の部下を連れてこの辺境の砦にやって来たのだから。
※※※※※※※
砦の中を慌ただしく走り回り、誰かとすれ違う度に「お疲れさん。ウィルス隊長見なかった?」と声をかける副隊長、シーザーは首を横に振られるばかり。
「部屋には居なかったし、訓練場も庭も愛馬のとこでもなかったし」
あとは……と、頭をぐしゃぐしゃ掻き毟り項垂れる副隊長に声をかけられた年若い騎士達は顔を見合わせ笑い声を上げた。
シーザーがウィルスを探し回るというのは日常の光景なのだ。
「笑いごとじゃないから!部屋に手入れした武器を置きっぱなしなんだよ!あいつ今丸腰だぞ」
「またですか」
「素手でも隊長は強いから大丈夫ではないかと」
あの人相手に何か出来る人間などいないのではないかと思うのだが、副隊長は自身より十歳以上若い隊長が心配でたまらないらしい。
ウィルスが砦に配属される前まではシーザーが隊長を務めていた。
屈強な体に強面の顔。平民上がりの騎士でありながら、貴族の騎士相手に平気で言い返し、ときには拳で叩き伏せてきたシーザーは入隊早々に砦に飛ばされた。
ウィルスが来るまで何とか生き残ってこられたのはシーザーのおかげだと皆思っている。
「食料調達しに森に狩りにでもいったのか……。素手で?」
「いや、いくら隊長でもあの戦闘のあとに食料探しに森へは行かないかと」
「水浴びしたときはいたんですけど」
「やる、あいつなら、間違いなくやる!おぃ、もし隊長を見つけたら縋り付いてでも絶対に離すなよ」
言うなり走り出した副隊長に再び笑い声を上げた。
確かにあの隊長ならやるかもしれないが、自身の許容量ぐらい把握しているはず。それが出来ず皆に迷惑をかけるような人ではないのだから。
必要以上に過保護な強面の副隊長は気付いているのだろうか?砦の騎士達に【ウィルス隊長の母親】と呼ばれていることに。
※※※※※※※
「シーザー?」
狩った獲物を引きずり、森から出てきたウィルスは見慣れている顔を見つけ首を傾げた。
名を呼んだのに返事が返ってこないが、人違いではないと思う。辺りが暗くてもシーザーだと良くわかる。眼光鋭く光って見えるからだ。
「……シーザー」
「ふざけんな!俺は獣じゃねーぞ」
腰を落とし、刺激しないようにゆっくりと近づき再度声をかけたのだが。どうやらお気に召さなかったらしい。
「近づいたら、頭から食いちぎりそうな顔をしていた」
「俺がなんでそんな顔をしているのか、心当たりはあるな?」
「……今日の夕食の肉を狩りに」
「そんなもんは待機組にいかせればいいだろ。いや、そんな顔をするな……お願いだから剣を置いていかないでくれよ、な?」
「あれは狩りに向いていなくて、武器なら他のを持っているから」
「わかった、次からは誰か連れていってくれ。頼むから」
「そんなに心配しなくても、ここは安全なのに」
「帝国軍がまだその辺にいるかもしれないだろ」
「そのときは、そのときだね」
「相変わらず、死に急いでんな」
「まさか、やっと招待状が届いたんだ。今死んだら死にきれない」
「待ち望んでた令状だもんな」
「うん。ごめんね?私は、シーザー達を置いていく」
「引継ぎも終わってるし。書類仕事だって慣れた。心配すんな。お前に教わった通り、小賢しく、意地汚く生き延びてやるよ」
「なんか……そう言われると、私は随分と嫌な奴みたいだ」
「とてもじゃないがお貴族様で、王族様には見えないな」
「実はお貴族様で、元王族様なんだ」
「俺には手のかかるガキだよ。ほら、三日後には出発するんだろ?道中長いんだから身体休めておけ」
「了解」
十も年上のシーザーは私をいつも年下扱いする。
初めてここで顔を合わせたときも、周囲が腫れ物に触るような扱いをする中シーザーだけは私の存在を豪快に笑い飛ばした。
ダリウス・カーライルに憧れ騎士になってみれば、貴族だなんだとろくなものではなかったと言っていた。
年々帝国からの煽りは酷くなる一方、昨日王都から手紙が届けられた。セリーヌ様の護衛騎士として王都へ戻るようにと。
正直、王都へなど、城へなど二度と戻りたくない。
けれど……彼女の護衛騎士として戻るのならば話しは別で。
セリーヌ様は、父に連れられて行った場所で出会ったお姫様だ。
たった数日間だけだったけれど、私の顔を見ても怯えずに真っ直ぐ瞳を見て話してくれた。
仮面の下にある醜いものに手を伸ばし、涙を浮かべながら何度も撫でてくれた。
嬉しかった……彼女は私の髪や瞳を嬉しそうに眺め、大好きだと言ってくれたのだから。
