誤解
エムの言葉を反芻し、手元に視線を落とす。
私の手は地面に片膝をつき騎士のような姿を取ったセオフィラスの手の中にある。
うん。確かに無礼だわ、私が。
ヴィアンの王妃が、広大な領土と強大な軍事力を持つ帝国の皇子に忠誠を示すための礼をさせている。
エムは知らないのだから仕方ない、事故だ。彼が何者であるのか知っている私からすれば無礼者は私の方で……。
何が起こって、こうなった?
「やはり、貴方でしたか!広間で見たときから怪しいと思っていたのです」
ナイフを取り出したエムは身構えながら、きつい眼差しをセオフィラスに向け今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
エムの迫力と服から取り出したナイフに呆気に取られている間に、セオフィラスは私から手を離しそっと両手を上に上げていた。
降参ポーズだ。
「いや、落ち着け。俺は彼女に危害を加える気はない」
「なにを今更!あちらに転がっている者達は貴方の仲間ですか?大方セリーヌ様の美しさに目を奪われ仲間割れでもしたのでしょ!」
どんな理由の仲間割れよ……。
セオフィラスも微妙な顔で私に視線を向けないで!
「……あー、確かに美しいとは思うが、アレと仲間だと思われるのは心外だな」
「ほら見なさい、そのまま手を下さず後ろへ下がりなさい!」
「……分かったから、早く彼女の側へ行ってやれ」
膝をついたままズリズリと下がっていく皇子に血の気が引く。
知らないってなんて恐ろしいのだろう。
「セリーヌ様、ご無事ですか!?どこかお怪我はっ……足が!」
「え、えぇ、私は無事よ。それよりあの方は違うのよ」
「どうしましょう……私の所為で。お守り出来ず申し訳ありません。今、あの者を血祭りに上げて来ますので、暫しお待ちください」
半泣きだったエムがゆらりと立ち上がり、いつもの可愛らしい笑顔で物騒な言葉を吐き出し慌てて服の裾を掴んだ。
待て、待ちなさいエムさん。それは駄目だから!
「待ちなさい、彼は向こうで転がっている暴漢から私を助けてくれたのよ」
「……ぇ、あの者がセリーヌ様を攫ったのではないのですか?」
「私を攫った者は暴漢達に私を渡して、もう逃げたわ」
「でしたら、あの者は……」
「命の恩人になるわね」
「恩人……」
恩を仇で返すとは、このことだろう。
エムがセオフィラスに恐る恐る尋ねると、彼は二回頷き両手を振って見せた。
多分、エムも必死だったのだろう。護衛対象の私が急に居なくなり、探し当てたときには暴漢達は倒れてるし、フードを被った怪しい者が私の側にいたしで。
「……ぁ、私なんてことを、すみませんでした!!」
顔を青くさせたエムはセオフィラスに向かって地面に伏し声を張り上げた。
「いや、誤解だと分かればそれで良い」
「本当に申し訳ございませんでした!助けていただいたのに、そのような姿をさせるなんて……すみません!」
どうやら無事に誤解は解けたらしい。
まだ謝り続けているエムに手を伸ばそうとしたとき。
「セリーヌ様!!ドレスが、髪が、何故そのようなお姿に!?」
アネリの叫び声に驚きながら冷や汗をかく。
コレ、マズイパターンだわ。
セオフィラスも同じことを思ったのか、更に私達から距離を離し、「落ち着け、俺は助けた側だからな……」と手を上げたままガックリと頭を下げていた。
ボロボロな私に、謝り続けるエムと、フードを被った男。
アネリには何が起きたのかさっぱり分からないだろう。
「セリーヌ様?これは、一体……」
困惑顔のアネリに、さてどこから説明しようかと苦笑した。
今日は、私も彼も厄日だ。
※※※※※※※
一通りアネリに説明している間に「セリーヌ様!?」と駆けつけてきたエマを、有無を言わせずエムが引っ張り暴漢達を片付けに行った。
エマは引っ張られながら「え、セリーヌ様!セリーヌさまあぁぁ!!」と叫んでいたが私にはどうすることも出来ない。
お片づけ頑張れ、エマ!と頷いておいた。
私の状態を一通り確認したアネリは、ずっと詰めていた息を吐き出した。
「私達がお側を離れた所為で、大変な目に遭われましたね。ですが、ご無事でなりよりです。後程、いかなる処分もお受けします」
「顔を上げなさい。今回のことは私が油断していた所為よ。それよりも、あの方を」
「あちらの方は、どなたでしょうか?夜会に出席されていたのなら、貴族か騎士でしょうが」
誤解が解けたあと、セオフィラスは木にもたれ掛かり黙っている。この場から離れる素振りも見せないのだけど……。
それに凄く気になるのだが、この人護衛はついているのだろうか?
