特別
「酷いわ……何をなさいますの!」
「あら、分かりませんの?でしたら、アネリもう一杯こちらへ」
後ろに控えているアネリに右手を差し出しワイングラスを受け取り、唖然とした顔で私を凝視しているアメリア嬢の顔にグラスの中身を乱暴に浴びせかけた。
「…っ、ごほっ、ごほ」
正面からかかった赤ワインが口と鼻にでも入ったのか咳き込むアメリア嬢。
彼女と一緒になって笑っていた取り巻き達はアメリア嬢の助けに入るどころか、一歩私達から下がってしまった。
勿論私も濡れないように二、三歩下がっておいたが。
「なにをっ!こんなことをして、ただで済むと思って!」
「その言葉、貴女にお返しするわ」
「公の場で、侯爵家の娘である私にこのようなこと、アーチボルト様もお父様も許しはしないわ!」
「その公の場で見苦しいさまを見せる前にお帰りになったら?私からの優しさですわよ」
「ふざけないで!」
アメリア嬢のふんわりとしていた髪は赤ワインでべったりとし、可愛らしく見えるよう計算されて施された化粧はぐちゃぐちゃで、ドレスに至ってはもう着れないだろう。
普通の令嬢なら泣きながら退出するだろうに彼女は私を睨みながら喚き続けている。
……本当に、優しさだったのに。
「ふざけているのは貴女でしょ?私のドレスを汚し、謝罪をするどころか暴言まで……しかも、皆が見ている場所で」
「態とじゃないわ!」
「態とか、そうでないかは関係ありませんのよ。先程お勉強したでしょ?誰に、何をしたかが問題なのだと」
「……接触して、グラスの中身が少し溢れただけじゃない!」
「そうね、その溢れたワインは私のドレスへかかったのよ。……貴女は謝罪もせずに私に部屋へ戻れと、後ろにいるご令嬢方と笑っていたわね」
「笑ってなんていませんわ、可笑しな言いがかりはよして!」
「もう一度、分かりやすく教えてあげますわね。貴女はこの国の最高権力者アーチボルト様の正妃である私のドレスを汚し、あろうことか謝罪もせずに嘲笑った」
「ですから、私は!」
「たかが侯爵家の娘が何をどう言おうと、私がそう認識し周りの者達はそれを見ていた。そして、今は言い訳を口にして騒ぎ立てている……貴女、お家諸共処罰されたいの?」
「処罰って、そんなの可笑しいわ!だったら貴女のしたことの方が酷いじゃない!」
「あら、優しさだと言ったでしょ?その程度で許して差し上げようとしたのだから」
「その程度ですって、私のこの姿が!?そんなの許されないわよ!……っ、アーチボルト様!」
うわぁ、アーチボルトは最高権力者だと教えてあげたのに……。
アメリア嬢は髪を振り乱しながらキョロキョロと周囲を見渡し、広間の奥に立って此方を見ていたアーチボルトを呼びつけた。
さっき助けてくれたから、また同じように泣き落としでもしてどうにかしてもらおうとしているのだろう。
でもね、助けに入るならもっと早くに来ているはずでしょ?黙って立って見ていることが可笑しいと気づかないのだろうか。
「アーチボルト様!セリーヌ様がっ……」
涙をぽろぽろ流し、必死にアーチボルトを呼ぶアメリア嬢は女優だわ。
溜息をつき、茫然としながら此方を伺っているアーチボルトに視線を合わせ……にっこりと笑ってあげた。
アーチボルトはビクッとし、顔を縦に振りその場から動かず待機し、彼の側にいるエムとエマは笑顔で頷く。
前以てエムとエマをアーチボルトの元へと送り、何があっても絶対に近づくなと言伝をしておいた。
アレが介入すると面倒くさいのよ。
視線をアメリア嬢に戻すが、彼女は何度呼んでも来てくれないアーチボルトに腹が立ったのか凄い顔をしている。
さて、面倒なことはさっさと終わらせましょうか。
「何故助けてくれないの、とでも思っているのかしら?」
「…………」
「あらあら、そのように睨まれても……私の所為ではありませんわ。当たり前のことですのよ?国で一番偉い方を、正妃でも側室でもない方が名指しで呼んで来てくれるわけがないのですから。私だって恐れ多くて、そのようなこと出来ませんのに」
「セリーヌ様と、私は違うわ!」
