精神崩壊
「良かった、ですって?」
私の、地を這うような低い声にアーチボルトは目を大きく見開いた。
普段の私だったら、アーチボルトだから仕方がないと呆れるところだろう。
深く物事を考えないし、人の上に立つための教育を受けていない子供のような人だから。
何か言ったところで彼に響くとは思えず諦めに似た気持ちになる。
けれど、今の私にはそれは無理で。
人の行動を大きく左右するのは精神状態だ。
その時の精神状態によっては「人格者」にでも「悪人」にでもなれるという。
よくないことが重なり過ぎたのだと思う。
仕方がなかったと諦めることが出来ない。
起きてしまったことを責めても何も変わらないし、改善策を考えることが先なのは分かってはいるが……無理。
今の私は、かなり攻撃的だ。
「セリーヌ?」
「アーチボルト様は、今の私の話を聞いて何も考えないのですか?」
「何もとは?セリーヌが無事で良かったと、心からそう思っているが」
「そうですか……では、クライヴ。貴方からは何かなくて?」
私はアーチボルトが向けてくる慈愛に満ちた眼差しをバッサリと切り捨てた。
クライヴはアーチボルトを素通りして自分に矛先がくるとは思っていなかったのだろう。
静かに気配を消していたクライヴは私の言葉に驚き恐る恐る口を開くが、とんでもない返答が返ってきた。
「すみません。セリーヌ様が夜会の広間からいなくなられたという報告は、受けていませんでした」
「報告を受けていないですって?私の警護を行っていた騎士はどうしたの?」
「二人共、夜会が終わったあとそのまま家に帰宅しています」
「二人って、一人は私が気付いたときには倒れていたのよ?……いいわ、取り敢えず彼等を呼び戻しなさい」
「それが……あの騎士は、べディング侯爵家の由縁の者達で」
夜半に騎士を呼び出すのなんて当たり前のことだ。それが、王都や王族の守備や警護を担っている近衛騎士隊なら尚更。
だから、苦虫を嚙み潰したような顔をしているクライヴに一言いってあげた。
「それが、どうした?」と。
先程よりも低い声が出たと思う。
クライヴは一瞬だじろぎ、何か不可思議な者を見るような目で私を見ている。
あぁ、この男の脳は筋肉だったわね……。
「……ですから、侯爵家の」
「それは聞いたわ。で、私はクライヴに彼等を呼び戻せと命令したの。意味が分かっていないのかしら?」
困惑しているところ悪いが、意味が分からないのは此方の方だ。
侯爵家が貴族の中でどれほどの権力を持っているのかなど、夜会でのベディング侯爵や娘のアメリア嬢を見ていれば分かること。
けれど、私は王族。
夜会でもハッキリと言ったが、同盟国の王女でありヴィアンの王妃。
侯爵家が怖いから手が出せませんとか、それ以上に恐ろしい存在に良く言えたものだわ。
「……分かっていないみたいね。ジレス、貴方は?」
「セリーヌ様の護衛にあたっていた騎士は直ちに呼び戻し、私の部下に尋問にあたらせます」
「貴方の部下?」
「はい、私の家の者達ですので侯爵家の息はかかっておりません。近衛隊は、使わない方がよろしいでしょう」
「ジレス!」
「クライヴは黙っていてください。今夜の夜会の警護は貴方の隊が担っていたのでしょう?賊が入り込む隙をつくったのは隊の隊長である貴方ですよ。尚且つセリーヌ様を護りきれず、その件を報告すらしないなど……近衛騎士隊は、何か疚しいことがあると疑われても仕方がないでしょ」
「馬鹿を言うな!近衛隊に疑われるようなことは何もない!」
「……それに、侯爵家の由縁の者は件の騎士二人だけではありませんから。近衛隊のほぼ半数は当てはまります」
夜会ではアメリア嬢に追求しなかったが、攫われる前に見た彼女の笑み、その後の言動。
どう考えてもアメリア嬢、またはベディング侯爵家が関係しているとしか思えない。
だが、証拠がない。
私をテラスから攫った男には逃げられ、暴漢共には尋問する時間がなかった。
だからあの場ではアメリア嬢の不敬を募ることしか出来なかった。
「他には?」
「すみません……」
思い浮かばないのだろう。
頭を下げるジレスは及第点とはいかないが、そこのお花畑と脳筋二人よりは遥かにマシな回答が出た。