周囲を見回すが、それらしき者は見当たらない。どうなっているのよ帝国。
「そこの方、セリーヌ様を助けていただきありがとうございます」
立ち上がり頭を深く下げたアネリに、セオフィラスも姿勢を正す。
「私はセリーヌ様の侍女のアネリ・リンドと申します。このご恩は決して忘れません」
「リンド……伯爵家か……。いや、俺が勝手にしたことだ気にしないでくれ」
「そういうわけにはまいりません。お顔は隠していらっしゃるようですが、お名前はお伺いしてもよろしいですか?」
そうよね、ずっとフードを被っていれば顔を見せたくないのだと嫌でも気づくわな。本人も顔を見せる気はないと言っていたし。
フードを脱いだら1発でばれる。
帝国の騎士団を率いて前線に立つセオフィラス皇子の顔は有名なのだ。
いや、彼だけじゃなくラバン国騎士団を率いる王太子の兄も、ヴィアン国王のアーチボルトも同じくらい顔を知られている。
皇子と兄は分かるが、何故アーチボルトが?と思うでしょ?
彼等の絵姿は街で売られている。手に入れるには各国の王都で買うしかないのだが、多分貴族のご令嬢方なら三人共の絵姿を持っているだろう。平民であっても少なくともひとつは手に入れているはず。
絵姿のみで比べると三人の中ではアーチボルトが際立って美しいらしい。
人は初対面で印象の10割近くを見た目と仕草で判断していると言われている。
そのあと中身を知り印象を変えていくのだが、上級貴族であっても特別なことがなければ会えないのに、王族など接する機会がない貴族や平民では判断材料は絵姿のみ。
顔だけは素晴らしいアーチボルトが世界の美丈夫と言われる所以はコレだ。
三人共に顔が整っているとは思うが、絵姿を欲しいかと聞かれたら私は首を横に振る。
寧ろ、テディの絵姿の方が欲しい。癒し効果抜群だ。
「名前か……」
呟いたセオフィラスは、偽名でも考えているのだろうか?一瞬の沈黙のあと口を開いた。
「ラスだ」
「ラス様、ですね」
ラス……あぁ、セオフィラスのラスね……。
安易過ぎるでしょ!偽名どころか、それ名前略しただけじゃない。
「ラス様は夜会にお戻りになりますか?」
「いや、もう充分だ。そちらは?」
「セリーヌ様、お部屋に」
「私は夜会に戻るわ。まぁ、この姿では一度部屋に戻り着替えなくてはならないでしょうが」
面倒だが、このままという訳にはいかない。
ドレスは汗と土でボロボロだし、髪はぐちゃぐちゃ。ヒールもどこかに捨ててきたから足元も悲惨。
「騎士か護衛が来るまでは居ようと思っていたが」
「お気遣いありがとうございます。護衛ならこの通り、彼女達が来てくれたのでもう大丈夫ですわ」
「……彼女達とは、貴方の侍女のことか?」
「えぇ、私の優秀な侍女で護衛ですのよ」
「他に護衛は?騎士が見当たらないが」
「専属騎士ならいますわよ?」
あと一人、騎士ならテディがね。
帝国の皇子に王妃の護衛が侍女を入れて四人しかいないなんて口が裂けても言えない。
アネリに手を貸してもらい立ち上がると、セオフィラスがゆっくりと近づき私の目の前に立った。
大きい……靴を履いていないから余計に大きく感じる。これ、もうちょっと下から覗き込んだら顔が見えてしまうんじゃ。
いや、やらないけどね?寝ている子を起こすなって言うくらいだし。
「靴がないなら歩けないだろう。抱き上げて部屋まで連れて行こうか?」
「部屋までは歩いて直ぐですから。それに、この足ですもの今更ですわ」
「俺の靴で良ければ差し上げるが?」
「あら、大き過ぎて逆に危ないわ。布が巻いてありますし、平気です」
「そうか。では、俺はこの辺で失礼しよう」
セオフィラスは何をしに夜会に潜り込んだの?知り合いの騎士を見に来たと言っていたが、それを『弟子』とも言っていた。
帝国の手の者があの場にいたのだろうか?