祖父が亡くなり父と共に城へ呼ばれた日、エイハブ王の膝の上に座っていた子供、アーチボルト・カーライル王子と対面し自身の目を疑った。
髪も、瞳も、まだ幼い顔も、成長すれば私と全く同じ。違う部分を探すとすれば、年齢と仮面をつけた顔。
自身の運命を呪ったことなど一度もなかったが……。
あの日。幸せそうに、無邪気にエイハブ王に甘えるアーチボルトから屈託のない笑顔を向けられ、私は上手に笑い返すことが出来たのだろうか……。
城へ出入りするようになってからは護衛もつけられ、常に神経を尖らせていなくても良くなり、気は抜けないが幾分かは楽になった。
城で学ぶことは多く中々楽しかったと思う。剣術の稽古では師から褒められたが祖父のように騎士になろうなどと思ったこともない。
ある程度平和な日常……これはとても良いものだと思った。
そんな生まれて初めて訪れた穏やかな日々に、アーチボルトが一年に一度送られてくるという婚約者の絵姿を見せてくれた。
戴冠式と共に婚姻するラバン国の王女、セリーヌ・フォーサイス。アーチボルトは彼女の絵姿に釘付けになる私をよそに、細かい装飾が施されている美しい額縁を蹴り、嫌そうな顔と声で彼女を貶めていく。
会って、話したこともないのに彼女を悪く言い。他に好きな人がいると、望んで婚姻するわけではないと、王族ではなく平民に生まれたかったと口にする。
未来のヴィアン国の王妃。王となるアーチボルトだけが手に入れるラバンの至宝。
もう疲れたと、これ以上は無理だと諦めそうになったとき、彼女と過ごした日々を思い出し、またいつの日か会えるのではないかと耐えてきた。
何が違うのだろう……同じ姿で同じ王家の血を引いているのに、何故こんなにも私達の置かれている環境は違うのだろう。
エイハブ王が亡くなり、王太子となったアーチボルトとは顔を合わせる機会も減り、偶に顔を合わせれば不機嫌そうな顔をし側近達と逃げてしまう。
首を傾げながら彼等の後ろ姿を眺めていると、横にいた剣術の師から頭を撫でられた。撫でられたのなんていつぶりだろうか……とされるがままになっていたが、「使えない息子だ」の声に顔を上げた。
師が側近の一人である自身の息子を睨みつけていた。
「クライブですか?」
「なんのために側近になったのか……王子を縄で縛ってでも引っ張ってくるのが側近の仕事だろうに」
「私のせいではないでしょうか」
「王子と貴方は年齢もあるが、育った環境と精神面が全く違っている。努力をせずに劣等感を感じるなど自身を過大評価しすぎだ」
「劣等感……」
「劣等感なんてものは、私はこの程度ではない、もっと出来るはずだ、と己より優れた人物を見て羨んだり不満を持つことだ。それが悪いとは言わない、向上心があるということだからな。その手の人間はきっかけさえあれば自分次第でどうとでも変えられる。だが、それは努力をしている者だけが口にするべきだ。勉強も訓練もさぼっているような者、あれはただの傲慢だ。それに、問題なのは現状が全てだと思い込んでいる方だ」
「束の間であろうとも、現状維持は大事ですよ」
「貴方は文官にも騎士にもならないとおっしゃる」
「私が王都に、城に出入りしていることをよく思わない方達がいるんです。それなのに王都で働けと?また、昔のように追い回されるくらいならどこかでひっそりと生きていきます」
「ルガード侯爵家では現状を変えることは厳しいですか?」
「何も望まず、愚かなことを考えず、この身が王家に不穏をまくのなら己を切り捨てよ。これが祖父の教えだそうです」
「エイハブ王亡き後、実権を握っているのは一部の貴族達です。不穏をまくというのであれば、それは貴方ではないと思いますが」
「私には関係のないことです」
「そうですか……このままでは、数年後ラバンを巻き込んで共倒れでしょうね」
「アーチボルトは……婚姻を拒否していると」
「拒否出来るものではありません。それに、好いた方がいるというのであれば側室にし、王妃は形だけのものにすれば良いだけ」
「それでも、愛する人の元へ嫁げるのなら幸せなのでしょうか?……セリーヌ様は、アーチボルトを愛しているのだから」
「なにが幸せなのかは、本人にしかわからないことです」
金の髪、翡翠色の瞳、私の顔、全てが大好きだと、婚約者と同じだと頬を染めて嬉しそうに語っていた。
あと数年すれば、彼女はヴィアンに来る。アーチボルトが彼女を目にし、触れ合い、語り合い、愛するようになれば良い。
けれど、そうならなかった場合は?