「えぇ、違いますわ。私は王妃、貴女は……ただの侯爵家の娘で、私よりも遥かに身分が下の者ですから」
「……なによっ、貴女なんて、ラバンから捨てられた王女じゃない!」
アメリア嬢が叫んだ瞬間、広間にいる者達が皆息を呑む。
そんな周囲を他所に、私はアメリア嬢を真っ直ぐ見つめ口を開いた。
「このドレス、とても素敵でしょ?」
「……は?」
勝ち誇った顔をしていたアメリア嬢は、私の言葉に眉間に皺を寄せた。
「ドレスは使われている生地によって、同じようなデザインでも全く異なるの。ドレスによく使われている生地の中でも、ラバン産のものは法外な値段で取り引きされているわ。手触り、質、光沢……挙げたらきりがないのだけど、他国では同じ物は作れないから。
でもね、他国には絶対に流出させていないものがあるのよ。それをラバンの国王は、大切な家族にしか使わせていないの」
大国ラバンの産業の一つが繊維産業。
ラバンの領土は帝国にも劣らぬほどの広さを持ってはいるが、本格的に戦争になったとしたら帝国に負けるだろう。
帝国とラバンの違いは軍事力。
領土を広げることに力を入れている帝国は軍事力に費やし、現状を維持し豊かさに力を入れたラバン国は産業に費やした。
ラバンは大国だったからこそ小国とは違い帝国の脅威に晒されながらも発展を遂げられたのだが。
そして、王妃を尋常でなく愛している父……ラバンの国王は、母が身に纏うものは全て最高のものを!と更に繊維産業に力を入れたのがラバン産の生地が法外な値段で取り引きされているという結果だ。
それともう一つ、デザイン。
アメリア嬢やアネリクラスの上級貴族なら今出回っている最高の素材でオーダーメイドのドレスを着ているのだろうが、下級貴族になると既製品か粗悪品の素材でのオーダーメイドになる。
まぁ、粗悪品といってもそこそこ良いものではあるのだが……ラバン産と比べてしまうと天と地ほどの差があるから仕方無い。
既製品にしろオーダーメイドにしろ、生地を抜けばあとはデザインの違いだろう。
国の王妃、王女、社交界の華と呼ばれる令嬢がその年のドレスの流行をつくる。
今夜の夜会でもアメリア嬢が着ているドレスと同じような形のものを身に纏っている令嬢方が多い。
が、私が今着ているドレスも先程まで着ていたものも、この国の者達は目にするのも初めてだろう。
実際広間に入った瞬間、令嬢方から物凄い視線を浴びたのだから。
ラバンでも同様の視線は常に感じてきた。
前世では珍しくもないデザインなのに、この世界では物凄い技術力を必要とする。
その物凄い技術力がふんだんに使われているこのドレス。
発案者は他国を練り歩き、集めた知識を総動員して図案した、兄のレイトンだ。
1着をつくるのに十数人以上の職人とお針子達、1ヶ月から1年以上の期間をかけて製作するドレスもあるほど。
シーズンごとに正装用、礼装用、ドレスを各3枚、年間にすると各12枚が新調される。最低でも36着は与えられる。
兄は公務、訓練の合間に息抜きと称して私のドレスを作っている場に全て参加していた。
生地は父、デザインは兄。
愛情という名の熱い想いが詰まった傑作だ。
正直、重た過ぎて着たくない……。
「…………」
「ラバンの王族のみが使用できる最高級の生地に技術力。それが、このドレス。侯爵家と言えど、このドレスを補償することは先ず無理ね」
アメリア嬢に見せつけるように目の前で裾をひらりと広げる。
普段から良いものを身につけている上級貴族の彼女なら、これを間近で見ればどれほどの価値があるものか分かるだろう。
口を開けたまま、私のドレスを凝視しているし。
「私が、捨てられた王女?馬鹿なことを。他国へ行き、そのようなことを口にしてご覧なさい。失笑されるわよ?」
「……失笑などと、皆知っていますのよ?セリーヌ様は要らない王女だと」
ねぇ?と取り巻き達を振り返り同意を求めたアメリア嬢に、困惑しながらも取り巻き達は頷いた。
それに気を良くしたアメリア嬢は私に不敵な笑みを浮かべるが……。
「貴女は本当にお馬鹿さんなのね、それ以上口を開くと罪が増えるわよ?」