「お礼がまだですわ、ご一緒に広間まで戻りませんか?」
こうやって話せるのはどうせ最後だしと、先程された意地悪の仕返しをしてみた。
少しは動揺したり困惑したりするかと思っていたが……。
「では、貴方の手に勝手に口付ける許しを」
駄目だわ、経験値が違う……この人が何を考えているのか全く読めないし。
スッと持ち上げられた手の甲にセオフィラスの口が触れ、態とらしくリップ音を立てこちらの様子を伺っている。
普通なら顔を赤くさせたり狼狽えるところだが、生憎そんな可愛い乙女心は持ち合わせていない。
代わりに、うっすらと微笑んであげた。
「この程度で借りが無くなるのなら安いものね」
「ははっ、貸したつもりはない。あいつらの他に賊はいないとは思うが気をつけて」
「えぇ、ありがとう」
口を少しだけ開いて笑ったセオフィラスは私達に背を向け歩き出した。
私もアネリに促され足を踏み出そうとし、振り返りセオフィラスの背に向かって声をかけた。
「ラス様、次にお会いしたときには、敵になっていないと良いわね」
聞こえないかな?と思っていたのに。セオフィラスも振り返り、何を思ったのかフードに手をかけ持ち上げた。
幸いなことに距離があるのと、暗いせいで顔は良く見えない。隣にいるアネリが何も言わないのだから彼女にも見えていないらしい。
だが、敵国でその行為は危険過ぎるでしょ。
「あぁ、様は必要ない。それに、貴方はセオと呼べ」
唖然としている私に楽しそうにそう告げるとさっさと立ち去って行った。本当に、なんなんだあの人は……。
「セリーヌ様?」
「……部屋へ戻りましょう」
ラスの次はセオって、間違いなく愛称でしょうがソレ!?
意味が分からないと混乱する私をよそに、「フォーサイスの血は恐ろしいな」とセオフィラスは笑いながら呟いていた。
※※※※※※※
部屋へ戻って来た私達は急いで身支度を整え広間へと進んでいた。
私が今着ているのものは、ヴィンテージ感のある上品なピンクのカラードレス。
さっきまで来ていたマーメイドラインのドレスとは違い、繊細なレースと歩くたびにふわっと広がるプリーツがなんとも可愛らしい。
正直、今直ぐ脱ぎたい……。
勿論コレもラバン産で、少々特別なもの。
しかも、持って来ているドレスの中で一番値段が高く……ジャージ最高!な私が絶対に着ない!と心に固く誓っていたものだ。
そんな地雷ドレスを何故着たのか。
アメリア嬢の次の行動パターンを予測してみた結果だ。
「嫌だ、ごめんなさい?お一人でいらっしゃるから王妃様だと気づかなくて。ドレスが汚れてしまいましたわね、部屋へお戻りになったら?」
取り巻きと共にクスクス笑うアメリア嬢の手には空になったワイングラス。
広間へ入りアーチボルトの元へ向かっていた私のドレスに、横からぶつかって来たアメリア嬢がワインをぶちまけた。
余っ程の馬鹿で無い限りやらないであろうことを率先して行うアメリア嬢は勇者だ。
それに、私は一人では無い。背後にいる殺気駄々漏れのアネリさんが見えない?サクッと殺られるぞ!?
「あのまま、戻って来なければ良かったのに。ふふっ、セリーヌ様がいらっしゃらなくても、誰も気にしませんわよ?」
黙っている私に気を良くしたのか、ペラペラと喧しいアメリア嬢は何を学んで生きているのだろうか。
仕方が無い。もう一度互いの身分と、知能指数の違いを教えてあげないと。
侯爵令嬢なのにまともな教育を受けていないらしいから。
「アメリア嬢?」
「なにか、っ!きゃあ!?」
アメリア嬢の頭の上で、手にしていたグラスを逆さにした。
頭から顔へ流れていく赤ワインは彼女が着ている淡い色のドレスを染めていく。
「まあ、みっともない。お家へお帰りになったら?」
空のグラスをアネリへ渡し、アメリア嬢と取り巻き達へ微笑んだ。