直ぐに側室をとり、王妃ではなくそちらに子を産ませたら?
愛されることなく、他国で生きていかなければならない彼女は誰が守ってあげる?
「現状維持を望まれますか?」
「どうして……」
「捨てるよう指示された婚約者の絵姿を、大切に保管させているらしいですね」
「同盟国の王女の絵姿を、あのように粗末に扱うものではない」
「では、そういうことにしておきます」
我が子を見るかのような温かい瞳を向けられ頬が綻ぶ。
「近衛隊に入ろうか」
「文官の道もありますが」
「文官になったら真っ先に命を狙われる。騎士なら自ら手を下さなくても、戦場へ送ればそのうち勝手に消えると思うだろ」
「騎士団を飛ばして、いきなり近衛隊ですか」
「王族の周辺警護は近衛隊の仕事だから。そこの隊長に弟子入りしているのだから、可能でしょう」
「ダリウス様も喜ばれますよ」
「どうだろう」
祖父は、ダリウス・カーライルを王へと担ぎ上げようとする者達を一掃し、全てを捨てる道を選んだ人だから。
結果……近衛隊に入ったものの、仕事のし過ぎで目をつけられ僻地の任務へと飛ばされてしまったのだが。
※※※※※※※
王都へ戻るからか、セリーヌ様に会えるからか、ほんの少しの不安と期待で、いつも以上に仕事に明け暮れ三日なんてあっという間だったな……と、目の前に広がる光景に自然と口角が上がった。
連れてきた部下は砦へと残ることを決めたから、引継ぎも荷物の整理も私の分だけで終わった。王都へ向けて出発する当日、つまり今朝。別れの挨拶の途中で第三部隊の者が部屋へ飛び込んできた。
「襲撃……」
「帝国じゃなかったな。あいつ暇なのか?」
部下の報告を聞き、隊を整え急いで現場へと馬を走らせれば……黒髪、黒目という珍しい色合いの青年を先頭に武装した連中が集まっていた。
横でシーザーが肩を竦め「なんだってこんな日に」とぼやいているが、取り敢えずいつも通りに声をかけてみた。
「久しぶり!今日はまた随分と大人数だ!」
「そんな大きな声で叫ばなくても聞こえている」
「暫くみなかったけど、どこかへ飛ばされていたのか?」
「このままあんたとは二度と顔を合わせたくなかったんだが……仕事を終えて戻ってみれば直ぐにここへ向かわされた」
「私も今日は時間がないから、帰ってくれると助かる」
「俺に残った片目も失えと?」
「その左目は、もう機能していないのか?」
「ちょっと失敗したからな。あんたとお揃いで嬉しいだろうと嫌味までもらったよ」
お互いに軽口をたたきながらも戦闘準備に入る。
「困った。君とやりあうと一日では終わらない。今日は逃げ回らずに正面からくるのか?」
「砦占領が目的じゃないから、今回も数日は相手してもらう」
何が目的なのかはわからないが、いきなり現れては引っ掻き回して去っていく。まるで軍事練習でもしている気分だ。
この青年の雇い主らしき人物を一度だけ目にした。ベールで顔を隠してはいたが身に着けているものは派手で、どこかの国の貴族、または王族だろう。
「数日……それは困る。一日でも早く戻って、やらなければならないことがあるから」
王都へラバン国の王太子が訪れていると影から知らせが入った。
アーチボルトが対処出来るはずがない。ベディングのことも実際に動いたのは彼女だという。
「シーザー。無茶をする」
「お前の最後のわがままだ。思う存分無茶に付き合ってやる……だから、その顔をやめろ?周り見てみろ、皆怖がってるだろ」
仮面をしっかりと付け直しながら、剣を抜き合図を出す前に馬を走らせた。
そうだ……「黒い仮面なんて令嬢には受けが悪い」と言われ、新しく作り直したものはしまっただろうか?
黒より白の方が明るく見えるし、顔半分を隠すぐらいなら全て隠してしまおうと目と鼻の部分だけ穴を開けてみた。それだと気味が悪いと不評だったのでより人の顔に近づくように工夫してみたのだけれど。シーザーからは捨てろと言われたが……。
しまった……。今日つけて、皆の反応を見てみれば良かった。