「アーチボルト様、私をテラスから連れ去った者は捕らえられませんでしたが、その者が手配した暴漢は捕らえ私の騎士と侍女が対処に当たっています」
証拠がないなら探せば良いと、捕らえた暴漢共を今テディとエムとエマが尋問している。
「暴漢だと?賊は一人ではないのか?」
「目的は別にあったようなので、用を終えたあとに潜ませていた者達に私を渡して逃げましたわ」
「なんだとっ、なにかされたのか!?」
「いいえ、抵抗しその場から逃げましたから」
「対処に当たっているのは侍女と見習い騎士ではないですか!でしたら私が!」
「落ち着けクライヴ、話しが終わったら向かえば良いだろ。私もセリーヌを襲った者達を直接始末する……セリーヌは恐ろしい目に合ったばかりだ、配慮しろ」
憤るクライヴを遮り、苦渋の表情で訳のわからないことを述べるアーチボルト。
だから、違うでしょ……。
「アーチボルト様も、クライヴも不要です」
「私も、不要だとおっしゃるのですか?」
「えぇ、クライヴ」
あのアーチボルトが、私が無事で良かったと安堵しているのを見て……悦ばしさや歓喜よりも怒りが湧いた。
私の話しを聞き安堵する前にやるべきことがあるだろうと。
アーチボルトは賊に関して一切何も聞かずに力を抜いた。城内に賊が侵入していたにもかかわらず。
夫としては妻の安否を気遣うことは良い、けれど彼は国王。
王妃が無事だと分かったなら、瞬時に気持ちを切り替え責務を果たさなければならない。
首謀者が見つからなければ又同じことが起こるかもしれないからだ。
それだけではなく、容易く城の中に進入されたことにも近衛の騎士隊長のクライヴと直ぐに対処しなければならない。
「ですが、私は近衛騎士隊の」
「男を追いかけることに夢中で己の責務を果たしていない者が何を言っているのよ」
「お、男……」
失礼、心の声が漏れたわ……。
「騎士団から選ばれた精鋭、王族と王都を護る近衛騎士隊の者が信用出来ないと言っているの。夜会の警備を掻潜り城内へ侵入し、人気の無い場所に暴漢を待機させていたわ。誰かが情報を流しているとしか思えない」
「それが、私の隊の者だと、そうおっしゃるのですか……」
「少なくとも、今夜の警備配置を知っているのは近衛の騎士よね?報告も怠っているし」
「……だとしても、私は王を裏切ったりなどしません」
「……クライヴは隊長でしょう。今回は私が狙われたけれど、次はアーチボルト様かもしれないのよ?未然に防ぐ為に貴方は暴漢共よりも、自身の隊の者を徹底的に調べ上げなさい!」
思わず怒鳴ってしまった。
前世でも、今世でもこんなこと一度も無かったのに。
怒りで震える手をぐっと握り締め、クライヴから呆然としているアーチボルトへと視線を向けた。
……期待などしてはいなかった。
『何かあれば私に頼れ』
あの言葉に意味などは無いと分かっていた。
前世の記憶を持っていても、王族であっても、私はただの小娘でしかない。
連れ去られ、襲われそうになったあの場ではそんなものなんの役にも立たなかった。
クライヴがもっとしっかりしてくれていれば、護衛騎士が侯爵家の息のかかっていない者だったら、私が広間にいないと気づいて探すよう命じてくれていれば。
「セリーヌ?どうした、何故そのような顔をしている」
「…………」
たらればを言っても仕方が無いことは分かっている。
でも、彼奴らの言葉や伸ばされた手を鮮明に覚えている。
『綺麗な女だなぁ』
『誰が先だ?』
『此処でいいのか?他の場所に連れてった方がいいんじゃないか』
こんな世界、嫌で嫌で、戻りたいと……両親や姉がいた前世の世界に帰りたいと、自身の心に蓋をしていただけ。
アーチボルトはあいつを思い出させる。
口先だけで肝心なときには側にいない。母が倒れ、何度も連絡をしたのに現れたのは翌日だった。
『無事だったんだ、それでいいだろ?』
母よりも、愛人に夢中になっていた前世の父親。
来ないことは分かっていても、幼かった私に頼れたのは父だけだったのに。
「セリーヌ、セリーヌ!私を見ろ!」