「後ろ盾がないセリーヌ様に何が出来るとおっしゃいますの?」
「後ろ盾なら、この国の王であるアーチボルト様に、ラバン、他にも幾つかありますけれど?そう言えば、この国は他国より情報が遅れていますのよね」
「情報?」
「えぇ、此処にいらっしゃる皆様にもアメリア嬢のように可笑しな認識をなさって恥をかかせるわけにはいかないでしょう?」
周囲で様子を伺っていた貴族達にうっそりと笑う。
「こうして、私が夜会に出席したのは初めてですものね。他国と交流することが多い皆様は、間違った情報を鵜呑みにしないよう。私は、【ラバンの至宝】と呼ばれたラバン国王女。国王である父、王太子である兄が、ヴィアン国に私の身の安全と精神の安寧を約束させ、破られた場合はどのような理由であれ同盟を破棄すると、同盟締結の条件に入れましたのよ」
兄のことだから、傷一つ許さないだろう。
父に関しては、今ひとつ摑みどころのない人だから分からない。
「……だって、何も、持たされずに嫁いで」
「何も?私の部屋には、ラバンから持たされた国家予算に匹敵するドレスが置いてあるわよ。あぁ、それとも侍女や護衛騎士のことかしら?それでしたら、前王が優秀な者達を用意するからとおっしゃいましたのよ」
「…………」
「私も不安でしたけど、前王のお陰でとても優秀な侍女がついてくれましたし、護衛騎士に関しては今選出している最中ですの。私の周りに、不出来な者は必要ありませんから」
「そんな、そんなこと……」
カタカタと震え出したアメリア嬢は、今更己が仕出かしたことを認識したのか。
「さぁ、お家へお帰りなさい。今回のことは国から追って沙汰しますから……」
「……ぃゃ、そんな」
小声で呟くアメリア嬢の背後に目を向け、同じように顔を青くして立ち尽くしている取り巻き達にもきちんと伝えてあげないと。
「貴女達も、覚悟するよう」
本日何度目かの静まり返る広間に、私の声が響いた。
※※※※※※※
アメリア嬢と取り巻き達は騎士に広間から連れ出され、まだ続いていた夜会は微妙な空気の中お開きになった。
……私の所為だろうか。
いや、ベディング侯爵が娘を放置して帰るからこうなったのよ。うん、あの狸が悪い。
「セ、セリーヌ……?」
「はい、アーチボルト様」
現在アーチボルトの執務室には、私とクライヴとジレス、アネリが集まっている。
テディとエムとエマは別行動だ。
閉会の挨拶を終えたアーチボルトは、私に先程の騒ぎを詳しく説明せよと言ったので、側近達も一緒にと執務室にやって来た。
困惑しているお馬鹿三人に静かに怒りを露わにしている私は、部屋に入るなりソファーに座り黙りをしていた。
事情を把握しているアネリ達はそれぞれやるべきことへと動いている。
「セリーヌは、何か怒っているのか?」
「えぇ、とても」
「……ベディングのことか?それとも、そのドレスをアメリア嬢に汚されたことか?」
「それも、ありますわね」
「……最初に着ていたものも良かったが、そのドレスもよく似合う、美しいな」
アーチボルトの見当違いな言葉にビシッと私のこめかみに青筋が立つ。
「アーチボルト様……」
「なんだ、ジレス?見てみろ、お前もそう思うだろう?」
アーチボルトの能天気な言葉にジレスは額を押さえ項垂れている。
クライヴは呼吸を最小限にし、空気と同化しようとしているし。
お茶を用意し終えたアネリは私の背後に立ち三人に殺気を垂れながしているが。
大丈夫よアネリ、コレが無能だということは分かっているからね?
遠回しな言葉はアーチボルトには伝わらないのだからハッキリと言わないと。
「アーチボルト様。私、夜会の最中に何者かに連れ去られましたの」
「…………」
「あと少しでも助け出されるのが遅ければ、私は今この場にいませんわ」
「……無事、だったのか?」
「多少の怪我はありますけれど、まぁ、無事ですわね」
「……そうか、良かった」
ほっとしたのだろうか、アーチボルトはソファーに背をあずけ深く息を吐き出した。
その瞬間、私の中でぶちっと何かが切れた。