アーチボルトの声にはっとし、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている彼に首を傾げる。
「疲れているのだろう?部屋へ戻り休め」
「えぇ、そうしたいのですが……ジレス、警備の配置は貴方のところも把握していたわよね?」
「はい……!私の方も部下を調べます」
「出来れば、ベディング侯爵家に関わっている者達は側から離しなさい」
情報を漏らしているのは騎士隊だけでは無いかもしれない。
「ベディングを、疑っているのか?」
「えぇ、アメリア嬢からは先程の騒ぎの中で言質を取っていますから」
「…………」
「アーチボルト様はアメリア嬢の処分の方をお願いします。相手は侯爵家です、アーチボルト様の態度次第では有耶無耶にされてしまいますのでお気をつけて」
「処分……」
「王族に不敬を働いたのです、家を取り潰すなり国外追放なり」
「待て!確かに、アメリア嬢の行いは不敬だったが……何もそこまでしなくとも。まだ未熟な者がしたことだ」
「いい加減になさいませ!」
テーブルを叩きながら叫んだ私は、正面に座っているアーチボルトを睨みつけた。
「貴族の令嬢は一人前のレディーとして社交界への参加が認められますわ。未熟な者の行いですって?アメリア嬢は社交界へのお披露目は終えていますのよ?それに、私は極刑を望んでいるわけではありませんわ」
「だが、ベディングは父や私を今迄支えてきてくれたのだぞ……それに、まだセリーヌを襲わせたのがベディングと決まったわけではない」
支えてきた?国王を意のままに操り好き放題してきただけじゃない。
アーチボルトは何も分かっていないのではない、分かろうとしていないのだ。
「貴方は……王に相応しくない」
『アレは、王などではない』 と言ったセオフィラス。
だとしたら、目の前にいるこの人はなんなのだろう。
「……なんだと、今なんと言った!」
「アーチボルト!」
「クライヴ、絶対に手を離さないよう」
私が微かに呟いた言葉に、激怒し立ち上がったアーチボルトをクライヴが即座に動きを封じた。ジレスはクライヴにそのまま拘束していろと冷たく言い放ち、私に向かって首を横に振る。
分かっている、冷静になれと己に言い聞かせている。
けれど、止まらないのよ。腹が立ってしょうがないのよ!
「あら、アメリア嬢は罰しなくても、私はされますの?」
「セリーヌ!!」
「アーチボルト様は、次また同じようなことが起きたときは私に命を捨てろとおっしゃるのですもの」
「そのようなことは言っていないだろ!」
「同じことですわ。今夜は運良く逃げられても、次はそうであるとは限りません。命は取られずとも、自ら捨ててしまいたくなるほどの苦痛を味わうかもしれませんわ」
「次などない!私がお前を守ってやる!」
アーチボルトの言葉に、ふっと笑ってしまった。
だって、守るって……誰が、どうやって?
「今のアーチボルト様に、一体何が出来ますの?」
立ち上がり、吐き捨てるようそう口にし執務室を出た 。
※※※※※※
疲れた身体は重たくて、アネリにされるがまま身支度をしベッドに入った。
「寝られるまで側にいますわ」
椅子を近くまで持って来て腰掛けたアネリに頷く。
「眠れないなら、何かお話しでもしましょうか」
私はアネリの労わるような声に懐かしさを感じていた。
辛い時はこうして姉が側に付き添い頭を撫でてくれたわね。
「セリーヌ様?」
目を開けたまま黙っていたからだろう。
覗き込んできたアネリに微笑み、大丈夫だと口にした。
「……懐かしくて、何かあったときに、アネリみたいに側にいた人がいたから」
「お兄様のレイトン・フォーサイス様ですか? 」
そこで母では無く兄が出てくるのかと、苦笑しながら首を振った。
「……違うわ、兄であって姉のような存在の人なの 。私の狭い世界を無理矢理広げて、そこへ許可無く踏み込んできたわ。何度拒否しても、絶対に諦めないのだもの……ふふっ、本当に嫌になるほどだったわ」
アネリには意味が分からないと思う。
「会いたいわね、もう一度 」
目を瞑り、落ちていく意識の中、そっと頭を撫でてもらった気がした。




